深層第37階層。果てしなく続く白骨の大地と、全てを凍てつかせるような極寒の瘴気が支配する死の領域。
その最奥に位置する巨大な円形の空間で、絶望を象徴する咆哮が轟いた。
「ウオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!」
階層主『ウダイオス』。数十メートルに及ぶ巨大な骸骨の王が玉座から立ち上がり、地響きと共にその姿を現した。同時に、王の呼び声に応えるかのように、無数の白骨兵士(スパルトイ)が地面から次々と這い出してくる。
Lv.4相当の実力を持つ不死の兵士たちが、文字通り無限に湧き出し、視界を埋め尽くしていく。並の冒険者であれば、その光景を見ただけで心が折れ、死を覚悟するだろう。
「……あ、が……っ」
冷たい白骨の地面に転がり、脇腹の激痛に顔を歪めるベート・ローガは、絶望的な軍勢の出現に息を呑んだ。
小娘(リリ)から受けた、理解不能な速度と威力の蹴り。そのダメージで立ち上がることすらできない彼は、迫り来る死の軍勢を前に、自身の命がここで終わるのだと錯覚しかけた。
しかし——彼の視線の先で展開されたのは、凄惨な死闘ではなく、あまりにも一方的で残酷な『蹂躙劇』であった。
「行っくよー! ティオネ!」
「遅れないでよね、ティオナ!」
底抜けに明るい、まるでピクニックにでも出かけるような少女たちの声。
先陣を切ったのは、アマゾネスの双子だった。
妹のティオナは、自身の身の丈ほどある巨大な双刃(ウルガ)を、まるで木の枝のように軽々と振り回した。
ドゴォォォォォォォォォンッ!!
爆発のような破壊音。ティオナの放った一撃は、迫り来る十数体のスパルトイを、構えていた盾や武器ごと木端微塵に粉砕した。白骨の破片が吹雪のように舞い散る。
「あははっ! 脆い脆い! なぁんだ、マヤの『血のついた棒』に比べたら、全然痛くもないし怖くもないね!」
「当たり前でしょ! アタシたちの身体は、あの理不尽な打撃に耐えるために鍛え上げられてるんだから!」
姉のティオネが、双刃を手に戦場を舞う。
彼女の動きには一切の無駄がない。極限まで研ぎ澄まされた連撃は、スパルトイの首の関節、鎧の隙間、魔石の位置を正確に捉え、瞬きする間に数十体の骸骨をただの骨の山へと変えていく。
Lv.5のステイタスに加え、『大熱波(ロラン・アマゾーン)』と『大怒蛇(ヨルムンガンド)』という戦闘特化のスキルを持つ彼女たちにとって、Lv.4相当のモンスター群など、ただの動く的(チュートリアル)に過ぎなかった。
(な、なんだ……あいつら……っ)
ベートは信じられないものを見る目で、双子の蹂躙を見つめていた。
自分が手も足も出ない(と思い込んでいた)怪物たちを、あの二人は笑いながら解体している。彼女たちの目には、階層主に対する恐怖など微塵も存在しない。あるのはただ、「マヤに良いところを見せて褒められたい」という、異常なまでのモチベーションだけだった。
「——【狂乱する炎よ、紅蓮の——】」
さらに、戦場の後方から、美しくも恐ろしい詠唱が響き渡った。
エルフの少女、レフィーヤ・ウィリディスである。
かつてはオドオドとし、敵が近づけば魔法を暴発させていた気弱な少女。しかし今の彼女の立ち姿は、まるで大地に根を張った大樹のように微動だにしない。
マヤから叩き込まれた『俺の背中だけ見て詠唱しろ。お前には指一本触れさせない』という絶対的な教え。彼女は前衛の双子とアイズを完全に信頼し、足元にスパルトイが迫ろうとも、瞬き一つせずに魔力を練り上げている。
「【——焼き尽くせ、炎鳥(フュージョン・バースト)】ッ!!」
彼女の杖から放たれた極大の業火が、空間を焼き尽くす勢いで解き放たれる。
それは、前衛で戦う双子の背中スレスレを通り抜け、ウダイオスの後方から湧き出そうとしていた数百のスパルトイの群れを、一瞬にして灰燼に帰した。
(あ、あの威力……それに、あの精密なコントロール……!?)
