ロキ・ファミリアの巨大な本拠地、その一角にある広々とした居間。
フィン、ガレス、リヴェリアの三首領が今後のファミリアの運営方針についてテーブルで話し合いをしている中、バンッ!と勢いよく扉が開かれた。
「ただいま。夕飯の買い出し、終わったぞ」
両手に大きな紙袋を抱え、さらに片脇に「泥だらけの小人族(パルゥム)の幼女」をひょいと抱えたマヤが、悪びれる様子もなく帰還した。
「おお、マヤ! お帰りやでぇ〜! っていやいやいやいやッ!!」
一番に飛びついてこようとした主神ロキが、マヤの脇に抱えられたリリの姿を見るなり、急ブレーキをかけて目を剥いた。
「お前っ、ヴァレッタの次はほんまもんの幼女(ホームレス)拾ってきたんかアホ旦那ァァァッ!! ウチは孤児院ちゃうぞ!! どんだけ路地裏で女を拾えば気が済むねん!」
ロキの盛大なツッコミが居間にこだまする。
テーブル席のフィンは胃を押さえ、リヴェリアは深々とため息をつき、ガレスだけが「がははっ、また家族が増えたか!」と豪快に笑っていた。
「人聞きの悪いことを言うな。ちょっと市場の裏で、大人数人がかりで子供の金を巻き上げてる三流以下の害虫がいたから、物理的に駆除してきただけだ。この子の親の借金ごとゼロにしてな」
「借金をゼロ……って、相手のファミリアはどこなんや?」
「ソーマ・ファミリアだ」
「ソーマ……あそこは厄介やで。主神の許可なしに、勝手に借金チャラになんてできんわ!」
「ああ、分かってる。だから……ちょっと今から、ソーマの野郎のところへ行って、俺が直接『お・は・な・し』して、借金の帳消しと改宗の許可を取ってくる」
マヤはリリをそっとソファーの上に降ろすと、首の骨をコキリと鳴らした。
「……アイズ。俺が戻るまで、ちょっとこの子の面倒を見ててくれ。一応相手に敬意をもって接するので10分で戻る」
「え? あ、待てマヤ! お前が言う『おはなし』って絶対ただの対話ちゃうやろ!!」
ロキが止める間もなく、マヤの姿は『縮地』によってシュンッ!と掻き消えるように居間から消え去っていた。
残された三首領たちは、顔を見合わせて青ざめた。
「……フィン。今、マヤ殿はソーマ・ファミリアの拠点へ単身で乗り込んだのだな?」
「……ああ。おそらく今頃、ソーマ・ファミリアの拠点は物理的に更地にされているだろうね。頼むから敬意をもってくれソーマファミリア・・・ダメかな・・」
「ありゃだめかもな、がぁはははは。こっちにとばっちりがこないように、準備じゃ」
***
そんな大人たちの戦慄をよそに、ソファーの上では奇妙な空間が出来上がっていた。
突然連れてこられた見知らぬ豪華な屋敷。そして目の前には、自分をじーっと見つめる、黄金の髪と瞳を持った一つ年上の少女——アイズ・ヴァレンシュタイン。
「あ、あの……」
ビクビクと身を縮こまらせる8歳のリリに対し、9歳のアイズはしばらく無表情で彼女を観察していたが、やがて、コホンと小さく咳払いをした。
そして、少しだけ背筋を伸ばし、平坦な声の中にどこか『誇らしげな響き』を混ぜて、こう告げたのである。
「……私、7歳の時からファルナ(神の恩恵)をもらってる」
「……え?」
「だから、このファミリアでは……私が、先輩」
ふんす、と微かに鼻を鳴らし、謎の『先輩風(マウント)』を吹かせるアイズ。
突然のことに戸惑うリリだったが、アイズは自身の手に持っていた食べかけの『ポテトの丸揚げ』を綺麗に半分に割り、その片方をリリの前にすっと差し出した。
「マヤのご飯は、すごく美味しい。……特別に分けてあげる。私が、先輩だから」
「あ……ありがとう、ございます……?」
戸惑いながらも、リリがその温かいポテトを受け取り、一口齧る。
サクッとした食感と、ホクホクの芋の甘みが口いっぱいに広がる。何日もまともな食事を取っていなかったリリの胃袋に、その温かさがじんわりと染み渡っていった。
「…………っ」
美味しい。温かい。
路地裏で暴力を振るわれ、泥水をすすっていた自分に、こんなに優しくしてくれる人たちがいる。
「……美味しい、です」
リリの瞳から、今度は恐怖ではない、嬉しさと安堵の大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。アイズは無表情のまま、不器用な手つきでリリの頭をぽんぽんと撫でていた。
