ダンジョンに鬼がいたらそうなる件   作:マイナーチョコ

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第80話『三十七階層の撒き餌と、殺さずの総力戦』

 

早朝の淡い陽光が、迷宮都市オラリオの中央にそびえ立つ摩天楼『バベルの塔』の白い外壁を黄金色に染め上げていた。

まだ街の一般市民たちが眠りから覚めやらぬ早朝でありながら、バベルの地下一階――迷宮の入り口へと続く広大な円形ホールは、かつてないほどの熱気と、肌を刺すような濃密な覇気に満ち溢れていた。

 

天井に埋め込まれた巨大な魔石灯が煌々と輝く大理石の床の上に、都市の歴史を塗り替えるほどの威容を誇る大軍勢が、派閥ごとに整然と隊列を組んで集結していたのである。

 

中央に陣取るのは、勇魚の紋章を掲げる都市最大・最強の派閥『ロキ・ファミリア』。

団長フィン・ディムナ、重傑ガレス・ランドロック、副団長リヴェリア・リヨス・アールヴのLv.8三巨頭を筆頭に、先日同時にLv.7へと昇格を果たしたばかりの剣姫アイズ・ヴァレンシュタインと千手参謀リリルカ・アーデ。その後方にはLv.5のアマゾネス姉妹ティオナとティオネ、Lv.4のレフィーヤ・ウィリディスと万能者アスフィ・アル・アンドロメダ、そして改宗したばかりのLv.3白巫女フィルヴィス・シャリアが並ぶ。さらにはラウル、アナキティ、アリシア、エルフィ、治療師のリーネといった中堅幹部たちに加え、背中にアスフィ特製の高効率ポーションを満載した木箱を背負う後方支援の団員たち、そしていかなる戦場へも完璧な茶器と給仕道具を携えて同行するメイド姿のヴァレッタ・グレーデが控えていた。また、誰の目にも映ってはいないものの、隊列の最後尾の空間には『ハデスの兜・改』を被って姿と気配を完全に消去したLv.7の魔導士、アルフィアも静かに佇んでいる。

 

その右翼を固めるのは、天秤と剣を掲げる正義の派閥『アストレア・ファミリア』。

団長アリーゼ・ローヴェル、副団長ゴジョーノ・輝夜、そして疾風リュー・リオンの三人は、数年前の厄災を死者ゼロで乗り越えて以来、弛まぬ研鑽を重ねて全員がLv.6へと到達しており、参謀であるLv.5のライラと共に凛とした空気を纏っていた。

 

左翼に立つのは、少数精鋭の『ヘスティア・ファミリア』。

ショートソード二本と漆黒の『ヘスティア・ナイフ』を腰に帯びたLv.3の団長ベル・クラネル、身の丈ほどの大剣を担ぐLv.2のヴェルフ・クロッゾ、極東の太刀を携えたLv.2のヤマト・命、そして後方支援の切り札として同行するLv.1の狐人、サンジョウノ・春姫の四人である。

 

そして、少し離れた一角には、かつて都市最強を自負しながらも現在は迷宮の上層で泥臭く基礎をやり直している『フレイヤ・ファミリア』の面々が顔を揃えていた。

Lv.6の団長オッタルを先頭に、Lv.5のアレン・フローメル、ヘディン・セルランド、ヘグニ・ラグナール、Lv.4のガリバー兄弟、さらにはロキ・ファミリアから放牧の身となり彼らと行動を共にしていたLv.4の人狼ベート・ローガ。そしてその後ろには、マヤの手料理とパフェで完全に餌付けされ、今回は後方見学として呼ばれたLv.4の治療師ヘイズ・ベルベットが、少し眠たげな目をこすりながら立っていた。

 

これだけの第一級冒険者たちが一堂に会する光景を前に、見送りにやってきた神々――ヘスティア、ヘファイストス、アストレア、タケミカヅチ、ミアハ、そしてフレイヤまでもが、圧倒されたように息を呑んでいた。

 

「いやはや……こうして全員が並ぶと、壮観を通り越して眩暈がしそうだね。まるで神話の時代の英雄譚がそのまま現実になったみたいだ」

「ええ、本当に。今のオラリオが持つ最高峰の力が、すべてこの広場に集まっていると言っても過言ではないわ」

 

眼帯をつけた鍛冶神ヘファイストスが感嘆の息を漏らし、隣に立つ正義の女神アストレアが穏やかな笑みで頷く。

その軍勢の最前列で、漆黒のレザーコートを羽織った赤髪の青年――マヤが、全体の装備と陣容を最終確認するようにゆっくりと視線を巡らせていた。

 

その時である。

マヤの隣で腕を組み、誇らしげに胸を反らせていた主神ロキが、ふと何かを思いついたようにポンと手を打ち、ホール全体に響き渡るほど大きな声で切り出した。

 

「――なぁ、マヤ。ちょっと思ったんやけどな」

「ん? なんだよ、ロキ」

「今回は深層の五十九階層から這い上がってきた、得体の知れん化け物が相手なんやろ? ウラノスの爺さんがわざわざ頭下げて頼んでくるくらいの異常事態や。念には念を入れて、今からちょっとだけバベルの上のウチの部屋に戻って、フィンとガレスとリヴェリアの三人を『Lv.9』にランクアップさせてから行こか? あいつら三人とも、偉業も器もとっくに満たしとるから、ウチが背中のステイタスを更新するだけですぐLv.9になれる状態やしなぁ」

 

ピタリ、と。

ロキのあまりにも軽やかな一言が落ちた瞬間、広大な円形ホールを埋め尽くしていた百名近い冒険者と神々の動きが、時間を止められたかのように完全に凍りついた。

 

「「「「…………は?」」」」

 

誰の口からともなく、間の抜けた声が漏れる。

見送りに来ていたヘスティアとミアハの顎が外れんばかりに大きく開き、タケミカヅチが目を白黒させ、冷静沈着なヘファイストスですら隻眼を限界まで見開いてロキを凝視した。

 

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ、ロキ……!」

 

真っ先に声を裏返らせて食いついたのは、銀色の髪を揺らした美の女神フレイヤだった。普段の妖艶な余裕はどこへやら、その美しい顔は驚愕に引きつっている。

 

「今、なんと言ったの……? フィンとガレスとリヴェリアの三人が……いつでも『Lv.9』になれる状態、ですって……!? 現在オラリオでただのLv.8ですら貴方のところの三人しかいないというのに、偉業も器もすでに満たしていて、ただ更新を止めていただけだとでも言うの!?」

「え、あ、いや、その……文字通りの意味やけど?」

「ば、馬鹿な……! 我らがLv.6やLv.5の壁を越えるためにどれほど血を吐くような思いをしてきたか……それを、三人も同時にLv.9へ引き上げられる状態を温存していたなど……!」

 

フレイヤの背後で、オッタル、アレン、ヘディン、ヘグニたちが雷に打たれたかのように立ち尽くし、拳をわなわなと震わせる。アストレア・ファミリアのアリーゼやリューたちも「Lv.8ですら雲の上なのに、いつでもLv.9になれるなんて……」と絶句していた。

 

ホール中が前代未聞の事実に騒然となる中、ただ一人、微塵も動じていない男がいた。

マヤはやれやれと肩をすくめ、隣で悪戯っぽく笑っているロキの朱色の髪に大きな手を乗せると、ポン、と軽く頭を叩いて諌めた。

 

「やめろ、ロキ。フィンたちは今のLv.8のままで十分お釣りが来るほど強い。そんなことで無用に世界の均衡を揺らして、他の連中を怯えさせる必要はねぇよ」

 

