フリーレンとフェルンが正式に後宮へ滞在することになった以上、挨拶しておかなければならない人物がもう一人いる。
皇后となった玉葉后である。
若く、聡明。
そして、柔らかな物腰の中に鋭い観察眼を持つ女性だ。
「玉葉后にもお目通りしてもらう」
壬氏にそう言われたフェルンは、また少し緊張した。
「今度は皇后様ですか……」
「帝の后だよね」
フリーレンは相変わらず平然としている。
「フリーレン様はもう少し緊張してもいいと思います」
「さっき帝にも会ったし」
「そういう問題でしょうか」
猫猫はその会話を聞きながら、少しだけ別のことを考えていた。
玉葉后は西都の出身だ。
つまり、この国の中でも西方についてかなり詳しい。
自分たちはフリーレンとフェルンについて遠い西方から来た客人、ということにしている。
帝には、それでなんとか通った。
だが――
(玉葉后は、少し厄介かもしれないな)
猫猫は思った。
西方について中途半端な知識しかない者なら、いくらでも誤魔化せる。
だが、玉葉后となれば話は違う。
もちろん、「さらに遥か西方」ということにしてしまえば押し切れなくもない。
しかし、玉葉后は、そう簡単な相手でもない。
やがて、フリーレンとフェルンは猫猫や壬氏と共に玉葉后のもとを訪れた。
玉葉后は二人を見ると、まず柔らかく微笑んだ。
「まあ」
赤い髪。
翡翠のような瞳。
この国では珍しい容姿を持つ玉葉后だからこそ、銀色の髪のフリーレンと紫色の髪のフェルンを見ても、驚きより先に親近感を覚えたらしい。
「二人とも、とても綺麗な髪ね」
「ありがとうございます」
フェルンが丁寧に頭を下げる。
フリーレンも自分の髪を少し触った。
「玉葉后も珍しい髪の色ですね」
「ふふ。そうでしょう?」
玉葉后は楽しそうに笑う。
「私は西都の出身なの。あちらには、こちらとは違った髪や瞳の色を持つ者も少なくないわ」
その言葉に――猫猫の目がほんの少し細くなった。
(来たな)
「二人は、とても遠い西方から来たと聞いているけれど」
「はい」
フェルンが答える。
「どこの国かしら?」
「…………」
一瞬、ほんの一瞬だけ、空気が止まった。
猫猫は表情には出さない。
壬氏も出さない。
フリーレンは――普通に考えていた。
「うーん……」
フェルンが横目でフリーレンを見る。
(フリーレン様、変なことを言わないでくださいね)
そんな目だった。
「私達がいたところは、たくさんの国に分かれていて」
フリーレンが答える。
「一つの国から来たっていう感じじゃないですかな」
これは嘘ではない。
「ずっと旅をしていましたから」
「旅を?」
玉葉后の目が輝く。
「はい」
フェルンが続ける。
「各地を巡っていました」
「まあ、それは面白そうね」
玉葉后は身を乗り出す。
「どんなところを旅したの?」
フリーレンとフェルンは、差し障りのない範囲で話し始めた。
雪深い土地。
山間の町。
大きな都市。
広大な森。
湖。
古い遺跡。
各地の食事。
祭り。
珍しい風習。
もちろん、魔物や魔族については話さない。
魔法についても、必要以上には触れない。
玉葉后はとても楽しそうに聞いていた。
「そんなに雪が積もる土地があるの?」
「ありますよ」
フェルンが答える。
「冬になると移動するのも大変です」
「雪ならこの国にも降るけれど、そこまでではないわね」
「フリーレン様は雪が積もっても、朝起きませんが」
「それは関係ないでしょ」
「旅で一番困ることです」
「フェルンが起こしてくれるから大丈夫だよ」
玉葉后がくすっと笑った。
「ふふ。ずいぶん仲がいいのね」
「弟子ですから」
フェルンはそう答えるが、どこか少し照れている。
玉葉后は今度はフリーレンへ尋ねた。
「それにしても、その耳は本当に珍しいわね」
「そうですか?」
「ええ。私も西方の人々についてはいくらか知っているけれど、あなたのような耳の方の話は聞いたことがないわ」
猫猫の中で、少しだけ警戒が強まる。
フリーレンは普通に答える。
「私みたいなのは、かなり少ないですね」
「そうなの?」
「はい。私の故郷でも、そんなにたくさんいるわけじゃないです」
これも事実だ。
玉葉后は「なるほど」と頷いた。
だが、その表情を見て、猫猫は思った。
(……納得した?)
