ロキ・ファミリアがひっそりと産声を上げてから数日後のこと。
廃屋を改築した拠点の中庭で、小人族(パルゥム)の少年フィン・ディムナは、己の身の丈よりも長い槍の手入れを入念に行っていた。
彼が扱う長槍は、小柄なパルゥムのリーチの短さを補うためのものだ。敏捷性を活かして懐に潜り込み、あるいは遠間から急所を突く。種族の未来を背負う彼の武は、すでに14歳という年齢に似合わないほど完成されつつあった。
「いい手入れだ。武器を愛する者に、武の神は微笑むからな」
縁側に腰掛け、その様子を眺めていたマヤが静かに声をかけた。
「ありがとうございます、マヤ殿」
フィンは照れくさそうに槍を下ろすと、ふと気になっていたことを尋ねた。
「そういえば、マヤ殿の武器はなんなのですか? 以前、森のモンスターを片付けてもらった時は素手だったようですが……オラリオの迷宮(ダンジョン)に潜るなら、やはり何か専用の武器があった方が」
フィンの問いに対し、マヤは懐から一本の得物を取り出した。
それは、装飾の一切ない、実用性のみを追求した無骨なサバイバルナイフだった。
「ナイフ……ですか? マヤ殿ほどの体格と力なら、大剣や戦斧の方が合っている気もしますが」
小首を傾げるフィン。しかし、マヤはナイフの刃を指の腹で軽く弾きながら、真剣な顔で首を振った。
「いや、俺が素手や大型の武器で本気を出すと、やりすぎてしまうんだ。周囲の地形ごと粉砕しかねない。相手を殺すだけならいいが、余波で村や森を吹き飛ばすのは俺の美学に反する」
「ふ、吹き飛ばす……」
「だから、このナイフを使う。この程度の強度の刃物だと、俺が本気で握りしめるだけで柄ごと砕け散ってしまうからな。刃を壊さない程度に、無意識に力と闘気を抑え込める。俺にとっては丁度いい『枷(リミッター)』になるんだ」
武器を威力の底上げではなく、自らの規格外の力を抑え込むための制御装置として使う。
その発想の次元の違いに、フィンは乾いた笑いを浮かべるしかなかった。
(やっぱり、この人は根本的に何かがおかしい……)
「おーい! マヤ、少年! 出来たで!」
そこへ、拠点の中からバンッと勢いよく扉を開けて、ロキが飛び出してきた。
彼女の両腕には、真新しい衣服が抱えられている。
「おお、買い出しから戻ったか。どれ、俺の服は見つかったか?」
「ふっふーん。ただ見つけてきたんやないで! ウチの特注や!」
ドヤ顔でロキが広げたのは、黒を基調としつつも、所々に鮮やかな朱色の意匠が施された動きやすそうな戦闘服だった。
フィンはそれを見て、思わず目を瞬かせた。
「ロキ様……それ、ロキ様がいつも羽織っているローブの意匠とそっくりですね」
「せやろ! 夫婦なんやから、お揃い(ペアルック)にするんは当然の義務や! ほらマヤ、はよ着替えてみ!」
鼻息を荒くするロキに急かされ、マヤはその場で上着を脱ぎ捨て、真新しい服へと袖を通した。
彫刻のような筋肉質な肉体に、黒と朱色の服がピタリと馴染む。マヤの燃えるような赤髪とも見事に調和しており、まるで最初から彼のためにあつらえられた専用装備のようだった。
「……悪くないな。動きやすいし、何より正妻とお揃いというのは気分がいい」
マヤが満足げに頷くと、ロキは「っしゃあ!」と小さくガッツポーズをとり、顔を真っ赤にして照れ笑いを浮かべた。
「へへっ、せやろせやろ! これでどこからどう見ても、マヤはウチのモンや!」
嬉しさのあまりマヤの腰に抱き着き、グリグリと頭を擦り付けるロキ。マヤもされるがままに、愛おしそうに彼女の朱色の髪を撫でている。
今日も今日とて、朝から全開の甘々空間である。フィンは慣れた手つきで視線を逸らし、槍の穂先を磨く作業に没頭しようとした。
「——そういえば、ロキ。お前に相談があったんだが」
ふと、マヤが思い出したように口を開いた。
「なんや? ウチに解決できることならなんでも言うてみ」
「ああ。まぁなんだ、俺もロキの眷族になったほうがいいんじゃないかと思ってな」