マヤはそこで一度言葉を切ると、ホールに集まった家族たちの顔をぐるりと見渡し、確固たる自信に満ちた低い声で告げた。

 

「それに今回は、俺も一緒に行くからよ。三人をLv.9にするまでもねぇさ」

 

その言葉が響いた瞬間。

待っていましたとばかりに、ロキの顔がパァッと満開の花が咲いたように輝いた。ロキはすぐさまマヤのたくましい左腕に両手でギュッと抱きつくと、そのまま彼の二の腕にうっとりと頬擦りをしながら、ホール中の神々と冒険者たちへ向けてこれ以上ないほど勝ち誇ったドヤ顔を見せつけた。

 

「んっふっふ〜!! そういうと思ったで! 『俺も一緒に行くから大丈夫だ』ってなぁ! さすがウチの最高で最強の旦那や〜! 聞いたかオマエら、マヤが一緒におれば、深層からどんな化け物が出てきても百人力やでぇ〜!!」

 

最初から三幹部をLv.9に更新する気などさらさらなかったのだ。

ただ出発前にマヤから「俺も行くから安心しろ」という頼もしい言葉を引き出して甘え、さらにはフレイヤや他の神々、全冒険者の目の前で『ウチの旦那の器のデカさと夫婦の絶対的な絆』を見せつけて惚気るためだけに仕掛けた、正妻ロキの盛大な口実づくりだったのである。

 

「ロ、ロキ様……ただマヤさんに甘えたかっただけなんですか……!」

「まったく、人騒がせな主神だ……」

 

レフィーヤが顔を赤くして突っ込み、リヴェリアがこめかみを押さえてため息をつく。

しかし、周囲の他派閥の神々や冒険者たちが、惚気よりも『三巨頭がいつでもLv.9になれる』という爆弾情報の方に引きつった視線を向け続けていることに気づくと、ロキは「あっ」と小さく舌を出し、慌てて両手をブンブンと振った。

 

「あ、あはは! 今のLv.9がどうこうってのは冗談や、ただの冗談やで〜! 夫婦の愛のジョークやから、みんな忘れときや〜!」

「「「「いや、全然ごまかせてないよっ!!」」」」

 

ヘスティア、ヘファイストス、ミアハ、そしてアリーゼたちから、見事なまでに息の合った総ツッコミがホール中に木霊した。アストレアは苦笑しながら首を振り、フレイヤは「どこまで底が知れない連中なの……」と額に手を当てて深いため息をついている。

 

「もう、ロキのやつが変な爆弾を落とすから心臓に悪いよ! ……ほら、ベル君、ヴェルフ、命、春姫君! あんたたち、マヤ君の指示をちゃーんと聞いて、絶対に無茶だけはするんじゃないよ! 危なくなったらすぐにマヤ君の後ろに隠れるんだからね!」

「はいっ、神様! 行ってきます!」

 

ヘスティアの心配そうな声に、ベルが満面の笑みで力強く頷き返す。

ヘファイストスもヴェルフに「自分の鍛えた業物で、しっかり仲間を守ってきな」と声をかけ、ヴェルフは「ああ、任せてくれ!」と大剣の柄を叩いた。

 

「よし、体が冷える前に出るぞ。総員、進軍開始だ!」

 

マヤが短く号令を下し、大階段へ向かって踵を返す。

その大きな背中を追いかけ、オラリオの全精鋭たちが一斉に地下迷宮の闇へと足を踏み入れていった。

 

***

 

迷宮の上層から中層、そして下層へと続く道中は、ウラノス神の報告通り、普段とは明らかに異なる異様な緊張感に包まれていた。

深層五十九階層から湧き上がる不気味な胎動に怯え、下から押し出されるようにして逃げ惑うモンスターの群れが、各階層の通路を埋め尽くすほどの密度で溢れ返っていたのである。

 

「先陣はオッタルたちとベルのパーティーに任せるぞ! 三十七階層に着くまでの道中、実戦の中で自分たちの陣形を頭に叩き込め!」

 

隊列の中央を歩くマヤからの指示が飛ぶ。

現在、大軍勢の先頭を切って進んでいるのは、フレイヤ・ファミリアの面々とベート、そしてベルたちヘスティア・ファミリアだった。

 

「マヤ殿、お言葉通り、我らの基礎訓練の成果をお見せしよう! ――総員、護衛陣形を維持しつつ前方の群れを粉砕しろ! 後方の春姫殿やヘイズたちには、塵一つ触れさせるな!」

「「「「応ッ!!」」」」

 

先頭を行くオッタルが幅広の剛剣を振るい、通路を塞いでいたオーガの群れを風圧ごと薙ぎ払う。

しかし、以前の彼らのように各々が勝手気ままに敵の群れへ突っ込んでいくような真似はしない。

 

「アレン、右翼が半歩前に出すぎているぞ! 速度を殺し、ガリバー兄弟と歩調を合わせろ!」

「分かっている、いちいち喚くなヘディン! 誰が二度も陣形を崩してダミーのヒーラー役などやらされてたまるか!」

 

都市最速の脚を持つアレンが、あえて自身の最高速を抑え、周囲の味方の盾となる位置を保ちながら槍を閃かせて横合いから飛び出してきたヘルハウンドの喉笛を正確に貫く。

そのすぐ隣では、ヘグニが黒剣で天井から降ってきた魔物の奇襲を斬り落とし、四つ子のガリバー兄弟が一糸乱れぬ連携で足元の小型モンスターを網のように掬い上げて処理していく。さらに右の遊撃に入ったベートも、牙を剥き出しにしながら跳躍し、陣形の死角を突こうとしたモンスターの頭蓋を金属靴(フロスヴィルト)の踵落としで粉砕した。

 

「ちっ、どけよ雑魚ども! こんな浅い階層で足止め食らってたら、後ろの連中に笑われちまうだろうが!」

 

上層でアレンを仮想の護衛対象に見立て、泥をすすりながら繰り返してきた「味方を守りながら進む基礎陣形」。それが今、圧倒的な個々の武力と噛み合うことで、どんな方向からの奇襲も完璧に弾き返す鉄壁の進軍壁として機能していた。

 

その後方でマヤと共に歩きながら様子を見ていたヘイズは、自分たちを置き去りにして暴れ回るだけだったかつての仲間たちが、後衛を守るために規律正しく戦っている姿を見て、目をぱちくりとさせた。

 

「あ、あのオッタル様やアレン様が、ちゃんと後ろを気にしながら戦ってる……マヤ様のお説教、お薬みたいに効いてますねぇ……」

「ま、根は真面目な武人ってこった。基礎さえ覚えりゃ、元々の腕っぷしは一級品だからな」

 

マヤが小さく笑みを浮かべたその先で、もう一つの先陣――ベルたちのスリーマンセルが鮮やかに躍動した。

 

「ベル殿、ヴェルフ殿! 前方三十メートルの角の向こう、硬殻種の群れが十体ほど固まって突進してきます!」

「よし、俺が正面から受け止めて死角を作る! ベル、合わせろ!」

「はいっ、ヴェルフ!」

 

命のスキル『八咫黒烏』による正確な索敵の声を合図に、ヴェルフが前へと踏み出し、巨大な大剣を盾のように構えて大型モンスターの先頭集団をガキンッ! と力強く受け止める。火花が散り、モンスターたちの意識がヴェルフの巨体に集中した、その刹那。

 

ヴェルフの背後の死角から、白い閃光のようにベルが飛び出した。

ベルの右手に握られた一振りのショートソード。そこに「投擲によって敵の視線と防御を上に釣る」という明確な役割と意志が込められた瞬間、スキル『変幻自在』の予備補正が宿る。

