ダンジョンに鬼がいたらそうなる件   作:マイナーチョコ

101 / 109
第74話:景品にされたヒモ

 

 

黄昏館の奥に広がる巨大な中庭——ロキ・ファミリアが誇る広大な野外訓練広場は、夜の帳が下りる中、魔石灯の柔らかな光に照らし出されていた。

 

オラリオでも一、二を争うほどの敷地面積を持つその広場は、数多の冒険者たちが同時に訓練を行えるよう、堅牢な石畳と土のグラウンドが整備され、随所に魔法の耐久テスト用の標的や、各種武器の整備用ラックが整然と並べられていた。

フレイヤ・ファミリアの本拠地である『戦野の館(フォールクヴァングル)』にも同等の規模の訓練場はあるが、あちらが血気盛んな武人たちが互いを叩き潰し合う闘技場のような殺伐とした空気に満ちているのに対し、こちらはどこかシステマチックで、洗練された「軍隊の練兵場」という趣きが強い。

 

案内されたフレイヤは、周囲をゆっくりと見渡し、拍子抜けしたように小さく息を吐いた。

 

「あら。外観や応接間の成金趣味な豪華さからすれば、ここは意外と『普通』なのね。もっと黄金の像でも建っているのかと思ったわ」

 

強がりのように放たれた美の女神の皮肉。

しかし、その言葉が落ちるか落ちないかのタイミングで、広場の空気が一変した。

 

「お待ちしておりました」

 

静かで、しかし決して聞き逃すことのない澄んだ声。

いつの間にか——本当に、ほんの一瞬の瞬きすらない間に——広場の一角に、純白のクロスが敷かれた野外用の豪奢なテーブルセットが展開されていた。

そこに立つのは、一糸乱れぬ完璧な所作でティーセットを整えるメイド服の女性、ヴァレッタである。

 

彼女は音もなくフレイヤとマヤの前に歩み寄ると、最高級の茶葉の香りが立ち上るアンティークのカップを、ふわりとテーブルに置いた。

添えられた銀のトレイには、美しい層を成した一口サイズのケーキが宝石のように並んでいる。戦うための広場で、まるで宮廷のティータイムのような光景が当たり前のように作り出される。

 

「どうぞ。夜風が冷えてまいりましたので、温かい紅茶を淹れさせていただきました」

 

ヴァレッタは一礼すると、再び音もなく後ろへ下がった。

今は一人の男のための完璧なメイドとして、どんな場所であろうと一瞬で極上のティータイムを現出させる。

それがこのロキ・ファミリアの、いや、マヤという男の日常であり、お約束だった。

 

「…………」

 

フレイヤは何も言えず、湯気を立てる紅茶を見つめた。

ただの訓練場ですら、彼らは一瞬にしてこれだけの豊かさと余裕を見せつけてくる。圧倒的なまでの『格差』が、再び彼女のプライドを静かに削り取っていく。

 

そんなフレイヤの複雑な内心など知る由もなく、マヤは広場の中央で、己の出番に緊張して身を硬くしている小人族(パルム)の少女——リリルカ・アーデの前に立った。

彼女の背丈はマヤの腰ほどしかない。しかし、その小さな手には、先ほどフィンから渡された立派な長槍がしっかりと握られていた。

 

マヤは腕を組み、リリの大きな瞳を真っ直ぐに見下ろした。

 

「リリ」

「は、はい! マヤ様!」

 

マヤの低い声に、リリの背筋がさらにピンと伸びる。

 

「俺の教え子の中で、一番弟子はアイズだ。アイズには俺の剣術や戦いの基礎、考え方を徹底的に叩き込んだ。だがな——」

 

マヤは少しだけ口元を緩め、声のトーンを優しくした。

 

「俺の力の一端……『忍(くのいち)』としての絶対的な隠密技術と、暗器の極意。それを完全に教え込んだのは、お前だけだ」

 

「……っ」

リリの肩が、ビクッと跳ねた。

 

「お前は何年も、あの地獄のような過酷な訓練によく耐え抜いた。そして、お前にしかできない強みを勝ち取ったんだ」

 

マヤの大きな手が、リリの栗色の髪をポンと撫でる。

路地裏でソーマ・ファミリアの闇から救い出されたあの日から、リリにとってマヤは神様以上の存在だった。どんなに辛い修練も、彼が隣にいてくれるなら耐えられた。彼のために強くなりたかった。

