第1話:これ、毒だ
そんなこんなで、フリーレンは猫猫と一緒に、何やら怪しげな研究をしている。
フェルンは子翠や小蘭とお茶を飲み、他愛のない話をしている。
最初こそ異世界に飛ばされ、どうしたものかと途方に暮れていた二人だったが、いつしか後宮での生活にも馴染み始めていた。
そんなある日のこと。
フリーレン、フェルン、猫猫、子翠の四人は、後宮の廊下を歩いていた。
「猫猫、次はどんなことしようか」
フリーレンが尋ねる。
「そうだね、フリーレン」
猫猫が腕を組んで考える。
「次は……薬草を乾燥させる方法をもう少し改良してみるか」
「じゃあ、湿気だけを取り除く魔法を――」
「それなら保存にも使えるな」
「あと、解析魔法と組み合わせて――」
また始まった。
フェルンが半眼になる。
最近、この二人が顔を合わせると大抵こうである。
「もう、フリーレン様……」
フェルンはため息をつき、隣を歩く子翠に言った。
「ごめんなさい、子翠。フリーレン様が猫猫を変なことに巻き込んでしまって」
なお、フェルンは小蘭から、
『私たちに様をつけるのは禁止!』
と言われたため、猫猫や子翠、小蘭については呼び捨てにしている。
最初はかなり抵抗があったようだが、今では少しずつ慣れてきている。
すると子翠も申し訳なさそうな顔をする。
「何言ってるの、フェルン」
「え?」
「猫猫がフリーレンを変なことに巻き込んだに決まってるわよ。ごめんね」
「いえ、フリーレン様が……」
「いやいや、猫猫が……」
「ちょっと」
前を歩いていた猫猫が振り返った。
「変なことって何だ」
フリーレンも不満そうだ。
「フェルン、ひどい」
猫猫は胸を張って言う。
「変なことじゃない」
「そうだよ」
フリーレンも頷く。
「これは人類の進歩のためにやってるんだよ」
「そうだ。失敗なくして進歩はない」
「うん」
「次こそ歴史に残るものができるかもしれない」
「そうそう」
二人は妙に意気投合している。
「「はあ……」」
フェルンと子翠のため息が、見事に重なった。
そのときだった。
「きゃああああああああ!」
甲高い悲鳴が響いた。
四人の表情が一変する。
「なんだ!」
猫猫が振り返る。
「何事!」
子翠も声のした方を見る。
フリーレンとフェルンも即座に動いた。
「行こう」
「はい、フリーレン様」
四人は駆け出した。
声のした場所へたどり着くと、何人もの女官が集まっていた。
「どうしたの!」
猫猫が人をかき分ける。
その中心には――
一人の女官が倒れていた。
「しっかりして!」
別の女官が必死に呼びかけている。
倒れた女官は苦しそうに身体を丸め、呼吸も乱れていた。
猫猫の顔つきが変わる。
「どいて」
「猫猫?」
「いいから」
すぐに女官のそばへしゃがみ込む。
目。
口元。
呼吸。
脈。
そして周囲の状況。
次々と確認していく。
「これは……」
「猫猫?」
子翠が聞く。
猫猫の声が低くなる。
「これ、おそらく毒だ!」
「毒!?」
周囲がざわめいた。
「毒って……!」
「誰かに盛られたの!?」
「静かに!」
猫猫が一喝する。
「騒ぐのは後だ」
女官の状態を確認する。
「誰か、水を持ってきて!」
「は、はい!」
「それから炭!」
「炭?」
女官たちが顔を見合わせる。
「炭って、急に言われても……」
猫猫が顔をしかめる。
すると。
「いや」
フリーレンが言った。
「方法はあるよ」
「フリーレン?」
近くに薪が積まれている。
フリーレンは一本の薪へ杖を向けた。
「ヴォルザンベル」
魔法が発動する。
次の瞬間、薪がみるみる黒く変化していった。
周囲の女官たちが息を呑む。
「え……」
「なに、今の……」
ほんの一瞬で、そこにあった薪は炭へと変わっていた。
フリーレンがそれを猫猫へ渡す。
「これでいい?」
「ああ」
猫猫は驚いている暇もなく受け取った。
すぐに必要な処置を始める。
フリーレンはその様子を見ながら言った。
「他に必要なものは?」
「今は大丈夫」
「分かった」
子翠が立ち上がった。
「私、壬氏様を呼んでくる!」
「ああ、頼む!」
子翠が走り出す。
フェルンは周囲の女官を見る。
「皆さん、少し離れてください。猫猫の邪魔になります」
普段の穏やかな少女とは違う、魔物との戦いを経験してきた落ち着いた声だった。
動揺していた女官たちも、思わず従う。
やがて――
「薬屋!」
壬氏が駆けつけた。
「壬氏様!」
子翠も一緒だ。
壬氏は倒れている女官を見る。
「こ、これは……」
すぐに猫猫を見る。
「薬屋、どうだ。容態は」
「はい」
猫猫は答える。
「とりあえずの処置はしました。ただ、本格的な治療が必要です」
「助かるのか?」
「今の段階では何とも。ただ、できることはします」