 

「ハァッ!!」

 

放たれたショートソードは空気を切り裂く轟音を立てて大砲の弾丸のように飛翔し、後続のモンスターの硬い甲殻の眉間へと深々と突き刺さった。

モンスターたちが悲鳴を上げて怯み、視線が突き刺さった剣へと向いた、ほんの一瞬の空白。

ベルはすでに敵の懐へと音もなく滑り込み、空いた右手で腰の鞘から漆黒の短刀――『ヘスティア・ナイフ』を神速で抜き放っていた。

 

武器の持ち替えをトリガーとして『変幻自在』の極大補正が爆発し、さらに後方から自分を見守るマヤの視線を背中に受けることで、スキル『憧憬一途(リアリス・フレーゼ)』がベルの全身の筋繊維と敏捷性を限界以上に跳ね上げる。

隠れ里でアルフィアとザルドから徹底的に叩き込まれた、無駄のない重心移動と急所解体の技術。黒い短刀の軌跡が一閃すると、Lv.3のモンスターたちの分厚い装甲の隙間――関節と魔石の急所だけが、まるで熱したナイフでバターを切るかのように次々と正確に抉り抜かれ、一瞬のうちに十体の群れが灰となって崩れ去った。

 

「お見事です、ベル様!」

 

後方で控えていた春姫が、尻尾をふりふりと揺らして嬉しそうに拍手を送る。

そのまま大軍勢が下層の入り口である二十階層付近の巨大な岩窟へと差し掛かった時、通路の脇の暗がりから、ずしん、ずしん、と重い足音を響かせて十数体の異形の影が姿を現した。

 

武装したリザードマンのリド、石像鬼(ガーゴイル)のグロス、美しい人魚のマリィや鳥人(ハーピィ)のレイ。そしてその先頭に立っていたのは、身の丈二メートルを優に超える漆黒の毛並みと、巨大なバトルアックスを背負った隻眼の猛牛――異端児(ゼノス)の最強格、アステリオスであった。

 

昨日、マヤとベルがウラノス神に直接掛け合ったことで『迷宮内の秩序を守る自警団』としての生存権と役割を公認された彼らは、今日の総力戦における実績作りのため、この下層で合流すべく待機していたのである。

 

『ウォォォォン……』

 

威風堂々たる覇気を放ちながら一歩前に出たアステリオス。

しかし、その赤い瞳が、先陣に立っていた白髪の少年――ベル・クラネルの姿を捉えた瞬間。

 

『モ、モォォォォォッ!?』

 

猛牛の巨体が、電流でも流れたかのようにビクンッ! と大きく跳ね上がった。

アステリオスの脳裏に、かつて中層で遭遇した際の悪夢が鮮明にフラッシュバックする。咆哮を上げる暇すら与えられず、大砲のような剣が飛んできたかと思えば、次の瞬間には自分の視界から少年の姿が消え、気づいた時には自慢の角を根元から斬り飛ばされ、冷徹な黒い刃で関節と魔石を一瞬で解体された、あの圧倒的で理不尽な恐怖の記憶。

 

「あ、アステリオス。それにリドさんたちも、時間通りに集まってくれてありがとう。今日は一緒に頑張ろうね……?」

 

ベルが困ったように眉を下げ、 friendlyに微笑みながら一歩近づいた。

その途端、アステリオスはガシャーン! と手にしていた巨大なバトルアックスを地面に取り落とし、近くの巨大な鍾乳石の陰へと猛スピードで隠れると、大きな頭を抱えてガタガタと子牛のように震え出したのである。

 

「おいアステリオス、図体ばっかりデカいくせに何ビビってんだよ! ベルちんは俺たちの味方だって昨日言っただろ!」

「まったくだ、我らの守護神となるはずの貴様が、ベルの小僧と目が合っただけで泣きそうな顔をするでない!」

 

リザードマンのリドとガーゴイルのグロスが呆れたようにツッコミを入れると、アステリオスは涙目でブンブンと何度も首を縦に振り、慌ててバトルアックスを拾い上げると、「絶対に逆らいません! 全力で働きます!」とばかりに前方のモンスターの群れへと一目散に突撃していった。

一瞬にして通路のモンスターを薙ぎ倒していく黒い猛牛の背中を見送りながら、透明化しているアルフィアは後方から甥の背中を見つめ、(まったく……あんな可愛らしい顔をして、猛牛の魂にどれほど深い傷を刻み込んだのだか)と誇らしげに口元を緩めていた。

 

***

 

やがて軍勢が二十七階層『水の迷宮』を越え、深層へと続く三十階層以降の領域へ足を踏み入れると、空気の重さとモンスターの脅威度は一気に跳ね上がった。

深層の底から押し上げられてきたLv.4からLv.5相当の凶悪な深層モンスターたちが、通路を埋め尽くす濁流となって牙を剥き出しに襲いかかってくる。

 

「よし、ここからはスピードを上げるぞ! オッタル、ベル君、先陣ご苦労だった。三十七階層までは、僕たちロキ・ファミリアとアストレア・ファミリアで一気に道を切り開く! 前線を交代だ!」

 

団長フィンの凛とした号令が響き渡る。

オッタルたちとベルたちが左右へ颯爽と道を開けると、そこから飛び出したのは、鍛え抜かれた最上位の冒険者たちによる、文字通りの『蹂躙』であった。

 

「待ちくたびれたわ! 行くわよみんな、正義の派閥の底力、見せつけてやりましょう!」

「ええ、アリーゼ! 深層の雑魚ごときに、私たちの歩みを一秒たりとも止めさせはしません――斬り捨て御免!」

「疾風よ! 道を開きなさい!」

「お姉様たち、死角の小型種は私の閃光刃で全部縫い止めておいたわよ!」

 

Lv.6へと昇華したアリーゼの紅い剣閃が炎の渦となってモンスターの群れを焼き払い、輝夜の抜刀術が目にも止まらぬ神速で硬い甲殻を両断する。リューが緑の風を纏って宙を舞い、ライラが絶妙な位置取りで敵の連携を寸断する。かつて悲劇に呑まれるはずだった少女たちは、今や深層のモンスターの群れを正面から粉微塵に蹴散らす都市屈指の精鋭部隊として戦場を舞っていた。

 

そして、そのさらに先を行くロキ・ファミリアの主力たちの動きは、同じ第一級冒険者であるオッタルたちの目から見ても、常軌を逸していた。

 

「……邪魔。ざっこ」

 

黄金の髪をなびかせたアイズが、短く呟きながら一歩を踏み出す。

スキル『風遁剣姫(アリエル・極)』。風の魔力を極限まで刃と足裏に圧縮し、マヤ直伝の重心移動と瞬身の歩法を融合させた彼女の姿は、風切り音すら残さずに空間から消失した。次の瞬間、通路の先まで百メートルにわたってひしめいていた数十体の深層モンスターの首と魔石が、同時に一本の銀線によって断ち切られ、一斉に灰の霧へと変わった。

 

「アイズさんばっかり先行しないでください! 右側の横穴から湧いた群れは、すべてリリが頂きます!」

 

空中で『幻影影法師』の隠密を解いたリリが、小さな身体を独楽のように回転させながら、フィアナの系譜たる鮮やかな槍さばきで大型モンスター三体の脳天を同時に串刺しにする。さらに左手で放った数本のクナイが『暗器投擲・極』の必中軌道を描いて暗闇の奥へと吸い込まれ、奇襲を狙っていたモンスターたちの魔石を音もなく撃ち抜いた。

