地下の隔離区画に立ちこめていた殺気と死臭は、いつの間にか綺麗に霧散していた。
花火と花吹雪の残り香が微かに漂う空間で、先ほどまで号泣していたヴァレッタは、マヤに言われた通り「明日からの床磨き」を心に誓わされたのか、トボトボと一人で(あるいは半狂乱のまま)地上へと逃げ帰っていった。
残されたのは、圧倒的な出来事の連続に脳の処理能力を焼き切られたアストレア・ファミリアの少女たちである。
「…………え?」
団長のアリーゼが、ぽかんと口を開けたまま、目の前で起きた光景を懸命に脳内でリビルドしようとしていた。
命を賭けた死闘になるはずだった。仲間を生かすために、誰かが自爆して犠牲になるという『悲壮な決意』の結末が、なぜか「敵の幹部がメイドとしてお持ち帰りされる」という、ギャグなのか大恋愛なのか分からないカオスな結末に着地している。
「あ、あの……」
エルフのリューが、わずかに震える足取りでマヤへと歩み寄った。彼女の青い瞳は、目の前の青年に向けられる恐怖と、それ以上に抗えない戸惑いの感情で大きく揺れている。
「貴方は……いったい、何者なのですか……? 闇派閥の罠を無効化し、あのような狂人を一言で従えて……。私たちは、貴方に救われました。ですが……」
リューは言葉を詰まらせた。
彼女たちの胸中には、命を救われたことへの深い感謝と同時に、自分たちの歩んできた『正義のあり方』を根底から揺さぶられたことへの動揺があった。
「ですが、何だ?」
マヤは、すっかり泣き止んで落ち着きを取り戻した少女たちを見回し、柔らかい笑みを浮かべながら問いかけた。
「私たちは……正義を貫くために、いつだって死を覚悟しています。仲間のためなら、自分の命を投げ出すことなど躊躇わない……それが、私たちの正義の形です。だから、先ほどアリーゼが言った『自己犠牲』も、私たちの誇りなのです。それを貴方は、『安っぽい感動ポルノ』だと否定しました……!」
リューの言葉には、生真面目な彼女なりの強い誇りと、譲れない信念が込められていた。
アリーゼもまた、ハッと息を呑み、マヤを見据える。
「そうよ! 私たちは街の平和を守るためなら、自分たちの命なんていつでも差し出す覚悟で戦ってるわ! それの何が悪いの!?」
誇り高く、気高い乙女たちの真っ直ぐな抗議。
だが、マヤは怒ることもなく、ただ呆れたように小さく息を吐いた。そして、すっと歩み寄ると、まず一番近くにいたアリーゼの頭に大きな手を置き、そのサラサラとした髪を優しく、しかし強引にぐしゃぐしゃと撫で回した。
「いてっ!? な、なにをするのよ、急に……!」
「お前な」
マヤの低い、しかし底なしの優しさを孕んだ声が、アリーゼの耳に直接響く。
「『正義』なんて立派な言葉を掲げるのは勝手だが……少し、力みすぎなんだよ」
マヤはアリーゼから手を離すと、今度は真剣な深紅の瞳で、ファミリアの少女たち一人ひとりの顔をしっかりと見据えた。
「行き過ぎた正義は、身を亡ぼす。……いや、それ以前の問題だ」
マヤはそこで言葉を区切り、静かに、しかし強く言い放った。
「自己犠牲なんてものはな、女がしちゃーいけねーのよ」
「——え?」
アリーゼが目を見開く。リューや、少し離れた場所で様子を伺っていた輝夜やライラたちも、その予想外の言葉に息を呑んだ。
「命を捨てる悲劇のヒロインになんて、誰もなりたくてなってわけじゃないだろ。仲間のために死ぬことが美徳? 綺麗事言うなよ。残された仲間がどれだけ泣くか、考えたことはねぇのか?」
マヤの声音には、先ほどまでの飄々とした態度が嘘のように、深い怒りと、それ以上に途方もない『慈愛』が満ちていた。
