ダンジョンに鬼がいたらそうなる件   作:マイナーチョコ

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第79話『甘いパフェと、ピロートークの秘密』

 

 

昼下がりの柔らかな陽光が、高い格子窓から斜めに差し込んでいる。

『黄昏の館』の別棟に新設された工房には、乾燥させた幾種類もの薬草の爽やかな香りと、魔石ランプで熱せられる蒸留器のコポコポという 규칙的な水音が満ちていた。壁一面の棚には、希少な鉱石や魔物の素材、ガラスの小瓶が整然と並び、磨かれた作業台の上ではフラスコの中の翠色の液体が淡い燐光を放っている。

 

その作業台の前で、保護眼鏡をかけたアスフィ・アル・アンドロメダは、羽根ペンを走らせて調合比率の記録を取っていた。以前は目の下に濃い隈を作り、追われるように魔道具を作っていた彼女の横顔には、今や穏やかな集中と職人としての充実感が宿っている。

 

コンコン、と控えめに扉が叩かれ、木の扉がゆっくりと開いた。

 

「アスフィ、今日も頑張ってるようでえらいぞ」

 

漆黒のレザーコートの袖を軽くまくったマヤが、湯気の立つハーブティーのカップを片手に歩み寄ってくる。

アスフィは弾かれたように背筋を伸ばし、慌てて保護眼鏡を外して振り返った。

 

「マ、マヤさん。いらっしゃいませ。……今は、さらに効率よくポーションを作ろうかと思ってます。蒸留の工程を少し変えるだけで、魔力の定着率が二割ほど上がるんです」

「へえ、そいつは凄いな。ウチは消費も激しいから、それは助かるぞ」

 

マヤは作業台の横にカップを置くと、労うように微笑み、アスフィの青紫色の髪にそっと大きな手を乗せて、さりげなく撫でた。

大きな掌から伝わる、落ち着く体温。

その瞬間、アスフィの脳裏に、今朝の食堂での光景――リヴェリアが耳まで赤くしてマヤの隣に座り、ロキが『ウチ一人じゃ夜の身が持たんからな』と明け透けに語っていた場面が鮮烈に蘇った。

 

「っ……! が、がんばりましゅ……」

 

不意の接触に声が裏返り、アスフィの白い頬がみるみるうちに朱色に染まっていく。彼女は自分の胸元で両手をぎゅっと握りしめ、視線を床に落としたまま、指先をモジモジと絡ませた。

 

「あの、その……神ロキに、その……」

「ん? うーん、大丈夫だよ? ロキは気にしないさ」

 

予算や素材の使い道について遠慮しているのだと受け取ったマヤは、いつもの屈託のない笑顔で請け合った。

しかし、アスフィの頭の中では全く別の歯車が高速で回転していた。

 

「そうなのですか……でも、リヴェリア様を許可してたし、よいのかな……?」

 

消え入りそうな声で呟くアスフィ。先月まで他派閥の団長だった自分が、28年連れ添った副団長と並んで『そういう候補』に名を連ねてしまっても本当に波風が立たないのか、真面目な彼女は本気で葛藤していた。

そんな彼女の内心の嵐など露知らず、マヤはかつて過労で倒れた彼女の華奢な肩を見つめ、優しい声で言った。

 

「ゆっくり頑張ってやっていこうな? 身体に差し支えないように」

 

徹夜で無理をしてまた体調を崩さないように、という純粋な気遣い。

だが、赤い瞳に見つめられながら甘い低音でそう囁かれたアスフィは、心臓が口から飛び出しそうなほど大きく跳ね上がるのを感じた。身体に差し支えないように、ゆっくりと――それはつまり、夜のお務めにおいて、自分の身体が壊れないように優しく手ほどきしてくれるという宣言に他ならない。

 

「っ……! はい。お願いします……!」

 

アスフィは耳の先まで真っ赤に沸騰させながら、ぎゅっと目を閉じて深々と頭を下げた。

妙に気合の入った返事にマヤは小さく首を傾げたが、すぐに笑みを深めて彼女の肩を軽く叩いた。

 

「よし、じゃあキリがいいところで休憩にして、食堂へ来い。今日は甘いものを作ったからな」

「あ、甘いもの、ですか……? は、はい、すぐ行きます!」

 

逃げるように洗面台へ向かうアスフィの背中を見送り、マヤはひらりと手を振って工房を後にした。

 

***

 