 

「あはははっ! アイズもリリも張り切りすぎだよ! 私たちの獲物も残しておいてよねー!」

「ほらティオナ、ぼさっとしてないで真ん中のデカブツを片付けるわよ!」

「レフィーヤさん、右奥の密集地帯へ合わせます!」

「はいっ、フィルヴィスさん! 私たちの並行詠唱で、一気に吹き飛ばします!」

 

ティオナの大双刃とティオネの拳が岩壁ごとモンスターを粉砕し、レフィーヤとフィルヴィスの白黒二人のエルフが歩きながら放った広範囲魔法が、通路の奥を眩い光で一掃する。

フィン、ガレス、リヴェリアの三巨頭に至っては、武器を抜く必要すらないまま、頼もしく育った若手たちの後ろを悠々と歩いているだけだった。

 

「……なんという行軍速度だ。深層のモンスターの群れが、まるで枯れ草のように刈り取られていく……」

「これが、あの男に鍛え上げられたロキ・ファミリアの現在の地力か……!」

 

後方をついていくオッタルとヘディンは、自分たちがポーションを消耗しながら必死に潜っていた深層の領域が、ロキ・ファミリアの少女たちの手によってただの散歩道のように掃討されていく光景を目の当たりにし、改めてその底知れぬ実力差にゴクリと唾を呑み込んだ。

 

***

 

こうして、通常の遠征であれば何日もかかるはずの深層三十七階層までの道のりを、わずか数時間という驚異的な速度で突破したオールスター部隊は、ついに目的地である階層主の広間――『ウダイオスの間』へと足を踏み入れた。

 

そこは、見上げるほど高いドーム状の天井と、見渡す限りの床一面に無数のモンスターの白骨が敷き詰められた、巨大で陰鬱な地下空間だった。

本来であれば階層主である黒き骸骨騎士『ウダイオス』が湧き出るはずの中央の広場には、今、五十九階層へと直通するかのような巨大な大地の亀裂が走っていた。その底なしの暗闇からは、空間そのものが悲鳴を上げるような重苦しい地鳴りとともに、肌を刺すようなドス黒い瘴気が間欠泉のように噴き上がっている。

 

誰もが武器に手を掛け、亀裂の奥から這い上がってこようとしている強大な気配に神経を研ぎ澄ませた――その時だった。

 

隊列の後方に立ったマヤが、おもむろに右手をスッと上に掲げた。

それは、ロキ・ファミリアの面々にとってはあまりにも見慣れた、ある一つの合図であった。

 

「はっ。ただいまご用意いたします、マヤ様」

 

マヤの背後に控えていたメイド服のヴァレッタが、音もなく一歩前へと進み出た。

彼女は背負っていた特製の収納鞄から、折りたたみ式の優美な丸テーブルと二脚の椅子を取り出すと、目にも止まらぬ洗練された所作で白骨の床の後方安全圏へと設置した。さらに純白のテーブルクロスをふわりと広げ、保温魔道具で熱々に保たれた銀のティーポット、白磁のカップ、そして彩り豊かな焼き菓子が並んだ三段のケーキスタンドを、わずか数秒のうちに完璧にセッティングしてしまったのである。

 

深層三十七階層の不気味な白骨の広間に、突如として現出した極上のティータイム空間。

だが、その光景を目にした瞬間、前線に立っていたフィン、ガレス、リヴェリアのLv.8三巨頭、そしてアイズやティオナたちの背筋に、目の前の亀裂から漂う瘴気など比較にならないほどの氷の緊張が走った。

 

先日、この同じ三十七階層でウダイオスを討伐した際、マヤはまったく同じようにここでお茶会を開き、『勝利の後の気の緩み』を試すという名目で、木の棒による抜き打ちの鉄拳制裁(訓練)を全員に叩き込んだのである。

 

「……ま、マヤ殿」

 

団長フィンが、額に冷や汗を浮かべて引きつった笑顔を作り、恐る恐る振り返った。ガレスとリヴェリアも、反射的に斧と杖の柄を強く握り直している。

 

「この緊迫した状況で茶器を広げるということは、まさか……また以前のような『抜き打ちの訓練』をなさるおつもりですか……?」

 

フィンの震える問いかけに、椅子に深く腰を下ろして足を組んだマヤは、ヴァレッタが注いだばかりの香り高い紅茶のカップを手に取りながら、ひらりと片手を振った。

 

「安心しろ、フィン。今回は抜き打ちの訓練はない」

「「「ほっ…………」」」

 

その一言に、オラリオの頂点に君臨するLv.8の三巨頭とロキ・ファミリアの幹部たちが、心の底から安堵したように一斉に大きく胸を撫で下ろした。そのあまりの怯えように、事情を知らないアレンやヘディンたちは「な、なぜあの三人がお茶の席を見てあそこまで警戒していたんだ……?」と困惑の表情を浮かべている。

 

マヤは紅茶の香りを楽しみながら、後方で所在なげに立っていたフレイヤ・ファミリアのヘイズを手招きした。

 

「ヘイズ、お前はこっちへ来て座れ」

「えっ、わ、私ですか……?」

「ああ。お前は今まで館に閉じ込められてたせいで、こういう大人数の乱戦には慣れてないだろ。いきなり前線に出て怪我でもされたら寝覚めが悪い。今回の回復はウチのリーネと、アスフィの高効率ポーションを積んだポーション部隊に任せるから、お前はまず俺の隣でお茶でも飲みながら戦場の動きを観察してろ。前線の連中も、ヤバくなったら無理せずここのラインまで下がってこい」

「は、はいっ、マヤ様! ありがとうございますぅ……っ」

 

ヘイズはパァッと顔を輝かせて駆け寄ると、マヤの隣の椅子にちょこんと腰を下ろし、ヴァレッタから渡された温かい紅茶とクッキーを両手で大事そうに受け取った。

 

和やかな空気が後方に流れる中、マヤはカップを傾けて紅茶を一口啜ると、その深紅の瞳をスッと細め、広間の奥――黒い瘴気が噴き出す巨大な亀裂へと鋭い視線を向けた。

 

「今回は抜き打ちの訓練はないが……その代わりにな、少し思うことがある」

「思うこと、ですか?」

 

リヴェリアが眉をひそめて問い返す。

マヤは顎で前方の亀裂を示し、静かな声で言った。

 

「全員、少し耳を澄ませて魔力の波長を感じ取ってみろ。今、あの底から這い上がってきてる二体の化け物……ただ暴れてるんじゃなく、俺たちに向かって何かを訴えてるだろ?」

 

マヤの言葉に、広場にいた全員が息を潜め、亀裂の奥へと意識を集中させた。

ゴゴゴゴと響く大地の鳴動と、噴き上がる瘴気の風の音。しかし、その奥底に耳を傾けると、確かにそこには、千年の闇の中で誰かに助けを乞うような、すすり泣く女性の声にも似た微かで悲痛な波長が混じっていたのである。

 

「……本当だ。何かの、泣き声のような……」

 

ベルが赤い瞳を見開いて呟く。

マヤは静かに頷くと、紅茶のカップをソーサーに置き、全員に向かってとんでもない命令を言い渡した。

 

「あいつらが魂の奥で何を訴えているのか、俺はこの席から魔力の経路をよく観察して、最後まで聞き取りたい。だから、俺が解析を終えて合図を出すまで……お前ら全員で、あいつらを『殺さずに』頑張って押さえつけろ。本体の中にある核も魔石も、絶対に割るなよ」

 

ピシリ、と再び広間の空気が固まった。

数秒の沈黙の後、ロキ・ファミリアとフレイヤ・ファミリアの面々の顔に、「この人は一体何を言っているんだ!?」という驚愕の色が一斉に広がった。

 

(ま、マヤ殿……! 深層五十九階層から這い上がってくる格上の化け物を、殺しもせず、核も傷つけずに生け捕りのまま押さえつけろだなんて……それ、以前の抜き打ち訓練よりよっぽど難易度が高い無茶振りじゃないですか!!)

