「フリーレン様、フリーレン様」
朝、フェルンの声が、いつものように響く。
「起きてください」
布団の中から。
「あと一時間……」
「もう朝ですよ、フリーレン様」
「あと二時間……」
「時間増えてますよ、フリーレン様」
「じゃあ三時間……」
「フリーレン様!」
フェルンは、布団を引っ張る。
「起きてください」
「眠い……」
「知りません」
「フェルン、冷たい……」
「毎朝同じことを言わせないでください」
少し離れたところで、シュタルクが、朝食を食べながら二人を見ている。
「相変わらずだなあ」
「シュタルク」
布団の中からフリーレンの声。
「何?」
「助けて」
「いや、俺に言われても」
「フェルンがいじめる」
「朝起こしてるだけだろ」
「シュタルクまで……」
結局、いつも通りフェルンに叩き起こされ、髪を整えてもらい、朝食を食べさせてもらい、旅支度をする。
異世界で魔物と戦い、魔族を倒し、世界と世界を繋ぐ空間を閉じた。
そんな大冒険があったというのに、こちらの世界では一分も経っていなかった。
そして、朝になれば何も変わらない。
いつものフリーレン。
いつものフェルン。
いつものシュタルク。
三人は支度を終え、また旅へ出る。
「じゃあ行こうか」
フリーレンが杖を持つ。
「はい」
フェルンも荷物を確認する。
シュタルクが、ふとフリーレンを見る。
「……ん?」
「何?」
「フリーレン、それ」
「?」
「なんで付けてるんだ?」
シュタルクが指差した。
フリーレンの髪。
そこには、一本の簪、猫猫からもらったあの簪が差してある。
「ああ」
フリーレンは、ちょっと得意そうに髪へ触れる。
「これはね、こうやって使うものだよ」
「そうなのか?」
「そう」
そして、少し胸を張る。
「似合ってるでしょ」
「…………」
シュタルクが黙る。
「何?」
「いや」
「何?」
「…………」
正直微妙。
簪そのものは綺麗。品もある。
だが、普段のフリーレンの髪型にそのまますぽっと差している。
「シュタルク」
「何?」
「今、似合ってないって思った?」
「言ってないだろ!」
「顔に書いてある」
「書いてない!」
フェルンもフリーレンを見る。
「フリーレン様」
「何?」
「その髪型に、それを付けるのはどうなのでしょう」
「フェルンまで!似合ってないって言うの?」
「そうではなくて、簪を付けるならもう少し髪をまとめた方がいいのではないでしょうか」
「まとめる?」
「はい」
「面倒くさい」
即答。
「でしょうね」
「このままでいい」
「でも」
「猫猫は何も言ってなかったよ」
「猫猫は、付け方まで教えていなかったのでは?」
「…………」
フリーレンが止まる。
「じゃあ」
フリーレンは簪を抜く。
「フェルン」
「はい?」
「やって」
「…………」
「髪型」
「私がですか?」
「うん」
「フリーレン様」
「何?」
「自分でやるという選択肢は?」
「ない」
「即答しないでください」
フェルンはため息。
そして、結局、フリーレンの髪を整え始める。
「フリーレン様」
「何?」
「じっとしててください」
シュタルクはその横で待つ。
「……まだ?」
「シュタルク」
フェルンが言う。
「女性の支度を急かすものではありません」
「いや、もう出発するって言ってたじゃん!」
「少し待ってください」
「はい……」
しばらくして、フェルンがフリーレンの髪を少しまとめ、そこへ簪を差す。
「できました」
「どう?」
フリーレンが聞く。
シュタルクが見る。
「お」
今度はかなりいい。
「似合ってるじゃん」
「本当?」
「うん」
フェルンが鏡を渡す。
フリーレンは自分を見る。
「…………」
簪。
銀色の髪。
「うん」
少しだけ嬉しそうに。
「いいね」
フェルンは、その顔を見て何も言わず少しだけ微笑んだ。
シュタルクが聞く。
「それ」
「何?」
「昨日言ってた異世界の友達にもらったやつ?」
「そう」
「猫猫って人?」
「うん」
「薬屋なんだろ?」
「うん」
「毒が好きな」
「そう」
「……変な人だな」
「シュタルク」
「何?」
「猫猫に会ったらそれ言わない方がいいよ」
「なんで?」
「怒るから」
「怖い人なの?」
「う~ん」
フリーレンが考える。
「怖い時もある」
フェルンも頷く。
「特に、研究対象を見る時の目が怖いです」
「……どんな人なんだよ」
「今度」
フリーレンが言う。
「会ったら分かるよ」
シュタルクが少し笑う。
「今度って」
「?」
「もう行けないんだろ?」
「多分ね」
「じゃあ会えないじゃん」
「そうだね」
フリーレンはそう答える。
でも、悲しそうではない。
「でも」
「?」
「分からないよ」
フリーレンは、髪に差した簪へ少しだけ触れる。
「何が?」
「また会うかもしれない」
「どうやって?」
「さあ」
「適当だな!」
「未来のことなんて分からないよ」
「まあ、そうだけど」
フェルンが言う。
「小蘭とも」
「うん?」
「また会えたら、もう一度、空を飛ばせてあげないといけません」
「約束したもんね」
「はい。子翠には?」
「虫を集める魔法」
「フリーレン様」
「何?」
「それを使ったら、また大騒ぎになります」
「喜ぶよ」
「子翠だけです」
シュタルクが頭を抱える。
「だからさ」
「何?」
「その猫猫とか小蘭とか子翠って誰なんだよ!」
「昨日説明したでしょ」
「情報量多すぎて整理できてないんだよ!」
「シュタルク様は理解力が」
「それ昨日も言われた!」
「では復習しましょう」
フェルンが言う。
「まず」
「まだやるの!?」
「猫猫は薬屋です」
「それは覚えた!」
「子翠は虫が好きで」
「それも!」
「本当は上級妃で」
「え?」
シュタルクが止まる。
「そこ聞いてないぞ!」
「言ったよ」
「聞いてない!」
「聞き逃したんじゃない?」
「お前らの話が長すぎるんだよ!」
三人は道を歩く。
いつものように。
「それで小蘭は――」
「ちょっと待て!」
「何ですか?」
「一人ずつ説明してくれ!」
「仕方ないなあ」
「フリーレンが言うな!」
賑やかな声。
旅路、朝、何も変わらない。
フリーレンは魔導書を探し。
フェルンはフリーレンの世話を焼き。
シュタルクは二人に振り回される。
いつもと同じ。
ただ一つだけ違う。
フリーレンの髪にこれまでなかったもの、一本の簪。
別の世界で、一人の薬屋から渡された異世界の思い出。
フリーレンは、それを時々指先で確かめる。
そして、また前を見る。
旅は続く。
これからも、きっとたくさんの人と出会い、別れ、色々なものを知り思い出を増やしていく。
その中に、短い、でも、忘れることのない一つの旅が加わった。
薬と毒が大好きな薬屋。
虫を愛する上級妃。
明るい下女。
美貌の後宮管理人。
そして異世界の人々。
「フリーレン様」
フェルンが言う。
「それ、なくさないでくださいね」
「分かってる」
「本当にか?」
「二人とも信用ないなあ」
フリーレンはほんの少しだけ簪に触れた。
「大丈夫だよ。これは」
少し笑う。
「ちゃんと大事にするから」
そして、三人は歩いていく。
遠く、遠く、旅路の先へ。
それは、ただ一つの点を除けば、いつもと何も変わらないフリーレンのいつもの旅の光景なのであった。