「恐らくここだ、というところは分かった」
翡翠宮。
フリーレンは、玉葉皇后、猫猫、フェルン、子翠、小蘭を前にして静かに言った。
壬氏は今ここにはいない。
負傷した武人たちへの対応、帝への報告、さらに後宮や民衆の混乱を抑えるための指示。
やらなければならないことが山ほどあり、文字通り駆け回っている。
「魔族の魔力の痕跡を辿った」
フリーレンは続ける。
「それで、二つの世界が繋がっているであろう場所は分かった」
小蘭が訊く。
「じゃあ、帰れるの?」
フェルンは黙ってフリーレンを見る。
フリーレンは少しだけ頷いた。
「多分ね」
「多分?」
猫猫が聞き返す。
「まだ確実じゃない。でも、今までで一番可能性が高い」
「そうか」
猫猫は腕を組む。
フリーレンは続ける。
「それで、その空間、恐らく閉じることが出来る」
「じゃあ、魔族や魔物はもう出なくなるの?」
玉葉皇后が聞く。
「はい、そうなるはずです」
皆の間に安堵の空気が流れる。
フリーレンはさらに続ける。
「ただ、こちら側から閉じるのは、多分無理」
「……なんで?」
「その空間における魔法の構造が、こっち側からでは分からないからだよ」
「…………」
猫猫にもよく分からない。当然だ。
「要するに?」
「一度、その空間へ入る」
「うん」
「中から構造を調べる」
「うん」
「それで、向こう側から閉じる」
猫猫が訊く。
「空間を閉じたら?」
「恐らく」
フリーレンは答える。
「もう、こちらの世界と私達の世界は繋がらない」
「つまり一度入ったら」
「多分、こっちの世界には戻ってこない」
沈黙。
「…………」
小蘭。
「…………」
子翠。
「…………」
猫猫。
誰もすぐには言葉を出せなかった。
「……そうか」
しばらくして猫猫は小さく言った。
ほんの少し寂しそうな顔。
「ええ~……」
小蘭は今にも泣きそうな顔。
「じゃあ、もう会えないの?」
「多分ね」
「そんなあ……」
「小蘭」
フェルンが優しく呼ぶ。
小蘭は唇を噛んだ。泣くまいとしているようだった。
しかし、小蘭は頑張って笑う。
「でも、いつまでもこっちの世界にいるわけにもいかないよね」
「…………」
「フェルンたちにも、帰るところあるんでしょう?」
「はい」
「待ってる人も?」
「います」
「なら……」
小蘭は、少しだけ俯き、また顔を上げる。
「帰らなきゃね」
「小蘭……」
フェルンは少しだけ目を細めた。
小蘭が急に言う。
「ねえ、フェルン!」
「はい?」
「最後にお願いしていい?」
「何ですか?」
「もう一回!空飛ばせて!」
「…………」
フェルンが目を瞬く。
そして、少しだけ笑った。
「いいですよ」
「本当!?」
「はい」
「やった!」
さっきまで泣きそうだった顔が少しだけ明るくなる。
場所を移し、フェルンが小蘭を抱える。
「しっかり掴まっていてください」
「うん!」
そして、ふわり。
二人の身体が浮く。
「わあああああ!」
小蘭の歓声。
地面が遠くなる。
建物の屋根。
庭。
後宮。
全部が少しだけ小さく見える。
「すごい~!」
「暴れないでください!」
「だって!」
小蘭は下を見る。
「やっぱり空飛ぶのってすごい!」
「そうですか?」
「うん!」
しばらく、小蘭はただ純粋に楽しんだ。
恐怖も、寂しさも少しの間だけ忘れて。
「私も魔法が使えたらなあ!」
「難しいですね」
「やっぱり?」
「はい」
「じゃあ、フェルンがまた来たら飛ばして!」
「…………」
フェルンは、少しだけ黙る。
「もしまた来ることができたら」
「うん!」
「その時は」
フェルンは笑った。
「何度でも」
「約束だよ!」
「はい」
やがてゆっくりと地面へ降りる。
小蘭は名残惜しそうだった。
「もう終わり?」
「終わりです」
「もう一回!」
「さっき最後と言いました」
「けち!」
「駄目です」
「やっぱりフェルンだ」
小蘭は笑った。
そして、別れの時間。
「じゃあ」
フリーレンが言う。
「元気でね」
「お世話になりました」
フェルンも丁寧に頭を下げる。
子翠が微笑む。
「こちらこそ」