 

フィンが心の中で絶叫し、ラウルたち中堅団員や、オッタルたちフレイヤ陣営も「殺すなだと……!? 一歩間違えればこちらが死ぬ深層の怪物を相手に、手加減して拘束しろというのか……!」と冷や汗を流す。

 

しかし、その常軌を逸した高難度の命令に対し、誰よりも早く、そして歓喜に満ちた声を上げた少年がいた。

 

「――はいっ!! 任せてください、マヤさん!!」

 

最前列に立つベル・クラネルだった。

ベルの白い頬は高揚に紅潮し、両拳は震えるほどの喜びに満ちていた。

(マヤさんが……僕の憧れの英雄が、僕と同じ戦場に立って、僕にじかに命令を出して頼ってくれたんだ!!)

幼い頃から隠れ里でその伝説を聞いて育ち、ずっと背中を追い続けてきた男から「俺が解析するまで押さえろ」と役割を託された事実。それがベルの胸に、どんな恐怖をも吹き飛ばす熱い炎を灯していた。

 

「マヤさんがあの子たちの声を聞きたいなら、僕が絶対に殺さず、無傷のまま動きだけを止めてみせます! いいよね、ヴェルフ、命、春姫さん!」

「おうよ! 大将にそこまで言われちゃあ、鍛冶師の意地でも暴発はさせられねぇな!」

「はい、ベル殿! マヤ様の御意のままに!」

「わ、私も全力で皆様をお支えいたします!」

 

ヘスティア・ファミリアの四人が、一切の迷いなく目を輝かせて武器を構える。

さらにその隣では、アストレア・ファミリアのアリーゼたちも、困惑するどころか嬉しそうに笑みを咲かせていた。

 

「ふふっ、殺さずに無力化して制圧しろだなんて、マヤさんに頼まれたら燃えるじゃない! それこそ、都市の治安を守る私たち『正義の派閥』の本領発揮よ!」

「ええ、まったくです。あのお方の無茶振りにはもう慣れましたが、誰かを救うための無茶ならば、この太刀、喜んで峰打ちに徹しましょう」

「マヤ殿のご期待に、必ずや応えてみせます!」

「ったく、みんな張り切っちゃって。ま、いいわ、私の罠で綺麗に足止めしてあげる!」

 

アリーゼ、輝夜、リュー、ライラの四人が颯爽と陣形を組む。

そしてロキ・ファミリアの三巨頭――フィン、ガレス、リヴェリアも、マヤの深紅の瞳に宿る真剣な光を見て、すぐにすべてを察して頼もしい笑みを浮かべた。

 

「なるほど……ただの意地悪や訓練ではなく、あの底にいる存在を救い出すための観察、というわけですね。理由があるなら納得です」

「カカカッ、殺すより生け捕りにする方が何倍も骨が折れるが、ワシらの腕の見せ所じゃな!」

「まったくだ。後衛の魔力制御がどれほど大変か分かっていない注文だが……いいだろう、私とレフィーヤたちで完璧に拘束してみせる」

 

マヤの性格と実力を熟知している面々が次々と順応し、戦う前から一切の悲壮感がない盤石の空気が出来上がっていく。

ただ一人たち、まだこの異常な空気についていけず呆然としていたオッタルたちフレイヤ陣営に向かって、マヤは紅茶のカップを持ったままニヤリと不敵に笑いかけて言った。

 

「おう、オッタル。よかったな? 敵を殺さずに動きを封じ込めるには、力任せに突っ込むんじゃなく、味方同士の緻密な連携と後衛の護衛が不可欠だ。お前らが上層でやってた基礎訓練を試すには、これ以上ないいい稽古ができるぞ」

「……っ! 承知した、マヤ殿。我らフレイヤ・ファミリアの意地と成長、その目にしかと焼き付けてもらおう!」

 

オッタルが重々しく頷き、大剣を構え直した、ちょうどその瞬間であった。

 

ズガァァァァァァンッ!!

ウダイオスの間の中央に走っていた巨大な亀裂が、耳を劈く轟音とともに内側から爆発するように砕け散った。

舞い上がる白骨の粉塵とドス黒い瘴気の中から、二つの異形の巨影が、白骨の広間へと同時に這いずり出てきたのである。

 

一体は、巨大な食人花の花弁と無数の氷の触手が絡み合い、その中心に女性の半身のような歪な結晶体と巨大な宝玉の核が埋め込まれた怪物。

そしてもう一体は、四本の長大な腕を持ち、道中のモンスターの白骨や割れた魔石を無理やり自身の肉体にツギハギして鎧のように纏った、禍々しい人型の怪物であった。

 

千年前の古代、迷宮から溢れる厄災を抑えるために天界から遣わされながら、迷宮の底で捕食され、神々への逆襲の生体兵器へと反転させられた二柱の大精霊――『スフィア』と『レギナス』。

本来であれば、暗黒期の無数の死体や魔石を喰らって肥大化し、五十九階層から六十階層にかけて極大の氷結結界を張って冒険者たちを分断し、神の恩恵(ファルナ)を無効化する領域を展開して絶望をもたらすはずだった最凶の怪物たちである。

 

しかし、この世界における彼女たちは、あまりにも哀れなほどに痩せ細っていた。

二十年前に黒龍がマヤに封印され、暗黒期が死者ゼロで即座に終了し、地上からの栄養供給役となるはずだったヴァレッタが黄昏の館の床を磨く狂信メイドとなり、さらには制御役のエニュオまで天界へ送還された結果、彼女たちは二十八年間一度もまともな餌を与えられず、五十九階層の底で極限の栄養失調に陥っていたのだ。

恩恵を無効化する結界を張るための魔力など一滴も残っておらず、ただ空腹と迷宮の呪いに突き動かされるまま、先日この三十七階層に漂った『マヤの懐にある本物の黒龍の巻物の匂い』と、マヤの愛を受けて健やかに育った『アイズの純粋な風の生命力』という二つの特上の餌に釣られ、フラフラと同じ広間へ這い上がってきたのである。

 

『……アリア……お腹が、空いた……スフィア……タスケテ……』

『……レギナス……苦しい、熱い……あの光が、欲しい……殺して、タスケテ……』

 

二体の怪物は、ノイズの混じった掠れた女性の声で、自分たち自身の古の名前と悲痛な救難信号をうわ言のように繰り返しながら、虚ろな瞳を後方のマヤの懐と、前線のアイズへと向けた。

ガリガリに衰弱しているとはいえ、腐っても六十階層から自力で這い上がってきた古代の大精霊の器である。

左側の花弁の怪物(スフィア)からは**Lv.7相当**、右側の四本腕の骨の怪物(レギナス)からは**Lv.8相当**という、深層の階層主ウダイオス(Lv.6)を遥かに凌駕する暴力的で圧倒的な魔力圧と質量が放たれ、広間の白骨の床がミシミシと音を立ててひび割れた。

 

「っ……! 怪物自身が『スフィア』『レギナス』と、まるで人の名前のようなものを泣きながら呟いている……!?」

 

