猫猫は考えた。
フリーレンとフェルンについて、壬氏にどう説明するか。
女神の石碑。
突然の転移。
異世界。
エルフ。
千年以上の寿命。
魔法。
楼蘭が二人を保護すること。
一つ一つ順番に説明しようとすれば、かなり面倒くさい。
だから――猫猫は考えるのをやめた。
壬氏の執務室に入るや否や、切り出す。
「壬氏様」
「何だ、薬屋」
「大変なことが起こりました」
「大変なこと?」
嘘はついていない。
「とにかく、ついてきてください」
「……は?」
「説明は後です」
「待て、薬屋。何が――」
「来れば分かります」
ほとんど強引に、猫猫は壬氏を連れ出した。
当然、壬氏としては訳が分からない。
しかし向かっている場所に気付くと、表情が険しくなった。
「……薬屋」
「はい」
「柘榴宮へ向かっていないか?」
「向かっていますね」
「楼蘭妃に何かあったのか?」
「行けば分かります」
猫猫はそれしか言わない。
壬氏は嫌な予感を覚えた。
楼蘭、そして子の一族。
色々と面倒なことがあった。今では一応、穏便な形で収まっている。
まさか――
(子の一族の問題が再発でもしたのか?)
それなら猫猫の「大変なこと」という言葉にも納得がいく。
壬氏は警戒しながら柘榴宮へ入った。
そして――
「ご機嫌麗しゅう、壬氏様」
楼蘭が優雅に頭を下げる。
「楼蘭妃……」
いる。普通にいる。少なくとも楼蘭自身に何かあったわけではなさそうだ。
では何なのだ。
壬氏は部屋の中を見る。
「…………」
止まった。
楼蘭のほかに、見知らぬ女性が二人いる。
一人は紫色の長い髪を持つ若い女性。
もう一人は、小柄な銀髪の少女のような女性。
二人とも、この国では見たこともないような衣服を身につけている。
そして何より――
「…………」
壬氏は小柄な方を凝視した。
長い。耳が、明らかに長い。人間の耳ではない。
「…………」
壬氏はゆっくりと猫猫を見る。
猫猫は無表情で見返す。
「……おい、薬屋」
「何でしょう」
「幻覚剤でも使っているのか」
「御冗談を、壬氏様」
「では、俺がおかしくなったのか?」
「少なくとも、私にも同じものが見えております」
「私にも見えていますわ」
楼蘭が楽しそうに言う。
壬氏は再びフリーレンを見る。
フリーレンは小さく手を挙げた。
「こんにちは」
「……ああ」
壬氏は何とか返事をした。
フェルンが丁寧に頭を下げる。
「初めまして」
「……初めまして」
壬氏も反射的に頭を下げかけて、すぐに我に返った。
「薬屋」
「はい」
「説明しろ」
「分かりました」
そこで初めて、猫猫は説明を始めた。
二人は異世界の者ということ。
女神の石碑なるものを調べていたこと。
石碑が突然光り、気が付けばこの国へ飛ばされていたこと。
突然空から降ってきたこと。
二人がこの世界には存在しない国や土地について話していること。
フリーレンが人間ではなく、エルフという種族であること。
そして――
二人とも魔法使いであること。
「…………」
すべてを聞き終えた壬氏は、しばらく何も言わなかった。
そして猫猫をじっと見る。
「……俺をからかってるんじゃないよな、薬屋」
「からかってなどいません、壬氏様」
「楼蘭妃と組んで?」
「何で私がそんな面倒なことをしなければならないのです」
「それはそうだが……」
壬氏は頭を抱えた。
猫猫の性格は知っている。ぶっとんだところはあるがこんな荒唐無稽な嘘はつかない。
楼蘭も同様だ。
だが――
「しかし、人が空から降ってくるなど……」
フリーレンを見る。
「しかも異世界から来たなんて……そんなことを信じろと言うのか……?」
ものすごく疑わしい目だった。
「まあ、そうなりますよね」
フェルンが小声で言う。
「私達も逆の立場なら信じないと思う」
フリーレンも頷いた。
猫猫は腕を組む。
「う~ん……」
そして結論を出した。
「やっぱり、魔法を見せるしかないか」
「魔法?」
壬氏の眉が動く。
「フリーレン」
「何?」
「何か見せてくれ」
「何かって?」
「魔法なら何でもいい」
「じゃあ……」
フリーレンは少し考えた。
「あ、そうだ」
フリーレンが杖を手にし、魔法を使う。
すると――
器の中に、真っ白なものが現れた。
「…………」
壬氏が目を瞬く。
「何だ、これは」
猫猫も覗き込む。
楼蘭も横から覗く。
「氷?」
猫猫が指先で触れる。
冷たい。間違いなく氷だ。
しかし、普通の氷とは違う。極めて細かく削られ、雪のようになっている。
壬氏の表情が変わった。
「これは……」
手で触れる。
冷たい、本物だ。
「氷は滅多に手に入らないものだ」
この時代、氷は貴重品である。
ましてや――
