第1話:天才×天才=?
後宮は、フリーレンとフェルンにとって珍しいものばかりだった。
建物の造り。
衣服。
料理。
人々の暮らし。
魔法が存在しない代わりに、この世界では様々な知恵と技術が積み重ねられている。
フリーレンは、そういうものを見るのが嫌いではなかった。
長い旅を続けてきた彼女にとっても、未知の文化に触れることは楽しいことだ。
そんなある日のこと。
「ねえ、フリーレン」
猫猫が声をかけてきた。
「ちょっといい?」
「何?」
猫猫の手には薬草があった。
「この薬草なんだけど、薬効成分を抽出したいんだ」
「うん」
「ただ、どうも熱に弱くてね。熱が加わると肝心の成分が壊れやすいんだ」
「なるほど」
「だから、できるだけ低温で処理したいんだ」
猫猫はフリーレンを見る。
「それで、例の氷を出す魔法。お願いできるかな?」
「ああ」
フリーレンは頷いた。
「まかせて、猫猫」
杖を構える。
そして――
何もなかった器の中に、さらさらと細かい氷が現れる。
以前、壬氏を納得させるために使った、かき氷を出す魔法である。
「これでいい?」
「十分」
猫猫の目が輝く。
「この細かさ、やっぱり便利だな」
「本当は食べるための魔法なんだけどね」
「使えるものは何でも使えばいい」
猫猫は当然のように答えた。
氷を容器の周囲へ敷き詰める。
薬草を細かく刻み、別の材料と合わせる。
温度が上がらないように注意しながら、成分を抽出していく。
フリーレンはその様子を横から眺めていた。
「ずいぶん細かくやるんだね」
「薬は量と温度で効き方が変わることがあるからね」
「へえ」
「同じ薬草でも、煮るか、乾燥させるか、すり潰すか。それだけでも違う」
「魔法と似てるかも」
猫猫が顔を上げる。
「魔法も?」
「うん。術式を少し変えるだけで、結果が大きく変わることもある」
「なるほど」
そこから、二人の会話は、自然と互いの専門分野へ移っていった。
猫猫が尋ねる。
「魔法って、構造解析みたいなこともできるんだよね?」
「できるものもあるよ」
「なら、毒の中和にも使える?」
「う~ん」
フリーレンは考える。
「簡単なものならできることもあるけど」
「けど?」
「毒の中和とか治療は、基本的には女神さまの魔法の領域だね」
猫猫の手が止まった。
「女神さまの魔法?」
「うん」
「それは普通の魔法とは違うの?」
「少し違う」
フリーレンが説明する。
「主に僧侶が使う魔法なんだけどね。傷を治したり、毒を治療したり」
猫猫の目がさらに鋭くなる。
「毒を?」
「うん」
「どんな毒でも?」
「さすがに何でも、とはいかないよ。術者の力量とか、毒の種類にもよるし」
「……面白いな」
猫猫が完全に研究者の顔になっている。
「身体の中の毒だけを消すのか? それとも身体の状態を元に戻している? 毒そのものを分解しているのか?」
「そこまで詳しくは知らない」
「知らないのか」
「私は僧侶じゃないから」
「千年以上生きてるのに?」
「千年生きてても知らないことはあるよ」
猫猫はまた薬草を混ぜながら聞く。
「じゃあ、フリーレンは他にどんな魔法が使える?」
「えーとね……カビを消滅させる魔法」
猫猫の手が止まった。
「……今、何て言った?」
「カビを消滅させる魔法」
「それ、すごくない?」
「そう?」
「すごいだろ」
猫猫が身を乗り出す。
「薬材は湿気やカビで駄目になることがある。保存庫で使えたら、かなり助かるぞ」
「ああ、そういう使い方もあるのか」
「他には?」
「しつこい油汚れを取る魔法」
「…………」
猫猫が考える。
「それもすごいな」
「便利でしょ」
「いや、便利どころか」
猫猫は真顔で言った。
「世界を一変させない?」
「大げさじゃない?」
「侍女たちに使えたら、厨房や衣類の洗浄が大幅に楽になる」
「確かに」
「油を扱う職人にも便利だろうし、医療器具なんかの洗浄にも――」
猫猫はそこで止まった。
「……この世界の人間にも魔法は覚えられるの?」
「う~ん」
フリーレンは少し困ったような顔をする。
