「どーどーどー」
「どーどーどー」
子翠と小蘭が必死に猫猫をなだめる。
本当になんとかかんとか、猫猫は落ち着きを取り戻した。
フリーレンはまだ震えあがっている。
猫猫は改めて現実的な問題に気付いただ。
「ところで」
「何?」
「これからどうするの?」
「…………」
フリーレンが止まった。
フェルンも止まった。
「どうって言われても……」
そう、二人は異世界から来た。
つまり――行く当てがない。
宿もない。
金もない。
この国で通用する身分証明も当然ない。
そもそも、この国の常識すら知らない。
そして何より、ここは後宮である。
得体の知れない二人が「異世界から来ました」と言ったところで、普通なら捕らえられて尋問されるのが関の山だ。
フリーレンとフェルンが顔を見合わせる。
「……どうしよう、フェルン」
「私に聞かれても困ります」
「野宿する?」
「ここが後宮だという話を聞いていましたか?」
「じゃあ、どこか宿を探す?」
「お金がありません」
「あ」
「『あ』ではありません」
「困ったね」
「誰のせいだと思っているのですか」
「石碑?」
「石碑に不用意に触った人のせいです」
フリーレンは目を逸らした。
猫猫はため息をつく。
(さて、どうしたものか)
そのときだった。
「ねえ、猫猫」
子翠が手を挙げた。
「何だ?」
「私に任せてくれない?」
「任せるって?」
子翠はニッと笑う。
「私の知っている上級妃様にお願いするわ」
「…………」
猫猫の目が細くなった。
「上級妃にお願いって、おい」
猫猫は、何とも言えない顔で子翠を見た。
子翠。
虫好きで陽気な下女。
しかし――その正体は上級妃、楼蘭。
小蘭は知らないが、猫猫は知っている。
(まあ……)
猫猫は考える。
(確かに、楼蘭の客人という形にでもしないと無理だよな)
正体不明の異国人。
いや、異世界人。
しかも一人は長い耳を持つエルフ。
こんな二人を後宮内で保護するには、それなりの身分の者の後ろ盾が必要になる。
上級妃の客人ということにしてしまえば、少なくとも今すぐ追い出されたり拘束されたりする可能性は低くなる。
もちろん、それだけですべて解決するわけではない。
そして――
猫猫は嫌な予感がした。
子翠が笑顔でこちらを見る。
「だから猫猫」
「…………」
「お願いね」
「何を?」
分かっている。
分かっているが、聞きたくない。
子翠は満面の笑みで言った。
「あの人の方」
「…………やっぱり、そう来るか」
猫猫は頭を抱えた。
あの人。
華瑞月――というより、後宮では壬氏と呼ばれている男。
後宮管理人にして、現在の猫猫の上司にあたる人物。
当然、この異常事態を壬氏に報告しないわけにはいかない。
空から正体不明の女性が二人降ってきました。
二人とも魔法使いです。
一人は千年以上生きるエルフです。
別世界から来たそうです。
……どう説明しろというのだ。
だが、やるしかない。
「分かったよ」
猫猫はため息をついた。
「壬氏様には私から話す」
「お願い」
猫猫は心の中でもう一度大きなため息をつく。
こうして――
フリーレンとフェルンは、ひとまず上級妃・楼蘭の世話になることとなった。
しばらくして、フリーレンとフェルンは子翠に案内され、後宮内のある建物へとやって来た。
先ほどまでいた場所とは明らかに違う。
調度品。
装飾。
庭の造り。
何もかもが豪華だ。
「ここ?」
フリーレンが聞く。
「そうよ」
「ずいぶん立派な建物ですね」
フェルンが周囲を見回す。
「上級妃様の住まいだからね」
子翠は何でもないことのように言った。
そして――
「じゃあ、ちょっと待ってて」
そう言い残して、どこかへ行ってしまった。
「行っちゃった」
フリーレンが呟く。
「待っていろと言われたのですから、待ちましょう」
「うん」
すると、代わりに数人の女性が現れた。
「こちらへどうぞ」
「え?」
「お部屋へご案内いたします」
「はあ……」
何が何だか分からないまま、二人は案内される。
部屋へ通される。
茶が出てくる。
食べ物まで出てくる。
