「しゃぁせー」
参った。
バイトに身が入らねえ。
かと言って適当に流せもしない。廃棄のチェックは他の人がやってるし、清掃もさっきやったし、チルド系はやってあったし、ホットスナックの補充は今したし。
「あの子にも逃げられたし……」
適当にレジ裏のタバコやらカードやらを入れながら独り言ちた。……うん、やっぱり思い出せてる。なんであんな脚の綺麗な美少女を忘れてたんだ?
あの子──宙に浮かぶ美少女、
屋上ダイブ事故から助けられた後、それはもう言いたいことの渋滞してた俺はとりあえず礼からだと思って声を掛けたんだが。
『藤さん! で合ってるよな? 助けてく』
『おっおおおお金持ってないですごめんなさい──っ!』
『…………何の話!?』
ふわーっと飛んでいなくなってしまった。
今思い返してもあの流れでカツアゲな訳ねえだろ。
というか、助けられたし空中をかく向こう脛が白く眩しかったし細いのに肉付きの良い太腿が丸見えだったしで、金を払うべきは俺の方では? 謝礼というか。
結局そのまま彼女は戻って来なかったし(それはそう)、一応は体調不良でクラスの集まりを遠慮した身でいつまでも校舎裏に居たんじゃ言い訳が難しいってことですごすご帰った。バイトの時間も迫ってたしな。
それにしても、うん、良い脚だった。膝から先でする運動出来なさそうなバタ足の可愛いこと可愛いこと。足の甲をきちんと伸ばしていたのも泳いでいるようでよかった。空を飛ぶコツか何かなんだろうな。
……いやいや。
「空中浮遊ってなんだよ……」
「すみませーん」
「あ、はーい! お待たせしまし……」
レジに入った。
波のような紺色のスカート。水色のスカーフタイを締めたセーラー服──同級生の女子。
バイト上がりと思しき
「…………」
やっべ。
「……え、アラっち……?」
ミシミシミシ────と頭が肩が軋む軋むいやお前気づいてなかったのかよ! いやそうだよなあ心配掛けてたもんな大人しく帰ったと思ってたんだろうな!
妙に心ここにあらずって感じの顔から見る間に青ざめていく奥林さんは、カウンターに置いたチョコモナカジャンボも忘れて俺の胸ぐらを掴ちょっと待ぐえっ。
「アラっち!? アラっちだよね、生きてるよね!?」
「奥、林さ、ストぐ、ストッ、ちょ」
「なんでバイトしてんの体調悪いのに! てーか今朝より顔色ヤバいし! ダメじゃん! さっきだってあんなっ、あんな……」
「とりあえず首周り掴むのだけやめれる!?」
大注目を浴びて重いのが頭だけじゃなくなってきたからマジで一刻も早く解放してくんねえかな!
つーかやっぱ落ちてる途中で目が合ったの気のせいじゃなかっ──
「……あんな、あれ……?」
「奥林さん?」
「……アラっち、さっき……や、でも……」
俺の胸ぐら、もとい僧帽筋あたりのほぼ首際を引っ掴んでくれていた奥林さんがトーンダウンしていく。焦りや怒りの滲んでいた表情を徐々に困惑へ染めていきながら、一歩後ずさって呟いた。
「……あのさ、ヘンなこと聞いていい?」
「なにさ」
「……さっき、落ち……なんでもないなんでもない! いやーゴメン! 今日暑かったかんなー、ちょっと、うん……白昼夢、テキな」
「……とりあえず、会計していいかな。まだレジ並んでないけど、このままだと邪魔だから」
「ほんとゴメン! あ、支払いスイカで!」
「そっちの画面からどうぞー。袋は?」
「ダイジョブ!」
名札をスキャンしてレジ作業を進めながら、微かな耳鳴りの向こうでポツリと聞こえた。
「……気のせい、じゃんね。ふつーに考えて」
……そっすね。
気のせいってことにしないと言えないことが多すぎる。給水塔にこっそり登った時点で停学ものだ。挙句には落っこちて不思議な力で助けられるとか。
それに普通に考えて、屋上から落ちるようなことがあったらバイトなんかしてる場合じゃない筈だしな。気のせい気のせい。
「疲れてるんじゃないか? 夏休みだからってシフト入れすぎない方が長い目で見たらお得だって」
「……オトクって?」
「働きすぎて疲れが取れなくて熱中症とかシャレになんねー、ってのがわからん人じゃないだろ。奥林さんも」
「……そだね。ありがと!」