午後三時の大食堂は、まるで百花繚乱の花園のような華やかさと、甘く芳醇な香りに包まれていた。

大きく開け放たれたテラス窓から心地よい風が吹き込み、長いテーブルの周りには、館の女性陣が顔を揃えていた。さらには、今日もお腹を空かせてやってきた美の女神フレイヤと、その傍らにちょこんと座るヒーラーの少女ヘイズの姿もある。

 

「お待たせ。今日の甘味は、冷たい果物とクリームを合わせた特製パフェだ」

 

エプロン姿のマヤと、給仕を手伝うメイド服のヴァレッタが、銀のトレイに乗せた背の高いガラスの器を次々とテーブルへ並べていく。

透明なグラスの中には、サイコロ状に切られた瑞々しい苺や桃、黄金色の果実が惜しげもなく詰め込まれ、その上には雪のように白い濃厚な生クリームと、バニラビーンズが香る自家製アイスクリーム、さらに頂点にはサクサクに焼かれた薄いパイとミントの葉が添えられていた。陽光を浴びてキラキラと輝くそれは、さながら食べられる宝石だった。

 

「うわぁぁ……っ! な、なんですかこれ、綺麗すぎます……!」

 

ヘイズは眠たげな普段の表情をどこへやら、両目を星のように輝かせてグラスに釘付けになった。長いスプーンを手に取り、クリームと果実、アイスクリームを一緒に掬って口へと運ぶ。

舌の上で冷たいアイスがとろけ、濃厚な乳脂肪のコクと果実の甘酸っぱい果汁が一体となって広がった瞬間、ヘイズは頬を押さえてその場で震え出した。

 

「んんんっ〜!! おいひぃぃぃ……っ! こんな甘くて幸せな食べ物がこの世にあるなんて……っ、生きててよかったですぅ……!」

「ふふ、本当に見事ね。甘すぎず、果実の酸味がクリームの濃厚さを引き立てているわ。……マヤ、貴方は本当に、女を骨抜きにする天才ね」

 

ポロポロと感激の涙をこぼしながらスプーンを動かすヘイズの隣で、フレイヤも優雅に一口味わい、うっとりと目を細めてマヤに艶っぽい視線を送った。

 

「美味しい! マヤの作るお菓子はいつも最高だね!」

「ほんとほんと! ねえレフィーヤ、フィルヴィス、そっちの黄色い果物もすっごく甘いよ!」

「ええ、ティオナさん! フィルヴィスさん、この下のカリカリした焼き菓子と一緒に食べると絶品です!」

「……本当だ。すごく、優しい味がする……」

 

ティオナとティオネが歓声を上げ、レフィーヤに勧められたフィルヴィスが一口食べて、ふわりと憑き物が落ちたような柔らかい笑みを咲かせる。かつて暗い路地裏で死の影に怯えていた白巫妖精の顔には、今や年頃の少女らしい穏やかな血色が戻っていた。

テーブルの端では、中庭から呼び出されたアルフィアが優雅に紅茶とパフェを交互に口へ運び、ヴァレッタも自分の分のグラスを抱えて「マヤ様の手作り……まさに神の御業ですぅ……」と恍惚の表情で味わっている。

 

「……マヤ。ここ、クリームついてる。あと、これ、あーんして」

「ちょっとアイズさん!? 自分一人で食べられるでしょう! マヤ様、リリの苺を一番に差し上げますから、こちらへ!」

 

マヤの左隣を陣取ったアイズが、口元に少しだけクリームをつけたままスプーンを差し出し、右隣からはリリが負けじと真っ赤な苺を掬って身を乗り出す。

 

「はいはい、二人とも落ち着けって」

 

マヤが苦笑しながらアイズの口元をナプキンで拭い、リリの差し出した苺をパクッと食べると、二人は満足げに胸を張った。

その向かい側では、リヴェリアと、遅れて工房からやってきたアスフィが並んでいた。二人はパフェを口に運びながらも、マヤと視線が合うたびに揃って「「っ……!」」と顔を赤らめ、気まずそうに目を逸らしては紅茶で喉を潤している。

 

「んっふっふ〜。なんやリヴェリアにアスフィまで、揃いも揃って乙女みたいな顔してパフェつつきおって。平和でええこっちゃなぁ」

 

特等席でパフェを頬張っていたロキが、ニヤニヤと悪戯っぽく笑いながら二人を冷やかす。

派閥の垣根も、過去の悲しみもすべて溶かし込むような甘いパフェと、絶え間なく響く少女たちの笑い声。マヤはその賑やかな輪を眺めながら、目を細めて静かに満足の息を吐いた。

