「この時、先ほど判明したαxの数値を代入するとβyのうちyが15>y>0となり──」
静かな教室に数学教師の声が響く。
雨が振っていた昨日とうって変わって今日はカンカン照りの晴天だった。
俺は昨日のことを思い出す。
あの後、胸元に魔王の結晶が埋め込まれた経緯と闇魔法について洗いざらい話し、ルルンの手で光の魔力を抜き出して彼女に吸収させた俺は、2人に協力を申し出た。
結晶に魔王が封印されてると知れば、それはそれで対応が必要であり、
また、闇魔法を多少使えるうえ、自由な時間と金が有り余ってる俺は使い道が多いと考えてのことだった。
(へへへっ、もちろんちょっとは下心もあるけどね)
星野紡という少女は可愛い子であった。
善意の気持ちから助けたいという思いはもちろんだが、それはそれとしてお近づきできるなら近づきたいという思いは十二分に存在した。
(……身体が消える、か)
定期的に光の魔力を補給しなければ身体が消えてしまう少女、星野紡。
魔王の結晶を見つけるのはいいが、その結晶は当然有限だ。
今は問題ないが結晶がすべて出揃い、光の魔力が手にはいらなくなった場合はどうするのか。
根本的な解決方法、これについては昨日何も聞けていない。
身体を人間のものに戻す?別のエネルギー源に適応する?魔法の力で何とかするのか?
というか、まず、
根本的な「解決方法」など存在するのだろうか?
(どうしたもんかねぇ〜?)
一度協力を申し出た以上、良い男は約束を違えず、全力を尽くすという責任を人一倍感じて生きてきた。
(まぁ専門家でもねぇし一人で考えたって意味ねぇや。
放課後に2人と考えよう)
思考をきり上げて授業に集中する。
良い男はどんな時でもすべき事を忘れないのだった。
「ほんほんほ〜ん」
鼻歌交じりに軽快なスキップ。
ホームルームが終わり放課後、昨日同様に友人連中へ断りを入れて校門へ向かう。
昨日公園で別れる際に、今日は一緒に帰ろうと星野さんとルルンの2人には伝えていたのだ。
教室を出て階段を下り、下駄箱を抜けて校門が近づいてくると、星野が立っているのが見える。
ルルンもまたふよふよと彼女の右肩上がりで浮いていた。
「よ〜う、待たせちゃったかな?」
おちゃらけたように右手を上げて星野に近づくが、思わず動きが固まる。
声に反応して振り向いた彼女の顔は、今にも泣きそうに歪められていたのだ。
「蛇森くん……?」
「おん?」
「!? 蛇森くん!」
ダキッ
「うおっと、急に危ないぜ?」
「う……ぐすっ……、ひっく……ぅ……」
「おいおい、どうしちゃったんだよ、可愛い顔が台無しだぜ?」
急に抱きついてきた星野が泣き止む様子はない。
彼女の後ろにいるルルンに目配せするも、そちらも悲しげな顔でうつむき、何も言えないでいた。
俺もまた、どうしたものかと思いながら、胸元に顔を埋め泣く彼女の背中をさすり続けた。
「おいおい蛇森〜!女の子泣かしてんのか〜?」
「相変わらず女性トラブルが尽きねぇなお前はよ〜」
そんな時に友人2人が声をかけてくる。
からかう様な声で茶化しているが、か心配もしている口ぶりの気の良い2人だった。
「いや俺もちょっとよくわからないんだけどね。星野さんと一緒に帰る予定で待ち合わせてたんだけど、会ったら急にこれでさ」
「へぇ〜……」
説明を受け、友人2人が覗くように彼女の視線を向ける。
視線に気づいたのか、彼女もまた顔をあげ、2人に視線を合わせる。
しかし、彼女の顔を見た2人はどこか訝しむように口を開いた。
「星野さんって言ったっけ?初めましてだよな?」
「同級生じゃないよな、後輩か?また可愛い子を見つけたもんだな〜」
「……は?」
前述の通り、星野紡は可愛い少女である。
隣のクラスの優等生でそこそこ知名度のある女の子である。
この2人との会話でも、何度か話題が出ることもある。
それほどには話題性の高い同級生である。
2人が星野紡を知らないはずがないのだ。
「……なーに言ってんだよ、星野さんは隣のクラスだぜ?」