ちょっと恥ずかしそうに笑ってアイスを取った奥林さんは、なぜかそのまま離れない。客から催促の斥力は感じないが目の前からの加重が止まらない。
いや、無理、待つのも流すのもキツイ。聞いてしまおう。
「どうかした?」
「……あのさ、バイトって何時あがり?」
「六時だけど。十五分くらいかな」
「じゃあ、待ってていい?」
ズン、と増した。
自惚れだと思いたいんだがなあ。この重みって俺の視界外で注目されてるときでも感じるから、勘違いの線を疑えない。そういう意味だと共感覚っていうのは正しくないのかもな。
いや、逃避してる場合じゃない。
「いいよ。バイト先の話聞きたかったし」
「やたっ」
……こういうところを、ただ可愛いとだけ思えない限り。
俺は恋愛なんか出来そうにないな。
「お待たせ」
「ぜーんぜん!」
奥林さんがパッと笑ってイートイン席を立つと、ただでさえ重かった肩が更に重くなる。美少女ギャルがバイトを待ってる、ってシチュエーションはまあまあ注目を集めるらしい。
裏で退勤準備してる途中さ、なんか妙に重いなと思ったらよく話すパートのお姉様(四十代・中学生の娘さんがいらっしゃるらしい)から「あの子
夏の夕方六時ってまだ日が高くて蒸し暑いからそのまま帰る気になれなくて、俺もアイスを買っていくことにした。パピコなら二人で分けられるしな。外に出て歩きながら、パキンと割って渡す。
「ほら」
「さんきゅー! 後で返すね」
「ゴミ返されてもな……」
受け取るけども。ビニール袋も一緒に買ってんのはそのためだし。
奥林さんはパピコの口を噛みながらケラケラ笑った。
「アラっち、いーやつだよね」
「ゴミ押し付けてお金だけ貰おっかな」
「からかってるわけじゃないってばー!」
「文化祭の準備まあまあ押し付けられてるの見てただろ……」
パンケーキ屋をやることになってるが、買い出し班、調理班、呼び込みや会計をする接客班と分かれてる中で俺だけ全部にぶち込まれていた。こればっかりは別に重力感とか関係なく、ただ単に断りきれなかったせいなんだが。
「八方美人もいいかげんにしたいんだけどな」
「あははは。いーやつじゃん、やっぱ」
「俺の話はいいんだよ……それより、奥林さんの新しいバイト先だよ。今度は大丈夫そうか?」
「ダイジョブそう!」
返事をしてからもう一回考えたのか、腕を組んで「うん! だいじょーぶ!」と頷いてくれた。ヨシ。前に行ってたファストフード店は本社で問題になった(らしい)くらいのパワハラ店長だったそうだが、外からじゃわかんないからな。
「個人経営の喫茶店なんだけどさー、ご飯がもうめーっちゃおいしいの! すっごいんだよ、目玉焼きとかただ焼いてるだけなのにぜつみょーでさ、黄身割ったらギリッギリとろけてこぼれちゃうかなーどうかなーってラインで仕上げてんの! モーニングのハムエッグトーストとかマジヤバだかんね!」
「そこまで? え、いいな」
「食べたら人生変わるって! あ、それとパンケーキもめちゃウマだよ! そのうち来るでしょ、自家製ブレンドとのセットがあってちょーオススメだから! 絶対頼んで!」
両手を広げて「オプションで三段重ねとかできるんだけどヤバいよ、土台用中間用トップ用で焼き加減変えてんだけど一番上なんかふわっふわで──」とプレゼンしてくれる奥林さんから感じる重力はさっきより控えめで、俺を言いくるめるために大袈裟にしてるわけじゃないっぽい。本気で頭の中のめちゃウマパンケーキを表現しようとしてる。
好きなものを語ってるときって、俺、もとい目の前の人間への意識が疎かになるから重みが減って助かる。ポジティブな話題だから聞いてても楽しいしな。
「あとねあとね、メイド服! ちょー可愛いの! なんてーの、フリフリな感じじゃなくて外国にマジでいそうな黒ワンピに白いエプロンってスタイルなんだけどね」
「へー、クラシカルなやつだ」
「そう!」
昨晩の藤さんは制服じゃなくてメイド服だったな。よく似合ってた。あれもクラシカルなロングスカートタイプだったっけ。思い返せば普通にロングだったらあんなに御御足をよく拝めることはない気がするんだが、いやでも藤さんすげえ脚長かったしな。上半身のサイズに合わせると丈が合わないのか?
