ペニー・パーカーに幼馴染を生やして曇ったり曇らせたりする話 作:血袋
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父さんに連れられてオズコープ社の研究施設に到着する頃には、既に夜も更けていた。
AI補助によって自動運転される車椅子に身を委ね、通されたのは広大な研究室。大小様々な機材が列を成し、特殊ガラスに囲まれた無菌室まで完備されている。
いくら僕が社長の息子とは言え、ここまで重要そうなエリアに入ったのは初めてだ。
「それで、父さん。僕の体を治してくれる新薬ってのは、どういう物なの?」
「一言で表せば、身体能力増強薬だ。服用した者の肉体機能を飛躍的に向上させてくれる……これを以ってすれば、損傷した脊髄が自己再生することすらも容易い」
そう語って、父さんは一本のガラス管を手に取る。この中に保存されている緑色の液体が、その身体能力増強薬なんだろう。
「ここ数年、うちの会社が薬学スタッフを重点的に増員してたのは僕も知ってるけど……まさか、そんなものを作ってたなんて」
「スーパーソルジャー計画──そう銘打って、私の主導で研究を行っていた。アメリカ国軍からの要望でもあるが……そんなことは私にとってオマケでしかない」
手中の身体能力増強薬を、続けて僕の顔を見る父さんの眼差しには、深い慈愛が満ちていて。
「人類は四万年以上を掛けて進化しながら、その潜在能力の欠片しか発揮できていない。この薬で、それを覆す。人類は新たなる進化を遂げるんだ。完全な肉体によって……如何なる怪我にも、如何なる病にも命を脅かされない……より強靭な生命へと!」
「父さん……もしかして、その薬……病気で亡くなった、母さんを想って?」
「私はいつだって大切な家族を……母さんと、おまえを想っている。父として当然だ」
それで新薬を生み出してしまうのが、流石は科学者にして社長って感じだけど。
父さんがこの新薬へ注ぐ熱意に押されるように、僕の車椅子は無菌室へと進み──
「──ノーマン! やめるんだ!」
そこで研究室の扉が開き、白衣の男が飛び込んできた。よほど焦りながら走ってきたのか、肩で息をしている。
この人のことは父さんから紹介してもらったことがある。この会社に勤めてくれている科学者の一人、ストローム博士だ。
「ストローム博士……やはり異を唱えに来たかね」
「当然だ、考え直してくれノーマン! その薬の危険性は否めない!」
「これまでにネズミを使って十回も行った実験では、どれも素晴らしいデータが取れている。計算は完璧だ。貴方以外の全研究員は、人体への投薬テストの段階に進むべきだと考えているよ」
「その実験に使ったネズミが、たった一匹で成体のホッキョクグマすら食い殺してしまったのを、君も見ただろう!? 人体投与に進むのなら、医療スタッフを揃えた上で、被験者は慎重な選定を重ねるべきなんだ!」
父さんとストローム博士の会話を聞く限り、身体能力増強薬は相当な劇薬らしい。父さんが僕に勧めてくるのだから理論上の問題は無いのかもしれないけど、流石にビビる気持ちは湧いてくる。
……だけど、それでも僕は。
「ノーマン。息子のハリーが大怪我を負って、その薬の出番だと考えてしまう君の気持ちはわかるつもりだ。しかし、まだ14歳の未成年を被験者にするなんて──」
「──そんなに臆病でどうするんですか、ストローム博士。危険は科学実験に付き物でしょう」
不敵な笑みを作り、そうストローム博士に向かって豪語してみせた。
「ハリー……本気で言っているのかね!?」
「勿論ですよ博士。コレは単なる新薬じゃない、父さんが目指した理想の結晶だ。息子の僕が協力しない訳が無い……それに、そもそも」
隣に立つ父さんへ力なく笑い掛ける。苦笑いになっているのは自分でもわかった。
「要はコレ、上手くいけば