 

「……今日は、そのお前だけの力に、さらに『パルゥムの象徴』を混ぜるんだ。いいな?」

 

マヤの視線が、リリの握る槍へと向けられる。

小人族の英雄『フィアナの系譜』。その才覚を、今日ここで完全に開花させろという、絶対的な信頼と期待の言葉。

 

「あ……ぅ……」

 

リリの大きな瞳から、大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちた。

自分がマヤにとって、アイズとは違うベクトルで『唯一無二の技術の継承者』であると、はっきりと認められた歓喜。そして、これほどの舞台で自分を信じて送り出してくれる彼への、限界を超えた忠誠心。

 

「っ、ありがとうございます、マヤ様……! リリは、リリは絶対に、マヤ様のご期待に応えてみせますっ!」

 

リリは槍を抱きしめるようにして、顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくった。

その光景は、ロキ・ファミリアの面々からすれば、マヤとリリの深い絆を示す胸の熱くなる名シーンであった。

 

だが、その事情を全く知らない部外者であるフレイヤとオッタルからすれば、それはただの異様な光景でしかない。

 

「……ふん」

 

オッタルは鼻を鳴らし、侮蔑の眼差しで泣いている小人の少女を見下ろした。

 

「戦いを前にして、恐怖で泣き出すとは。あの男も、怯える小人を慰めるのに必死なようだな。滑稽の極みだ」

 

オッタルの中で、リリの涙は完全に『自称オラリオ最強である自分を前にして、恐怖のあまり泣き叫んでいる』という都合の良い解釈に変換されていた。

彼にとって、自分以外の者はすべて格下であり、ましてや体格で圧倒的に劣るパルムが、自分を前にして怯えないはずがないのだと。

 

そんなオッタルの嘲笑を耳ざとく拾ったマヤは、リリの頭を撫でる手を止め、ゆっくりと振り向いた。

その深紅の瞳には、一切の熱がない、冷酷な光が宿っていた。

 

「おい、オッタル」

 

マヤはスタスタとオッタルの前まで歩み寄り、巨漢の武人を見上げてニヤリと不敵に笑った。

 

「ずいぶんと余裕そうじゃないか。……フレイヤ」

 

マヤは視線を横にずらし、ティーカップを手にしたままのマヤの言葉を待つ美の女神に声をかけた。

 

「模擬戦の前に、少し条件を足そう。……もし、万が一でもオッタルがこの勝負に勝ったら、俺を好きにいじっていいぞ。あんたのファミリアに俺を買い取るなり、慰み者にするなり、好きにしろ」

 

「え……っ」

フレイヤの銀色の瞳が、驚愕に見開かれた。

 

その言葉は、フレイヤにとって願ってもない提案だった。

資金難と武力の限界を突きつけられ、完全に詰んでいた交渉。しかし、もしこの模擬戦でオッタルが勝てば、すべてをひっくり返してマヤを手に入れることができる。

 

だが、フレイヤが返事をするより早く、中庭の端から凄まじい怒声が響き渡った。

 

「どあほうがァァァァッ!!!」

 

ドガァッ!! という鈍い音と共に、マヤの後頭部にロキの強烈な飛び蹴りが炸裂した。

 

「いってぇ!! なにすんだロキ!」

「何すんだやあるかアホォ!! なんでお前が勝手に景品になんねん!! 万が一リリが負けたらどうすんねん! ウチの旦那を他の女の慰み者にする気か!!」

 

ロキはマヤの首を背後からガッチリとホールドし、ギリギリと締め上げる。

 

「いや、絶対負けねぇから言ったんだよ! 痛い痛い、ギブ、ギブ!!」

「いくらリリでも、相手は一応レベル6の猪だぞ、マヤ。万が一ということもある。軽率な賭けは感心しないな」

フィンが呆れたようにため息をつき、リヴェリアも「まったく、お前は昔から時折そういう無茶な条件を吹っ掛ける癖がある」と頭を押さえている。

ガレスは「わははは! まあええわい、マヤが絶対の自信を持っとる証拠じゃろ」と豪快に笑っていた。

 

幹部たちに総ツッコミを受けながらも、マヤはロキのホールドからなんとか抜け出し、乱れた襟元を直した。

 

