こういう訳で、フリーレンが猫猫と何やら怪しげな共同研究を始めた。
一方、フェルンはというと‥‥‥
「ねえねえ、フェルン」
「はい?」
子翠が、いつものようににこにこしながら近寄ってきた。
「私、空飛びたい」
「……え?」
フェルンは困った顔をする。
フリーレンとフェルンが後宮の外へ出るときに飛行魔法を使って以来、子翠はずっと狙っていたのである。
「ええ……」
「駄目?」
「……駄目じゃないですが、危険かもしれませんよ」
「大丈夫な範囲で!」
子翠がぐいぐい迫ってくる。
そして、その横にいた小蘭が目を丸くする。
「フェルン、空飛べるの?」
「はい」
「ええっ! 本当に!?」
小蘭の目が一気に輝いた。
「私も飛びたい!」
小蘭が便乗した。
「小蘭までですか……」
二人の期待に満ちた顔を見て、フェルンはため息をついた。
「……ちょっとだけですよ」
「やった!」
「わーい!」
二人が同時に喜ぶ。
まず子翠。
「ちゃんと掴まっていてください」
「うん!」
フェルンが子翠を抱える。
そして。
ふわり。
身体が浮いた。
「わあああああ!」
「声が大きいです!」
「だって、本当に飛んでる!」
地面が少しずつ遠ざかる。
もちろん、フェルンはかなり低い高度に抑えている。
それでも子翠にとっては十分だった。
「すごい! すごい!」
「暴れないでください!」
「ねえ、もっと高く!」
「駄目です」
「ちょっとだけ!」
「駄目です」
「フェルン、意外と厳しい!」
「安全のためです」
地上では小蘭が飛び跳ねている。
しばらくして子翠を降ろす。
「楽しかったあ!」
今度は小蘭。
「お願い!」
「はいはい」
フェルンが小蘭を抱えて浮かび上がる。
「きゃあああ!」
「だから声を抑えてください!」
「だって怖いけど楽しい!」
「どっちなんですか……」
こうして空を満喫した子翠と小蘭。
その後、三人は一緒にお茶を飲んだ。
フリーレンは猫猫のところへ行って、何やら怪しい研究をしている。
「前にも聞いたけどさ」
子翠が菓子をつまみながら言った。
「フェルンの世界には、魔物とか魔族がいるんだよね?」
「はい」
「それって、どんなものなの?」
フェルンは少し考えた。
「魔物は色々です。獣に似たものもいますし、巨大なものもいます」
「人を襲うの?」
「襲うものも多いですね」
小蘭の顔が引きつる。
「怖……」
「魔族は?」
子翠が聞く。
「魔族は、人の言葉を話します」
「え、人みたいなの?」
「姿も人に近いです」
「じゃあ話し合えるんじゃないの?」
小蘭が言う。
フェルンは静かに首を振った。
「それは‥‥‥無理ですね」
「どうして?」
「魔族は人間とは考え方そのものが違います。言葉も、人を欺くために使います。欺いて、人を襲います。」
「うわあ……」
小蘭は想像しただけで嫌そうな顔になる。
子翠は逆に興味深そうだった。
「じゃあ、フェルンもそういう魔物や魔族と戦うんだよね?」
「はい」
小蘭がフェルンを見る。
「フェルン、なんだか格好いい」
「え?」
「だって魔物を退治するんでしょう?」
「いや、私なんか」
フェルンは少し照れた。
「フリーレン様に比べれば、まだまだです」
「でもさ」
小蘭は真剣な顔になる。
「そんな化け物みたいなのと戦うなんて、怖くないの?」
フェルンは少し黙った。
「怖い、と思う時もあります」
「やっぱり?」
「はい」
フェルンは正直に答えた。
「でも、立ち向かわなければならない時もありますから」
「逃げちゃ駄目なの?」
「逃げてもいい時は逃げますよ」
「そうなんだ」
「無理に戦う必要はありません。ただ、誰かを守るためだったり、旅を続けるためだったり……戦わなければいけない時があります」
そして、少し微笑む。
「それに、フリーレン様や他の人も助けてくれますし」
小蘭は感心したように頷いた。
「そうなんだ……私には絶対無理だね」
「大丈夫ですよ」
フェルンは穏やかに言う。
「この世界には魔物も魔族もいませんから、戦う必要なんてないですよね」
「人間同士は色々あるけどね」
子翠がさらっと言う。
「子翠、それ怖いよ」
小蘭が言った。
「後宮だからねえ」
子翠は笑っている。
「ところで」
子翠が話題を変えた。
「フリーレンって、結局どういう人なの?」
「どういう人、ですか?」
「エルフって何なの?」
