ダンジョンに鬼がいたらそうなる件   作:マイナーチョコ

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第14話:無自覚なオリオンと特大嫉妬

オラリオから遠く離れた、古代の遺跡が眠る山岳地帯。

「少し、散歩と腹ごなしに行ってくる」と言い残して拠点を出たマヤは、風の向くままにこの地を訪れていた。

豊かな自然に囲まれた静かな遺跡——のはずが、現在は大地を揺るがす轟音と、岩盤が砕ける耳障りな音が響き渡っていた。

 

「シャァァァァァァァッ!!」

遺跡の中央で暴れ狂っていたのは、水晶のような硬質の外殻を持つ、巨大なサソリの化け物であった。

古代から封印されていたとされる『神をも喰らう魔蠍』の幼体(とはいえ、家屋ほどの大きさはある)。そのハサミが一振りされるだけで大気がひしゃげ、極太の尻尾から放たれる毒針は岩山を豆腐のように貫いていた。

 

「なんだ、ただのデカい虫か。……まあ、食後の運動には丁度いい」

マヤは欠伸を一つ噛み殺し、懐から無骨なサバイバルナイフを取り出した。

圧倒的な暴力で一撃のもとに粉砕することもできる。だが、それでは自身の『力加減』の鍛錬にならない。

マヤは最近、自身の規格外の筋力と気を、この壊れやすいナイフを通して精密にコントロールする修行を行っていた。オラリオの強者たちとの戦い(という名の蹂躙)で、木の棒やナイフを『いかに壊さずに相手を無力化するか』という手加減の難しさを再確認したからだ。

 

「よし。甲殻の隙間を縫って、最小の動きで解体してやる」

 

マヤは姿勢を低くし、静かに息を吐いた。

魔蠍が侵入者であるマヤに気づき、怒り狂って巨大な右のハサミを振り下ろす。直撃すればミンチになる死の凶器。

しかし、マヤは避けない。

ハサミが迫るその瞬間、ほんの半歩だけ軸をずらし、刃のように鋭いハサミの側面に自身のナイフの腹をそっと添えた。

「力を逃がす」

ギリィッ! と火花が散る。マヤはナイフを通じて魔蠍の圧倒的な質量と運動エネルギーを受け流し、軌道を逸らした。自重に振り回された魔蠍の体勢が大きく崩れ、関節の柔らかい部分が無防備に晒される。

 

「一丁上がり」

マヤは流れるような動きで魔蠍の懐に滑り込み、関節の隙間にナイフを突き立て、そのまま魔力(かつてチャクラと呼んでいた生命エネルギー)を刃先に集中させて滑らせた。

『ギギャァァァァッ!?』

硬い甲殻そのものを叩き割るのではなく、関節の結合部を精密に切断する。巨大な右のハサミが、音を立てて地に落ちた。

 

「次、尻尾」

振り向くよりも早く、背後から迫る毒針の気配を察知。マヤは振り返らずに上体を逸らして毒針を躱すと、その勢いを利用してナイフを回転させ、尻尾の付け根の神経節を的確に切断した。

巨獣と人間という圧倒的な体格差がありながら、戦闘を支配しているのは完全にマヤの方だった。一切の無駄がない、舞踏のように洗練された体術と、緻密な刃のコントロール。

 

その芸術的ですらある解体作業を、遺跡の入り口に駆けつけていた者たちが息を呑んで見つめていた。

 

「あれは……何者ですか? あの魔蠍を、たった一人で……しかも、あんな小さなナイフ一本で……っ!」

青い髪をなびかせ、純白の狩衣を纏った美しい女神——アルテミスが、驚愕に見開かれた瞳でその光景を網膜に焼き付けていた。

彼女と彼女の眷族たちは、この地に封印されし魔蠍の復活を察知し、決死の覚悟で討伐に駆けつけたのだ。多大な犠牲を覚悟していた最凶の化け物が、見知らぬ青年の手によって、まるで解体ショーのように次々と無力化されていく。

 

