ガァァァァァァァァァァンッ!!
迷宮の壁が砕け、蒼鉛の破片が猛烈な勢いで吹き飛ぶ。
「シャァァァァァァァァッ!!」
絶望の象徴たる破壊の化身『ジャガーノート』は、今や完全に冷静さを失い、狂乱のままに巨大な爪を振り回していた。
視認すら困難な超音速の斬撃、刺突、尾による薙ぎ払い。そのどれもが一撃必殺の威力を誇りながら、しかしその全てが、ただの『木の棒』を持った赤髪の青年の前では児戯に等しかった。
「ほらほら、どうした? 動きが単調になってるぞ」
マヤは欠伸すら交じりそうな余裕の表情で、迫り来る死の暴風を完璧な重心移動と棒のいなしだけで捌き続ける。極限の魔力操作によって強度を限界まで引き上げられた木の棒は、ジャガーノートの爪と衝突するたびに甲高い金属音を響かせた。
その光景を、安全地帯の物陰から覗き見ていたジュラ・ハルマーは、ギリッと歯を食いしばりながらも醜く顔を歪めて嗤っていた。
(チィッ……何なんだあの規格外の化け物は……! だが、所詮はただの人間だ。あのスピードと威力の攻撃をいつまでも避け続けられるはずがねぇ。いずれ体力が尽きて、あの正義ヅラした小娘どもと一緒にミンチになる運命だ……ざまぁみろ!)
ジュラは己の勝利を信じて疑わなかった。
だが、彼は決定的な事実を見落としていた。マヤがジャガーノートの攻撃をいなしながら、少しずつ、しかし確実に『立ち位置』をズラしていることに。
マヤの足運びは、野生の暴力に過ぎないジャガーノートの突進軌道を完璧にコントロールし、誘導していた。その誘導の先にあるのは——他でもない、ジュラが潜んでいる瓦礫の物陰である。
「マヤ! 詠唱が終わったぞ!」
その時、後方で長杖(マグナ・アールヴ)を構えていたリヴェリアの声が響いた。
彼女の杖の先端には、オラリオ最強の魔導士が紡ぎ出した極大の破壊魔法が、今まさに暴発寸前の熱量を持って渦巻いていた。標的は、変わらず明後日の方向にある『巨大な水晶樹』である。
「よし」
マヤは木の棒でジャガーノートの爪を弾きながら、背後のアストレア・ファミリアの少女たちへと声を飛ばした。
「よく見とけよ、正義の乙女ども。まずは『ダメな前衛のパターン』だ」
「ダメな……前衛……?」
アリーゼが呆然と呟く中、マヤの深紅の瞳が冷徹な光を放った。
「前衛ってのはな、敵のヘイト(敵意)を完全に自分に向けさせ、後衛に指一本触れさせないのが絶対のルールだ。——つまり、こういう風に敵を後方に逸らす奴は、前衛失格ってことだ」
マヤはそう言い放つと、ジャガーノートが全身のバネを使って放った超音速の飛び掛かりに対し、あえて木の棒での防御を行わなかった。
代わりに、忍の極意——極限の歩法によって自身の『気配』と『存在』を一瞬にして完全にブレさせ、突進の軌道から滑るように横へとズレたのだ。
「ギ、ェ……?」
目の前にいたはずの最大の標的が、煙のようにフッと消滅した。
空中に飛び出していたジャガーノートは、急に目標を見失い、しかしその凄まじい突進の勢いを殺すことはできず、一直線に後方へとすっ飛んでいく。
その延長線上にいたのは。
「——は?」
物陰でほくそ笑んでいたジュラだった。
彼の目の前に、突如として視界を黒く塗りつぶすほどの巨大な化け物が、猛スピードで飛んできたのだ。
「あ、ぎっ——」
ドゴォォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!