「え?マジ?」
「あれ〜?こんな可愛い子隣のクラスにいたっけか?お前知ってた?」
「いや〜……もしや転校生、とか?」
「こりゃ〜……困ったことになったな」
トポトポトポ
沸かしたポットで熱々のコーヒーを入れる。
カップは3つ。
あの後も星野は俺から離れようとはしなかった。俺もまた話のできない状況で置いていくことはせず、ルルンと一緒に自宅へと連れ込んだのだった。
「お待たせ〜!コーヒー淹れてきたぜ!」
「……ありがとう」
「へへへっ、ミルクと砂糖はそこにあるから好きなだけいれてな」
泣き止みはしたものの顔色の優れない彼女とルルンを横目に、俺はコーヒーへ粉末ミルクと砂糖をティースプーン2杯ずつ入れてかき混ぜる。
俺の手元でカチャカチャと奏でられる、カップとティースプーンが触れる小気味良い音を聞き、彼女はゆっくりとコーヒーカップを手に取ると、ブラックのままのそれを口に着けた。
「……あ、美味しい」
「お、そうだろそうだろ!なんてったって俺オススメのブルーマウンテンだからね!」
大袈裟に語りながらも言葉尻に「インスタントだけど」と小さく付け加えた俺に、彼女はやっと顔を綻ばせ小さく笑った。
それがなんだか嬉しく、俺もまた少し口角を上げて笑った。
終始暗かった雰囲気の3人に、本日初めて微笑ましい空気感が漂う。
それに満足するように俺はコーヒーに口をつけて一息つき、少しして口を開く。
「それで、さっきのはどういうことなんだい?」
単刀直入に呼び止めだした言葉に2人は少し臆するも、ルルンが答えた。
「多分……身体だけじゃなくて、存在そのものが消えるみたいだルン……」
「存在そのものが?」
「ルン」
俺はコーヒーカップをテーブルに置き、眉をひそめる。
「つまり、身体が透けて消えるだけじゃなくて……周囲の人間から『星野紡』っていう人間に関する記憶や認知そのものが消えていってるってことか?」
「……ルン」
ルルンが重々しく首を縦に振る。
星野は膝の上でぎゅっと拳を握りしめ、消え入りそうな声で言葉を紡いだ。
「今日の昼休みくらいから……急にクラスのみんなの様子がおかしくなって。『あなた誰?』って……。担任の先生すら、出席番号の私の名前を飛ばして呼んだの……」
声が震えている。
自分の席があり、机があり、つい今朝まで普通に会話していたはずのクラスメイトたちが、突然自分を「見知らぬ生徒」や「存在しない誰か」として扱い始めた時の恐怖。
それは肉体が消えること以上に、魂を削られるような絶望だったはずだ。
「私……ずっと怖かった。放課後に蛇森くんを待ってた時だって、……もし、蛇森くんの記憶からまで私がいなくなってたら……って、私もうこの世界にどこにもいなくなっちゃうんじゃないかって……」
なるほど、だからあの時あんな風に抱きついてきたのか。
俺が2人に声をかけた瞬間、彼女がどれほど救われたかを思うと、少し胸の奥が痛む。
「なるほどねぇ……。さっきの俺のダチ二人も、本気で星野さんを忘れてたってわけだ」
「多分、ルルンたちの故郷である光輝世界が消滅してしまったことが原因だルン……」
ルルンが耳を力なく垂らし、悔しそうに告白した。
「紡は光輝世界の住人であるルルンと魂を繋げたことで妖精と同じようになったから、光輝世界の消滅で人間性界での存在バランスが決定的に崩れちゃったんだルン……。魔力が底をつくと身体が維持できなくなるだけじゃなくて、世界全体の記憶からも紡の存在が消滅されちゃうんだと思うルン」
「ほーん、なるほどねぇ……よくわかんねぇなぁ」
正直世界のバランスだの言われてもよくわからん。
ルルンも多分だとか思うというように言っている以上、憶測が十二分に含まれているだろうことも感じる。
とはいえ事実としてなっている以上はそういうものだという前提で考えるしかないのだ。
しかし、ふと疑問が浮かんで腕を組んだ。
「でも待てよ、ルルン。一つおかしなことがあるぜ」
「ルン……?」