「最後のトドメだ」

魔蠍が両腕と尻尾を失い、断末魔の悲鳴を上げながらマヤを押し潰そうと巨体を持ち上げた。

マヤはナイフを順手に持ち直し、極限まで圧縮した魔力を刃に纏わせる。

「ふっ!」

下から上へ。マヤが跳躍と共にナイフを振り抜くと、魔蠍の硬大な眉間から脳天にかけて、一筋の細い線が走った。

ズズンッ……! と、魔蠍の巨体が二つに割れ、光の粒子となって崩れ去っていく。魔石すらも精密に両断された、完璧な討伐だった。

 

「ふう。ナイフの刃こぼれもなし。力加減は完璧だな」

マヤはナイフの刃についた体液を軽く払い、満足げに頷いた。

その時である。

 

「す、素晴らしい……!」

背後からかけられた声に振り向くと、そこには青髪の女神アルテミスが、頬を紅潮させ、両手を胸の前で組んで立っていた。その後ろには、呆然としているアルテミス・ファミリアの団員たち。

マヤはナイフをしまい、女性に対しては常に紳士的である自身の信条に従い、軽く頭を下げた。

「ああ、あんたたちの獲物だったか? 悪かったな、散歩のついでにちょっと運動したくて、横取りしちまった」

 

「い、いえ! 謝る必要などありません! 貴方のその洗練された武の美しさ、そして悪しき化け物を討ち果たす気高い精神……!」

アルテミスは、まるで恋する乙女のように目をキラキラと輝かせ、マヤにずいっと歩み寄った。

「貴方が……貴方こそが、私と契りを結ぶ運命の男! 私の『オリオン』なのですね!?」

 

「…………は?」

マヤの顔から、スッと表情が抜け落ちた。

 

女性の涙や、理不尽な悲劇に直面した悲しみに対しては、マヤはどこまでも熱く、底なしの慈愛を持って手を差し伸べる。

しかし。

(なんだこの、純度百パーセントのキラキラした好意は……っ!?)

悲劇でもなんでもなく、初対面でいきなり「運命の男!」と目を輝かせてグイグイ迫ってくるタイプの女性は、マヤにとって最も『対処に困る』部類だったのだ。

前世からの忍としての警戒心もあるが、根が純粋すぎる好意を向けられると、逆に気圧されてしまうという意外と初心な一面がある。

 

「あー……いや、オリオン? ってのはよく分かんねぇけど……」

「オリオン! おお、私のオリオン! どうかお名前を教えてください! そして、私と共に——」

さらに距離を詰めてこようとするアルテミス。

その凄まじい熱量に、マヤは思わず半歩後ずさった。

「あ、はい……おう。じゃ、俺、帰るんで。夕飯の時間だし」

 

言うが早いか、マヤは忍の神速の歩法——縮地を発動。

シュンッ! と風を切る音だけを残し、マヤの姿は掻き消えるように遺跡から姿を消した。

 

「あ……」

残されたアルテミスは、呆然と虚空を見つめた。

しかし、彼女の瞳の光は消えるどころか、さらに熱を帯びて燃え上がっていた。

「風のように現れ、私を救い(?)、名乗ることもなく風のように去っていく……。なんて、なんて奥ゆかしく素敵な殿方なのでしょう……!」

アルテミスは自身の胸をギュッと押さえ、うっとりと微笑んだ。

「ふふっ……逃がしませんよ。地の果てまで追いかけますわ、私のオリオン……!」

 

貞操の女神と呼ばれ、男を極度に嫌っていたはずのアルテミスの、あまりにも重すぎる『ロックオン』。

その背後で、彼女の眷族たちは「アルテミス様が、男に発情している……!?」と、この世の終わりでも見たかのような顔で頭を抱えていた。

 

***

 

オラリオ。ロキ・ファミリアの本拠地。

「——ってなわけで、今日、散歩の途中で青い髪の女に『オリオン』って呼ばれたわ」

 

夕食後の居間。

マヤは、ソファに座るロキの膝の上に頭を乗せ、極上の膝枕を堪能しながら、さも「今日の夕飯、美味かったな」くらいの軽いテンションで報告をした。

 

その瞬間。

ロキの細い目が、カッ! と限界まで見開かれた。

「…………は?」

「なんか、デカい虫をナイフの素振りついでに解体したら、目をキラキラさせて迫ってきてな。俺、ああいう純粋すぎる真っ直ぐな女って苦手なんだよ。だから適当に返事して帰ってきた」