***
「ただいま。ソーマの野郎、ずいぶんと話の分かる奴だったぞ」
それから本当に10分後。
マヤが居間に帰還した。
手にはしっかりと、ソーマ・ファミリアからの『脱退と借金免除の正式な同意書』が握られている。
「……マヤ。ソーマ・ファミリアの連中、生きてるやろな?」
「ああ、死んではいないさ。ただ、明日から当分は全員、車椅子か松葉杖の生活になるだろうがな、」
爽やかに恐ろしいことを言うマヤに、フィンたちは再び胃を押さえた。
「ほら、ロキ。手続きを頼む。この子も今日からうちの家族だ」
「ハァ……しゃーないなぁ、もう。あんたが連れてきた以上、ウチがきっちり面倒見たるわ」
ロキは呆れ顔ながらも、主神としての優しい笑みを浮かべ、リリの背中に神の血を垂らして正式な『改宗(コンバージョン)』の儀式を執り行った。
儀式が終わり、マヤが手早く作った温かいシチューと山盛りのポテトがテーブルに並べられる。
「ほら、いっぱい食え。遠慮はいらないぞ」
「はい……っ、はいっ……!」
リリはアイズと並んでテーブルに座り、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、温かいシチューを無我夢中で口に運んだ。
「美味い飯を食って笑う女の顔は、やっぱり最高だな」
マヤは腕を組み、満足げに目を細めてその光景を見守っていた。
食後。
お腹いっぱいになったアイズとリリが、ソファーで身を寄せ合ってスヤスヤと眠りに落ちた頃。
マヤは、お茶を飲んで一息ついていたロキの隣に腰を下ろした。
「……すまないな、ロキ」
「ん? なんや急に」
「ヴァレッタの件といい、今日の子といい。俺のワガママで、お前にいらん苦労ばっかりかけてる。いつも俺の勝手を受け入れてくれて……本当に、ありがとう」
マヤは心からの感謝と、底なしの愛おしさを込めた深紅の瞳で、正面からロキを見つめた。
そのあまりにも真っ直ぐで熱を帯びた眼差しに、ロキの顔がボンッ!と音を立てるように赤く染まる。
「な、ななななっ、なんやねん急に! ウチは別に、あんたが喜ぶならそれで——んっ!?」
ロキの照れ隠しの言葉は、最後まで紡がれなかった。
マヤがロキの細い顎を引き寄せ、そのまま有無を言わさず、深く、甘く、そして情熱的なキスでその唇を塞いだのだ。
「んんっ……!? ちょっ、ま……んぅっ……」
居間には、フィン、ガレス、リヴェリアという三首領がまだ同席している。
そんな白昼堂々(あるいは夜の居間)の公開空間であることなど一切お構いなしに、マヤはロキの腰を強く抱き寄せ、息もつかせぬほどの濃密なキスを交わし続けた。
「ふぁ……っ、ん、ぁ……っ」
最初は抵抗しようとマヤの胸をポカポカと叩いていたロキの両手は、すぐに力を失い、マヤの首元にだらしなく絡みついていく。
やがて、長い長いキスの後、マヤがゆっくりと唇を離した。
「ぷはぁっ……! はぁ、はぁ……っ」
顔を真っ赤にして肩で息をするロキ。彼女は涙目でマヤを睨みつけ、ぷくっと頬を膨らませた。
「そ、そんなん急にされても……誤魔化されへんからな! 許さへんからな……っ! むー……」
必死に主神としての威厳(?)を保とうとするロキだったが、マヤが「そうか?」と微笑んで再び額にチュッとキスを落とすと、その決意は一瞬にして霧散した。
「……ぷは〜っ。あかん……マヤぁ、ウチ、もう限界や……。いっぱいちゅき……」
完全に骨抜きにされ、蕩けた顔で「いっぱいちゅき(大好き)」と幼児退行しながらマヤの胸に顔をグリグリと擦り付けるオラリオの最高神。
「「「…………………………」」」
テーブルの向こう側。
ファミリアの今後について真面目に語り合っていたはずのフィン、ガレス、リヴェリアの三人は、目の前で突如繰り広げられたあまりにも強烈すぎる『夫婦のイチャイチャ空間』を前に、完全に言葉を失い、文字通り絶句していた。
(……マヤ殿という感じだったな。。。)
最強の鬼と、完全にデレデレの女神。
そして彼らに拾われた幼き少女たち。
オラリオの頂点に立つロキ・ファミリアの日常は、旦那の存在によって、どこまでも騒がしく、そして呆れるほど甘く平和に染まっていくのであった。