 

***

 

夕刻。柔らかな笑いに満ちていた館とは対照的に、ギルド本部の地下深くに位置する『祈りの間』は、重厚で厳かな静寂に支配されていた。

壁面に灯された松明の炎がゆらめき、巨大な石造りの祭壇の奥に座する創設神ウラノスの巨躯を照らし出している。

 

その祭壇の前に、マヤと、少し緊張した面持ちのベル・クラネルが並んでいた。さらにその後方数歩離れた何もない空間では、『ハデスの兜・改』を被って気配と姿を完全に消したアルフィアが、腕を組んで静かに控えている。

 

「――なるほど。言葉を解し、人との共存を望む『異端児(ゼノス)』か。そして彼らを、迷宮内の秩序を守る自警団として運用すると」

 

地鳴りのように低く威厳のあるウラノスの声が、石室に反響した。

マヤは一歩前に出ると、オラリオの礎を築いた老神に対して礼節を欠かさぬよう、姿勢を正して口を開いた。

 

「はい、ウラノス神。彼らには知性があり、無用な殺生を望んでいません。中でもアステリオスという黒い猛牛をはじめ、下層でも通用する武力を持つ個体が揃っています。ベルが彼らとの窓口となり、迷宮の中層から下層にかけての異常事態や、無法な冒険者の監視、そして彼ら自身の集落を守る『守護神』としての役割を与えれば、ギルドにとっても大きな益となるはずです」

 

マヤの言葉は明確で、感情論ではなく都市と迷宮の双方にとっての利を冷静に捉えていた。

 

「ふむ……。だが、地上の冒険者たちがそれを知れば、混乱は避けられまい」

「そこは、我々ロキ・ファミリアが全面的に後ろ盾となります。ギルドとウラノス神の公認さえいただければ、他派閥から余計な横槍が入らぬよう、外堀はすべてウチで埋めておきましょう」

 

最大派閥の実質的な大黒柱からの確約に、ウラノスは深い皺の刻まれた顔をわずかに綻ばせた。隣で聞いていたベルも、自分の大切な友人たちの居場所が守られることに、ホッと胸を撫で下ろしている。

 

「良かろう。ロキ・ファミリアとベル・クラネルの名において、彼ら異端児の生存権と、迷宮内での自警の任を認めよう」

「ありがとうございます、ウラノス様!」

 

ベルが勢いよく頭を下げる。

しかし、ウラノスはそこで表情を険しく引き締め、重々しく言葉を継いだ。

 

「……だがマヤよ。ちょうど良い機会だ、一つ頼まれてくれぬか。ここ数日、迷宮の深層――五十九階層付近から、極めて不気味な胎動が伝わってきておるのだ」

「五十九階層からの胎動、ですか」

「うむ。まるで深層の奥底に潜んでいた何かが、上を目指して這い上がってきているかのように、モンスターたちが異常な規模で押し上げられておる。現在の前線は三十七階層付近に達しており、このままでは中層にまで波及しかねん」

 

ウラノスの言葉に、ベルが息を呑み、背後の透明な空間でアルフィアの気配がわずかに鋭くなった。

だが、マヤだけは「なるほどな」と内心で合点がいったように目を細め、レザーコートの懐――内ポケットのあたりにそっと片手を当てた。そこには、一本の古びた巻物が収められている。

 

(先日の三十七階層での訓練の時、俺の懐から微かに匂いが漏れたか。深層で飢えていたなりそこないが、特上の撒き餌に釣られて上がってきたってわけだ)

 

マヤは外には微塵もその思考を出さず、ウラノスに向かって頼もしく頷いた。

 

「承知しました。三十七階層といえば、先日ウチの若手たちと訓練を行ったばかりの場所です。その押し上げられている連中と原因の討伐、我々ロキ・ファミリアとベルのパーティー、そして今お認めいただいた異端児たちの『初仕事』として、ウチで請け負わせていただきます」

「おお……お前たちが動いてくれるなら、これほど心強いことはない。頼んだぞ、マヤ、ベル・クラネル」

 

深層から這い上がる害虫駆除の依頼を事も無げに引き受け、マヤたちは祈りの間を後にした。

 

***

 