「ま、そういうことだ。オッタルが勝てば俺をくれてやる。……だがな」

 

マヤは再びオッタルへと向き直り、あからさまに馬鹿にするような視線を向けた。

 

「おいオッタル。お前ら、ずっと『塩パンと薄いスープ』しか食ってないんだろ? 聞いてるこっちが涙ぐましくなるような貧乏暮らしだ」

 

「なっ……貴様、なぜそのことを……!」

オッタルの顔色が変わる。ファミリアの極秘事項であるはずの台所事情が、なぜ敵対派閥の幹部に筒抜けになっているのか。

 

「そんな腹ペコ状態で戦って、もし負けたら『力が出なかった』なんて言い訳されちゃたまらねぇからな。少し飯でも食ってからやるか?」

マヤは顎をしゃくり、挑発的に言い放った。

「お前が万全の状態で負けないと、フレイヤも納得しないだろうしな」

 

「……っ」

オッタルの全身から、尋常ではない怒気と殺気が立ち昇る。

誇り高き武神の眷族である自分を、ただの空腹の猪扱いし、さらに食事まで恵んでやろうというのか。これ以上の屈辱はない。

 

「……ふん。小人が恐怖で泣き止むまでの時間稼ぎか! いいだろう。そのふざけた余裕がいつまで続くか、見せてみろ」

オッタルはギリッと奥歯を鳴らし、マヤの提案を承諾した。食事などどうでもいい。ただ、この男の余裕を完膚なきまでに叩き潰すためだけに。

 

「よし、決まりだな」

マヤはパンッと手を叩き、背後を振り返った。

「ヴァレッタ、頼む」

 

「はい。すでに用意してあります」

 

ヴァレッタの返事と共に、訓練場の脇にしつらえられた巨大な長テーブルに、次々と銀のドームカバーが被せられた大皿が運ばれてきた。

カバーが開けられると、そこには立ち昇る湯気と共に、オラリオの高級レストランでも滅多にお目にかかれないような極上の肉料理の数々が姿を現した。

香草で焼き上げられた巨大なリブロース、特製のグレービーソースがかけられた厚切りのステーキ、彩り豊かな温野菜の盛り合わせ、そして焼き立てのパンと芳醇なワイン。

 

塩パンと具のないスープで飢えを凌いできたオッタルの胃袋に、その暴力的なまでの香りが容赦なく襲いかかる。

オッタルは武人としての矜持を保とうと必死に顔を引きつらせていたが、彼の巨大な胃袋は正直だった。「きゅるるるるっ……」と、訓練場に響き渡るほどの豪快な腹の虫が鳴ってしまったのである。

 

「……くっ」

オッタルは屈辱で顔を真っ赤にしながら、用意された席にドカッと座り、無言で肉の塊にフォークを突き立てた。

 

***

 

かくして、オラリオ最大の派閥の訓練場において、両陣営が入り乱れての謎の「食事休憩」が始まった。

 

「まったく……緊張感のないことこの上ないわね」

フレイヤはヴァレッタに淹れ直してもらった紅茶を優雅に飲みながら、モグモグと肉を頬張るオッタルを冷めた目で見つめている。

 

一方、ロキ・ファミリアの面々も、用意された食事を当然のようにつまみ始めていた。

 

「あむっ……うん、美味しい」

 

アイズ・ヴァレンシュタインは、口の周りに少しソースをつけながら、極上のステーキを堪能していた。

彼女はフォークに刺した肉片を咀嚼しながら、隣の席で必死に肉を胃に詰め込んでいるオッタルへ、ジトッとした冷ややかな視線を向けた。

 

アイズにとって、リリは大切な後輩である。

自分が一番弟子としてマヤの過酷な教育を受け、その後、リリが七歳の頃からマヤの元で血の滲むような隠密と暗器の修行に耐え抜いてきた姿を、アイズはずっと間近で見てきた。

時に先輩風を吹かせて甘やかしたり、時に厳しく指導したりと、彼女なりにリリの成長を誰よりも認めている自負がある。

 

だからこそ、自分の可愛い後輩を「恐怖で泣いている小人」と見下したこの巨大な猪が、アイズは無性に腹立たしかった。

 

「……オッタル」

 

アイズはもぐもぐと口を動かしながら、無機質な声でオッタルに話しかけた。

 