「……
父さんが身体能力増強薬を開発したことには、少なからず僕の存在が絡んでいた。なら、我儘をいつまでも言っているワケにはいかない。製造責任の一端を果たすべきだろう。
それがオズコープ社への貢献、延いては科学の発展に繋がるのなら、申し分もない。
「僕は喜んで、この薬の
救済のヒーローは現れないまま、悪党が仕掛けた爆弾に巻き込まれて、大勢の人が死んだ中で、僕だけが生き残った──それに何か特別な意味があるのなら、きっとコレだ。
確証は無い。思い込みかもしれない。それでも、そう思わなくちゃやってられない。
危険な薬の被検体でも何でもいい、何かを為したい。……今の僕の頭にあるのは、それだけだ。
「あぁ、全く……君は間違いなくノーマンの息子だよ、ハリー!」
ストローム博士さえ折れてしまえば、後は流れでお願いしますって感じで。
僕は上半身の衣服を脱ぎ、寝台に体を固定される。
「じゃ、父さん。後はよろしく」
「ああ、ハリー。必ず上手くいくさ」
自信に満ちた顔の父さんに見送られ、僕の寝かされた寝台が無菌室内に格納された。
寝台はそのまま直立状態になり、いよいよ身体能力増強薬の散布が始まる。
無菌室内に充満していく緑色のガス。それはあっという間に僕の視界を覆い尽くし。
──そのまま、僕の意識をも、緑色に塗り潰していった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
筋肉量。筋繊維密度。俊敏性。視力。感覚器官。反射神経。神経伝導速度。治癒力。骨量。
ハリー・オズボーンのあらゆる肉体性能が飛躍的に向上していく様を、PC画面が映す。
「せ、脊髄の自己再生を確認……!」
「やった……やったぞ! やはり薬は完成していた! やったぞハリー!」
モニターされる生体反応の内容に、ストロームは驚愕を、ノーマンは歓喜を隠し切れない。
実験は成功したのだと、二者は確信した。
その錯覚は、すぐに終わる。
「……待て、ノーマン! 心拍数が異常値だ!」
「なにっ!?」
計測されているハリーの心拍数が140BPMを超過。危険な数値だ。
慌てて無菌室内のハリーに視線を移せば、充満するガスの向こうに薄っすらと見える彼の体は、明らかに大きく痙攣していた。
「ハリー!? ──薬の吸入はもう十分だ! ガスを排気してくれ!」
「わ、分かった!」
ノーマンの指示が飛び、ストロームがガス排出の操作を行う。
無菌室内のガスが薄れて姿がハッキリと見えるようになったハリーは、やはり白目を剥きながら痙攣を続けている。
しかし、それも唐突に止まる。彼の心拍が停止したことによって。
「ハリーッ!!」
ガスの排気完了と同時に、鬼気迫る勢いでノーマンが無菌室に飛び込んだ。
寝台に固定されているハリーはぐったりして動かない。
「こんなはずではないッ……ハリー! しっかりしろハリー、ハリー!!」
計算外の事態に頭を混乱させながらも、懸命にハリーへの心臓マッサージを施すノーマン。
そんな父の愛が届いたのか──ハリーの瞼は開き、計器も彼の心拍が回復したことを記録する。
「ハリー! 良かっ──ぐッ!?」
だが、次の瞬間にハリーは寝台の拘束を力任せに引き剥がし、ノーマンの首を握り掴んでいた。
父であるはずの、大人であるはずのノーマンの体を右腕だけで軽々と持ち上げているハリーは、そのまま歩みを進め──
「──しゃあっ!」
振るい放った蹴りの一発で、無菌室の壁を粉々に吹き飛ばす。
頑丈なはずの特殊ガラスが、少年の右足一つに、快音を立てて破られていた。
「あ……あ、あぁ……!」
あまりの衝撃に、腰を抜かして怯えることしかできないストローム。
そんなストロームを心底から嘲るような目で見下ろしながら、ハリーは──ハリー・オズボーンであるはずの少年は、凶暴に叫んだ。
「オズコープ・ファクトリーの門を開けろ! 完全なる