その言葉に、ロキだけでなく、槍を磨いていたフィンもピタリと動きを止めた。
「ウチの、眷族に……マヤが?」
「そうだ。他の神の力など必要ないが、よく考えたら、俺が誰の刻印も持っていないフリーの状態だと、いざオラリオに行った時に面倒なことになりそうだからな。どこぞの神に勝手に手出しされても鬱陶しい」
マヤは腕を組み、極めて真面目なトーンで続けた。
「それに、俺はお前の旦那だ。お前に任せるのが一番筋が通っている。どうだ?」
ロキの目が、かつてないほどにキラキラと輝き始めた。
強大すぎるがゆえに恩恵(ファルナ)を必要としていなかった旦那が、自ら自分の所有物(眷族)になりたいと言い出したのだ。神としての独占欲と、女としての歓喜が爆発しそうになっていた。
「お、おおおおおん! ええで! ええに決まっとるわ! マヤの背中はウチの独占領域や!」
ロキは興奮気味に鼻息を荒くし、バンバンとマヤの背中を叩いた。
「よっしゃ、ならさっそく神血(イコール)を垂らして、ウチの恩恵(ファルナ)を刻んだるわ! マヤ、ちょっとそこにうつ伏せになりなはれ!」
「血を垂らす……?」
ロキの言葉に、マヤは少しだけ怪訝そうな顔をした。
「ああ、神様の血を一滴背中に垂らして、神聖文字を刻むんや。それが契約の証になるんやで」
得意げに説明するロキ。
しかし、マヤは腕を組んだまま、小首を傾げてこう言い放った。
「血なら、もう必要ないんじゃないか?」
「は?」
「だって、俺、もうお前の血をたっぷり浴びてるだろう。……あの夜に」
ぴたり、と。
中庭を吹き抜けていた風が、止まった。
「……お前を初めて抱いて、女にした夜だ。あの時、確かに俺はお前の純潔の血を浴びた。つまり、物理的にお前の血はもう俺の身体に刻み込まれているはずだ。違うか?」
沈黙。
圧倒的な、死の沈黙だった。
神の恩恵という神秘の儀式を、知識ゼロのまま極めてシュールな物理的解釈(しかも初夜の生々しい事実)で紐解いてみせた男の言葉に、ロキの思考は完全に停止した。
「あ、あ、あのよる……ち、血を……あびて……」
「ああ。だから、もう俺の身体にはお前のファルナが発現してるんじゃないかと思ってな。脱いで確認した方がいいか?」
「っっっっっ——!!!」
ボンッ!! と、ロキの頭から物理的な湯気が噴き出した。
顔面どころか、首元から耳の先まで、まるで茹でダコのように真っ赤に染め上がる。
「ば、ばばばばっ、バカマヤァァァァァァッッッ!!!」
「うおっ」
ロキは涙目になりながら、マヤの胸板にポカポカと連続で拳を叩きつけた。
「ななな、なにを、子供の前で、堂々と初夜の生々しい話しとんねんアホンダラァ! それとこれとは話が別や! 処女の血でファルナが刻まれるかァァ!!」
「そうなのか? 忍の世界じゃ、血の契約といえばそういうのも含めるんだがな。この世界のシステムは複雑だな」
「お前の世界の常識が狂っとるんや!! あああもう、恥ずかしすぎるわ! アホマヤ! エッチ! 大好き!」
完全にパニックになり、罵倒しているのか告白しているのか分からない状態のロキ。
一方、その場に居合わせてしまった14歳のフィンはといえば。
「…………(僕は何も聞いていない。何も聞こえなかった。槍の手入れは楽しいなぁ)」
顔を真っ赤にして目を逸らし、耳を塞ぎながら、虚無の表情で槍を磨く作業に逃避していた。彼にとって、大人(しかも主神とその旦那)の赤裸々すぎる性事情など、聞かされてもトラウマにしかならない。
「ふむ、まだ俺には恩恵が刻まれていないということか。仕方ない、後で背中を貸してやる」
マヤは暴れるロキをヒョイと抱え上げ、あやすように背中をポンポンと叩きながら、どこまでも涼しい顔で笑った。
無知ゆえのシュールすぎる爆弾発言。
最強の鬼は、戦闘だけでなく、日常の常識においても周囲(主に正妻と智将)を完膚なきまでに振り回していくのだった。