「男の掃除は終わった。……お嬢ちゃんたち、次は誰が俺の棒(これ)を味わう?」
血の滴る木の棒を肩に担ぎ、深紅の瞳をギラつかせるマヤ。
ゼウス・ファミリアの誇る二大巨頭、マキシムとザルドが、文字通り赤子の手をひねるように粉砕された。その異常すぎる現実を前に、ヘラ・ファミリアの女性陣は完全に沈黙していた。
LV9。オラリオにおいて、いや世界において、最強の女性として君臨してきたヘラ・ファミリアの団長たる『女帝』。
彼女は今、自身の全身の細胞がかつてないほどの警鐘と、そして理解不能な『熱』を帯びているのを感じていた。
(私が、震えている……?)
自身の両手を見下ろす。数々の強力なモンスターを屠ってきたその手が、微かに痙攣している。
恐怖だ。目の前に立つ、規格外の暴力の化身に対する純粋な生物としての恐怖。
しかし、それと同時に、女帝の奥底にある『女』としての本能が、絶対的な強者たる雄(アルファ)を前にして、甘い痺れのようなものを脳裏に走らせていた。
「……冗談じゃないわ」
女帝はギリッと奥歯を噛み締め、その震えを強引に抑え込んだ。
ここで退けば、オラリオの、ヘラ・ファミリアの誇りが完全に地に落ちる。何より、女帝としての己のアイデンティティが崩壊してしまう。
「私を、私たちを誰だと思っているの! 私はヘラ・ファミリア団長! このオラリオで最強の女よッ!」
女帝が吠えた。
同時に、レベル8の桁外れの魔力と闘気が爆発し、荒野の空気をビリビリと震わせる。彼女はマキシムたちのような純粋なパワーファイターではない。圧倒的な速度と技、そして魔力を織り交ぜた万能の殲滅者である。
「消し飛べッ!」
目にも留まらぬ神速の踏み込み。女帝の放つ必殺の刃が、マヤの首筋を的確に捉え——。
「遅いな。それに、殺気が真っ直ぐすぎる」
——キンッ。
澄んだ音が響いた。
女帝の全力の一撃は、マヤが左手の指二本でつまんだ『サバイバルナイフの腹』によって、完全に受け止められていた。
「なっ……!?」
「男(マキなんとか)の攻撃よりは鋭いが、所詮はシステムの数値に頼っただけの直線的な動きだ。忍の体術からすれば、素人の盆踊りと大差ない」
マヤはため息をつきながら、右手で持っていた血塗れの『木の棒』をポイッと地面に投げ捨てた。
「え……?」
女帝が虚を突かれた瞬間、マヤの右手が蛇のように滑り込み、彼女の細い手首をふわりと、しかし絶対に逃れられない万力の強さで掴み取った。
「っ!? 離しなさいッ!」
「暴れるな。俺は女の綺麗な肌に、怪我をさせる趣味はないんだ」
マヤは女帝の腕を軽く引き寄せると、そのまま彼女の身体を反転させ、自身の厚い胸板へと背中から強く押し付けた。
いわゆる、完全な拘束(バックハグ)の体勢である。
「あ、ぁ……っ!?」
密着した背中から伝わってくる、尋常ではない男の熱と、雄の匂い。
そして、耳元で低く囁かれる、鼓膜を直接撫でるような声。
「最強の女、ね。くだらないな。そんな重たい肩書きを背負って、こんな死地にまで女連中でやってきて。……本当は、怖いんじゃないのか?」
「こ、怖くなんか——!」
「強がらなくていい。お前は確かに強いが、俺から見ればただの可愛い『お嬢ちゃん』だ。女は、そんな悲壮な顔をして戦場に立つもんじゃない。男の後ろで、ただ笑っていればいいんだよ」
マヤの大きな手が、女帝の顎を優しく、しかし強引に掴み、上を向かせる。
視線が交差する。
深紅の瞳が、女帝の強固なプライドの鎧を、いとも容易く透過して一番柔らかい部分を鷲掴みにした。
「ッ……ぁ……」
女帝の顔が、一瞬にして林檎のように真っ赤に染まり上がった。
数十年生きてきて、ただの一度も男に後れを取ったことがない。誰かに守られることなどなく、常に先頭で戦い続けてきた。
そんな彼女を、まるで小鳥でも扱うかのように優しく拘束し、「俺の後ろで笑っていろ」と言い放つ規格外の男。
強すぎるプライドは、それを遥かに凌駕する圧倒的な理不尽(オス)の前に晒された時、脆くも崩れ去り、強烈な依存と服従へと裏返る。