「でもあんまり裾長いと椅子で踏んじゃうかも、ってことでちょっとだけ短いの! 膝下くらいかな? それがなんかゴスロリっぽい感じに見えてオシャレでさー」
「ああー、なるほどね」
「なるほどって?」
「ああいや、イメージ出来たからさ」
危ねえ。
パピコを咥えて誤魔化す。誤魔化せるか? 誤魔化されてくれ。「奥林さん説明うまいな」「でしょー?」セーフ。
同じく咥えてチューチュー吸い出そうとする奥林さんに尋ねる。
「行ってみたいんだけど、どこ?」
「んとねー、場所は駅からそんな遠くないよ。商店街あるっしょ? あの中歩いてるとすぐ! 来るとき言ってよ、案内するから」
「りょーかい。あ、そういや店名は?」
「藤珈琲店ってとこ!」
「へー、フジコーヒーテン」
…………うん?
「なんて?」
「だから藤珈琲店。富士山のフジじゃなくて草冠の方ね」
「…………」
マジ?
奥林さんの家の前で別れて帰宅した。
制服から着替えて一通りの家事を済ませて、風呂から上がったらそこそこ遅い時間だった。午前が終業式で潰れたのもあるが、こんなもたついたのはそれだけが理由じゃない。
「……グループに藤さん、やっぱいないな」
名前が本名のままなんてことはまずないが、それでもどれが誰のアカウントかくらいは把握してる。遺憾ながら文化祭準備ではかなり働かされることが決まってるから、その都合でみんなとの連携は取ってるしな。
……ネトストっぽいな。ちょっと凹むわ。
「……本人が、俺を見て同じクラスだって漏らした。俺もクラス名簿を覚えてる。座席だって残ってるから、とりあえず『藤小陽』って生徒がうちのクラスに在籍してるのは確かと思っていいはず」
スマホ片手にしばらく考えたものの、無理だ。あの空中浮遊がもう非現実的なもんだからそれ以外も理屈なんか付けられねえ。
「なんで誰も、藤さんのことを覚えてねえんだ……?」
奥林さんにも聞いたけどな。バイト先に俺たちの後ろの席の子いるかもしんないんだけど知らないか、って。
『……え? あの席ってちゃんと誰かいるの?』
『そう。藤小陽さんっていうみたいでさ、もしかしたらって思って』
『うーん……いたような、どうだっけ……? あ、
「どういう仕組みなんだあれ……」
不登校で机だけ置いてるのに誰も話題に挙げないのもそうだけど、あの美脚美少女ぶりだ、普通もっと騒がれてるだろ。俺なら一度見たら絶対に忘れないね。もしまた忘れたら今度こそ屋上ダイブしたって構わねえな。
いや、逸れたな。とりあえず、藤さんに関わることは意識できねえっぽい、ってハナシ。あんだけ俺を気にしてくれる奥林さんが屋上ダイブ疑惑をすぐに振り切ったのもそういうことっぽいし。
……だから、かな。
あんなに
「どうにかしてもう一回会えねえかなあ……!」
空中浮遊能力者(?)がいるなら読心能力者だっているかもしれないので言っておくと、いや、違うんだよ。別にあのスラッとしつつ柔らかそうな細い太腿とかいうオクシモロンに惹かれてるわけじゃなくてさ。
生まれて初めて、俺の重力共感覚をどうにかできるかもしれない存在に出会ったから。
……これも下心かな。
あー俺キッショ、みんなのラインとかXとか藤珈琲店のSNSとか探す手が止まんない。キショいってわかってんのに。ネトストってこういう気持ちなのか? ゴメンなキショいとか言って。俺が今なってるからこれは自虐なんだが死んだ方がいいぞ。
「……一旦落ち着こう。うん。コーヒーまだあったっけ……?」
ちょっと良い缶コーヒーを買い溜めてある。コーヒーミル買って豆から挽くのも興味あるんだが、沼が深そうで試してないんだよな。夏休みの間に挑戦にしてみるか?
「親の金で何言ってんだか」
なんとなく気分で、ベランダに出た。
「あっ」
「…………は?」
いる!