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
時は経ち、次の朝が来る。
それでもペニー・パーカーの気持ちは晴れず、彼女は自宅の格納庫にて
『ネガティブ感情の解消、未だ観測デキズ。ペニー、大丈夫デスカ?』
「……心配してくれてありがとう、SP//dr。ごめんね、もうしばらくはこのままかも」
電子音声でペニーに語り掛けるのは、彼女の愛機にして親友、SP//dr。
生体情報から感情を測定できるSP//drに嘘は吐けない。ペニーは素直に弱音を零す。
「ヒーローをやってて一番辛いのは、全員は助けられないこと。全部は上手くいかない。もう五年も戦ってるんだもの、それはよくわかってるつもりだった。……つもり、だけだったね」
ペニーが思い返すのは、幼馴染ハリー・オズボーンのこと。
悪党の残した爆弾に巻き込まれて、瓦礫の下敷きになっていたハリーの姿。病院のベッドの上で目を覚まさないハリーの姿。爆発から生き残ったのが自分だけだと知って絶望するハリーの姿。
自分の預かり知らぬ所で死んでいてもおかしくなかったハリーの姿……それがペニーの瞼の裏に焼き付いて、未だ消えない。
何も悪くないのに謝らないでくれ、とハリーは言っていた。だけどペニーは謝るしかない。
だって、ハリーたちを救えたはずのヒーロー、スパイダーは……他ならぬ彼女なのだから。
──OK! じゃあもう一度だけ説明しよう。
彼女はペニー・パーカー。
放射性のクモに噛まれた時から、今まで五年間。
この世にたった一人の……スパイダーガールだ。
後は知っているはず。
クモと人間のハイブリッド・ロボット「SP//dr」を駆って戦う先代ヒーローだった父親を9歳の頃に亡くし、叔父夫妻でありSP//drの開発研究者でもあるベンとメイに引き取られ。
遺伝子の互換性故にSP//drを後継できるのが自分しかいないと教えられた彼女は、自ら放射性のクモに噛まれる決意をし、若くして悪党どもとの戦いへ身を投じることになった。
指令室のベンとメイからサポートを受け、SP//drの中枢を担うクモと
そんな日々は少しずつペニーに疲労感を蓄積させていき──それを癒してくれる存在が、彼女の幼馴染、ハリー・オズボーンだった。
ハリーが頭を撫でてくれれば、疲れは吹き飛ぶ。ハリーが褒めてくれれば、明日も頑張る活力が湧く。ハリーが隣にいるから、孤独を感じずに済む。ハリーが住んでいるから、この街を守る意志が揺るがずにいられる。
決して正体を明かすことはできない。自分が悪党に狙われた時、彼にまで危険が及ぶから。
その代わり、彼と暮らすニューヨークの平和は、皆の笑顔は、自分が死守してみせると──
「──誓ったはずなのに、そのハリーを守るための場所に居合わせることすらもできなかった。ヒーローの自信、失くしちゃうな」
もしハリーが四六時中でも自分の目の届くところに居てくれたなら、今回のようなことは絶対に防いでみせたのに。どうして自慢の
そんな益体の無い考えが、ぐるぐるとペニーの心中を支配し続ける。
『ネガティブ感情の増大を観測。休息の延長を推奨シマス』
「ううん、大丈夫。そろそろ支度しなくちゃ……ハリーのお見舞い、行かないと」
少なくとも学校に行く余裕があるのであれば、それよりもハリーの見舞いに行きたかった。
学業の遅れはいつでも取り返せるけれど、助けてあげられなかった彼にせめて世話を焼くことができるのは今しかない。
それに、何より。おこがましいとは理解していても、ハリーと一緒の時間を過ごすという安らぎが無ければ、今はとてもヒーローとしての自分に戻れない気がして──
「──ペニー、そこにいるのか?」
等と思い耽っていたところに、SP//drの向こう側から呼ぶ声がする。