「ああ」
フェルンは頷く。
「エルフというのはですね、人間とは別の種族です」
「やっぱり耳が長いの?」
「はい」
「妖精みたいなもの?」
小蘭が聞く。
「妖精ではありません」
「そうなの?」
「はい。エルフはエルフです」
「うーん」
小蘭はまだよく分かっていない。
「でも、すごい魔法を使えるんでしょう?」
子翠が聞く。
フェルンの表情が少し誇らしげになった。
「はい。なんといっても、フリーレン様は勇者様一行の魔法使いでしたから」
「勇者様一行?」
小蘭が首を傾げる。
「勇者って?」
フェルンは説明した。
かつて魔王がいたこと。
勇者ヒンメル。
僧侶ハイター。
戦士アイゼン。
そして魔法使いフリーレン。
四人が長い旅を続け、ついには魔王を倒したこと。
小蘭は口を開けて聞いていた。
「へ~……本当にそんなことあったのね。おとぎ話みたい」
「はい」
フェルンは少し笑った。
「もう八十年ほど前のことですけどね」
「八十年前……」
小蘭が改めて驚く。
子翠も考え込む。
「そういえば」
「はい?」
「フリーレンって千年以上生きているんだよね?」
「はい」
「エルフって、みんなそんなに長生きなの?」
「そうですね」
フェルンは答える。
「フリーレン様より長く生きているエルフもいます」
「ええ!?」
小蘭がまた驚いた。
「もっと長く?」
「はい」
「どれくらい?」
「人によりますけど」
子翠は妙に納得した顔になった。
「そっかあ」
「何です?」
「そんなに長生きするから、朝起きられないんだね」
「…………」
フェルンが止まる。
「違うの?」
「……それはたぶん」
少し間を置いて。
「フリーレン様だけです」
「そうなの?」
「はい」
「エルフの特徴じゃないの?」
「違います」
きっぱり。
「フリーレン様が朝に弱いだけです」
「へえ」
子翠は残念そうだった。
どうやら「長命種は朝が苦手」という謎の生態を期待していたらしい。
「それに」
フェルンは続ける。
「放っておくと髪も整えませんし」
「フェルンがやってあげるの?」
小蘭が聞く。
「そうですね」
「ご飯は?」
「食べさせます」
「なんだかお母さんみたい」
「違います」
即答した。
「私は弟子です」
だが子翠と小蘭は顔を見合わせる。
「でも、世話してるよね」
「してるね」
「…………」
フェルンは反論できなかった。
「フリーレン様がもう少ししっかりしてくださればいいんです」
そう言いながらも、どこか楽しそうに聞こえる。
二人もそれに気付いたが、あえて言わなかった。
そのとき、小蘭が急に黙った。
「…………」
「どうしました?」
フェルンが聞く。
小蘭は、じーっとフェルンを見ている。
正確には、少し視線が下だった。
「……小蘭?」
「ねえ、フェルン」
「はい?」
「フェルンの世界の人って、その……」
「?」
「みんな大きいの?」
「え?」
フェルンが首を傾げる。
「何がですか?」
「その……」
小蘭はちらっと子翠を見る。
「子翠もだけど……」
「私?」
小蘭は何とも羨ましそうな顔をした。
「いいなあって」
「???」
フェルンにはさっぱり分からない。
子翠は一瞬考え――
「ああ」
理解した。
「小蘭」
「何?」
「重いだけよ」
「え~!」
「肩凝るし」
「でもうらやましいよ!」
小蘭は自分の胸元を見下ろす。そして手を当てる。
「私も大きくならないかな~」
「そのうち変わるんじゃない?」
「本当?」
「知らない」
「ええ~」
フェルンは二人を交互に見る。
「え?」
子翠。
小蘭。
「え?え?何の話をされているんです???」
小蘭が驚く。
「フェルン、分からないの?」
「分かりません」
「だって――」
小蘭が言おうとしたところで、子翠が肩を震わせ始めた。
「ふふっ……」
「子翠?」
「いや、ごめん」
「何です?」
「フェルンって、こういうところ妙に鈍いのね」
「何がですか?」
「気にしなくていいわ」
「気になります」
「そのうち分かるわよ」
「だから何がですか?」
フェルンは完全に置いていかれている。
「???」
フェルンの頭の中には疑問符が浮かぶばかりだった。
子翠は笑っている。
小蘭は「いいなあ」とまだ羨ましそうにしている。
そしてフェルンだけが――最後まで、いったい何の話をされているのか理解できないままなのであった。