星の泉の残照 —The Last Line of Defense— 作:モッチー7
プププランドの夜は、本来であれば果てしなく穏やかで、優しさに満ちている。
夜空には数多の星がまたたき、住人たちは一日の終わりに温かいベッドへと潜り込む。彼らはそこで、星の輝きがもたらす極上の「良い夢」を貪り、心身を癒やすのだ。それが、この平穏な国における不変の営みであり、幸福の象徴であった。
しかし、その夜の空気は違っていた。
ねっとりとした不快な湿気を含んだ風が、丘の上のデデデ城を通り抜けていく。
「……う、ううむ……」
玉座の並びにある豪奢な私室で、プププランドの自称王、デデデ大王は巨大な身をベッドの上で悶えさせていた。
いつもなら大いびきをかいて眠りこけるはずの彼が、今夜は脂汗を流し、何度も寝返りを打っている。その視界を支配していたのは、底の知れない漆黒の闇と、そこから這い出てくる無数の、形容しがたい「何か」の影だった。
影たちは声を失った叫びをあげながら、デデデの意識をじわじわと侵食していく。抗おうとしても、手足が鉛のように重く、自慢のハンマーを握ることさえできない。ただ一方的に、冷徹な恐怖だけが脳髄へと注ぎ込まれる。
「――はっ!?」
デデデは跳ね起き、激しく呼吸を乱しながら周囲を見回した。
窓から差し込む月光が、いつも通りの部屋を照らしている。壁に立てかけられた愛用のハンマーもそこにある。すべては現実だ。だが、背中を濡らす冷たい汗が、今のが単なる夢ではないことを告げていた。
「な、なんだってんだ……今の悪夢は……。このオレ様が、あんなわけのわからん影ごときに怯えるなんざ……」
デデデは不快げに頭を振った。
彼は王を自称し、時に我が儘に振る舞うが、その根底にあるのはこの肥沃で平和なプププランドへの歪んだ、しかし確かな愛着である。そして何より、この国で「悪夢を見る」ということ自体が、本来ならばあり得ない異常事態だった。
なぜなら、この国には「夢の泉」がある。
国の中心に位置するその聖域からは、星の力を宿した「スターロッド」の輝きによって、常に清らかな夢のエネルギーが供給されているはずなのだ。住人たちが悪夢に苛まれることなど、天変地異が起きない限りあり得ない。
「おい! バンダナワドルディ! いるか!」
デデデが荒々しく扉を開け、廊下に向かって怒鳴る。
すぐに、忠実な臣下であるバンダナを巻いたワドルディが、トコトコと短い足を駆使して走ってきた。
「はい、大王様! 激しい声ですが、どうかされましたか?」
「……お前、ゆうべはよく眠れたか?」
唐突な問いに、バンダナワドルディは不思議そうに首を傾げた。
「ええと……実は、なんだか少し寝苦しくて。真っ暗な沼に沈んでいくような、変な夢を見てしまいました。今朝は周りのみんなも、なんだか元気がなくて、うなされていたみたいです」
その言葉を聞いた瞬間、デデデの顔から血の気が引いた。
自分だけではない。プププランドの住人全体に、その「毒」が回り始めている。
「……チッ、ただ事じゃねえな」
デデデは壁のハンマーを掴み、力強く肩に担いだ。その瞳には、いつもの我が儘な独裁者のものではなく、この国を守る意志を持つ「王」の鋭さが宿っていた。
「大王様? どこへ行かれるのですか?」
「夢の泉だ。あの場所で何かが起きてやがる。オレ様が直接確かめてくる」
「お、お供します!」
「いや、お前たちは城の警戒をしてろ。何が起きているか分からん。住人どもがパニックにならんよう、睨みを利かせておくのがお前の仕事だ」
デデデはそう言い残すと、重厚な足音を響かせて部屋を飛び出した。
外の空気は、昼間だというのにどこか薄暗く、太陽の光さえも澱んでいるように見えた。デデデは自慢の飛行能力――大きく息を吸い込んで体を膨らませる力――を使い、夢の泉がある国の中心部へと急いだ。