ベランダのすぐ目の前を、ベッドで寛いでるみたいなポーズで膝先だけバタ足してる藤さんが横切ろうとしてるところだった。ラムちゃんかよ。
しかも格好はメイド服だ。レムちゃんかよ。レムは飛ばねえだろ。
「こ、こんばんわー」
「……こんばんは」
「ひぃっ……き、聞こえてるぅ……」
「話しかけておいて!?」
あんまりな反応でつい大きな声を出してしまったが、藤さんは8の字にくらくら回るだけだった。それから「あ、あの……ここ、座っても、いい……ですか」と手摺を指す。別にいいから頷いたが、おどおどしてるんだか図々しいんだかわかんないな。
後ろの裾を摘んだ藤さんはベランダに立ち入って(飛び入って?)、そのまま捲れないようにゆっくり着地した。
「……やっぱり、飛んでるよな」
「は、はい……飛べるっていうか、えと、浮けます」
街明かりと月光で上下からライトアップされた脚が押さえ直されたスカートに覆われるが、相変わらず爪先はふわふわ泳いでいるし長い髪も垂れ下がらず先が浮いている。腰掛けてるだけで彼女自身は浮いている、らしい。
……本当にあり得る、んだな。超能力っていうか、俺のメンタルが自重で折れたわけじゃなかったんだなんていうか、いや脚なげー、本当に綺麗だな。ゆらゆら遊ばせてる先でぐーぱーさせる指先がふっくら丸くて可愛らしい。ロリコンじゃないから幼さに魅力を感じたことはないが、こうまで美しい脚にエッセンスとして含まれたらこんなに魅惑的なのか。
膝に押さえつけてたスカートを、小さな手がきゅっと握るのが見えた。
「……あの……えっと、あなたは。なんで、私を覚えてる、の……?」
「わかんないけど……普通は覚えてないものなのか?」
「うん……あの、ちょっとこっちに」
「え」
まあいいけど。
数歩近づいてみると、膝を折ってまた浮いた藤さんは俺の頭に両手を置いた。医療忍術?
「なに」
「…………ふんっ、ぬぬぬにににに………」
「なに?」
「……と、とんでけーっ!」
「なに!?」
藤さんは勢いよくバンザーイしながら浮上していった。え? それで記憶消せんの? マジで?
……いや、たった今見た幼い爪先から昨日の月明かりを帯びた膝裏のSラインまで全然思い出せるんだが。うん?
見上げると、軒先から美脚がちらっと覗いている。
「……藤さん?」
「ふぁいっ……!? な、なな、なんで忘れないの……!」
「知らんけ痛っ」
「わっ、忘れて、わすれてくださいっ、わすれろっ、えいっ、とんでけーっ」
「無理があるだろ!」
戻ってきて頭をべちんべちんしてくる藤さんは言っちゃ悪いが鈍臭かった。腕伸ばしっぱなしで振り回しても力入らないだろ。
「なん、なんで覚えてるんですか……! 私が飛んだら、いつも、みんなっ、忘れてくれるのにっ」
「無理だって! 忘れるには美少女すぎるし脚が……」
「ひぇっ」
「…………あ」
猛攻が止まった。
腕を振り上げたままミッフィーみたいな顔ですーっと引き下がると、ゆっくりベランダの下へ消えていく。
「スゥー……弁明させてもらえないッスか」
「…………な、なんですか」
手摺に手を引っ掛けて頭頂部だけ出ている。見えてんのかな、見えなくても俺も正座して誠意を……いや、待った。弁明って結局は言い繕うことになるんだが、その時点で誠実じゃなくないか?
変な状況だ。空中浮遊できる女の子がベランダにいて、ついうっかり性癖に従った心の声を喋っちゃったことで引かれている。
だけど、思い出せ。そもそも俺はこの娘に会いたかっただろ。
それはどうしてだ。
「……とりあえず、最後まで聞いてもらえないか」
「…………」
藤さんは、一瞬だけ頭を引っ込めて、それから目元だけそろりと出してくれた。「ありがとう」と礼だけ言って、深呼吸した。
やっぱり、軽い。物心ついたときからずっと付き合ってきた心の万有引力から、完全に解放されていた。
「俺は──脚フェチだ」
「えっ」
「ぶっちゃけ藤さんのどこにっつったら脚に一目惚れした! 白くてスラッとしてて、だけど決して痩せ細ってはなく膝から太腿に掛けてむっちり肉付きが良くなってくのとかめちゃくちゃ興奮する!」
「あ、あの……ひあぁぁ……っ」
「ふくらはぎが筋肉なさすぎず角張りすぎず柔らかなまま張りのある流線型なのもグッド! 足の甲伸ばしたときにうっすら張る親指の腱も色っぽいと思います!」
「はっ、は、恥ずかしいんですけど……!?」