流石に無視する訳にもいかず、ペニーはようやくコックピットのハッチを開いて顔を出した。
「……ベンおじさん。どうしたの?」
「あぁ……すまないペニー。叔父としては、もう少しおまえをそっとしておいてやりたいんだが」
ペニーを呼びに格納庫へやってきたのは叔父のベンだった。
彼は携帯端末を片手に、心苦しい顔でペニーとSP//drの方へ歩み寄る。
「こっちに来てくれ。おまえに見せなければならないものがある」
「見なきゃいけないもの? おじさん、一体なに……?」
言われた通り、ペニーはSP//drのコックピットから降り、ベンと並び立つ。
ベンが携帯端末の画面をタップすると、一時停止されていた動画が流れ始めた。
『──俺はグリーンゴブリン! この動画を見ている君たちは選ばれし者、5000万ドルを掴むチャンスを与えられた幸運な者!』
画面に映し出されたのは、メタリックな緑色のフライトスーツを身に纏い、恐ろしい悪鬼の形相をした鉄仮面で顔を覆った……怪人の姿だった。
グリーンゴブリンと名乗った怪人は、これ見よがしにボディビルのようなポーズを取りながら、陽気に語り掛けてくる。
『単刀直入に言おう、ニューヨークにいるあるヒーローを呼び出してほしい。愛称はスパイダー、赤いロボットに乗りクモみたいな能力を操るヒーローだ。もちろんめちゃくちゃ強い』
怪人の望みは単純明快、SP//drを引きずり出すこと。
これまでペニーは多くの悪党を邪魔してきたが、自らヒーローを招きたがる相手は初めてだ。
『スパイダーを呼び出すには事件を起こさなくてはならない。銃や刃物などの凶器は使用推奨! なぜならヒーローとは事件あるところに現れるからだ、何よりも無辜の市民の命が大事なんだ。ぶっちゃけこのヒーローの正体なんてどうでもいいんだ、俺の前に現れてさえくれればなぁ』
まるで通販番組を盛り上げるセールスマンのようなノリで、怪人は物騒な話を続ける。
金に釣られるような小悪党を扇動して餌にし、ヒーローを誘い出す。実にシンプルながら、これを無視できるヒーローは少ないだろう。
『さぁ、悪事の腕に自信のある者は今すぐルーズベルト島・トラムウェイに行け! スパイダーを誘き寄せろ! 急げっ乗り遅れるな、5000万ドルを掴むんだ──“スパイダー・ラッシュ”だ!』
……ハイテンションでイベントの開始が宣言され、動画は終了した。
「今の……何? コレ」
「挑戦状、と言ったところだろうな。あの怪人から、SP//drに対しての」
一見すれば、内容は笑ってしまうスパム動画のようなものだった。
しかし、そんな胡散臭い動画を真に受けてしまう人間が一定数いるのも現実。
「奴の目的は不明だが、提示された金に釣られて暴れ出す悪党どもがいてもおかしくはない──SP//dr、出動だ」
胸を締め付けられるような思いで、ベンはペニーにそう告げた。
叔父として、今のペニーの精神状態が本調子でないことは分かり切っている。それでもSP//drの指令役として、街を守るためには彼女を戦わせるしかない。
「……わかったわ、おじさん。私に任せて」
そんな叔父の想いは承知の上で、ペニーも力強く応答する。
「
それは、ペニーが亡き父からSP//drと共に受け継いだ言葉。
この教えを胸に抱き続ける限り、彼女が街を脅かす悪との戦いから逃げ出すことは無い。
すぐに再びSP//drのコックピットへと飛び込み、出撃準備は完了する。
14歳という若さであっても、ペニーは既に5年の経験を積み重ねている天才ヒーロー。
どんな怪人が相手であろうと、負ける気はしていない。
「待っててねハリー……すぐ終わらせて、お見舞いに向かうから」
──唯一、気掛かりがあるとすれば。
それはハリーから、いつものアレをしてもらっていないことだけだった。
ペニーを曇らせるとはあらすじにも載せたけど、曇っていない通常状態のペニーを全然書けていないという問題。