「分かった」
壬氏はすぐに周囲へ指示を飛ばした。
「この者を運べ! 医官にも知らせろ!」
「はい!」
「それから、ここにあるものには誰も触れるな!」
「はい!」
騒然としていたその場が、壬氏の指示で動き始める。
そして、ひとまず女官が運ばれた後、猫猫はその場に残った。
「でも……」
食事が並んでいた場所を見る。
「いったい、どこで毒が……」
壬氏も表情を険しくする。
「調べるぞ」
「はい」
まず、周囲にいた女官たちから話を聞いた。
倒れた女官は、他の女官たちと一緒に食事をしていたという。
「食べている途中で、急に苦しみ出したんです」
「何を食べた?」
「私たちと同じものです」
猫猫が料理を見る。
「全員、同じ料理を?」
「はい」
「同じ皿から取った?」
「はい」
「飲み物は?」
「それも同じです」
猫猫は考え込む。
(妙だな)
料理に毒が入っていたなら、同じものを食べた他の女官にも、何らかの症状が出てもおかしくない。
しかし――
「他に具合が悪い者は?」
壬氏が尋ねる。
「い、いません」
「本当に?」
「はい」
誰も何ともない。
猫猫が料理を見つめる。
「料理そのものじゃない?」
「では何だ?」
「まだ分かりません」
猫猫は言った。
「とにかく、ここにある食事、飲み物、食器、全部回収してください」
「分かった」
壬氏が指示を出す。
そこへ。
「猫猫」
フリーレンが言った。
「私達も手伝おうか?」
猫猫が振り返る。
「できるの?」
「魔法で調べられるものなら」
フェルンも頷く。
「構造解析なら、私もできます」
猫猫は少し考え――
「ああ。頼む」
こうして、後宮の毒物調査に、異世界の魔法使い二人が加わることになった。
料理。
異常なし。
飲み物。
これも目立った異常はない。
調味料。
問題なし。
猫猫も自分の方法で調べていく。
フリーレンとフェルンも、魔法による解析を行う。
「……変だね」
フリーレンが呟く。
「はい」
フェルンも首を傾げる。
「料理には特に妙なものはなさそうです」
「そうだな」
猫猫も同意する。
「少なくとも、あの女官だけが倒れた説明にはならない」
壬氏が腕を組む。
「なら、どこに毒があった?」
「…………」
猫猫は考える。
そのとき。
フリーレンが一つの器を手に取った。
倒れた女官が使っていたものだった。
「ん?」
「どうした?」
猫猫が聞く。
フリーレンは器をじっと見る。
魔法で解析する。
「…………」
「フリーレン様?」
フェルンが尋ねる。
フリーレンは器の縁へ視線を向けた。
「この器」
「何?」
「おかしいんじゃない?」
猫猫の目つきが変わる。
「貸して」
器を受け取る。
表面を見る。
匂いを確かめる。
そして慎重に調べる。
しばらくして――
「……なるほど」
猫猫が呟いた。
「何か分かったのか?」
壬氏が尋ねる。
猫猫は器を指した。
「毒は料理に入っていたんじゃありません」
「何?」
「器です」
「器?」
「恐らく――」
猫猫は器の縁を見る。
「ここに毒が塗られていた」
壬氏の表情が変わった。
「つまり……」
フェルンの表情も険しくなる。
「では」
「うん」
フリーレンが静かに言った。
「事故じゃないね」
猫猫も頷いた。
子翠の表情からも、いつもの明るさが消える。
「誰かが……殺そうとした?」
「まだそうと決まったわけじゃない」
猫猫は言う。
「毒の量も調べる必要がある。でも――」
器を見る。
「少なくとも、偶然こうなったとは考えにくい」
壬氏が周囲の者たちを見る。
「この器は、最初からあの女官に割り当てられていたのか?」
「それは……」
女官の一人が戸惑う。
「分かりません」
「食事を用意した者は?」
「何人かで……」
「器を並べたのは?」
「それも……」
話を聞けば聞くほど。
関わった人間が増えていく。
料理を作った者。
運んだ者。
器を用意した者。
食事を並べた者。
途中でその場を通った者。
誰にでも機会があったように見える。
逆に言えば――誰がやったのか、まるで分からない。
「動機は?」
壬氏が猫猫に聞く。
「分かりません」
「女官同士の恨みか?」
「それもあり得ます」
「何か秘密を知っていた?」
「可能性はあります」
「誰かと揉めていたという話は?」
「今から調べるしかありませんね」
猫猫は器を見つめた。
方法は分かった。
毒がどこに仕込まれていたのかも分かった。
だが――
誰が、何のために。
その二つが、まったく分からない。
猫猫はもう一度、毒の塗られた器を見る。
異世界の魔法によって、普通なら見落としていたかもしれない手掛かりを早く見つけることができた。
しかし、事件そのものは、何一つ解決していない。
事件は、ここから始まったのであった。