①(完)
***
まだ微かに残暑のある中ごろの秋の、汗ばむほど暑い日和の日の日中に吹く風は、ひどくやわらかで、まさにそよ風という感じだった。
授業もレッスンもないフリーの日、目覚ましをかけずに寝たわたしは、すっかり熟睡し、十時間ほど経って、お昼ごろにようやく目が覚めた。
「んっ……」
布団の中で、わたしは伸びをした。全身にグッと力が入って縮こまり、しばらくして弛緩する。いい心地だった。
「おはよう、手毬。と言っても、もうお昼だけどね」
初星学園の寮の同居人である、Tシャツとホットパンツという出で立ちの花海咲季が、勉強机に付いている。自習でもしているのだろうか。熱心なものだ。
「おはよう咲季。……ことねは?」
そう言って、わたしはキョロキョロし、金髪のおさげが特徴の、後一人の同居人を探す。
「ことねはバイト」、と咲季はサッと答え、わたしの方を見下ろした。「さぁ手毬、起きたのなら、布団をのけてくれる? 掃除がしたいのだけど」
「掃除……」
わたしは、仰向きだったところ、横向きになって瞑目し、咲季に背を向ける恰好になる。
「ちょっと、何で寝込むのよ?」、と咲季。
「だって、気持ちいいから。もうちょっと寝かせて欲しい」
「ハァ」、と彼女は呆れてため息する。「春眠暁を覚えずっていうけど、それは春の話ね。秋の今使うのは相応しくない」
「咲季も寝ればいいじゃん」
「ダメ。わたしはもう布団を畳んじゃったし、それに、長寝は必ずしも体にいいわけじゃないわ。アイドルとして健康管理する上で、睡眠の質は最重要項目」
咲季がそう言った後、わたしは寝返りを打ち、咲季越しに、カーテンの開かれた窓を通して、点々と雲の浮かぶ青空を見た。胸のすくような澄清の青色が、腕利きの職人が塗ったように、均一に見事に空一面に広がっている。
「ずいぶん過ごしやすくなったものだね」
わたしが言うと、咲季も同じように窓の方に、座っている椅子を回して向き、「そうね」、としみじみした声色で同調した。
わたしはおもむろに体を起こし、すると、掛布団がズルリと体より滑り落ちて、わたしは敷布団の上にペタリと座る恰好になった。長寝のためか髪の寝癖がひどく、いつもより毛先がピョンピョン跳ねていた。
「起きるの?」、と咲季がわたしの方を振り向いて言う。
「うん」、とわたし。「わたしも部屋の掃除するよ。でもその前に、朝ごはん食べたい」
「もうブランチって感じの時間だけどね。たしか、ことねの作ったきんぴらごぼうが、ラウンジの冷蔵庫に残ってたと思うわ。ご飯と味噌汁と合わせて食べてきたら?」
「そうする」
わたしはそう言って立ち上がり、布団の後片付けを始めた。
「あなた、その寝癖はちょっと直していった方がいいんじゃない?」
「休日だから、別にいいでしょ。後で直す」
わたしは部屋の端に、折り畳んだ布団を寄せ、上に枕を置き、しわしわの布団と、快晴の空とを見比べた。
「掃除のついでに、お布団も干したいな」、とわたし。
「それはナイスアイデアね」、と咲季。「掃除のついでにやっちゃおうかしら」
わたしと咲季は、部屋の掃除と共に布団の天日干しをすると口約束し、とりあえずわたしは、オールドブルーのパジャマから、トレーナーとジャージという恰好に着替え、咲季に行ってくると挨拶して、寮の部屋を出た。
……。
わたしが部屋を出、廊下を行くと、程なくして二つの人影に出くわした。紫雲清夏と、葛城リーリヤ。リーリヤは、日本人とスウェーデン人のハーフだ。
清夏は「おっ、手毬っちじゃん。おはよー」、と、手をサッと上げてカジュアルに、リーリヤは、「おはようございます」、とどこかうやうやしく、また丁寧に会釈を添えて、挨拶した。
彼女等はわたしと同じ寮の棟の住人で、部屋が隣同士だった。清夏は肩出しのトップスにジーンズ、リーリヤはパーカーとロングスカートという出で立ちだった。
「手毬っち、ひょっとして寝起きー? もうお昼なのに」
わたしは清夏に図星を突かれ、ちょっとドキッとした。
「何で分かるの?」
「だって手毬ちゃん。寝癖がキツいし、それに、服装がゆったりしてるから」
わたしは、今更ながら、咲季に勧められたように、寝癖くらい直してくればよかったと悔やまれた。
「今から食事に行くんだ。ちょっと遅いけどさ。ラウンジ、空いてた?」
「んー、空いてたと思うよ。特に誰も見なかったし、ねぇ、リーリヤ?」
顎を持って思い出すように斜め上を見る清夏に、リーリヤは「うん」、と首肯した。
「それより、いい天気だよ。手毬ちゃん」
「そうだね」、とわたし。「咲季といっしょに、後で部屋の掃除をする予定。ちょっとうるさいかも知れないけど、ごめんね」
「あぁ、そうなんだ」、と清夏。「全然いいよ。うちらこの後、お出かけするから。思うようにやってよ」
聞くと、清夏とリーリヤは、午後は街の方に行って、ゲーセンやらアニメショップやら、遊歴するらしい。何とも楽しそうで、わたしは羨ましかった。
じゃあね、と清夏とリーリヤが笑顔で手を振り、わたしと彼女等は別れた。