藤さんは顔を真っ赤にして脚を隠──そうとして体育座りになった。ワンテンポ遅れて「はっ……!?」と後ろを向いて、目線だけこちらに振り返る。
「せ、せ、せ、セクハラ……!」
いやほんと仰る通りで申し訳ない。 でもマジなんだ。
これでもかってくらい非難の眼差しだ。幅広な二重瞼に薄っすらと涙が滲んでいる。
でも、飛び去ろうとはしないでくれた。
じゃあ続けよう。
「俺は、藤さんに一目惚れした! 思わず見惚れてしまうような御御足をお持ちで、びっくりするくらい美少女で、メイド服がよく似合うから!」
「わ、わかった、わかったけど……! お、お付き合いは、ちょっと……!」
「いやそこまでは求めてない」
「えっ」
「まだ二回目、っつーかほぼ初対面みたいなもんだしさ。俺だって見た目に一目惚れしたってだけで、それ以外のこと何も知らないし」
俺だって、まあ一番恥ずかしいことは今まさに喋ってるけど、それ以外は何も明かしてない。重力のこととか、昔のこととか、親のこととか。でもそれは奥林さんやクラスメイトたち、みんな同じラインだ。
だから、みんなと同じように──
「──お友達から! よろしくお願いします!」
右手を差し出して、頭を下げた。これじゃ本当に告白みたいだな。
なんだろうな、言うだけ言ってすげー清々しい気分だ。言い触らされたら人生おしまいかもだが、ベランダでやってる時点で今更か。どうにでもなーれ……なんて。爆発しそうなくらい心臓バクバクだが。
「……ほんとに。ほんとに、ひ、ひとめぼれ……なんですか」
「本当に。夜空をバックにしてたのが画になってたからブーストは掛かってたかもしんないけど、でも昼にもやっぱ綺麗だなーって思ったから」
「つ、吊り橋効果、とかじゃ」
「夜空って言っただろ。昼に屋上ダイブする前から、昨日の夜にここで会ったときから、頭から離れなかった」
空中浮遊のことは正直気になる。俺を苦しめてきた重力共感覚の解決に繋がるかもとは、そりゃまあ思う。重さを感じないお陰で素直になれてる可能性もきっとあって、そういう意味じゃ先の二つだって無関係じゃない。奥林さんを恋愛的な目で見れない理由がそれなんだから。
でも、最初に気になった理由はただの一目惚れだ。だって夢かと思ってたんだから。 楽しそうにふわふわ飛んでる姿が可愛くて、頭から離れなかっただけだ。
「……じゃあ。し、知ってるみたい、ですけど」
痺れてきた腕に、温かさが触れた。
軽かった腕に指先程度の重みが乗った。
頭の中の偽物じゃない、無謬の質量。
「ふ……藤、小陽です。名字だと、お山のフジサンみたいだし……」
一呼吸置いて、もう一方の手も重ねてくれた。
「……おともだち、だから。名前で、呼んで」
顔を上げると、白い月明かりを染め返すくらい真っ赤になりながら、藤さん──いや、小陽さんが微笑んでいた。
「……俺は、川室
「……そ、そうだよっ。なんて呼べばいいのかもわかんないのに、いきなり趣味の暴露されても困るよ……!」
「それは本当にごめん」
「……ほんとに、困ったんだから……あなたも、困っちゃえ」
「え……うわ、ちょっ……!?」
弱い力で腕を引かれて。
「落ちちゃうから、離さない、でね」
ジャンプの最高到達点で味わう一瞬を無限に引き伸ばしたような無重力感のまま、俺たちの体はベランダの六階を飛び立った。
まだ人が出歩いていて多くの車も行き交う都心の通り沿いを見下ろして、街頭より電柱より高い場所へ昇って、やがてマンションどころかビルすら超えてしまった。
「たっけぇー……」
「ふふっ……でしょ。高いの。私ね、こんなに遠く、遠くまで飛べちゃうの……こわい?」
「全然」
握られた手に、少しだけ力を込めた。
「小陽さんが握っててくれるなら、怖くないな」
「……そっか」
細い光が入り乱れるミニチュアみたいな街並みをなんの興味もなさそうに一瞥して、彼女は俺を見る。
微笑む。長い睫毛で翳る。
夜より黒い、ブラックホールの瞳。
「……離さないでね。あらたくん。落っこちちゃう、から」
「離さないけど、大丈夫とは言えないかもな」
「えっ、えぇー……? ど、どゆこと」
「言わない。しょうもないし」
「お、教えてっ……教えないと、え、えっと、ゆ、揺らしちゃうよ……! こんな高いとこで……!」
「はははっ」
さっそくひとつ、彼女のことを知った。冗談でも落としてやるとは言えないくらい優しい女の子らしい。
なので俺も、もう落ちてるとは言わないでおく。