「ふむ、では──私はアジフライ定食を一つ頂こう」
僅かに湿気が籠った空気の中に、古い油の香りが混じっている。ピークタイムを過ぎたからか、客は私達以外には居ない。
そう、私達。
ルーラーと名乗った、少年らしさを残した顔立ちに似合わぬビジネススーツと伊達眼鏡を身に着けた青年。そして、白い肌と髪に目立つ赤い瞳の私。
比較対象である他の客がいないにしたって、どう考えても浮いていた。文字通り場違いと言わざるを得ない。
生まれてこの方入った事のないこじんまりとした定食屋の居心地の悪さに私が身を縮こませていると、ルーラーはメニュー表からちらりと視線をズラして私を見やる。
初対面ではあれほど露骨だった軽蔑は鳴りを潜めているが、それでも好意的でないことくらいは私にも分かる。
「君は。あまりご主人を待たせるな」
傍にメモ帳を持って控えていた老人がゆっくり選んでね、と優しい声色で頷くのに小さな会釈を返して私もメニュー表を手に取る。
「ええと、では……私は……日替わり定食を」
状況の異質さに目を回してしまい、殆ど何も考えられず咄嗟に口にする。厨房へ戻っていく老人の背を見送って、興味深そうに壁面のメニュー表を見上げるルーラーの顔をちらりと覗き見る。
──私は、何をしているんだろう。
あれだけ鮮烈な登場を見せておいて、現界してからルーラーがやった事と言えば私の誘拐と開幕の宣言を除けば量販店でスーツを買って、定食屋に入ったくらいのものだ。
色々と問いただしたいし、なんならこの場から走って逃げ去りたい気持ちは大いにあるが、どんな仕打ちを受けるものか分からない。
スーツの量販店はともかく、この歴史のありそうな定食屋でカードは使えるのだろうかとパトリシアに持たされたクレジットカードを握りしめてため息を吐く。
「あの……一つ、良いでしょうか」
答えは帰ってこない。これも既に繰り返したコミュニケーションだ。私に言葉を返すのも最低限にしたいらしいが、拒絶されない限りは喋り続けても咎められる事は──今の所、ない。
「差し迫った目標がないのであれば一度主人の所に戻りたい……と、思うのですが」
聖杯の二連起動。それに伴うサーヴァントの追加召喚。道すがら、ある程度の事情はルーラーからの説明によって理解できたが、その原因が分からない。
故意なのであればそれはブラン家が残りの三家を裏切ったことになる。パトリシアの真意は分からないが、計画を台無しにした事で命を狙われる可能性もあるかもしれない。
だが、言葉を続けようとした私をルーラーが片手を上げて制する。
「残念だが現段階ではその要望は叶えられない」
年季の入ったプラスチック製のコップに注がれた冷水を飲み干して、首を振った。
「現状では参加者がどう動くのか不透明だからだ。彼らが不確定要素である私を消してから聖杯戦争を再開しよう、と考えてもおかしくない」
「表面上は二つ目の聖杯が起動した時点で彼らに談合を続ける意味はないように見えるが、召喚された以上は最後まで見届けるのがルーラーとしての責務である」
「では、私だけが戻るというのは──」
「それも却下だ」
運ばれてきた定食の香りをスン、と吸い込んで割りばしを割ったルーラーがはっきりと首を振る。
「魔力量も不足、マスターとしての知識も浅い。こうして食事という形で非効率な魔力確保を強いられてはいるが……今回の現界は君が要石になっている。死なれては困るんだ」
すげなく拒絶されて肩を落とす私を見てふん、と息を漏らして。
「だが現界に協力してくれている君の要望もある程度は尊重しよう」
「あと一日待って動きが無ければ君の主人の元へ向かう。動き出しの早い連中ならそれまでには何らかの方針を見せるだろう」
思わぬ提案に、心中で小さな驚きを覚える。召喚直後の彼は、私を縊り殺さんばかりの軽蔑を向けていた。今もその余波は感じるが、それでも随分な変わりようだった。
