プロローグ
戦地を駆ける。生ぬるい、血混じりの風が頬を撫でて気持ちが悪い。
狙うは目前の、小隊の後列。
──大斧を振りかぶり、回転薙ぎ。
「ぐぁぁああっ」
無数の血が渦巻いた。その瞬間、小隊の列は意味を無くした。
全員が俺に向かって剣を構える。
「て、敵襲ッ!」
「──がっ」
首、首、首が弾け飛んでは、次に哀れな身体が崩れ落ちる。
無数に赤が飛び散り、絶叫に混じった血の匂いが鼻を焦がした。およそ十人程を斬り捨ててからのことだった。
──視界端。その瞬間の光景を、目に焼き付け、唖然とし、何も出来ずただ立ち尽くす人間が一人。
そうしてもう一人。眼下、腰を抜かしてる阿呆。まずは、こいつ。
──枯れた戦地に血が流れる。血が流れたとて、大それた理由など、ない。それこそ、戦であるのだ。
「──助け」
しかし確かに、それが安堵の根を張り巡らせて、心を満たしていく。
今、目の前で分か断れた人間の血が足に流れ着いた。
振り払った大斧。飛び散る血飛沫。赤黒く光を反射した。
「っひ、ひぃっ!」
震える足、見開かれた瞳、噴き出す汗。
立ち尽くした人間如きよ──
「──貴様の意志、受け継ごうぞ」
大概の人間が見せる、恐怖に対する反応は一様だ。
見下して、ただ分か断つ。
「……はぁ、はぁ」
これで、前線の小隊は全滅。およそ二日と言ったところか。
ただ大斧を振り回し続ける日々だった。それに疲れ果て、息が漏れてしまったのは気のせいだ。
まだ、殺さねば。
「──ズチャ」
足音。血溜まり。
振り向き、駆け、殺す──
「──小娘如き、何故だ」
首筋に宛てがう大斧。流血。
美麗でひ弱そうな、小娘だった。
胸いっぱいに黒く、赤い花を抱えていた。瞳はただ碧く、黄金に靡いた髪が美しい。頭を飾った、誰に送られたかも知らぬ花冠に嫉妬した。
そうしてようやく、屈んでいた彼女と目が合った。
いつ首が飛んでもおかしくないというのに、彼女はただはにかんで笑った。
「……あなた、汚れ塗れね」
ぷくく、と笑って、目を伏せ、口元を手で、覆った。呆気にとられてしまって、しばらく思考が追いつかない。
「……死にたいのか」
ようやく絞り出た声は、ただ低かった。
「死にたくないよ? ……だけど、せめて弔いは忘れちゃだめ。
──貴方が殺してきた跡を、追ってたの。ずーっと、このお花を植えてあげてね」
語る彼女をただ、見つめる。
「すっごく強い魔族さん? もし疲れたのなら、一度退いて、見て欲しいの。私が今まで植えてきた、お花のことを。
貴方が殺した人の事は、私が弔ってあげるから。そうしたら、貴方も後で困らないでしょう?」
大斧を握る力が、緩んだ。首元から大斧が離れる。
「この者共は……俺のせいで、不死になるのか」
震える。余計な苦しみが、この者たちに。
「私がいなかったら、そうなるね。母様が言っていたわ。いつだって、人は誰かに弔われることで、真に死ねるの。
だから、母様が死んだ時、このお花を植えてあげたの」
哀しげに笑った彼女。目線は、遠かった。
そのままゆっくりと腰を下ろして、『お花』を血溜まりに撒いた。
「……ほうら、見てごらん?」
屈んだ視線のまま、上目遣いが俺の胸を突き刺した。
──血溜まりに撒かれ、浮いた黒く、赤い『お花』。溶け落ち、糸のように解れる。やがて血溜まりの底に沈んだ。
「……消えてしまった」
「せっかち。まだ早いよ〜」
屈んだままの彼女の肩が、ウキウキと揺れている。それを見て、俺の中の、何かが弾んだ──
「──ッ、何か生えてきたぞ」
──赤い茎が、歪な棘を無造作に形成しながら、うねった。
血溜まりからは、段々と血が消えていた。足元が晴れる。
「恋心だよ〜、ひゅーひゅー」
「こ、恋心……?」
赤い茎は、歪な形のまま止まった。そうして、先端の蕾が、蠢き始めた。
「な、なんだそれは。恋心とは」
初めて聞いた言葉に、問いただす。
「……」
彼女は何やら、恥ずかしそうに口元を抑えた。
「っ、冗談だよ……」
笑みを零しかけた、細い声が鳴った。
──その瞬間だった。
彼女の持っていた花びらと同じ、しかしそれは。言葉では言い表せない程に──
「──美しい……とは、戦以外であるものだったか」
「……私も好きなんだ、これ。気に入って貰えた?」
「……あぁ」
「へへ、一緒だ。うれしいね」
「うれしい、か。……誰と一緒であることが、幸となるのか?」
「うーん、なんだろう。貴方みたいな怖い魔族さんでも、好きなものがあって、そんな好きなものが私にとって、いちばん身近なものだったから。両想いだね」
──くだらぬ。吐き捨てようとした。
立派に咲き誇った『お花』。
血は枯れ果てていた。
ようやく、俺の通ってきた道を、蹂躙してきた道を、目を細め、眺められた。
このように美しいものが、また幾千と並んでいたのだ。
あの川、あの山、あの谷、あの森。
そのどれもが、黒く、赤かった。
「……すまない」
「謝ることじゃ、ないでしょう?」
我が生涯の得物、大斧が、初めて俺の手から離れて、その無造作な金属音を晒した瞬間が今だった。
──ゴトリ。
何か、大きなものを飲み込んだような音。
俺が、何をしていたのか。
弔いなど、考える暇もなく、ただ、殺していた。
◆ 魔王城、寝室。
「──様! アグランス様!!」
眠たい。しかし、叩き起される前に反応しなければ。開けたくないのに、ゆっくりと目が開いた。
「あと……5分だけぇ〜」
ようやく絞り出した声は弱々しかった。
「言ってる場合ですか!」
視界右端。ベッドの横、腰に両手を当てて頬を膨らませたルミィナが立っていた。
「今日が何の日か分かっていますか?」
「……? なんかの記念日だったっけ?」
「……はぁ、違います」
呆れながら、ルミィナは俺の頬をつねった。
「いたた」
「私の! 領地の! 視察でしょう?」
──ルミィナの喚きを他所に、未だ頭の片隅にある夢に馳せた。それが今日見た夢だったか、記憶の端くれだったか定かではない。
しかし確かに、初めてそれなりの心を手にしたのは、あのような時だった。
──まさか、この後、予想だにしない騒動が起こるだなんて。思うはずもなかった。