「なんで俺だけは、星野さんのことも、ルルンのこともハッキリ覚えてて、姿も見えてるんだ? 世界のバランスだかなんだかで全員の記憶が消えるなら、俺も忘れてなきゃおかしいんじゃないかい?」
「ルン……それは……やっぱり、蛇森の胸にある魔王の結晶と闇の魔力のせいだと思うルン。
蛇森はちょっとした闇魔法を使えるくらいには、身体に闇の魔力を宿しているから、きっとそれが原因だルン!」
「ほーん」
ルルンが俺の胸元をじっと見つめながら言った。
「その結晶は魔王が封印されていて、この世界の理すら歪める強大な闇の魔力を秘めてるルン。その魔力が蛇森を包んでいるおかげで、結果的に『世界の記憶消失』の影響を受けてないのかもしれないルン」
「なるほどね〜……全ての元凶な割に、こんなとこは魔王様々ってわけかい」
俺は胸元をぽんと叩いてニヒルに笑ってみせた。
だが、思考は冷たく冴え渡っていく。
つまり問題は二つ。
一つ目は、光の魔力を補給し続けなければ星野の身体が消滅すること。
二つ目は、何もしなくても周囲の記憶から彼女が消えていっていること。
「なあ、ルルン。星野さんの抱えた問題の根本的な解決方法はあるのか?」
俺は心苦しく先延ばしにしていた事を問いかける。星野さんも縋るような目線でルルンを見つめた。
しかしルルンは小さく息を吸い込むと、うつむきながら答えた。
「身体の消失は人間世界に散らばった『魔王の結晶』を集めることで一時的に留めることが出来るルン!。……でも記憶の方は、何もわからないルン……。」
部屋に再度、重苦しい空気が流れる。
一度失われた記憶が戻るのか、それともこのまま世界から『星野紡』という存在の足跡が永遠に消えてしまうのか。ルルンにも、そして当事者である星野にも、その答えはわからない。
星野は膝の上でぎゅっと握りしめた手にぽたぽたと涙をこぼし、小さく肩を震わせていた。
「……っ、私……やっぱり、このまま誰からも忘れられて……」
消え入りそうな泣き声が響く。
──俺はこういうのに弱いんだよなぁ。
俺は残りのコーヒーを静かに飲み干すと、カップをテーブルに叩くようにして置いた。
「俺がいるぜ」
「……え?」
拍子抜けしたような俺の声に、星野とルルンが同時に顔を上げる。
俺はソファから立ち上がると、目の前で泣きじゃくる少女の前で腰を落とし、目線を合わせた。毒蛇のように鋭く、けれどとびきり優しく笑ってみせる。
「いいかい、星野さん。世界中の奴らが忘れっちまっても……俺っていう例外がいるのを覚えてな!星野さんの名前も!顔も!可愛い声だって!ぜ~んぶバッチリ覚えてるぜ!」
「蛇森……くん……」
「たった一人にしか覚えててもらえないなんて寂しいかもしれないが……へへへっ、世界で唯一星野さんを覚えてるのがこの俺なら、ちょっとは慰めにならねぇかな?」
「ふ……ふふっ、なに言ってるんですか、こんな時に……っ」
「へへへっ」
俺のおちゃらけた言葉に、星野は涙を拭いながら、呆れたように小さく笑った。
重苦しかった部屋の空気が、少しだけ和らぐ。俺は胸元を指先でトントンと叩きながら、ニッと口角を上げた。
「それにさ、結晶を集めりゃ身体の方は消えないんだろ? だったらひとまずそれで十分さ。記憶の戻し方の方はあとでゆっくり考えようぜ」
「……うん……! ありがとう、蛇森くん……っ!」
星野の瞳に、確かな希望の光が戻った。
ルルンも「ルン!」と気合を入れるように宙を舞う。
そうとも、まだ時間は残ってる。
悲しみを晴らすには時間がいる。今は焦らずゆっくり休むべきだ。
いい雰囲気にまとまった——そう思った、まさにその瞬間だった。
キィイーーン……!
(——ッ!?)
背筋を冷たい氷で撫でられたような、異常なまでの悪寒。
脳裏に警報が鳴り響く。
何よりも胸の結晶から何かが伝わってくる。
思考よりも早く、俺の身体が動いた。
「伏せろッ!!」
「キャッ!?」
「ルン!?」
叫ぶと同時に、俺は星野の肩を抱き寄せ、ルルンごと彼女をソファの陰へと押し倒すようにかばい込んだ。
バリィインッ!!!