「しかも、これほど均一に細かく削るのは……少なくとも簡単にできることではない」
「だから魔法だって」
フリーレンが言う。
「…………」
壬氏は氷を見る。
フリーレンを見る。
また氷を見る。
長い耳を見る。
猫猫を見る。
「……本当か?」
「何がです?」
「異世界という話だ」
「だから最初からそう申し上げています」
「…………」
壬氏は呆然と呟いた。
「異世界……というのは、本当なのか……」
どうやら、ようやく信じ始めたらしい。
「良かったら食べてみてよ」
フリーレンが言う。
「食べる?」
「かき氷だよ」
壬氏が首を傾げる。
「かきごおり?」
その横でフェルンが、重大な問題に気付いた。
「……フリーレン様」
「何?」
「シロップがないですよ」
「…………」
フリーレンが止まる。
「あ」
「『あ』ではありません」
「そうなんだよね。シロップは出せないんだよね」
「じゃあ、意味ないじゃないですか」
「そんなこと言われても」
「食べる直前になって気付くことではありません」
フェルンが呆れたようにため息をつく。
しかし――
「でも、なんかおいしそう」
楼蘭が匙を取った。
「私もちょっと気になる」
猫猫も匙を取る。
「おい」
壬氏が止める間もなく、二人は口へ運んだ。
「…………」
猫猫が咀嚼――するものもないので、そのまま溶かす。
「冷たい」
「当たり前でしょ」
フリーレンが言う。
楼蘭も食べる。
「冷たいわね」
「だから氷だって」
「でも夏ならいいかも」
「確かに」
猫猫はもう一口。
何の味もしない。
ただの氷なのだから当然だ。
だが、口の中でふわっと溶ける感触は面白い。
壬氏も興味を持った。
「……食べてみるか」
「どうぞ」
壬氏も一口。
「…………」
冷たい。だが悪くない。暑い時期なら、かなり心地よさそうだ。
「ごめんね」
フリーレンが言った。
「シロップが出せなくて」
「さっきから言っている、その『しろっぷ』とは何だ?」
壬氏が聞く。
「シロップというのはね」
フリーレンが説明する。
「甘い液体を、この上からかけるんだよ」
「甘い液体?」
「砂糖を水に溶かして煮たようなものですね」
フェルンが補足する。
「果物なんかで味を付けることもあります」
「果物……」
猫猫の目が動く。
楼蘭も考える。
「それだったら」
猫猫が言った。
「似たようなもの、作れるんじゃないかなあ」
「私もそう思う」
楼蘭が乗ってきた。
「果汁を絞って、砂糖か蜂蜜を加えて……」
「煮詰めればいけるか?」
「できるんじゃない?」
二人の目が輝き始める。
「梅は?」
「酸っぱすぎない?」
「蜂蜜を多めにする」
「桃とかどう?」
「悪くない」
「杏もあるわよ」
「それも試せそうだな」
「じゃあ何種類か作ってみる?」
「面白そうだ」
壬氏が口を挟む。
「待て」
誰も聞かない。
「砂糖だけのものなら一番簡単だ」
「果汁を入れるなら色も綺麗になるわよね」
「薬草を煮出したものを――」
「猫猫、それはやめましょう」
「なぜだ」
「絶対おいしくないから」
「身体にはいいかもしれない」
「かき氷にそれを求めなくていいでしょ」
「待て、お前達」
壬氏がもう一度言う。
ようやく三人が見る。
「何でしょう、壬氏様」
「話が逸れていないか?」
「そうですか?」
「そうだ!」
壬氏が思わず声を上げる。
「俺は今、異世界から来たという二人について話を聞きに来たはずだ!」
「そうでしたね」
猫猫が平然と言う。
「忘れていたのか?」
「いえ、別に」
「今、絶対忘れていただろう!」
楼蘭は楽しそうに笑っている。
フリーレンもかき氷を食べている。
フェルンだけが申し訳なさそうに壬氏を見る。
「すみません。フリーレン様が変な魔法を選んだせいで……」
「変じゃないよ。かき氷を出す魔法だよ」
「シロップが出せないのに、ですか?」
「それは仕方ないじゃん」
「実用性がありません」
「暑いときは便利だよ」
「味がありません」
「…………」
フリーレンは黙った。
壬氏はそんな二人を見る。
千年以上を生きるというエルフ。その弟子だという魔法使い。
異世界から来た、とんでもない存在。――のはずなのだが、目の前ではシロップなるものの有無で言い争っている。
一方、猫猫と楼蘭はまだ話している。
「苺が手に入ればいいんだけどな」
「季節によるわね」
「柑橘系でもいい」
「それならありそう」
「蜂蜜を使うなら――」
壬氏は深々とため息をついた。
異世界から人がやって来た。
これは間違いなく、国を揺るがしかねないほどの大事件である。
なのに――なぜ自分は今、かき氷に何をかければ美味いかという話を聞いているのだろう。
(……頭が痛くなってきた)
壬氏は額を押さえた。