「多分、無理かなあ」
「そうなのか?」
「少なくとも私達の世界の人間とは、違うみたい。魔力を持ってないように見えるんだよね」
「魔力……」
「魔法を使うために必要なもの」
「なるほど」
猫猫は少し残念そうだった。
「それなら仕方ないか」
「でも、私とフェルンがいる間なら使えるよ」
「それは助かる」
猫猫はすぐに切り替えた。
「確かにね」
そして、今度はフリーレンが質問する。
「こっちの世界では、怪我とか病気はどうするの?」
「基本は薬草とかだね」
「やっぱり?」
「あとは食事や休養。それから外科的な処置をすることもある」
「私達の世界でも基本は似てるけどね」
「治癒魔法があるのに?」
「使える人がどこにでもいるわけじゃないから」
「ああ」
「それに、怪我ならともかく、病気は魔法で治すのは難しい」
「なろほど」
猫猫は納得する。
「それなら薬の知識も必要になるか」
「そういうこと」
フリーレンは猫猫の薬草を見る。
「この世界の薬草には、どんなものがあるの?」
猫猫の目が輝いた。
「聞きたい?」
「うん」
「ここにはね――」
そこからが長かった。
解熱に使うもの。
腹痛に使うもの。
傷口に使うもの。
毒にも薬にもなるもの。
量を間違えると危険なもの。
組み合わせることで効果が変わるもの。
西方から入ってきた珍しい薬材。
猫猫は次々と説明していく。
フリーレンは興味深そうに聞いている。
「それ、私達の世界にも似たものがある」
「本当?」
「名前は違うけど、たぶん近い植物かな」
「成分は?」
「そこまでは知らない」
「なら比較してみたいな」
「面白そう」
「あと、この薬草は毒性もあるんだけど――」
「毒?」
フリーレンが少し身を乗り出す。
猫猫も身を乗り出す。
いつの間にか、二人の顔つきが、妙に似てきていた。
未知のものを見つけた研究者の顔。
フェルンがたまたま近くを通りかかり、その様子を見る。
「…………」
少し嫌な予感がした。
しかし声はかけなかった。
猫猫が言う。
「魔法で温度を一定にできるなら、今まで難しかった抽出法も試せそうだ」
「温度だけじゃなくて、乾燥させたり、水分だけ飛ばしたりする魔法も使えるかも」
「そんな魔法があるのか?」
猫猫の目が妖しく光る。
フリーレンの目も輝く。
「こちらの薬草も、魔法の研究に使えそうだね」
「薬草と魔法の組み合わせか」
猫猫が腕を組む。
「面白いことになりそうだ」
「うん」
「例えば、通常では抽出できない成分を魔法で――」
「保存にも使えるかも」
「乾燥、冷却、加熱……」
「あと解析魔法」
「毒性の判定にも応用できる?」
「やってみないと分からない」
「なら試そう」
「試そう」
二人が顔を見合わせる。
そして。
「ふふふふふ……」
フリーレンが笑う。
「ははははは……」
猫猫も笑う。
なんだか、非常に妖しい。
そこへフェルンが戻ってきた。
「……何をしているのですか?」
二人が同時に振り返る。
「共同研究」
「共同研究だよ」
声まで揃った。
フェルンは嫌な予感をさらに強める。
「何を研究するのですか?」
「まだ決めてない」
「薬草と魔法を組み合わせる」
「具体的には?」
「これから考える」
「…………」
フェルンは二人を見る。
猫猫。
薬と毒について話し始めると止まらない。
フリーレン。
魔法について話し始めると止まらない。
どうやら二人は――
互いに同じ種類の人間を見つけてしまったらしい。
「フリーレン様」
「何?」
「危ないものは作らないでくださいね」
「作らないよ」
「猫猫様も」
「大丈夫だ」
「その二人の『大丈夫』が、一番信用できません」
フェルンの懸念をよそに、魔法使いと薬屋の共同研究は、その日のうちに正式に始まることとなった。
魔法の天才、フリーレン。
薬学の天才、猫猫。
この二人が協力した結果、生まれるものが――
人々へ大きな恩恵をもたらす歴史的大発明なのか。
誰かが全力で封印したくなる悪魔の発明なのか。
あるいは、ただのお笑いネタなのか。
このときは、まだ誰にも分からなかった。