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観劇の日、ぼくと莉波は、電車のベンチシートに並んで座り、揺られていた。莉波の使う洗濯用洗剤の芳香が、ふんわり快く漂っていた。
ドレスコードは特になかったけど、ぼくも莉波も、服装が何となくフォーマルに寄っていた。ぼくは、グレーのショートスリーブのシャツとパンプスに、紺色のパンツ。莉波は、制服とは違う白シャツに、ベージュのひざ丈のタイトスカートと、ヒールサンダル。
ぼくたちは電車に乗り、初星学園のある方面より東京の都心まで向かったが、地方出身者であるそれぞれにしてみれば、東京の街は、やはり故郷と比べるとスケールが段違いで、アイドルとして名を成したいという志がある一方で、こういったところで感じるギャップに、自分の垢抜けなさが思い知らされるのだった。
暑さの穏やかになってきた初秋の空の下、東京宝塚劇場の偉容は、際立っていた。一部突き出た上端が尖塔っぽく細くなっており、『TOKYO TAKARADUKA』という箱文字の列が、一角に縦向きに、目立つようにデザインされていた。
劇場では、白い内装と赤いカーペットがまるで宮殿のように絢爛で、ドレスコードが特にないとしても、やっぱり服装はフォーマルであるのが相応しい気がした。
連休の中日ということで、観客の数は多く、ぼくたちは、大きい人の流れのうねりに巻き込まれるようにして、ホールに移動した。二階まであるホールの席の内、いちばんいいかぶりつきの席は、予算の関係で取れず、ぼくたちは、その一つ下位の席だった。視座としては、しかしぜんぜん悪くなく、舞台の模様がよく見えた。
ミュージカルの公演が開始されてからは、ぼくはもう、艶やかに盛装し、優美に舞って歌う演者の演技に釘付けになっていた。演技のためにあえて可愛さや婀娜っぽさを排した女性の凛然たる雄姿は、幼い頃のぼくが憧れたものとほとんど変わっておらず、ぼくは、彼女等の雄々しい様を観ることで、童心に返り、自分の正しい立脚点が、改めてしみじみ理解され、また実感されるようだった。
「かっこいいね」、と莉波がポツリと呟いた。
ぼくは、「うん」、と頷くことでしか返せなかった。胸の内には、たくさんの賛嘆の言葉があったけど、今は興奮と歓喜の内に飲み込んだ。
……。
前より日暮れが早くなった気がした。しばらく雨の日が続いていたので、空模様がよく見えなかったけど、すでに秋は息づいており、残暑や雨などで、気付いていないだけに過ぎなかった。
見上げられる『TOKYO TAKARADUKA』のビルの背景に見える空が、うっすら紫がかっていた。
ぼくと莉波は、劇場の最寄り駅より電車に乗り、寮にはまだ帰らず、寄り道する予定があったので、途中の駅で降りた。
ぼくはスマホのマップを見て歩き回り、少し迷ったが、目的とするファミレスに辿り着いた。オレンジ色の看板の洋風のお店で、街路樹の植わる支道に面していた。
自動ドアより入店したぼくたちは、「いらっしゃいませ」、という女性の声に迎えられた。白のシャツと黒のパンツに前掛けというユニフォーム姿。金色っぽい明色のおさげの髪が特徴の……。
「やぁ、ことね」、とぼく。「この前話した通り、来てみたよ。予約はしてないんだけど」
「あぁ、麻央先輩に、莉波先輩。お席、空いてるんで、ご案内しますよ」
手で空席の方を示すことねの言葉に、莉波は「よろしく」、と微笑んで応えた。
窓際の四人用のテーブルに、ぼくと莉波は正対し、ぼくはゆったりと、莉波は卓上に腕組みして座り、ちょっと待っている内に、ことねがトレーにのせてグラスの水を持ってきた。
「はい、どうぞ」、と彼女は言い、ぼくたちそれぞれの正面にグラスとビニール入りの紙おしぼりを置いた。そしてトレーを両手で抱えるようにし、「今日はお二人でどうしたんです?」、と聞いてきた。
「ミュージカルを観に行ってきたの」、と莉波。
「へぇ、ミュージカル。ひょっとして、宝塚ですか?」
「よく分かったね。当たり」
「麻央先輩に、ちょっとだけ話、聞いてましたから」
ことねはそう言うと、トレーを小脇に挟み、端末を取り出してオーダーを聞いてきた。ぼくと莉波は、メニューを見、それぞれ同じく、ビーフシチューのオムライスを注文した。「かしこまりました」、とことねは言った。
「ねぇ、ことね」、とぼく。
「はい」
「アルバイトもいいけど、たまにはぼくのレッスンに付き合ってくれよ。ダンスが苦手だからさ、きみに手伝って欲しいんだ」
「寮長の頼みとあれば、断るわけにはいきませんね。わたしなんかでよければ」
「わたしも、ことねちゃんのパフォーマンス、参考にしたいなぁ」
「莉波先輩まで?」
ニコニコしている莉波と、ぼくに挟まれて、ことねは観念したようだった。
「分かりましたよ」、とことね。「微力ですが、先輩方のお力になれれば……けどまずは、オーダーの方、キッチンに通してきますね。ではっ」
ことねはペコリとお辞儀し、下がっていった。ぼくと莉波は微笑して見送った。
日がすっかり暮れようとしていた。暗い窓ガラスに、ぼくと莉波と、店の模様が反映していた。車のライトが、道路で行き交っていた。
「楽しかったね」、と莉波が言った。
「うん」、とぼくは頷き、「今日はいっしょに来てくれてありがとう」、と告げた。
すると莉波は、「また行こう」、と言ってくれ、ぼくは「もちろん」、と直感的に答えたが、ぼくたち三年生が初星学園にいる時間は、限られていた。
チャンスはまだいくらだってあるけれど、ぼくたちに残された青春の短さが、早くなった日暮れの哀調と共に、切迫して、また名残惜しく感じられた。
片手で頬杖を突き、ぼくはぼんやりしていた。
「麻央?」
莉波が少しからかうように、呼びかけた。
ぼくは目だけで彼女の方を見た。
「何か考え事してる?」
「いや、日の暮れるのが早くなったなぁ、って思ってさ」
そう返すと、彼女はにっこり笑った。
こうしていると、ぼくはあの日――あの半ば恐ろしい、半ば神々しい入道雲が浮かんでいた八月の終わりのやけに暑い日に、莉波と偶然いっしょになって過ごしたランドリールームでの時間が、自然と思い返された。
そしてぼくは、あの日と同じように、半ば照れ臭く、半ば気詰まりになり、何とはなしに莉波から、目を逸らしてしまうのだった。
(終)