ベートは戦慄した。魔法の威力もさることながら、味方を一切巻き込まないその完璧な砲台としての技術は、もはや第一級冒険者の魔導士すら凌駕している。レフィーヤもまた、マヤの庇護と狂気の特訓の中で、自身の殻(Lv.3)を破り、Lv.4の頂へと至る本物の魔導士に成長していたのだ。
「ウ、オォォォォォォォォォッ!!」
自らの軍勢をあっけなく塵にされたウダイオスが、激怒の咆哮を上げる。
巨大な白骨の王は、その規格外の巨腕を振り上げ、ティオネたちをまとめて押し潰そうと、絶望的な質量を誇る骨の鉄槌を振り下ろした。
直撃すれば、地形ごと冒険者をすり潰す即死の一撃。
ベートが「避けろッ!」と叫ぼうとした、その刹那。
キンッ——。
戦場の喧騒の中で、微かな、しかし極めて冷徹な金属音が響いた。
「動きが単調すぎます。マヤ様の放つ『見えない打撃』に比べれば、止まっているのと同じですっ!」
空間の歪みから、突如として姿を現したリリルカ・アーデ。
『幻影影法師(シンダー・エラ改)』によって気配と姿を完全に環境へ同化させていた彼女は、ウダイオスの死角である右腕の関節部に張り付いていた。
彼女の手から放たれた数本のクナイ——マヤ直伝のチャクラ(魔力)を極限まで圧縮して流し込まれた暗器——が、巨大な骸骨の『肘』に該当する関節の隙間へと、寸分違わず突き刺さる。
ズガァァァァァンッ!!
内部で炸裂した魔力の衝撃が、ウダイオスの関節を物理的に狂わせた。
振り下ろされるはずだった必殺の鉄槌は軌道を大きく逸れ、ティオネたちの遥か横の地面を空しく粉砕するに留まった。
(あ、ありえねぇ……ッ!)
ベートの全身から、冷たい汗が吹き出した。
Lv.6の階層主の必殺の一撃を、サポーターが暗器一つで無効化したのだ。
リリのステイタスは『Lv.6』。マヤの無限回復ループによる地獄のレベリングと、忍(くのいち)としての超絶技巧を叩き込まれた彼女は、もはや荷物持ちなどではない。戦場を暗躍し、どんな強敵の死角をも突き崩す、万能にして最悪の暗殺者へと変貌を遂げていた。
「ナイスサポートだよ、リリ!」
「……ん。リリ、よくやった。あとは私(メイン)の仕事」
ウダイオスの体勢が大きく崩れたその瞬間。
金糸の髪を揺らし、無表情(能面)の少女が、風のように前線へと躍り出た。
アイズ・ヴァレンシュタイン。Lv.7相当の実力を秘めた、マヤの最高傑作。
「『風遁剣姫(アリエル・極)』」
彼女の薄い唇から紡がれた魔法名。しかし、かつてのように緑色の烈風が吹き荒れることはない。
風は完全に極小に圧縮され、彼女の身体の重心と、愛剣デスペレートの刀身にのみ纏わりついていた。音もなく、気配もなく、ただ純粋な『斬撃の機能』だけがそこにあった。
「オ、オオオォォォォッ!!」
体勢を立て直したウダイオスが、アイズを迎え撃つべく、地中から巨大な骨の槍を無数に突き出させる。
だが、アイズの姿がブレた。
シュンッ、シュンッ、シュンッ!
マヤ直伝の『瞬身の歩法』。
アイズは音を置き去りにした超高速移動で、死角から迫る骨の槍を紙一重で躱していく。一切の力みがない。敵の殺気を読み、無駄な回避行動を極限まで削ぎ落とした、美しすぎる暗殺の歩法。
ウダイオスが忌々しげに巨大な剣を薙ぎ払う。
暴風を伴う巨大な斬撃。しかし、アイズは避けることすらしなかった。
「……重いだけ。マヤの手加減の方が、よっぽど怖い」
カンッ!!
