猫猫は唸っていた。
「う~ん……」
あの後、猫猫はフリーレンやフェルンにも手伝ってもらい、後宮で使われている食材や食器を片っ端から調べていた。
食材に毒物が混入していないか。
他にも毒を塗られた食器がないか。
同じような細工がされていないか。
猫猫が薬学の知識で調べ、フリーレンとフェルンが魔法による構造解析で補助する。
調査はかなり遅い時間まで続いた。
幸い、新たな毒は見つからなかった。
だが――
(眠い……)
猫猫は小さく欠伸をする。
さすがに疲れている。
少し離れたところでは、フェルンも眠そうにしていた。
フリーレンは――
「……すぅ」
「フリーレン様」
「…………」
「起きてください」
「……起きてるよ」
「寝ていました」
「目を閉じて考えてただけ」
「では何を考えていたのですか?」
「…………」
「フリーレン様?」
「……眠いなって」
「寝ていたのと同じではありませんか」
猫猫は二人の会話を聞き流しながら、もう一度事件について考えた。
食器に毒を塗る。
その方法を使った理由そのものは、分からなくもない。
(食材より簡単だからだ)
後宮の食材は当然ながら管理されている。
食材へ毒を混ぜるには、調理場や保管場所へ入り込まなければならない。
誰かに見られる可能性もある。
それに一つの料理へ毒を混ぜれば、複数の人間が被害に遭うかもしれない。
逆に――
食器なら。
(管理は食材ほど厳しくない)
何も、食事が並べられた後で毒を塗る必要などない。
同じような器をどこかで用意する。
あらかじめ毒を塗っておく。
他の荷物を入れた袋にでも忍ばせておく。
そして何らかの機会に、本物の食器の中へ紛れ込ませる。
それなら、その場で毒を扱う必要はない。
やり方によっては、犯人自身が食堂へ入る必要すらないかもしれない。
「……方法は分かるんだよな」
猫猫が呟く。
フェルンが振り返った。
「何か分かりましたか?」
「いや」
猫猫は頬杖をつく。
「どうやって毒を仕込んだかは、ある程度想像できるってだけ」
「犯人は?」
「分からない」
「目的も?」
「それが一番分からない」
そこなのだ。
なぜ、そんなことをする?
最初の女官。
そして昨日の猫猫。
二人には何の接点も見つかっていない。
しかも、猫猫が使った器は誰が使ってもおかしくなかった。
(無差別殺人……?)
可能性はある。
この後宮という場所は、華やかに見えて決して穏やかな場所ではない。
妃同士の競争。
女官同士の嫉妬。
将来への不安。
故郷へ帰れない者。
望まぬ形で後宮へ入れられた者。
人間関係に疲弊する者。
精神的に追い詰められた人間が、誰でもいいから殺したいと思っても――
あり得ないとは言えない。
だが。
「……違う気がする」
猫猫は呟いた。
「何が?」
フリーレンが聞く。
いつの間にか起きている。
「毒の量」
「量?」
「ああ」
猫猫は最初の事件を思い返す。
最初に倒れた女官。
確かに危険な状態にはなった。
だが、猫猫の応急処置が早かったことを差し引いても――
(殺すつもりなら、少ない)
もちろん毒物には個人差がある。
体格。
体調。
食事の量。
様々な条件で効き方は変わる。
それでも、本気で確実に殺害するつもりなら、もっと量を増やすことはできたはずだ。
そして二件目。
猫猫が口にしたものも同様だった。
猫猫は毒への耐性が普通ではないので、自分自身を基準にはできない。
だが――
(普通の人間でも、あの程度なら即死するような量じゃない)
苦しむ。
倒れる可能性もある。
治療が遅れれば危険なこともある。
しかし、確実に殺す量ではない。
「じゃあ」
フリーレンが言った。
「殺すことが目的じゃない?」
「そこなんだよ」
猫猫の目が細くなる。
「何らかの試しなのか?」
「試し?」
フェルンが聞く。
「毒の効き方を確かめているとか」
猫猫は考える。
「あるいは、毒を仕込んだ食器が実際に後宮の食事へ紛れ込むかどうか」
フェルンの表情が険しくなる。
「では……」
「今までの二回が本番じゃなかった可能性がある」
部屋が静かになった。
フリーレンも、完全に眠気が消えたようだった。
「予行演習?」
「かもしれない」
猫猫は答える。
「毒を塗った器を混ぜることができるか。発覚するまでどのくらいかかるか。毒を口にした人間がどうなるか」
「それを確かめていた?」
「まだ推測だけどね」
だとすれば。
当然、次の疑問が生まれる。
「……本命は誰だ?」
猫猫は呟いた。
まず思い浮かぶのは――
皇帝。
「いや」
猫猫はすぐ首を振る。
難しすぎる。
帝の食事となれば、当然ながら管理の厳しさは比較にならない。
毒見もある。
使う食器も管理されている。
今回のように、どこかから毒を塗った器を紛れ込ませるなど簡単ではない。
「皇帝は難しい……」
なら。
「玉葉皇后?」
これも考えられる。
皇后を殺害する。
その地位を空ける。
皇帝の寵愛を巡る後宮なら、動機そのものは成立する。
だが――
「これも難しいな」
皇后の身辺警護も厳しい。
食事も当然管理される。
(なら上級妃か?)