夜更け。月明かりがステンドグラスを透かし、黄昏の館の最上階にある主神の寝室を青白く照らし出していた。

天蓋付きの特大ベッドの上には、激しい愛の営みを終えたばかりの甘い熱気と、心地よい気怠さが漂っている。

マヤはシーツの上に仰向けになり、自分の胸板に頬を寄せてうっとりと微睡んでいるロキの華奢な肩を、片腕で優しく抱き寄せていた。

 

静かな寝室に二人の落ち着いた呼吸音が響く中、マヤはふと思い出したように天井を見つめたまま口を開いた。

 

「ロキ、そういえば、俺が昔ゼウスとヘラを追いやったろ? その時ついでに、ゼウスとヘラが来る前に、黒龍を半殺しにして、巻物に封印しておいたわ。たぶん、今出したら、俺の眷属化か、死んでるか、半殺しのまま、の三つになってる。俺のやる封印ってのはそういうもんだからな」

 

あまりにも日常的なトーンで告げられた、世界の命運を覆す告白。

胸元に顔を埋めていたロキは、薄く目を開けてマヤの顎を見上げた。

 

「ふーん。それで、今日のウラノスの話やと、深層のやつはその餌に釣られて三十七階層まで上がってきたと?」

「そうじゃないかな? ……って、黒龍のこと言うの忘れてたわ」

 

マヤがポリポリと頬を掻いた、次の瞬間。

ガバッ! とシーツを跳ね除け、一糸まとわぬ姿のロキがマヤの腹の上に仁王立ちに近い勢いで跨り、ぷりぷりと怒り出した。

 

「隠し事はしないいうたやんか!! なんやねん『ついでに封印しておいたわ』って! そんな世界最大級のネタ、二十年も言い忘れるアホがどこにおんねん!」

「ごめんな〜ロキ」

 

ぷくっと頬を膨らませて抗議するロキの腰に手を伸ばし、マヤはそのまま自分の胸元へと引き寄せて、壊れ物を扱うようにぎゅっと抱きしめた。

たくましい腕の中にすっぽりと収まり、心地よい鼓動と体温に包まれた瞬間、ロキの怒りはあえなく霧散した。マヤの首筋に顔を埋めたロキの口元が、「してやったり」とばかりにニヤニヤと緩む。

 

「あの時は、ゼウスたちの相手やら何やらで色々立て込んでたからな。悪気はなかったんだ。許してくれよ」

「……んっふっふ〜、あったりまえやーん♡」

 

すっかり上機嫌になったロキは、マヤの顔を両手で挟み込むと、額から鼻先、頬、そして唇へと、ちゅっ、ちゅっ、と小鳥がついばむように何度もキスを降らせまくった。

 

「ちゅっ……ほんまに、ウチの旦那は規格外にも程があるで。……せやかて、封印ってなんでまた? アンタならそのままトドメ刺すこともできたんやろ?」

「ああ。だが、あんな巨大な瘴気の塊をその場で殺して、世界に何か実害が出たらまずいと思ってな? 大地が腐るとか、変な呪いが撒き散らされるとかさ。封じて手元に置いておくのが一番安全だろ」

「なるほどなぁ。まー、マヤにその辺は全部任せてるからな。アンタが家族を守るためにやったことや、好きにしたらええよ」

 

全幅の信頼を込めて微笑むロキの朱色の髪を撫で、今度はマヤの方から、ロキの唇へと深く愛おしいキスを落とした。

長い口づけが離れると、マヤはいたずらっぽく口角を上げた。

 

「でも、表向きはあそこには、一応黒龍のような土塊があるけどな」

「土塊?」

「ああ。いきなり黒龍が消えてたら後から来たゼウスたちが混乱すると思ってな。大地を練り上げて寸分違わぬ精巧な土塊人形を創り、そこに精神を圧迫する強力な幻術を幾重にも掛けて、竜の谷に置いてきたんだ。だから世間的には、あそこには今も恐ろしい黒龍が鎮座してるってわけさ」

「あはははっ! なんやそれ、ほんまに人が悪いなぁ! ほな、世界中が震え上がっとる最凶の厄災は、ただの泥人形やっていうんかいな!」

 

ロキはケラケラと楽しそうに笑い、再びマヤの胸元へとぴたりと寄り添った。

竜の谷には偽りの泥人形が眠り、本物の厄災はマヤの懐の中で、深層から這い上がる愚かな獲物を釣り上げるための撒き餌となっている。

三十七階層での賑やかな害虫駆除を明日に控えながら、夫婦の甘く穏やかな夜は、月明かりの下でゆっくりと更けていった。

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