あれから数年達
日々鍛錬とダンジョンアタックの日々、
うららかな陽光が降り注ぐ、ロキ・ファミリア本拠地の広大な裏庭。
そこには、極上の平和と、常軌を逸した狂気が同居していた。
「ロキ様、本日のお茶はダージリンのファーストフラッシュ、そしてマヤ様特製の『さつまいものパウンドケーキ』をご用意いたしましたぁぁっ! マヤ様の愛がこもった完璧な逸品ですぅぅっ!」
狂信メイドのヴァレッタが、無駄にキレのある動きでティーセットをテーブルに並べる。
「んふふ〜、ええ香りや。やっぱりウチの旦那の手作りは最高やな!」
ロキはご機嫌な様子でティーカップを傾け、ケーキを頬張っていた。
しかし、その優雅なティータイムの背後——庭の中央で繰り広げられている光景は、控えめに言って『地獄』であった。
「……そこだ」
ドガァァンッ!!
空気を叩き潰すような破裂音。
「かはっ……!」
金糸の髪を揺らす少女——アイズ・ヴァレンシュタインの小柄な身体が、ボールのように軽々と宙を舞い、石畳の地面に激突して何度もバウンドした。
「アイズ先輩っ! 隙ありですぅぅっ!」
その死角から、リリルカ・アーデが隠密スキルを全開にして無数のクナイを放つ。しかし。
「遅い」
マヤは振り返りもせず、左手に持った『綺麗な木の棒』を無造作に一閃した。
カンッ! カンッ! カンッ!
飛来するクナイをすべて叩き落とすどころか、棒の先端がリリの鳩尾に寸分違わず吸い込まれる。
「ひぎゅっ……!」
傍から見れば、大の大人が『ただの木の棒』でいたいけな少女二人をボコボコにしている、胸糞の悪い弱い者いじめにしか見えない。事実、遠巻きに見ている新入りのモブ団員たちは、顔を青ざめさせてガタガタと震え上がっていた。
しかし、現実は全く異なっていた。
「……っ、ふふっ。私、また躱せなかった」
地面に倒れ伏していたアイズが、ふらつきながらも立ち上がる。その口元から血を一筋流しながら、彼女は自身の不甲斐なさを嘲笑うように、極端に歪んだ笑みを浮かべた。
「マヤの動き、全然見えない……私、弱すぎ。ほんと、うわぁ〜……ざっこ♡」
自分自身へ向けられた、強烈なメスガキめいた煽り。
絶対的な盾であり、どれだけ傷ついても必ず自分を治してくれる『マヤ』という存在への狂気的なまでの信頼(甘え)があるからこそ、アイズは自身の弱さを極限まで曝け出し、精神的なリミッターを外して強さを渇望していた。
「ああっ……! マヤ様の棒が、リリの急所に的確に……ッ!」
一方のリリは、鳩尾を押さえて蹲りながらも、その顔には恍惚とした笑みが浮かんでいた。
「ありがとうございます、もっと痛くして強さを叩き込んでくださいぃっ! リリはマヤ様のためなら、どれだけ骨が砕けても平気ですからぁぁっ!」
完全にベクトルがおかしくなっている心酔ぶりである。
そんな狂気に満ちた少女たちに対し、マヤは一切の感情を交えず、淡々と教官の務めを果たしていた。
「アイズ、踏み込みが0.2秒遅い。リリ、息遣いが大きすぎる。……次行くぞ」
マヤは倒れかけた二人の身体にそっと手を触れる。その瞬間、彼の掌から淡い緑色の光——医療忍術のチャクラ——が溢れ出し、アイズとリリの体内に流し込まれた。
「あ……痛みが、嘘みたいに……!」
「力が、みなぎってきますぅぅっ!」
打撃による神経の損傷を、瞬時に細胞レベルで活性化・修復させる。
ダメージを無に帰し、再び万全の状態に戻しては、極限の死闘(一方的な蹂躙)を再開する。
これこそが、ダンまちの世界における「強者との死闘で恩恵(エクセリア)が高まる」というシステムを悪用した、マヤ式『無限経験値稼ぎ(レベリング)』である。
アイズとリリが異常なスピードでレベルアップを遂げているのは、この狂ったサイクルを日常的に繰り返しているからに他ならなかった。
「……やれやれ、相変わらず無茶苦茶なことをする」
その光景を縁側から見つめていたリヴェリアが、呆れと畏怖の混じったため息をついた。
「いくら治癒できるとはいえ、あの痛覚は本物だぞ。止めに入りたいところだが……」
「や、やめておけリヴェリア。もし止めに入れば、今度は僕たちが『血のついた棒』で同じ目に遭うことになる」
隣に座るフィンが、滝のような冷や汗を流しながらティーカップを持つ手を震わせていた。ガレスもまた、青ざめた顔で力強く頷いている。
彼ら三首領は、マヤのあの『綺麗な木の棒』の恐ろしさを、身をもって(というか細胞の髄まで)知っている。
マヤが棒に込める極限の魔力(チャクラ)は、物理的な防御を完全に無視し、直接神経を焼き切るような理不尽な激痛をもたらすのだ。
そして、フィンの脳裏には、数年前のあの『恐るべき記憶』がフラッシュバックしていた。
(あれは……僕たちがマヤ殿に初めて稽古をつけてもらった日のことだった……)
*
『おい、団長様。久々に稽古の時間だ。ガレス、リヴェリアもな』
あの日、マヤは三つの得物をテーブルに並べた。血のついた棒、綺麗な棒、そして無骨なサバイバルナイフ。
フィンたちは即座に「ナイフなし(素手)」を選ぼうとした。刃物など使われれば、命がいくつあっても足りないと思ったからだ。
しかし、その瞬間。フィンのパルゥムとしての危機察知能力(親指)が、かつてないほど激しくズキズキと痛みを放った。
『このナイフを使う。この程度の強度の刃物だと、俺が本気で握りしめるだけで柄ごと砕け散ってしまうからな。刃を壊さない程度に、無意識に力と闘気を抑え込める。俺にとっては丁度いい枷(リミッター)になるんだ』
以前、マヤが中庭でそう語っていた言葉が、フィンの脳内に雷のように落ちた。
——つまり。
ナイフあり=刃を壊さないための手加減モード(枷あり)。
ナイフなし(素手)=手加減の一切ない、純度100%の暴力の顕現(枷なし)。
(素手のマヤ殿になんか殴られたら、手加減のタガが外れて、オラリオの地形ごと僕たちが粉砕される!!)