マヤが欠伸をしながらそう言うと、ロキはワナワナと肩を震わせ、ついに大噴火を起こした。

 

「青い髪でオリオン!? それ、処女神のアルテミスやないかァァァッ!!」

「痛っ!? おいロキ、耳元で大声出すな」

「お前っ、お前っ! また勝手に神様をタラシ込んできたんかアホ旦那ァァッ! こないだのヘラといい、どんだけ無自覚にフラグ立てて回っとんねん!」

ロキはマヤの頬を両手で挟み、ギリギリと引っ張った。

「いたたた、離せ。別にタラシ込んだわけじゃない。勝手に勘違いされただけだ」

 

その騒ぎを聞きつけて、執務室から顔を出したフィン、リヴェリア、ガレスの三首領は、重いため息をつきながらお茶の準備を始めた。

「またか……」

フィンが胃の辺りを押さえる。

「マヤ殿の無自覚なタラシ込みは、もはや災害レベルだな。黒龍よりタチが悪いかもしれない」

リヴェリアが呆れ顔で紅茶を注ぐ。

「がははっ! 貞操の女神まで惚れさせるとは、うちの旦那のモテキは留まるところを知らねぇな!」

ガレスだけは面白そうに笑っていた。

 

「笑い事ちゃうわ! アルテミスはな、一回思い込んだら一直線のクソ真面目な女なんや! 絶対あとで面倒なことになるわ!」

ロキがポカポカとマヤの胸を叩く。

マヤはされるがままにしながら、ロキの手首を優しく掴んだ。

 

「落ち着け、ロキ。俺はお前の旦那だ。お前が一番の正妻であることに変わりはない」

マヤは真剣な深紅の瞳で、ロキを真っ直ぐに見上げた。

「俺は、前の世界で戦いの中に身を置いていた。明日の命も保証されない世界だ。だから、悲しむ女、俺を必要としてくれる女がいれば、その涙を拭って抱くし、愛を分け与える。そういう死生観(一夫多妻)が骨の髄まで染み付いているんだ」

 

マヤの言葉は、決して言い訳ではなかった。

ただの女好きではなく、常に死と隣り合わせだった者の、血を吐くような「生」への執着と「愛」の形。理不尽に泣く女性を一人残らず救済するという、彼の美学の根幹である。

「だが、俺が帰る場所は、いつでもお前の膝の上だ。お前が嫌だと言えば、誰とも寝ない。俺の心臓の半分は、お前が握ってるんだからな。……だから、そんなに怒るな。可愛い顔が台無しだぞ」

マヤはそう言って、ロキの鼻先を指でツンと突いた。

 

「っ……~~~!」

ロキの顔が一瞬にして真っ赤に染まり、頭からぷしゅーっと湯気を噴き出した。

「あ、アカン……ウチ、マヤのそういう真っ直ぐな言葉に弱すぎるんよ……っ。卑怯やわ……」

ロキは完全に絆され、マヤの胸に顔を埋めてぐりぐりと頭を擦り付けた。

「ウチが一番なら……ウチを一番愛してくれてるんやったら、まあ、浮気の一個や二個……いや、やっぱり腹立つけど! ちゃんとウチに許可取るんやで! 隠し事はなしや!」

「ああ、約束する」

マヤが優しくロキの朱色の髪を撫でると、ロキは蕩けたような顔で「えへへ……」と笑い声を漏らした。

 

「……完全に手懐けられているな」

「ロキ様の威厳が……」

「まあ、丸く収まったならそれでいいじゃねぇか」

三首領たちは、すっかり甘々になった夫婦の空間を眺めながら、平和なティータイムを満喫していた。

 

しかし、ロキは気づいていなかった。

アルテミスは「悲しむ女」ではなく、「純情で一直線に恋に落ちた女」であるということを。マヤがいくら初心で避けようとも、あの貞操の女神が一度火のついた想いを諦めるはずがない。

オラリオの外で、青髪の女神が「私のオリオン」を探して執念の追跡を開始していることなど、膝枕で心地よさそうに目を閉じる最強の鬼は、まだ知る由もなかった。

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