一人になったわたしは、廊下の窓にうっすら映り込む自分の像を見て、手だけでサッと寝癖を直し、気休め程度だが、応急処置だけ施して、廊下をまた行き、共用棟の一階にあるラウンジへと向かった。
……。
テーブル席やソファ席や、カウンター席のあるラウンジには、お昼前という中途半端な時間であるためか、ひと気はなく、そのひっそりした雰囲気は、わたしにとって、安らげるようであり、またいささか物寂しかった。
冷凍庫に、タッパー入りの白ご飯があり、引き出しにはインスタントの味噌汁があった。わたしはまず、白ご飯を電子レンジで温め、次に、味噌汁をお椀に入れてポットでお湯を注ぐと、ひとまず自分の座るスペースに持っていった。天気がいいので、窓に面したカウンター席に座ることにした。
電子レンジが凍ったご飯を五分ほど加熱している間に、わたしは、冷蔵庫を開けて中を確かめた。よく言えば整理された、悪く言えばスカスカの庫内には、お皿に盛られたきんぴらごぼうが、ラップのかかった状態で置かれており、それがことねのお手製のものらしく、わたしは手に取ったが、そのタイミングで、「まぁ」、と驚いたような声がふと聞こえた。
「まりちゃんですか?」
「その声は……」
わたしは首だけで振り返ったが、一人の女子が、ひと気のなかったはずのラウンジにおり、彼女は今来たようだった。
「美鈴……」
うなじまでのミドルヘアーに、白いキク科の花の和風の髪飾りを付けている、白いワンピースにグレーのセーターという出で立ちの彼女は、泰谷美鈴だった。
美鈴は、わたしにとってあまり積極的に会いたくない人物だったが、別に忌避しているわけではなかった。ただ、過去にあったいざこざのために、ちょっと気まずいというだけで……。
電子レンジのピーという加熱の終わりを知らせる音が、どこか滑稽に、無神経に、ラウンジに響いた。
……。
「いい天気ですね、まりちゃん。絶交のお昼寝日和です」
隣席に座る美鈴が、淹れたての紅茶のカップを片手に、にこやかに述べる。
「そうだね」、とわたし。ごはんが熱々の一方で、早く作ったインスタントの味噌汁は、少し冷めてしまっていた。
「ずいぶん長寝したんですね。その寝癖を見れば、一目瞭然ですよ」
そう言って美鈴はわたしのはねた毛先に触れ、わたしはビクッとして反射的に体を避難させ、思わず咳き込んでしまった。
「ちょっと、触んないでよ!」、とわたしは紅潮して声高に返す。
「まぁ、驚かせてしまいましたか」、と美鈴は、対照的に、余裕綽々の様子で微笑する。
「もう……」
わたしは膨れて、きんぴらごぼうを箸でつまんで食べた。ことねの作ったそれは、程よく甘辛く、ゴボウがシャキシャキしていて、おいしかった。
その後しばらく、美鈴はわたしに、気遣いからか、話しかけようとせず、黙々と紅茶を飲み、沈黙の中で、わたしは何だか照れ臭いし、バツが悪かったけど、淡々と遅い朝食を食べた。わたしが味噌汁を飲む時ズルズル言わせる一方で、美鈴が紅茶を飲む時は、所作が上品であるためか、ほとんど無音で、聞こえる音と言えば、カップがテーブルの上に置かれる時のものくらいだった。
「本当にいいお天気ですね」、と、カップを手で包み込むように持っている美鈴は、まっすぐに窓の外の風景を見つめ、しんみり述べた。
わたしはすでに食事を終え、グラスのお茶を飲んで一服しているところだった。わたしも、窓の外に広がる、秋のサラリとした手触りの空気と、澄んだ光彩に彩られた風景に、自然と目が奪われた。
「どうですか、まりちゃん。この後いっしょにお昼寝しませんか?」
「いいね。だけどごめん。この後わたし、部屋の掃除をしないといけないから」
「まぁ、そうだったのですね。では、わたし一人で楽しませていただくとしましょうか」
「そうしてよ」
「まりちゃん、ちょっと耳を貸してくれますか」
「耳? 別にいいけど……って、美鈴!?」
わたしが聞き入れて少し肩を寄せると、美鈴が同じ仕草で肩を寄せ、ピトッとくっつけてきた。
「ハァ」、と美鈴はどこか陶然として嘆息する。「まりちゃんは程よくやわっこくって、ちょうどいい枕になります。枕がある方が、お昼寝が気持ちいいでしょう」
「……ッ!」
わたしはサッと肩を離し、けれど、美鈴はクスクス笑うばかりで、わたしはからかわれて怫然としたが、このやり取りが何だか懐かしく感じられ、美鈴にぶつけたいと思って浮かんできた責めの文句は、全てシュンとしぼんでしまった。
不思議と、今のわたしは、優しく寛容になれた。この天気の快さのお陰だろうか?
後には、咲季との部屋の掃除が待ち受けている。その時についでにする予定の布団の天日干しについて想像を巡らし、物干し竿にかかる布団の様を思い浮かべると、清々しい気分になった。
ご馳走様、とわたしは言い、使用した食器を片付けるために立ち上がったが、美鈴はすでに、両手をお腹の辺で組み、少し体を傾け、うつらうつらしていた。
わたしは自然と頬が緩み、美鈴が起きないように用心して静かに動き、美鈴の飲み干した紅茶のカップまで片付けると、「じゃあね、美鈴」、とささやくように残し、ラウンジを後にしたのだった。
***(終)***