絶望的な真実に気づき、フィンの顔面から全ての血の気が失せた。
しかし、マヤはすでにナイフをしまい、素手で構えようとしていた。
(ダメだ! 万が一手加減を間違えられたら、僕たちの首が物理的に飛ぶ!!)
『そ、それと!!』
フィンは狂ったように周囲を見渡し、暖炉の脇に置かれていた『焚き付け用の細い木の枝』を光の速さで拾い上げ、マヤへと差し出した。
『そうだ! マヤ殿、今日は趣向を変えて、この木の枝にしましょう? ね!? 実戦ではどんな物が武器になるか分かりませんし! 折れやすい木の枝をナイフに見立てて戦うことで、より繊細な力加減の……修行に、なるかとッ!』
息も絶え絶えに、しかし必死の理屈をこねるフィン。
隣でリヴェリアが「木の枝一本で第一級冒険者候補の私たちを相手にする気か!」と怒っていたが、フィンからすれば知ったことではなかった。
(違うんだリヴェリア! 舐めてるんじゃない、手加減をしてくれているんだ! その木の枝が折れた瞬間、僕たちはオラリオの地形ごと素手で消し飛ばされるんだぞ!!)
結果として、マヤは『綺麗な木の枝(のちに木の棒へ進化)』を使用することに同意し、フィンたちは地形崩壊の危機からオラリオを救ったのである。
フィンにとってあの模擬戦は、マヤを倒すことではなく『マヤの持つ木の枝をいかに折らずに凌ぐか』という、究極の死地(デスゲーム)であった。
*
「……アイズも、リリも、あの木の棒(枷)があるから生きていられるんだ。感謝しなければ」
フィンは遠い目をしながら、カタカタと鳴るティーカップに口をつけた。
「がははっ、全くだ。あの鬼の教官の『手加減』に耐え抜いたからこそ、ワシらは今の高みにいるんじゃからな」
ガレスもまた、背筋を凍らせながらもどこか誇らしげに笑う。
そんな三首領の深い畏怖と理解のすぐそばで、壁に寄りかかりながら鼻で笑っている青年がいた。
新入りの狼人、ベート・ローガである。
「……チッ。趣味がわりぃ野郎だぜ」
ベートは、庭でボコボコにされているアイズたちを見て、冷笑を浮かべていた。
「あんな変態じみた体罰(おあそび)に付き合わなくても、俺は自力で強くなってやるよ。俺には才能があるんだ。すぐにあんな赤髪のヒモ野郎なんか超えて、Lv.6になってやるさ」
彼は、この世界での自身の才能を過信していた。
マヤの『素手の恐ろしさ』も、あえて『木の棒を使っている意味』も全く理解できていない。ただの悪趣味な弱い者いじめだと勘違いし、稽古を意図的に避けているのだ。
(俺はあんな茶番には付き合わねぇ。一人でダンジョンに潜って、確実に実績を積めばいいだけだ)
この時のベートはまだ気づいていなかった。
マヤの稽古を受けないことが、どれほどの『致命的な出遅れ』を意味するのかを。
やがて彼が、年下のアイズや、ステイタスで劣るはずのリリといった少女たちにすら実力でぶち抜かれ、完全なる「空回り」と「停滞」の現実に直面することになる未来を、彼は知る由もなかった。
「えーっ! アタシたちもあそこに混ざりたい! 早くマヤにボコボコにされたい!」
「ねー! あんな風に激しく叩き込まれたら、すっごく強くなれそう!」
アマゾネスの双子、ティオネとティオナがうずうずとしながら順番待ちの列を作っているのを見て、ベートはさらに顔をしかめてその場を立ち去った。
「……まだやれるか」
庭の中央。
汗と泥と血にまみれながらも、マヤの冷徹な声に、二人の少女は満面の笑み(アイズは血まみれの能面スマイル)で答えた。
「はいっ!!」
「……私、まだやれる」
再び放たれる、容赦のない木の棒の乱打。そしてそれを即座に癒やす、理不尽極まりない回復の光。
「んふふ〜、今日もウチの旦那はかっこええなぁ! もっとビシバシ鍛えたってや〜!」
ロキの脳天気な惚気声が、狂気の稽古場にのんびりと響き渡る。
圧倒的な武と、それを見守る強き絆。
狂犬ベートだけがその異常空間の真意を理解できないまま、完全なる空回りの道を歩み始めている中で。
オラリオの絶対的頂点に立つ『黄金期』の家族たちは、今日も笑い声(と打撃音)と共に、どこまでもその強さを磨き上げ続けていた。