ベルが驚愕に息を呑む中、後方の丸テーブルから戦況を見渡していたマヤの鋭い号令が飛んだ。

 

「いいか、全員よく聞け! 左の花弁の個体(スフィア)はLv.7相当だ、ベルたちとアストレア・ファミリア、それにオッタルたちとゼノスで抑え込め! 右の四本腕の個体(レギナス)はLv.8相当ある、フィンたちロキ・ファミリアの主力全員で囲んで動きを封じろ! 繰り返すぞ、絶対に核を砕いて殺すなよ! ――総力戦、開始だ!!」

 

マヤの号令と同時に、広大なウダイオスの間が二つの戦場へと分かれ、前代未聞の『殺さずの制圧戦』が幕を開けた。

 

***

 

『アァァァァァァッ……お腹が、空いたぁぁぁっ!!』

 

左側の戦場では、Lv.7相当の力を放つ穢れた精霊スフィアが悲痛な絶叫を上げ、その巨体から数十本の極太の氷の触手と、暴走した光の魔力弾を全方位へ向けて豪雨のように乱射しながら、マヤのいる後方へと突進を開始した。

 

この世界において「レベルが一つ違う」ということは、子供と大人、あるいは人間と怪物ほどの絶対的な身体能力の格差が存在することを意味する。

どれほど飢餓で痩せ細っていようとも、Lv.7の怪物が振り回す純粋な質量と魔力の奔流は、Lv.6のオッタルやアリーゼたちにとっても正面から受け止めれば骨が軋むほどの重圧であり、Lv.3のベルやLv.2のヴェルフ・命にとっては、掠っただけで命を落としかねない死の暴風であった。

 

「ぐ、うううっ……! なんという重さだ、これが深層最奥から這い上がってきたLv.7の質量か……!」

 

最前線に立ち、身の丈を超える剛剣でスフィアの巨大な主触手を受け止めたオッタルの足元で、白骨の地面がクレーター状に陥没する。猛烈な衝撃にオッタルの太い腕の筋肉が膨れ上がり、口端から血が滲んだ。

 

「だが、ここで一歩でも退けばマヤ殿に合わせる顔がない! アレン、ヘディン、ヘグニ、ガリバー兄弟! 上層での訓練通り、護衛陣形を絶対に崩すな! 後方の春姫殿たちの詠唱を死守しろ!」

「言われるまでもない! 誰があの男の前で無様な姿を晒すか! 右から回り込む触手は俺が叩き落とす!」

「魔力弾の乱射が来るぞ! ヘグニ、斜め前から剣筋を合わせて軌道を逸らせ! 殺さずに受け流すのだ、力加減を誤るなよ!」

「心得ている、ヘディン! 我が黒剣、今日は断つためではなく、仲間を守る盾として振るうのみ!」

「「「「四人で一つの壁となる! 下から這い寄る氷の根は俺たちがすべて堰き止めるぞ!」」」」

「ちっ、どいつもこいつも必死なツラしやがって! おらぁっ、上から垂れてきた触手は俺が蹴り上げてやるよ!」

 

オッタルが正面の最大威力を一身に受け止め、アレンとベートが高速の遊撃で側面からの触手を弾き返し、ヘディンの的確な指揮のもとでヘグニとガリバー兄弟が魔力弾を防御する。さらに負傷した前衛の足元へは、ロキ・ファミリアのポーション部隊からアスフィ特製の高効率ポーションが次々と正確に投げ込まれ、瞬時に傷を癒やしていく。

かつて個人の武に溺れていたフレイヤの眷族たちが、今は後ろの仲間を守るための泥臭くも完璧な防波堤となってLv.7の猛攻を食い止めていた。

 

しかし、それでもLv.7とLv.6以下の間にある絶対的なステータスの壁は分厚く、スフィアが泣き叫びながら魔力を膨張させると、オッタルたちの防衛ラインがじりじりと後方へ押し下げられ始めた。

 

その時、オッタルたちの背後に守られていた極東の狐人――春姫の周囲に、眩い金色の魔力の光輪が咲き誇った。

 

「『打ち鳴らせ、幸いの小槌――【ウチデノコヅチ】!』」

 

春姫の凛とした声とともに放たれた、規格外の階位昇華(レベルブースト)の魔法。

金色の光の槌が宙で弾け、五つの光球となって前線のオッタル、アリーゼ、輝夜、リュー、そしてベルの身体へと吸い込まれていく。

 

ドクンッ! と、五人の全身の血管と恩恵(ファルナ)が熱く脈動し、そのステータスが一時的に『丸々一レベル分』引き上げられた。

 

「……おおおっ! 力が、全身の奥底から溢れ出してくる……! これが狐人の娘の昇華魔法か!」

 

一時的に**Lv.7相当**の領域へと足を踏み入れたオッタルが咆哮を上げ、剛剣を振るってスフィアの巨大な触手を正面から力ずくで押し返した。

そして同時に、同じく**Lv.7相当**へと引き上げられたアストレア・ファミリアのアリーゼ、輝夜、リューの三人が、ライラの支援を受けながら左右から疾風のように切り込んだ。

 

「すごいわ春姫ちゃん、身体が羽みたいに軽い! これならLv.7の相手とも真っ向から渡り合えるわ! 行くわよみんな、またマヤさんが『殺さずに押さえろ』なんて無茶なこと言い出してるけど、最高にカッコいいところ見せてやりましょう!」

「まったく、あのお方はいつも私たちの限界のさらに上を試してくださいますね! ですが、そうやって頼られるのは嫌いではありませんよ――参ります、一刀両断……ではなく、触手のみを削ぎ落とします!」

「マヤ殿がお茶を飲みながら見ておられるのです、無様な姿は晒せません! 風よ、彼の者の本体は傷つけず、暴れる枝葉のみを刈り取りなさい!」

「お姉様たちばっかり良い格好しないでよね! 本体の死角には私が特製の閃光玉と粘着罠を仕掛けておいたわ! 視界と足元を奪うから、今のうちに外殻を引っぺがしなさい!」

 

ライラが投擲した閃光玉がスフィアの視覚器官を眩ませた瞬間、アリーゼの紅い剣と輝夜の太刀、そしてリューの風の刃が三位一体の連撃となって炸裂し、スフィアの周囲で暴れ回っていた数十本の氷の触手を根元から鮮やかに斬り落とした。

さらに、横合いから飛び出した黒い猛牛アステリオスとリド、グロスたち異端児(ゼノス)の面々が、ベルの視線にビクビクと背筋を伸ばしながらも『ウオオオオオオッ!!』と咆哮を上げ、触手を失って露わになったスフィアの下部肉塊へ左右から組み付いて、その圧倒的な怪力で地面へと押さえつけにかかった。

 

『ア、アァァァッ……イヤ、苦しい……スフィア……消えたく、ないぃぃぃっ!!』

 

四方を囲まれ、触手を削がれたスフィアがパニックを起こしたように絶叫する。

次の瞬間、スフィアの胸部中央に埋め込まれた巨大な宝玉の核がドス黒い光を放ち、周囲の空間が歪むほどの膨大な魔力が一点へと収束し始めた。迷宮の防衛システム(呪い)が、捕獲されるくらいならば周囲の冒険者ごと自爆して吹き飛ばせと、神域の極大魔法を強制的に詠唱させ始めたのである。

 

「っ、マズい! あの魔力の収束量、まともに放たれればこの広間ごと吹き飛ぶぞ!」

 

ヘディンが顔色を変えて叫ぶ。

だが、その極大の魔力収束を前にして、不敵に口の端を吊り上げた赤髪の鍛冶師が前へと踏み出した。

 