「フリーレン様」
「何?」
「とても丁重に扱われていますね」
「そうだね」
「逆に不安です」
「なんで?」
「フリーレン様はもう少し警戒してください」
そう言っている間にも、フリーレンは卓上の菓子へ手を伸ばしている。
「おいしい」
「……もう食べてますし」
「フェルンも食べる?」
「いただきます」
結局フェルンも食べた。
そのとき。
「お待たせ」
声がした。
二人が振り返る。
そして――固まった。
そこに立っていたのは、美しい女性だった。
華美な衣装。
豪華な髪飾り。
その立ち居振る舞いも、明らかに高い身分の者のそれだった。
フリーレンがじっと見る。
フェルンもじっと見る。
「…………」
「…………」
だが、顔には見覚えがある。
「……子翠?」
フリーレンが言った。
女性がニッと笑った。
「正解」
「え?」
フェルンが目を瞬く。
「驚いた?」
二人は同時に頷いた。
「これが私のもう一つの顔」
子翠――いや、楼蘭は楽しそうに笑った。
「改めて自己紹介するわ。私は楼蘭。この後宮の上級妃の一人よ」
「…………」
フリーレンがフェルンを見る。
フェルンもフリーレンを見る。
「上級妃って」
フリーレンは先ほど猫猫から聞いた話を思い出す。
「かなり位が上の人では?」
「そうですね」
フェルンも頷く。
「うん、まあ、そうね」
楼蘭はあっさり答えた。
「じゃあ、なんで下女の格好を?」
「だって」
楼蘭は当然のように言った。
「妃なんて退屈なだけよ」
「…………」
「…………」
「ずっと同じ場所にいて、礼儀作法だの何だの。外へ自由に出られるわけでもないし」
楼蘭は頬杖をつく。
「それより子翠になってる方が楽しいもの」
「そういうものなの?」
「そういうものよ」
「フリーレン様」
「何?」
「なんとなく、フリーレン様と気が合いそうな方ですね」
「どういう意味?」
「そのままの意味です」
楼蘭はそんな二人を見ながら――
ふと何かを思いついた。
「そうだ!」
嫌な予感がした。
主にフリーレンが。
「何?」
「フリーレン」
楼蘭が近づく。
「な、何?」
さらに一歩。
「魔法って、色々できるのよね?」
「まあ……」
さらに一歩。
「姿を消す魔法はない?」
「え?」
楼蘭の目が輝く。
「姿を変える魔法でもいいのよ」
「いや、そういうのは……」
「ないの?」
「魔法なら何でもできるわけじゃないから」
「でも千年以上生きてるんでしょう?」
「それは関係ないよ」
「千年も生きてたら、一つくらい知ってるんじゃない?」
「知らないよ」
「本当に?」
「本当」
「透明になる魔法」
「知らない」
「別人に化ける魔法」
「知らない」
「顔だけ変える魔法」
「知らないって」
「声を変える魔法は?」
「だから――」
楼蘭がぐいぐい迫る。
「ちょ、ちょっと近い」
「ねえ、何かない?」
「ないよ」
「一つくらい」
「ない」
「探せば?」
「なんで?」
「私が自由に遊びに行けるじゃない」
「それに使うの?」
「もちろん!」
満面の笑みだった。
フリーレンは助けを求めるようにフェルンを見る。
「フェルン……」
「何でしょう」
「助けて」
フェルンはしばらく考え、危うきに近寄らずを決め込んだ。
「自分でなんとかしてください」
「冷たい」
楼蘭はなおも迫る。
「ねえ、フリーレン」
「ないってば」
「じゃあ探して」
「嫌だよ」
「なんで?」
「絶対ろくなことに使わないでしょう」
「失礼ね。ちょっと宮を抜け出して虫を探しに行くだけよ」
「やっぱりろくなことじゃない」
魔王を倒した勇者一行の大魔法使い。
千年以上を生きるエルフ。
そのフリーレンが、この世界へ来てまだそれほど時間も経っていないというのに――
猫猫には血を要求され。
楼蘭には透明になる魔法を要求され。
完全に押されっぱなしである。
「フェルン」
「はい」
「この世界の人、怖い」
「私も少しそう思い始めました」
「聞こえてるわよ」
楼蘭が笑う。
こうして、異世界へ飛ばされたフリーレンとフェルンは、ひとまず楼蘭の客人として後宮に身を寄せることになった。