悲鳴を上げる暇など、一秒たりとも与えられなかった。
激突の凄まじい轟音と共に、ジャガーノートの巨大な爪が瓦礫ごとジュラの身体を捉え、無慈悲に、そしてあまりにもあっけなく『真っ二つ』に両断した。
自分が道連れのために呼び出した破壊の化身によって、自分自身が肉片へと変えられる。
これ以上ないほど皮肉で、圧倒的な因果応報(ざまぁみろ)の瞬間であった。
「なっ……ジュラが……!」
長年追い続けてきた宿敵の、あまりにも呆気ない、自業自得の最期。
リューや輝夜たちが絶句する中、マヤは肩をすくめた。
「因果応報だな。他人に悲劇を押し付けようとしたクズには、お似合いの末路だ。……さて」
ジュラを両断し、壁に激突して体勢を立て直したジャガーノート。
マヤという標的を見失った化け物の本能は、次なる脅威——すなわち、後方で極大の魔法をチャージし終えているリヴェリアの膨大な魔力へと向けられた。
「シャァァァァァァッ!!」
標的をリヴェリア(と水晶樹)に定め、ジャガーノートが地を蹴る。魔法を反射する装甲を持つ化け物にとって、後衛の魔導士などただの餌でしかない。
「リヴェリア! 撃て!」
マヤの短い号令。
「フッ——『狂え、吹き荒べ(ウィン・フィンブルヴェトル)』!!」
リヴェリアが、一切の感情を捨てた『死んだ目』のまま、標的である無関係な水晶樹に向かってオラリオ最高峰の絶対零度の吹雪を解き放った。
「——!? なぜあんな木に向かって……!」
リューが驚愕の声を上げる。
ジャガーノートは魔法の軌道が自分に向いていないことを本能で察知し、全く意に介さずリヴェリアへと肉薄する。
その凶悪な爪が、エルフの王族を八つ裂きにせんと振り上げられた——その瞬間。
「そして、これが『本物の前衛の攻撃』だ」
いつの間にか。
本当に、気付けばいつの間にか。
リヴェリアの目の前、ジャガーノートの懐という『絶対的な死地(ゼロ距離)』に、マヤが滑り込んでいた。
その手には、先程までの木の棒ではなく、オラリオの武器屋で売っている何の変哲もない、無骨なサバイバルナイフが握られていた。
「魔法を反射するなら、反射できない部分(物理)で解体すればいいだけの話だ」
極限まで研ぎ澄まされた、暗殺技術。
マヤの身体がブレたかと思うと、ナイフが銀色の軌跡を数度、虚空に描いた。
ジャガーノートの強固な甲殻を無理に切ろうとはしていない。
狙ったのは、甲殻と甲殻の継ぎ目——すなわち、可動域である『関節』のわずかな隙間のみ。
刃が滑り込む、その一瞬の抵抗すらも極限の力(チャクラ)でねじ伏せ、マヤは踊るように化け物の四肢の関節を正確に切断してのけた。
「ギィ——ッ!?」
斬撃の音すら遅れて響く。
ジャガーノートは自らの身体に何が起きたのか理解する前に、両腕の巨大な爪を根元から落とされ、両脚の腱を断たれ、無様に床へと崩れ落ちた。
ドサァッ、と。
絶望の象徴が、ただの達磨となってマヤの足元に転がる。
「……嘘……」
アリーゼが、震える声で呟いた。
圧倒的。ただひたすらに、純粋な武力による蹂躙。
自分たちを文字通り死の淵まで追い詰めた化け物が、手も足も出ずにただの肉片へと成り下がっている。
「最後だ」
マヤは動けなくなったジャガーノートの首筋——甲殻の隙間にナイフの切っ先を当てると、全く躊躇うことなく、その刃を深々と突き立てた。
「ギャァァァァァァァァァァァァ…………ッ!!」
断末魔の悲鳴と共に、ジャガーノートの赤い眼から光が消え、その漆黒の巨体がボロボロと灰になって崩れ去り、後には巨大な魔石だけが残された。
完全に、静寂が降りた。
背後では、リヴェリアの究極魔法によって巨大な水晶樹が哀れにも粉々に粉砕され、キラキラと氷の結晶となって舞い散っている。
「ふぅ。まぁ、こんなもんか」
マヤはナイフの血振りをして懐にしまうと、振り返ってリヴェリアを見た。
「ご苦労だったな、リヴェリア。的当ての練習にはなったか?」
「…………お前の顔など、もう二度と見たくない」
リヴェリアは杖をつきながら、深い、本当に深い疲労のため息を吐き出した。
マヤは苦笑し、そして、呆然と座り込んでいるアストレア・ファミリアの少女たちへと歩み寄った。
「怪我は、軽傷みたいだな」
マヤは傷ついたアリーゼとリューの前にしゃがみ込むと、ポンと優しく二人の頭に手を乗せた。
「よく頑張ったな、お前ら。仲間を庇って前に出たその覚悟は、立派だったぞ」
「あ……」
リューの顔が、ボンッと音を立てて爆発したように赤く染まった。
アリーゼも、輝夜も、ライラも、全員が完全に言葉を失い、ただ熱を帯びた瞳で目の前の青年を見つめていた。
圧倒的な暴力で理不尽を粉砕し、悲劇のヒロインになることを許さず、最後にこんなにも優しい手で自分たちを撫でてくれる男。
自己犠牲の覚悟など、彼の手のひらの上では何の価値もない。ただ「守られる」という究極の安心感が、乙女たちの心を甘く、激しく揺さぶっていた。
「さ、帰るぞ。今日はアイズに絵本を読んでやる約束をしてるんだ。これ以上遅くなったら、あのちんまいのに怒られちまうからな」
マヤは立ち上がり、ポケットに手を突っ込んだまま、何事もなかったかのように歩き出した。
正義の乙女たちの胸の内に、決して消えることのない、強烈で重い『初恋』の火が灯ったことなど、彼にとっては知る由もない。
ただ、ダンジョンの深淵に産み落とされた悲劇の運命だけが、一人の規格外の鬼によって、完全に書き換えられたのであった。