いや、何か違う。
玉葉后は、単純に説明を信じた顔ではない。
むしろ――何か事情があるのだろう、と理解したような顔だ。
しかし、それ以上は追及しなかった。
「遠くから来たのなら、色々と不自由もあるでしょう」
玉葉后は穏やかに言う。
「困ったことがあれば、遠慮なく言ってちょうだい」
「ありがとうございます」
フェルンが深く頭を下げる。
「ありがとうございます」
フリーレンも頭を下げた。
「それから」
玉葉后が楽しそうに微笑む。
「今度、あなた達の国の話をもっと聞かせてね」
「喜んで」
玉葉后はまた笑った。
どうやら二人を気に入ったらしい。
こうして、玉葉后への挨拶も無事終わった。
フリーレンとフェルンが退出したあと、猫猫は玉葉后から用があるとその場に残された。
玉葉后はしばらく二人が出ていった方向を見ていた。
そして。
「猫猫」
「はい」
「面白い二人ね」
「そうですね」
「特にフリーレンという方」
「はい」
「西方には、本当に色々な人がいるものね」
「……そうですね」
猫猫は慎重に答える。
玉葉后が猫猫を見る。
穏やかな笑顔。だが、その翡翠の瞳は鋭い。
「でもね」
「はい」
「私も西都で育ったから、西方の国々についてはそれなりに聞いているの」
「…………」
猫猫は黙っている。
「もちろん、私が知らない土地なんていくらでもあるでしょうけれど」
玉葉后は少しだけ首を傾げた。
「二人の話って、不思議なのよね」
「不思議、ですか」
「ええ」
「どこがでしょう」
「うまく言えないけれど」
玉葉后は笑う。
「遠い土地から来た、というより……」
少し考える。
「もっと別の何か、という感じがするわ」
猫猫は心の中でため息をついた。
(やれやれ)
やはり気付いたか。
完全に真相までたどり着いたわけではない。
さすがに「異世界から来た」とまでは思わないだろう。
だが、説明されていることだけでは筋が通らない、そこまでは感じ取っている。
「猫猫」
「はい」
「何かわけがあるのね」
「…………」
猫猫はしばらく黙った。
そして。
「申し訳ありません」
静かに頭を下げる。
「今は、お話しできません」
壬氏との打ち合わせでは、帝にも玉葉后にも現時点では真相を伏せることになっている。
少なくとも、フリーレンとフェルン自身の立場が固まり、状況が整理できるまでは。
玉葉后は猫猫を見つめた。
怒るでもない。
問い詰めるでもない。
「そう」
それだけ言った。
「はい」
「では、聞かないでおくわ」
猫猫が少し驚いて顔を上げる。
「よろしいのですか?」
「あなたが今は話せないと言うのでしょう?」
「はい」
「なら、それなりの理由があるのでしょう」
玉葉后は穏やかに笑う。
「話せるようになったら、そのとき教えて」
「……ありがとうございます」
猫猫は頭を下げた。
玉葉后は、猫猫を信頼している。
何も考えていないわけではない。
むしろ、かなりのところまで察している。
そのうえで、猫猫が口を閉ざすなら、無理に聞かない。
「ただし」
玉葉后が言う。
「はい?」
「危険なことではないのよね?」
「少なくとも、二人が何か危害を加えようとしている、ということはないと思います」
「そう」
玉葉后は安心したように頷いた。
「ならいいわ」
猫猫は思う。
(本当に、この人には敵わないな)
好奇心は強い。当然、知りたいはずだ。
それでも猫猫を信じて、あえて聞かない。
皇后という地位にいるだけではない。玉葉后自身の器の大きさなのだろう。
その頃、廊下を歩いていたフェルンがフリーレンに言っていた。
「玉葉后、とても優しそうな方でしたね」
「うん」
「でも、かなり頭のいい方だと思います」
「そうだね」
フリーレンも分かっていた。
「多分、何か隠してるって気付かれたよ」
「……やっぱりですか」
「うん」
「大丈夫でしょうか」
「猫猫がなんとかするんじゃない?」
確かになんとかはなったが、猫猫は心の中で冷や汗をかいたのであった。