なんとかかんとか、猫猫、子翠、小蘭の三人は落ち着きを取り戻した。
目の前には今しがた魔法で作られた花畑が広がっている。
夢でも幻でもない。
触れる。
匂いもする。
そして、自分たちは確かに、フリーレンとフェルンが空から降ってくるところを見た。
子翠が花畑を眺めながら、ぽつりと言った。
「ねえ、猫猫。こうなると……」
「ああ」
猫猫も腕を組む。
「そう考えるしかないね」
二人は別の世界から来た、そんな馬鹿馬鹿しい話があるものか、普段の猫猫なら一笑に付しただろう。
だが、他にどう説明すればいいのか。
猫猫は何より、目の前の事実を重視する。
あり得ないと思えることであっても、実際に起きている以上は受け入れるしかない。
「異世界か……」
猫猫は呟いた。
「そんなもの、本当にあるんだな」
「私達も今日まで知らなかったけどね」
フリーレンも答える。
フェルンはまだ少し不安そうだった。
元の世界へ帰れるのか。
そもそも、なぜ女神の石碑が自分たちをこの世界へ飛ばしたのか。
分からないことだらけである。
とはいえ、今ここで悩み続けても仕方がない。
再び建物の中に入り、五人は、まず互いの世界について話すことにした。
「‥‥‥フリーレン達の世界には、魔物や魔族なんているのか」
猫猫が尋ねる。
「いるよ」
「魔物は人を襲いますし、魔族は人を欺いて殺すこともあります」
フェルンが説明する。
猫猫の眉がわずかに動いた。
「人を欺く?」
「はい。魔族は人の言葉を話します。ただ、人とは根本的に違う存在です」
「なるほど……」
猫猫は興味深そうに聞いている。
毒や薬ほどではないが、未知の世界や生物についての話となれば、やはり好奇心は刺激される。
「それに比べて」
フェルンは周囲を見回した。
美しく整えられた後宮の庭。
華やかな建物。
魔物や魔族がいる気配などない。
「この世界は平穏そうですね」
「どうかな」
猫猫は即答した。
「え?」
「魔物や魔族がいなくても、人間同士の争いはあるし」
暗殺。
権力争い。
戦争。
嫉妬。
欲望。
「魔物がいないから安全とは限らないさ」
「そうよ」
子翠がうんうんと頷く。
そして、妙に悟ったような顔をした。
「この後宮なんて、ある意味、人間の皮を被った魔族の巣窟みたいなものよ」
「…………」
猫猫が子翠を見る。
「いや、子翠。それはいくら何でも言い過ぎでは……」
「そう?」
「そうだ」
猫猫としては微妙な気分だった。
何しろ、目の前で「後宮は魔族の巣窟」などと言っている下女の正体は、上級妃楼蘭なのだから。
(お前が言うのか)
そう思ったが、口には出さなかった。
そんな大人びた話にはあまり興味がないらしい小蘭は、さっきから別のものを見ていた。
フリーレンの耳である。
「ねえねえ、フリーレン」
「何?」
「フリーレンの耳って長いけど」
「うん」
「フリーレンの国の人って、みんなそんな長い耳してるの?」
「う~ん」
フリーレンは少し考える。
「国の人は違うかな。私はエルフなんだよ」
「エルフ?」
小蘭が小首をかしげた。
「何それ?」
「種族の名前」
「人間じゃないの?」
「そうだね」
「へええええ!」
小蘭が再びフリーレンの耳を見る。
「じゃあ、エルフはみんな耳が長いの?」
「そうだよ」
「触っていい?」
「嫌だ」
「えー」
即答された。
小蘭が頬を膨らませる。
そのやり取りを聞きながら、猫猫はふと疑問に思った。
「そういえば」
「何?」
「フェルンはフリーレンのことを『フリーレン様』と呼んでるよね」
「はい」
「見たところ……」
猫猫は二人を見比べる。
フリーレンは小柄だ。
フェルンの方が明らかに背が高い。
容姿だけを見れば、フェルンの方が年上に見えなくもない。
「フリーレンの方が小さいし、フェルンより年を取ってるような感じもしないけど。本当のところ、どうなの?」