皇后ほどではない。
それでも十分に高い地位。
誰か上級妃を殺害し、その後釜を狙う。
あるいは皇帝の寵愛を巡る争い。
中級妃の中に、そう考える者がいても不思議ではない。
後宮では地位が、そのまま一族の力にも繋がる。
「…………」
しかし、猫猫の頭の中に別の人物が浮かんだ。
美しい顔。
無駄に美しい顔。
腹が立つほど美しい顔。
「……壬氏様か」
「壬氏様?」
フェルンが聞き返した。
「ああ」
表向きは後宮を管理する宦官。
だが、その正体は――皇帝の弟、華瑞月。
皇位継承にも関わり得る人物である。
(政治的な理由なら、十分あり得る)
壬氏は後宮の管理だけをしているわけではない。
後宮の外でも様々な仕事に関わっている。
政治。
人事。
各所との調整。
当然、利害が衝突する人間もいる。
本人にそのつもりがなくても、恨みを買う可能性は十分ある。
それに――
猫猫は何とも言えない顔になった。
(あの顔だしな)
美しすぎる。
それも、本人が歩いているだけで周囲の女性が振り返るほどに。
後宮の妃たちの中に、壬氏へよろしくない感情を抱く者がいてもおかしくない――
いや、十分すぎるほどあり得る。
好意。
執着。
嫉妬。
逆恨み。
愛情が憎悪へ変わることだってある。
さらに悪いことに、壬氏は正体が皇弟のくせに過剰な警備は好まず、単独行動もしばしばだ。
「壬氏様がどうかしたのですか?」
フェルンが尋ねる。
「いや」
猫猫は答える。
「狙われる理由が多そうだなと思って」
「そんなに?」
「多いと思う」
「大変ですね……」
フェルンは素直に同情した。
フリーレンが言う。
「本人に言った方がいいんじゃない?」
「まだ推測だからね」
「でも、警戒くらいは」
「それはする」
猫猫は頷いた。
もちろん、本命が壬氏だという証拠など、何一つない。
上級妃かもしれない。
皇后かもしれない。
あるいは本当に無差別なのかもしれない。
ただ、もしこれまでの二件が――試しなのだとしたら。
「二回とも失敗した」
猫猫が呟く。
一回目。
女官は死ななかった。
しかも器に毒が塗られていたことまで発覚した。
二回目。
猫猫が毒に気付いた。
そして同じ手口だと判明した。
犯人からすれば、決して成功とは言えない。
ならば。
(第三の毒を試みる可能性がある)
手口を変えるかもしれない。
毒を変えるかもしれない。
量を増やすかもしれない。
「…………」
猫猫はため息をついた。
「だけど、食事をするなとは言えないしなあ」
フェルンが言う。
「食器を全部調べることはできませんか?」
「毎食、後宮中の食器を?」
「……無理だね」
数が多すぎる。
それに犯人が警戒してしばらく何もしなければ、いつまで続ければいいのか分からない。
猫猫は少し考えた。
「食事の時は、食堂で様子を見るしかないかな」
毒の量。
毒を仕込む方法。
無作為に選ばれたように見える被害者。
二度の失敗。
そして――まだ判明しない、本当の標的。
(第三の毒……)
猫猫は目を細める。
その可能性は‥‥‥全く否定できない。