デスペレートの切っ先が、巨大な黒剣の側面に軽く触れる。
力任せに弾き返すのではない。風の魔力と重心移動を巧みに使い、ウダイオスの巨大な斬撃の『力(ベクトル)』をいなし、そらす。マヤから徹底的に叩き込まれた、理詰めの防御。
ウダイオスの剣はアイズをすり抜け、その莫大な遠心力によって、逆にウダイオス自身の体勢を大きく前にのめらせた。
「——そこ」
致命的な隙。
アイズは重力に逆らうような軽やかな跳躍を見せ、ウダイオスの巨大な胸郭——その奥深くで赤黒く脈打つ、巨大な魔石の真ん前へと到達した。
「……ざっこ♡」
冷酷なメスガキスマイルと共に、圧縮された風の刃が、無音で閃く。
抵抗など許されない。極限まで練り上げられた魔力と剣技は、ウダイオスの強靭な骨の鎧を、まるで水面を裂くように滑らかに切断した。
パキィィィィィィィンッ……!!
深層の空気に、美しい硝子が砕けるような高音が響き渡った。
ウダイオスの核である巨大な魔石が、デスペレートの一撃によって完全に両断された音だった。
「オ…………、ァ…………」
階層主の瞳に宿っていた冥界の炎が、ふっと消え去る。
数十メートルに及ぶ巨体が、音を立てて崩壊を始め、大量の灰となって37階層の冷たい空気の中に溶けていった。
残されたのは、煌びやかなドロップアイテムと、全く息を乱していない5人の少女たちの姿だけだった。
「やったー! 終わったー!」
「マヤ! アタシたちの活躍、ちゃんと見ててくれた!?」
「マヤ様っ! リリ、完璧なサポートでしたよね! 早く頭を撫でてくださいぃっ!」
階層主を倒したというのに、少女たちの顔には一切の悲壮感も、死闘を乗り越えた達成感すら薄い。彼女たちにとって、これはただの『マヤの抜き打ちテスト(チュートリアル)』であり、本番は彼からの極上の褒め言葉(ご褒美)を貰うことだった。
「…………あ、ぁ……」
その圧倒的な蹂躙劇を、地面に這いつくばったまま見せつけられたベートは、喉の奥で掠れた音を漏らした。
自身の牙がガチガチと鳴っている。それは寒さのせいではない。恐怖と、あまりにも残酷な現実に対する絶望の震えだった。
(俺は……何を見てるんだ……?)
。
自分より年下の、あるいは見下していたはずの少女たちが、冗談のように笑いながら解体してのけたのだ。
(これが……あの、赤髪のヒモ野郎の……地獄の稽古の、結果だっていうのか……ッ!)
ベートの胸の奥で、今まで必死に守り、張りぼてのように膨らませていた『己の才能への過信』が、ボロボロと音を立てて崩れ去っていくのを感じた。
マヤの圧倒的な暴力を、「ただの趣味の悪い体罰」だと勘違いし、稽古から逃げ続けていた自分。
一人でダンジョンに潜り、努力している気になっていた自分。
結果はどうだ。
アイズも、双子も、後衛のレフィーヤも、そしてサポーターのリリでさえ。
あの常軌を逸した「手加減なしの死の縁」を反復横跳びし、マヤという絶対的なバケモノの背中を見続けてきた彼女たちは、いつの間にか、天高く見上げるほどの本物の『怪物』へと変貌していたのだ。
(俺だけが……俺一人だけが、あの中で取り残されていた……ッ)
ステイタスの数字(Lv.4)だけではない。戦場を支配する思考、絶望に対する耐性、そして『真の強者』から学ぶという謙虚さ。その全てにおいて、自分は致命的なまでに出遅れていたのだ。
歓喜に沸く少女たちの輪。
その遠く外側で、冷たい白骨の地面に転がったままの狂犬は、己の愚かさと停滞という名の絶望に打ちのめされ、ただ虚ろな目で宙を見つめることしかできなかった。