「ああ、それは――」
フェルンが何でもないことのように答えた。
「フリーレン様は、千年以上生きているのです」
沈黙。
「…………」
猫猫。
「…………」
子翠。
「…………」
小蘭。
三人とも止まった。
小蘭が瞬きをする。
一回。
二回。
三回。
そして。
「千年……?」
「はい」
「千年って……」
小蘭は指を折り始めた。
当然、途中で意味がなくなった。
「千年……」
もう一度フリーレンを見る。
どう見ても少女にしか見えない。
そして――
「ええええええええええええええええええええっ!!!!!!」
絶叫した。
「声が大きい」
猫猫が小蘭の口を塞ぐ。
「むぐぐぐぐ!」
猫猫が手を離す。
小蘭は声を潜めた。
「せ、千年!? 本当に!?」
「うん」
「千年前って何してたの!?」
「色々」
「色々って!?」
「色々だよ」
「全然分かんないよ!」
フリーレンにとっても千年という年月は、あまりに長すぎて一言では説明できない。
一方。
子翠は――
何やら真剣な顔で考え込んでいた。
「千年……」
「どうした、子翠」
「千年も生きていれば……」
「うん」
「いろんな珍しい虫も見てるんじゃないかな」
子翠、思考が変な方向に行っている。
「ねえ、フリーレン」
「何?」
「百年前にしかいた虫とか知らない?」
「知らない」
「五百年前は?」
「知らない」
「千年前!」
「だから知らないって」
「そんなあ」
子翠は本気で残念そうだ。
そして、もっと危険な方向へ思考を進めている者がいた。
猫猫である。
「千年……」
猫猫が呟く。
「猫猫?」
「千年以上……」
フリーレンを見る。
じーっ。
「……何?」
フリーレンが少し身を引いた。
「それ、本当に?」
「本当だよ」
猫猫はフェルンを見る。
「本当に千年以上?」
「はい」
フェルンが頷く。
猫猫の頭脳が高速で回転し始めた。
千年以上生きる生物。
人間とよく似た姿、しかし、人間とは明らかに異なる耳。
外見上、老化の兆候はほとんど見られない。
(どういう仕組みだ?)
薬か?いや、違う。
種族そのものの性質だという。
ならば――
(体の構造が違う?)
心臓は?
内臓は?
骨格は?
代謝は?
血液は?
老化そのものが人間と違うのか?
「…………」
猫猫の目が徐々に変わっていく。
「猫猫?」
小蘭が声をかける。
反応がない。
(解剖……は無理だよな)
さすがの猫猫も、そこまではしない。
だが――
(血液くらいなら……)
猫猫の目が妖しく輝いた。
フリーレンがびくっとする。
猫猫が一歩近づく。
「ねえ、フリーレン」
「な、何?」
「ちょっとでいいからさあ」
「何が?」
「血」
「…………」
「ほんのちょっと」
「…………」
「指先から少し取るだけだから」
「…………」
「痛くしないから」
「‥‥‥怖い‥‥‥」
フェルンも猫猫を見る。
猫猫の目が――完全に未知の薬草を発見したときのそれになっている。
「猫猫様、目が……」
フェルンも震えている。
「大丈夫。少しだけだから」
「嫌だ」
「一滴でいい」
「嫌だ」
「二滴」
「増えてるじゃん」
「では髪の毛でもいい」
「なんで?」
「調べたい」
「何を?」
「色々」
「色々って何?」
「色々だ」
フリーレンがフェルンに抱きつく。
「フェルン、怖い……」
「フリーレン様……」
フェルンも猫猫から目を離せない。
「確かにこれは怖いです……」
二人は抱き合い震えている。
魔王を倒した勇者一行の大魔法使い。
一級魔法使い。
二人合わせれば、この世界で敵になる存在などまずいない。
その二人が今――
小柄な薬屋の少女一人を前にして震えていた。
小蘭が子翠へ小声で尋ねる。
「ねえ、子翠」
「何?」
「猫猫って、時々すごく怖くない?」
「うん」
二人は顔を見合わせた。