「させるかよ! 相手がLv.7だろうが古代の精霊だろうが、デカい魔力を練り上げた時点で俺の獲物だ! お前が溜め込んだその呪いの魔力、外に撃ち出す前に腹の中で安全に暴発させてやる――喰らえ、【ウィル・オ・ウィスプ】!!」

 

ヴェルフが左手を突き出し、アンチマジックの言霊を解き放つ。

対象の魔力が強大であればあるほど威力が跳ね上がる紅蓮の魔力暴発が、スフィアの核の周囲で渦巻いていた詠唱魔力へと直撃した。

ボゴォォォンッ!! というくぐもった爆発音とともに、放たれる寸前だった極大魔法がスフィア自身の外殻の内側で強制的に暴発を起こし、スフィアの巨体が白煙を噴き上げて大きく仰け反った。

 

「今です、ベル殿! 私の全てを懸けて、かの者の自由を大地へ縫い止めます――【フツノミタマ】!!」

 

すかさず命が印を結び、渾身の魔力を込めた極大の重力結界を展開する。

目に見えぬ漆黒の重圧がスフィアの頭上から滝のように降り注ぎ、魔力暴発で怯んでいたスフィアの巨体をズズズンッ! と白骨の床へと強烈に押し潰して完全に動きを封じ込めた。

 

「みんな、ありがとう!! 最後は、僕が止める!!」

 

後方のテーブルから自分を見つめるマヤの深紅の瞳を背中に感じ、スキル『憧憬一途』が極限の輝きを放つ。さらに春姫の昇華魔法によって**Lv.4相当**の身体能力を得たベルが、白き閃光となって地面を蹴った。

 

(マヤさんが、この子の声を聞きたいって言ったんだ! だから核は絶対に傷つけない! 核から全身へ呪いの魔力を送っている、外殻の神経と魔力経路だけを断ち切る!)

 

ベルは跳躍しながら、右手のショートソードに「核を守る外殻の装甲をこじ開ける」という明確な意志を込めて大砲のように全力投擲した。

ガキンッ! とショートソードがスフィアの核のすぐ脇の外殻に突き刺さり、スフィアの意識がそちらへ向いた刹那。

ベルはすでにスフィアの胸元の懐へと到達し、空いた右手で腰の『ヘスティア・ナイフ』へと神速でスイッチしていた。

 

スキル『変幻自在』による爆発的な力と敏捷の特大ブースト。

ベルの赤い瞳が、隠れ里でアルフィアとザルドから叩き込まれた『暗黒期の解体術』の冷徹な精度をもって、スフィアの核の周囲に張り巡らされたドス黒い肉壁の神経束をミリ単位で見極める。

 

「ハァァァァァッ!!」

 

黒い短刀が、目にも止まらぬ神速の八連撃を描いて閃いた。

真ん中にある宝玉の核にはかすり傷一つつけぬまま、核と外殻の肉体を繋いでいた太い神経束と魔力供給管の関節だけが、スパン、スパン、スパンッ! と外科手術のような正確さで完全に切り離されたのである。

 

『あ…………っ』

 

動力の伝達を完全に断たれたスフィアの巨体から、スッと暴走の力が抜け落ちた。

無傷の核を抱えたままドサリと床に脱力したスフィアの上へ、すかさずオッタルとアステリオスが飛び乗り、その巨大な腕と肉塊をガッチリと白骨の地面へと押さえ込んで完全に行動不能へと追い込んだ。

 

***

 

一方、右側の戦場では、さらに熾烈な**Lv.8相当**の裏ボス『殺戮精帝レギナス』と、ロキ・ファミリアの主力陣による攻防が繰り広げられていた。

 

『……レギナス……アリア……その風を、力を、よこせぇぇぇぇっ!!』

 

モンスターの白骨を鎧のように纏った四本腕の巨躯が、空間を凍てつかせる吹雪と圧倒的な暴力を撒き散らしながら、前線に立つアイズ一人を狙って猛然と突進してくる。アリアの血を引くアイズを捕食し、自身の欠乏したエネルギーを埋めようとする本能の暴走だった。

 

Lv.8の怪物が放つ、四本の骨の剛腕による全方位からの同時圧殺攻撃。

しかし、その死の暴風を前にしても、先日Lv.7へと到達したばかりの剣姫アイズの黄金の瞳には、微塵の揺らぎも焦燥もなかった。

 

「……遅い。動きが大振りすぎる」

 

アイズは能面のような美貌に、家族の前でだけ見せる小さな笑みを浮かべた。

 

「マヤが稽古で振るう『血濡れの棒』の方が、これより百倍速くて、千倍怖い。……そんな鈍い手じゃ、私には一生触れられないよ。ざっこ♡」

 

シュッ、とアイズの周囲に極小圧縮された翠の風が纏われる。

スキル『風遁剣姫(アリエル・極)』。マヤの木の棒による神速の打撃を何年も紙一重で躱し続けた極限の歩法により、アイズの身体はレギナスの四本の剛腕の隙間を、まるで最初からそこに道があったかのように無音ですり抜けた。

そしてすれ違いざま、不壊の細剣『デスペレート』の腹(峰)に風の衝撃波を乗せ、レギナスの胸の核ではなく、振り下ろされた右側二本の腕の肘関節だけをガツン、ガツンッ! と的確に叩き上げて軌道を空へと弾き飛ばした。

 

「アイズさんばっかりマヤ様に良いところを見せないでください! 『千手参謀』の名にかけて、その化け物の足元と死角はすべてリリが制圧します!」

 

弾かれたレギナスの体勢がわずかに浮いた瞬間、背後の影から『幻影影法師』の隠密を解いたLv.7のリリが飛び出した。

リリはまず左手のクナイを『暗器投擲・極』の必中軌道でレギナスの両膝の裏の関節へと正確に撃ち込んで装甲を砕き、続けて右手に構えた長槍に小人族の英雄(フィアナ)の才覚を宿らせ、自身の何倍もあるレギナスの巨体の重心の軸を、槍の石突きによる絶妙な突き上げでガクンと大きく崩してみせた。

 

「あはははっ! マヤったらまた『殺さずに押さえろ』なんて無茶なこと言い出してるけど、そういうお祭り騒ぎ、私は嫌いじゃないよ! ほらティオネ、残りの左腕二本は私たちで引っ張り下ろすよ!」

「分かってるわよティオナ! フィン様とマヤが後ろで見てるんだから、一秒でも早くこのデカブツをおとなしくさせないとね! おらぁっ!!」

 

重心を崩したレギナスの左側二本の剛腕に、ティオナとティオネの双子が飛びつき、スキル『大熱波』と『大怒蛇』で跳ね上がったアマゾネスの怪力で、その腕を力ずくで白骨の地面へと引きずり下ろす。

 

「フィルヴィスさん、今です! 攻撃魔法ではなく、多重の拘束障壁でかの者の胴体を封じましょう!」

「ええ、レフィーヤさん! 私に温かい家族と笑顔をくださったマヤさんとロキ様のために……私の『白巫妖精(ディアー・アルヴ)』の力、すべて防壁の維持に注ぎ込みます!」

 

後方で並んで杖を掲げたレフィーヤとフィルヴィスが、息ぴったりの並行詠唱を完了させる。

白と翠の美しい光の鎖が幾重にも編み上げられた極大の拘束結界が、レギナスの胴体と四肢にガシャン、ガシャンッ! と絡みつき、その暴れる力を外側から強力に抑え込んだ。

さらにラウル、アナキティ、アリシア、エルフィたち中堅部隊も「結界の魔力補助に入れ!」「前衛の足元へ緩衝ポーションを投げ込め!」と一糸乱れぬ組織力で周囲を固め、リーネの治癒魔法が双子たちの擦り傷を即座に癒やしていく。