上空から見下ろすプププランドは、静まり返っていた。
いつもなら元気に駆け回っているキャピィ族やポピーブラザーズたちの姿も、どこか生気がない。皆、夜の間に悪夢によって精神を削り取られているのだ。
「ふざけやがって……。プププランドの連中を泣かせていいのは、このオレ様だけだ。どこの馬の骨だか知らねえが、オレ様の庭を荒らす奴は叩き潰す!」
速度を上げ、デデデは夢の泉へと降下した。
夢の泉。それは神秘的な美しさを湛えた、水を湛える結晶の建造物だ。その中央には、黄金に輝く「スターロッド」が鎮座し、常にまばゆい光を放っている――はずだった。
だが、デデデの目に飛び込んできたのは、無惨な光景だった。
泉の水はどす黒く濁り、まるでおぞましい泥のようになっている。そして、その中央に立つスターロッドの輝きは弱まり、根元から這い上がるような「黒い霧」によって覆い尽くされようとしていた。
「これは……!」
デデデが着地すると同時に、泉の底から不気味な笑い声が響き渡った。
『ククク……ハハハハ……!』
それは、肉体を震わせるような低く、冷徹な声だった。
濁った泉の水が中央で激しく渦巻き、そこから黒い霧が噴出する。霧は急速に密度を増し、やがて一人の男の輪郭を形作っていった。
長いシルクハットのような頭部。不気味に発光する単眼。そして、星空を模したようなマントを羽織った、異形の存在。
それこそが、宇宙の深淵より現れた悪夢の化身、ナイトメアウィザードであった。
「貴様がこの異変の元凶か! 何者だ!」
デデデはハンマーを構え、地面を激しく叩きつけて威嚇した。
『我が名はナイトメア。恐怖を糧とし、悪夢を統べる者。この瑞々しき夢の源泉は、我が孵化の揺り籠として、これ以上ないほどに極上だ』
ナイトメアの声は、直接脳内に響いてくるような不快感をもたらした。
『この星の住人どもは、あまりに無防備に夢を貪りすぎた。その幸福な精神の隙間に、我が種子は容易く根付いた。間もなく、この泉は完全に我が領域となり、この世界は永劫の悪夢へと沈むのだ』
「寝言は寝て言いやがれ!」
デデデは叫ぶと同時に、地を蹴った。
その巨体からは想像もつかない俊敏さで、ナイトメアの頭上へと跳躍する。重力と遠心力を上乗せした渾身のハンマーが、空気を切り裂いて振り下ろされた。
「死ねいッ!」
ドガァン!!!
凄まじい衝撃波が夢の泉を揺るがした。しかし、デデデのハンマーは、ナイトメアの直前で展開された「漆黒の結界」によって完全に阻まれていた。火花が散り、金属音が響くが、結界には傷一つ付かない。
『無駄な足掻きを。ただの肥満した鳥風情が、我が魔力に抗えると思うたか』
ナイトメアがマントを翻すと、結界から強力な闇の波動が放たれた。
「ぐわぁっ!?」
デデデはその圧倒的な衝撃に耐えきれず、後方へと吹き飛ばされた。地面を何転もしながら、ハンマーを支えにしてどうにか立ち上がる。
「くそっ、なんて力だ……!」
『ククク……絶望せよ。それが我が最も好む滋味だ。スターロッドの光が完全に消える時、真の悪夢が始まる』
ナイトメアは嘲笑いながら、再び黒い霧の中へと姿を消していった。
泉の濁りはさらに濃くなり、周囲の気温が急激に下がっていくのをデデデは肌で感じていた。
「ハァ……ハァ……。冗談じゃねえぞ……」
デデデは口元の血を拭い、濁った泉を睨みつけた。
奴の力は本物だ。ただ力任せに殴るだけでは、あの結界すら破れない。だが、ここで引き下がるわけにはいかない。
「オレ様はプププランドの王だ。あんな化け物に、この国を渡して Tah(たまる)かよ……!」
独裁者としてのプライド、そしてこの国を守るという、誰にも見せない頑なな意志が、デデデの心に青い炎を灯していた。これが、世界の命運を賭けた、孤独な王の戦いの始まりだった。