直後、雷鳴のような轟音とともにリビングの窓ガラスが豪快に粉砕された。
鋭利なガラス片が弾丸のごとく室内へ撒き散らされる。
飛び込んできたのは、人の形を歪めたような凶悪な異形——翼を持ち、黒い霧のような影を纏った、人型の獣だった。
鋭い鉤爪が、先ほどまで星野が座っていたソファの背もたれを容易く八つ裂きにする。
「!?」
「魔王の配下だルン!?」
再度相手を見据え震える。
直撃していれば星野の身が危なかった一撃。
妙な予感から瞬時に動き、二人を完全に自らの体下に覆い隠したことで防ぎ切っていた。
しかし飛び散るガラスの破片が俺の背中や手足、頬をかすめ、鮮血が流れる。
背中で庇った星野が、俺の服の裾を震える手でぎゅっと握りしめていた。
「大丈夫か、二人とも」
「ルン!」
「は、はい! でも蛇森くん!血がっ!」
「へへへっ、これは男の勲章さ」
俺は冷え切った眼光で、窓際で唸り声を上げる黒い獣を睨みつけた。
胸の奥で、埋め込まれた『魔王の結晶』がドクンと熱く拍動し、黒い闇の魔力が俺の全身を駆け巡るのがわかる。
そんな時、獣が星野さんとルルンを見つけ口を開く。
「妖精ノ生キ残リト、繋ガッタ女」
そして視線を二人の前にいる俺に移し笑った。
「感ジルゾ……キサマ魔王様ノ結晶ヲ持ッテイルナ!」
不快に響く掠れた声。翼を広げた黒い影が、飢えた肉食獣のようにギラついた眼光を俺たちに向けた。
「魔王様ノ結晶ト、生キ残リ……双方纏メテ喰ライ尽くシテクレル!」
直後、空気を切り裂く突風。
人型の獣が翼を激しく羽ばたかせ、狭いリビングの天井をかすめながら、鋭い鉤爪を一直線に俺たちへ突進させてきた。
(まずっ!速っ──! )
相手の動きを見て再度彼女を庇おうとした、まさにその瞬間、
「大丈夫っ……もう、逃げない……っ!」
凛とした声が響いた。
恐怖に震えていたはずの星野さんが、俺の制止を振り切って一歩前へ踏み出す。
彼女が差し出した右手に眩い光が収束し、それは瞬時に『魔法の杖』へと姿を変えた。
ギィィンッ!!
「グオッ!?」
獣の鋭い鉤爪と、星野さんの掲げた魔法の杖が正面から激突する。
重い衝撃波が室内に吹き荒れ、ガラス片が舞い散る中、彼女は気迫の込もった瞳で怪物を見据え、一気に杖を振り払って爪を力任せに弾き返した。
「紡! !」
「うん! ルルン、私に力を貸して!」
弾き飛んだ獣が体勢を整える間もなく、ルルンが光の粒子となって星野の胸元へと飛び込んでいく。
次の瞬間、リビング全体を銀色のまばゆい光が包み込んだ。
「光の魔法!消えぬ希望のルミナス・チャージ!」
光の渦の中で、星野の制服が光の魔法衣へと変化していく。
透けかけていた彼女の身体は、溢れんばかりの純粋な光の魔力を身に纏い、その光は繊細なコスチュームへと変貌した。
光が収まり、ふわりと床に着地した彼女は、見違えるような凛々しい佇まいで杖を構え、鮮やかに名乗りを上げる。
「光輝の守護者、魔法少女ルミナスツムギ! ただいま参上です!」
ビシッとポーズを決める彼女の姿は、どこからどう見てもテレビで見るような魔法少女そのものだった。
「…………は?……これマジ?」
さっきまで俺の服の裾を掴んで泣きじゃくっていた隣のクラスの優等生。
そのあまりにも劇的な変身劇と、堂々とした名乗りを目の当たりにして、俺は開いた口が塞がらないまま、唖然と立ち尽くすことしかできなかった。
アニメとか漫画ならここで1話終了って感じになりそうだと書いてて思いました。
流石に次の投稿は2〜3日空くと思います。