「お前はもう、女帝なんて肩書きで気を張らなくていい。俺が、お前たちをこんな馬鹿げた死地から解放してやる」
「あ……、あ……」
チャキン、とマヤが女帝の武器を弾き落とす。
もはや、女帝の身体からは完全に力が抜け落ちていた。彼女の膝がガクンと崩れ、マヤの腕の中にすっぽりと収まり、もたれかかる。
完全に『骨抜き』にされた瞬間だった。
オラリオ最強の女帝が、出会って数分の男の腕の中で、顔を真っ赤にして蕩けたような吐息を漏らしている。
「だ、団長……!?」
その信じられない光景に、後方にいたアルフィアが悲鳴のような声を上げた。
自分たちの絶対的なカリスマであった女帝が、たった一言二言の言葉と圧倒的な力を見せつけられただけで、完全に『堕とされて』しまったのだ。
「貴方、団長に何を……ッ! 離しなさい!」
アルフィアが再び魔力を練り上げようとする。
だが、その瞬間。
「——ゴホッ、ガハッ……!」
過剰な魔力行使と、極度の緊張が引き金となり、アルフィアの生来の不治の病が牙を剥いた。
彼女は激しく咳き込み、その口から鮮血を吐き出してその場に膝をついた。
「アルフィアッ!?」
ヘラの団員たちが駆け寄ろうとするよりも早く。
フッ、とマヤの姿が女帝の後ろから消え、次の瞬間にはアルフィアの目の前にしゃがみ込んでいた。
「っ……! こ、来ないで……!」
恐怖に顔を引きつらせるアルフィア。
しかし、マヤは先ほど男たちをボコボコにした修羅の表情を完全に消し去り、底なしの慈愛を湛えた瞳で彼女を見つめていた。
「無理をするな。その体で魔力を練れば、命が縮むぞ」
マヤの大きな手が、アルフィアの血に濡れた口元を自身の袖で優しく拭う。
「え……?」
「可哀想に。才能の代償に、病を背負わされたか。……泣いた赤鬼を救うのが、俺の役目だ。こんな悲劇、俺が許さない」
マヤの手から、先ほどマキシムを治療したのとは桁違いの、純粋で温かい緑色の光(医療チャクラ)が放たれ、アルフィアの身体を包み込んだ。
「な、なに、これ……痛みが、息苦しさが……嘘でしょ?」
アルフィアの青白かった顔に、みるみると血の気が戻っていく。不治と宣告されていた病魔が、マヤの圧倒的な事象改変の力によって、根こそぎ浄化されていく感覚。
「さあ、これで深呼吸できるだろ。もう大丈夫だ」
マヤは優しく微笑み、アルフィアの頭を撫でた。
その温かさと、理不尽なまでの優しさに触れ、アルフィアの目からボロボロと大粒の涙が溢れ出した。
(ああ……この人は、鬼なんかじゃない。私を救ってくれる……)
戦闘は、完全に終わっていた。
ゼウスの男たちは物理的な暴力で完全に叩き潰され、ヘラの女たちは圧倒的な強さと底なしの包容力によって精神(プライド)を完全にへし折られ、そして救済された。
「さて、と」
マヤは立ち上がり、戦意を完全に喪失し、座り込んでいるゼウスとヘラの面々を見渡した。
「俺の実力は十分に分かってもらえたな。これでもまだ、あのクレーターの底にいる『黒龍』とやらに挑みたい奴はいるか?」
マヤの背後、黒龍の谷の方角から、彼が仕掛けた幻術による『偽りの黒龍』の圧倒的なプレッシャーと瘴気が漂い始めていた。
ただでさえマヤ一人に全滅させられた彼らに、さらにその奥に控える本物の絶望(ダミーだが)に立ち向かう気力など、残っているはずもなかった。
彼らは皆、絶望と、そして安堵の入り混じった顔で首を横に振った。
「よろしい。なら、ここからは俺の指示に従ってもらうぞ」
マヤは満足げに頷き、オラリオの歴史を根底から書き換える、理不尽極まりない通告を突きつけた。
「お前たちは今日、黒龍との激戦の末に敗北し、ファミリアは壊滅した。……そういうことにして、表舞台から全員隠居しろ」
「なっ……!?」
「これは提案じゃない、命令だ。オラリオの覇権は、俺の可愛い正妻(ロキ)のファミリアに明け渡してもらう」
英雄たちの偽りの絶望と、理不尽な救済。
オラリオの二大巨頭は、誰一人死ぬことなく、歴史の表舞台から完全にその姿を消すこととなったのである。