 

「皆さん、少しだけ道を開けてください! 私がこの日のために工房で改良を重ねた、対大型モンスター用の特大拘束具『タルタロス・改・極大仕様』を撃ち込みます! ――ガレスさん、締め上げをお願いします!」

 

保護眼鏡を光らせたアスフィが、大型の射出機から黒鉄と魔石繊維で編み込まれた極太の拘束ワイヤー網をレギナスの巨体へ向けて発射した。

ワイヤー網がレギナスの全身に覆い被さった瞬間、その両端をガッシと掴み取ったのは、Lv.8の重傑ガレスであった。

 

「おうよ、アスフィの嬢ちゃん! 殺さずに力ずくで縛り上げるなんざ、ワシの剛腕に一番向いとる仕事じゃわい! マヤの野郎の理不尽な木の棒に耐え抜いたこの鉄壁の筋肉、味わわせてやるわ――ぬおおおおおおおっ!!」

 

ガレスがスキル『地精大成・改』と『力精重甲・改』を全開にして全身の筋肉を鋼鉄のように膨張させ、Lv.8のレギナスが振り絞る必死の抵抗を正面から力でねじ伏せながら、『タルタロス・改』の拘束ワイヤーをギリギリと限界まで締め上げていく。

 

『グ、アァァァァッ……ハナセ……アリア……マダ、タリナイ……!!』

 

それでもなお、迷宮の呪いに突き動かされたレギナスが最後の魔力を振り絞り、拘束を引き千切ろうと暴れ回る。

その前に進み出たのは、翡翠色の髪をなびかせたLv.8の副団長、リヴェリアであった。

 

「まったく、あの男はいつもいつも、後衛の魔力計算が狂うような注文ばかりつけおって……」

 

リヴェリアは後方の丸テーブルで自分を見守っているマヤの姿をチラリと意識し、エルフの長い耳をわずかに朱色に染めながらも、王族の気高き魔導士としての覇気を宝玉の杖へと集約させた。

 

「だが……あいつの頼みとあらば、失敗するわけにはいかん! 『妖精王唱・改』――凍てつく氷の楔よ、核には指一本触れず、暴れる四肢と関節のみを大地へ永久に縫い止めろ! 【ヴェール・ブレス・改】!!」

 

無詠唱に近い神速の連結と、ミリ単位の精密極まる魔力制御。

放たれた絶対零度の冷気が、レギナスの胸元にある核の周囲だけを綺麗に避け、ガレスと双子が押さえ込んでいた四本の腕と下半身だけを、巨大な氷山のような分厚い氷塊へと瞬時に包み込んで白骨の床へと完全に凍結・固定した。

 

「よし、総員お見事だ! やはり僕たちは、Lv.9になんてならなくても、マヤ殿に鍛えられた今のLv.8の力と家族の絆があれば、どんな敵でも完璧に抑え込める! ――これで、とどめの無力化だ!」

 

最後に、スキルを発動させて黄金の輝きを纏った団長フィンがレギナスの肩口へと軽やかに跳躍し、愛用の長槍の石突き(柄の先端)を、レギナスの首の付け根にある運動神経の要所へと、チャクラの打撃を応用した鋭い一撃でガツンッ! と正確に叩き込んだ。

 

『ガ、ハッ…………』

 

全身の運動神経を一時的に遮断されたレギナスは、氷の拘束と『タルタロス・改』に縛り上げられたまま、ついにガクリと頭を垂れて抵抗の力を失った。

 

***

 

激闘の嵐が止み、広大なウダイオスの間に、戦士たちの荒い息遣いだけが静かに木霊する。

白骨の床の上には、五十九階層から這い上がってきたLv.7のスフィアとLv.8のレギナスという二体の大怪物が、胸元の宝玉の核に傷一つつけられないまま、四肢の自由と動力だけを完璧に奪われ、並び立つようにして地面へと縫い止められていた。

 

参加した冒険者たちは誰一人として欠けることなく、それどころか重傷者すらゼロ。

春姫の昇華魔法、ヴェルフと命の妨害、ベルの神速の解体術、オッタルたちとゼノスの泥臭い盾、アストレア陣営の連撃、そしてロキ・ファミリアの圧倒的な個と組織の力が見事に噛み合い、深層の二大脅威を文字通り『無傷で生け捕り』にしてしまったのである。

 

『……アリア……スフィア……タスケテ……寒いよぉ……』

『……レギナス……苦しい……この闇から、出して……』

 

完全に動きを封じられながらも、二体の怪物の核からは、涙のような淡い光の粒子がポロポロとこぼれ落ち、悲痛なうわ言が途切れ途切れに漏れていた。

 

その時。

後方の丸テーブルで、ヘイズと一緒にその制圧劇の一部始終を静かに観察していたマヤが、カップに残っていた最後の紅茶をゆっくりと飲み干し、白磁のソーサーの上にコツン、と静かな音を立てて置いた。

 

「お見事でしたね、マヤ様。あのお二人の泣き声……なんだか、胸が締め付けられますぅ……」

「ああ。だが、もう泣かなくて済むさ」

 

マヤが立ち上がると、傍らに控えていたヴァレッタが即座に椅子を引き、背後の何もない空間で透明化していたアルフィアも静かに気配を整えた。

マヤはヘイズの頭を軽く撫でてから前へと歩き出し、空間収納から一本の『綺麗な木の棒』を取り出して、軽く右肩に担いだ。

 

「マヤさん! 約束通り、傷つけずに押さえ込みました!」

「マヤ殿、こちらの拘束も完了しましたよ!」

 

目を輝かせて振り返るベルと、額の汗を拭うフィン。さらにオッタルやアリーゼ、アイズやリヴェリアたちが左右へと道を開け、歩み寄ってくるマヤへと視線を集める。

 

マヤは荒い息を吐く全員の顔をぐるりと見渡すと、心から満足げに、そして誇らしげに口角を上げた。

 

「全員、見事な手際だった。誰一人欠けず、核にヒビ一つ入れずにLv.7とLv.8を押さえ込むなんざ、お前らにしかできねぇ芸当だ。……おかげで、こいつらの魂の奥で何が泣いてるのか、迷宮の呪いの魔力経路まで全部綺麗に読み取れたぞ」

 

大黒柱からの極上の賛辞に、ベルが歓喜に頬を染め、ロキ・ファミリアの少女たちやアリーゼたち、そしてオッタルたちまでもが誇らしさに胸を熱くする。

 

マヤはそのまま歩みを進め、氷と拘束具に縛り上げられて涙の粒子をこぼしている二体の怪物――スフィアとレギナスの真正面で足を止めた。

 

「さて……お前たちの仕事はここまでだ。よく頑張ったな」

 

マヤが右手に握り直した『綺麗な木の棒』に、神々が授ける恩恵(ファルナ)の理とは全く異なる、温かくも超高密度な翡翠色の医療チャクラと浄化の闘気が、淡く、しかし眩いほどの輝きをもって灯り始める。

 

「ここからは俺の番だ。こいつらの魂に何百年もへばりついて泣かせてやがる『迷宮の呪い』だけを、俺が綺麗に引っぺがして、本来の姿に戻してやるよ」

 

静かに振り上げられた一本の木の棒が、深層の闇と千年の呪縛を優しく断ち切るため、二体の核へと向かって真っ直ぐに振り下ろされようとしていた。

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