それを見透かされたのか、ルーラーは続ける。
「私にとって君の在り方は非常に醜い、許容しがたいものだ。だが、この聖杯戦争が決着するまでの間は君を欠いては行動がままならん」
「ある程度の配慮は約束する」
ホムンクルスとして生まれたモノとしてあるまじき分かり易さを露呈してしまったらしい。気恥ずかしくなって顔のどこにそれが出ていたのか、指で触れて確認する。
「召喚直後の非礼は侘びよう。混ざりものの無念に些か引っ張られたらしい」
繊細で神経質そうな顔立ちに似合わず健啖家らしく、次々に箸を口に運んでいくルーラーの謝罪は不本意そうだった。
「混ざりもの、というと」
「君達が燃料にくべた英霊たちの無念だ」
詳しく説明する気はないらしく、それきり黙々と食事を続ける。私も諦めて味噌汁の注がれた茶碗を持ち上げる。
掌から伝わる暖かさと、食欲を刺激する少し強い塩味が身体に沁みる。少し硬いハンバーグも、なんの奇をてらう事もなくストレートなケチャップで味付けされており妙な安心感があった。
開発の進むこの町で、昔のまま残る店に足を運ぶ人々はこの安心感を求めているのだろうかと考えながら。
「美味しい」
確かめるように私がぽつりと零した言葉に、ルーラーが胡散臭そうに眉を顰める。
「……本心ですよ」
きっと機嫌を損ねるだろうから口にはしないが、この青年も私と同じく大概分かり易いようだった。彼から感じる少年のような印象はこういったところが原因なのかもしれないと思う。
半分ほど食べ進めた所で、既に食事を終えたルーラーが退屈そうに私の咀嚼を観察している事に気が付いて箸を動かすスピードを速める。
──本当に、私は何をしているんだろう。
ただ生きていたいだけだと口にしながらも、行動目標すら曖昧な現状は居心地が悪かった。ブランの家で過ごしている間は、パトリシアの望むように在ればそれで良かったのに。
早く、帰りたい。
思わず深々とため息を吐きそうになったその時。
ルーラーの動きがピタリと止まる。またしても鈍くなった私の食事に機嫌を損ねたのかと顔を上げるが、どうにも違うらしい。
「ルーラー?」
私の呼びかけには答えず、ルーラーが席を立つ。私も慌ててハンバーグの最後の一欠けらを口に押し込んで立ち上がる。
「もうしばらくは睨み合いになるかと思ったが──気の早い」
「行くぞ。一騎動き出した」
やはりこちらを先に潰しに来るのかと背筋が凍る。早鐘を打つ心臓の音が喉から零れそうだった。
「に、逃げますか」
しかし、私の心配は見当外れだったらしい。
「こちらではない。だがアサシン、ライダーを探すような動きでも無いな。目標がはっきり定まっていると見える」
「町の北側、山の方だ」
今度こそ、心拍音が口から零れる。
「──ッ」
壁の向こうを見透かすようなルーラーの視線を追い越して、店の出口まで駆けて。支払いがまだだった事を思い出して一瞬二の足を踏む。
「ええと、すみません!後で必ずお支払いします、カードをここに置いておきますので!」
クレジットカードをレジの前に置いて、店を飛び出す。
ルーラーが何事か後ろから叫んでいるのが聞こえたが、振り返る余裕はなかった。
町の北側の山はブランの所有地だ。そこにサーヴァントが向かっているのなら目的は一つしかない。やはり、パトリシアの行動は残る三家にとっての裏切り行為だったのだ。
ほんの少し走っただけで、肺は激しい収縮を繰り返して限界だと悲鳴を上げる。喉の当たりから鉄のような匂いがする。
それでも構わず走る。
生きていたい。死にたくない。それでも、私が生きていて良いのは彼女が私を必要としているからなのだ。
私自身すら肯定できない私の生を、失ってしまう。
膝が痛む。肺が冷える。頭の奥もチリチリと痛んだ。それでも、走る。苦しいとはどういうことなのか、知っている。けれど、それだけだ。
そんな事は、別にどうでも良かった。