そして、少しだけ悪戯っぽく。
「フリーレン、結局、姿を消す魔法は教えてくれなかったわね」
「知らないって言ったじゃん」
「向こうに帰ったら探しておいて」
「嫌だよ」
「え~」
「どうせろくなことに使わないでしょ」
「宮を抜け出して虫を探しに行くだけよ」
「それがろくでもないことだよ」
子翠は笑った。
「元気でね」
「うん」
「フェルンも」
「はい」
「小蘭のこと、忘れないであげてね」
「もちろんです」
小蘭が言う。
「フリーレン!」
「何?」
「元気でね!」
「うん」
「フェルン!」
「はい」
「私達のこと」
「…………」
「忘れないでね」
その声が、少し震えている。
フェルンは、小蘭を見てはっきり答えた。
「忘れません」
「本当?」
「本当です」
「絶対?」
「絶対です」
「……うん」
小蘭は泣きそうだった。でも、泣かなかった。
「じゃあね」
笑った。
「フェルン」
「はい」
「またね」
「……はい」
またね。
もう会えないかもしれない。
それでも、さようならではなく、またね。
そして猫猫。
「じゃあ」
フリーレンが言う。
「猫猫も元気で」
「ああ」
猫猫はいつもの調子。
淡々。
あっさり。
「フリーレンも」
「うん」
「変な魔法ばかり集めるなよ」
「猫猫にだけは言われたくない」
フェルンが言う。
「最後にその話なのですか?」
「いいじゃん」
フリーレンが笑う。
猫猫も、少しだけ笑った。
そして、二人が歩き始めようとした時。
「フリーレン」
猫猫が呼ぶ。
「何?」
「待って」
猫猫は懐へ手を入れた。
そして何かを取り出す。
「これ」
フリーレンへ渡す。
小さなもの。
「何?」
フリーレンが見る。
「これ、くれた人がね、ものすごく粘着質なんだ」
「……誰?」
「言いたくない」
フリーレンは首を傾げる。
猫猫は続ける。
「でも」
「うん?」
「そういう人がくれたものなら」
「…………」
「そのうち」
猫猫はフリーレンを見る。
「戻ってくるかなって」
「…………」
フリーレンは猫猫から渡されたものを見る。
本当に効果があるのかそんなことは分からない。
ただ、猫猫なりの願掛けなのだろう。
「……ありがたくもらっておくよ」
「ああ」
「今度来た時は」
「?」
「もっとすごい発明作ろう」
猫猫が少し笑う。
「今度は泡出さないよ」
「虫も集めない」
「睡眠薬で一日寝ない」
二人は少しだけ笑った。
「じゃあ」
「うん」
「またね」
「またね」
そして、フリーレンとフェルンは猫猫たちへ背を向けた。
歩き出す。
もう振り返らない。
小蘭はその背中をずっと見送っていた。
子翠も、猫猫も二人が見えなくなるまで見ていた。
やがて、飛行魔法を使い、後宮を離れて二人だけになる。
フリーレンが静かに言う。
「フェルン」
「何ですか?」
「分かっているよね」
「はい」
二人の顔から先ほどまでの柔らかさが消える。
猫猫達には言っていない。
世界同士が繋がる空間、そこから魔力を感じる。
それも強い。
「二体」
フェルンが言う。
「うん」
フリーレンも答える。
「かなり強い」
「魔族ですね」
「間違いないと思う」
「今回の件を起こした張本人でしょうか」
「多分ね」
フリーレンは、進む先を見る。
そこには、世界を繋ぐ空間。
そして、そこに強力な魔族、二体。
だが、フリーレンは、千年以上を生き数え切れないほどの魔族と戦ってきた、魔王を倒した勇者一行の魔法使い。
フェルンも、その弟子として数々の強敵を倒してきた。
この世界には。
猫猫がいる。
子翠がいる。
小蘭がいる。
壬氏、李白、玉葉后、高順、出会った人々がいる。
「行こう、フェルン」
「はい」
二人は、世界の境界へ向かう。
帰るため、そして、二度とこちらの世界へ、魔物も魔族も入り込めないようにするため。
その先にいる二体の魔族がどれほど強いとしても、フリーレンとフェルンに恐れはなかった。
フリーレンは静かに呟いた。
「私達の友達の世界を」
フェルンが続ける。
「これ以上、好きにはさせません」
そして二人は、最後の戦いへ向かうのだった。