「ちゃんと、いっぱい食べておかないとダメですよ」

 

「……何?」

オッタルが不機嫌そうにアイズを睨みつける。

 

「今のうちに食べておかないと……リリに、瞬殺されちゃいますから」

アイズはコテンと首を傾げ、薄く、本当に薄く口角を吊り上げた。

「お腹が空いたままで負けたら、かっこ悪いですからね。……ざっこ♡」

 

「なっ……! 貴様、またしても俺を……!」

オッタルの額に再び青筋が浮かぶ。

無表情な金髪の少女からの、今日二度目の『メスガキ煽り』。武人としてのプライドを逆撫でするその言葉に、オッタルは肉を切り分けるナイフをへし折りそうになるほど力を込めた。

 

そんな騒がしい食卓の隅で、一人だけ全く別の空気を纏っている者がいた。

 

黒いローブをすっぽりと被り、顔の上半分を『ハデス改』のバイザーで覆い隠した女性——『静寂』のアルフィアである。

姿を見せることはできないが、彼女もまた、ヴァレッタが用意したステーキを優雅な手つきで切り分け、静かに口に運んでいた。

 

(……あぁ、平和だな)

 

アルフィアは、怒りでプルプルと震えながら肉を食べているオッタルを見て、心の中で深く息を吐いた。

マヤの庇護下にある里で、穏やかな時間を過ごしてきた彼女からすれば、目の前で一人息巻いている猪の姿はあまりにも滑稽だった。

自称最強とイキっているレベル6の武人が、小人に煽られ、小娘に馬鹿にされながら、出された肉を意地になって頬張っている。

 

全盛期の自分なら瞬きする間に塵にしているところだが、今はマヤの作り上げたこの奇妙で温かい日常の中で、こうして肉の味を楽しんでいる。

 

(悪くない……むしろ、少し楽しいくらいだ。さあ、見せてもらおうか。マヤの育てた小娘が、どこまであの図体だけの猪を踊らせるのかを)

 

アルフィアは口元に微かな笑みを浮かべ、ワイングラスを傾けた。

 

***

 

やがて、異様な食事休憩が終わりを告げた。

 

オッタルは口元を乱暴に拭い、立ち上がった。その体からは、先ほどまでの空腹状態とは打って変わって、万全の状態まで引き上げられた圧倒的な魔力と闘気が陽炎のように立ち昇っている。

満腹になり、体力も気力も完全に回復したレベル6の威圧感。並の冒険者であれば、その気迫だけで気絶してしまいそうなほどのプレッシャーである。

 

「……待たせたな。もう言い訳はせん。その小人を、微塵に砕いてやる」

 

オッタルが腰の剛剣を引き抜くと、重低音のような風切り音が訓練場に響き渡った。

 

対するリリも、立ち上がって広場の中央へと歩み出る。

その小さな体は、オッタルの巨体に比べれば、まさに大人と子供、いや、巨象と蟻ほどの差があった。

 

両者が対峙する中、マヤは審判の位置につくため、リリの横をすれ違う。

その瞬間、マヤはリリの耳元で、他者には決して聞こえない声でボソッと囁いた。

 

「……リリ」

 

「はい」

リリが前を見据えたまま、微かに唇を動かす。

 

「瞬殺(暗殺)はするな」

 

マヤの指示は、一撃必殺を是とする暗殺者のセオリーとは真逆のものだった。

 

「せっかくフィンから槍を借りたんだ。槍をハンデにして、時間をかけて、じっくりと上手くやれ」

マヤの瞳の奥で、冷徹な為政者としての光が鋭く瞬く。

「相手の『力こそすべて』っていうくだらねぇロマンを……根元から、物理でへし折ってやれ」

 

「……はいっ、マヤ様!」

 

リリの口元に、普段の健気な少女からは想像もつかないような、凶悪で好戦的な笑みが浮かんだ。

それは間違いなく、オラリオの暗部を支配するマヤの教えを完璧に受け継いだ『くのいち』の顔であった。

 

「双方、構えろ!」

 

マヤの合図が、静寂の訓練場に響き渡る。

小人族の英雄の才覚を秘めた少女と、自称最強の武を誇る剛の者。

それぞれのプライドと、ファミリアの未来を懸けた前代未聞の模擬戦が、ついに幕を開けた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。