「女の涙は、世界で一番見たくねぇんだよ。仲間の笑顔を守るために自分が死ぬって、本末転倒だろ。そんなもので作られた平和や正義に、何の価値がある」
マヤはさらに一歩、少女たちとの距離を詰めた。
強すぎる力を持つ者が放つ圧倒的な包容力。そして、「女に痛みを背負わせたくない」という、純度百パーセントの雄としての生き様が、言葉の端々からあふれ出ている。
「そこはよ。……男が、一番かっこつけるために使わせてくれや」
「っ……!」
その言葉を聞いた瞬間、アリーゼの胸が激しく高鳴った。
理不尽な世界で正義を背負い込み、たった一人で「死ぬ覚悟」を常に背負って走っていた彼女にとって、その肩の荷をすべて受け止め、「そんな荷物は女が背負うな、男に任せろ」と笑い飛ばしてくれる存在など、今まで一人もいなかったからだ。
「なっ……何を、恥ずかしげもなく……!」
武闘派のガキ大将気質である輝夜は、顔を真っ赤に染め上げ、両手で自分の熱を持った頬をペタペタと叩いた。
「ふ、ふざけないでよ! 私たちは自分たちの意志で戦ってるのよ! 勝手に男に守られるべき弱者みたいに言わないで……!」
そう言いながらも、輝夜の視線はマヤの顔から完全に泳いでおり、心臓の鼓動がうるさいほどに跳ね上がっている。
生真面目ゆえに融通の利かなかったリューは、さらに深刻だった。
(なんなのですか、この男は……っ! 私たちの誇りを全否定しておきながら、そんな真っ直ぐな目で、温かい手で……。まるで、心の最も柔らかい場所を直接撫でられているような……!)
リューの心臓は激しく波打ち、全身の血が一気に沸騰したかのように顔から耳まで真っ赤に染まっている。女としての本能(直感)が、この赤髪の青年こそが自分の魂を狂わせる「最大の例外」であると警告を発しているのに、頭の中は彼に褒められたいという欲求でいっぱいに満たされていく。
「正義なんて堅苦しいものより、俺はお前らが笑って生きている世界の方が好きだ」
マヤは優しく微笑み、まだ動揺冷めやらぬリューの頭もポンと軽く叩いた。
「お前たちは、ただ笑っていればいい。面倒な害虫の駆除や、命を張る役目は、俺みたいな物好きの男に全部押し付けておけ。……それが、俺のやり方だ」
圧倒的な力。
一切の矛盾のない、理にかなった優しさ。
そして、女の尊厳と笑顔を何よりも重んじる絶対的な美学。
「……ずるい、人、ですね」
リューは下を向き、両手で自分の熱を帯びた頬を覆いながら、か細い声で呟いた。
アリーゼもまた、これ以上言い返す言葉を失い、ただ顔を赤くしてマヤの胸元を見上げることしかできなくなっていた。
正義の乙女たちの心を、理詰めの論破ではなく、底なしの「男の包容力」で完全に溶かし、メロメロに陥落させてしまう。
これこそが、マヤという最強の鬼が巻き起こす、美しくも理不尽な「救済」の形であった。
「さてと」
マヤは満足げにうなずくと、伸びをした。
「長居しすぎたな。アイズがポテトを全部食っちまう前に、拠点に戻るとするか」
そう言って背中を向け、ひらりと手を振りながら地下通路を歩いていくマヤの背中を、アストレア・ファミリアの少女たちは、もう二度と視線から外すことができないような熱を帯びた瞳で、ただじっと見送り続けていたのだった。
その頃地上では
俺がガネーシャダー。悪いやつらも覚えていけ。俺がガネーシャーだー。
そんな場合ですか!
はいはい、わかりましたよ。
シャクティ・ヴァルマど、アーディ・ヴァルマは、
闇派閥の陰謀あふれる日にも
ツッコミをいれるつつ、あきれるのであった。
お姉ちゃん、ガネーシャ様は楽しいね。
楽しいですって?まーあきないわね。