ダンジョンに鬼がいたらそうなる件   作:マイナーチョコ

49 / 109
第29話:かまど神

迷宮都市オラリオ。

世界の中心であり、あらゆる種族と神々が交差するこの巨大な街の喧騒の中を、一人の白髪の少年が夢中で駆け抜けていた。

 

「うぅ……っ、あぁぁ……っ!」

 

ベル・クラネルの目からは、とめどなく大粒の涙が溢れ出し、頬を伝っては虚空へと飛沫を上げて散っていた。

オラリオの門をくぐったばかりで、右も左も分からない。石畳の道も、複雑に入り組んだ路地も、どこに繋がっているのかすら見当もつかないというのに、ベルの足は止まることなく前へ前へと動き続けていた。

 

悲しいわけじゃない。

悔しいわけでもない。

ただ、胸の奥底から込み上げてくる熱い感情が、嬉しくて、嬉しくてたまらなかったのだ。

 

『俺にとっちゃあな、お前も俺の子供みたいなもんなんだ』

『生きろよ、ベル。……生きて、地べたを這いつくばっても、泥にまみれようとも、最後には必ず立ち上がれ』

 

黄昏館でかけられたマヤの言葉が、その大きく温かい手の感触と共に、ベルの魂の奥深くまで響き渡り、火をつけていた。

 

故郷の隠れ里で、母のメテリア、叔母のアルフィア、そしてヘラ様から、ベルは耳にタコができるほど「マヤ」という青年の話を聞かされて育った。

それは神話の英雄譚などよりも遥かに色鮮やかで、優しさに満ちた物語だった。絶望の淵にいた彼女たちを、圧倒的な暴力と底なしの慈愛で救い出した、一人の不器用な鬼の物語。

女性を尊び、その笑顔を守るためならば、世界中のどんな理不尽でも叩き潰す。純粋な愛を貫き、ただ一人の正妻を愛し抜く。それが、ベルの知る「マヤ」という絶対的な理想像だった。

 

たまに、ゼウスのじいちゃんが「男ならハーレムじゃ! ダンジョンで出会いを求め、女湯を覗いてこそ男のロマンじゃ!」などと吹き込んできたが、その度にヘラ様たちに顔面を陥没させられていた。

今日の黄昏館での出来事を経て、ベルは確信した。じいちゃんの言っていたことは、ただの情けない雑念であり、マヤさんの言う通り「下半身でしか物事を考えられないクズ」の戯言だったのだと。

 

(マヤさんは、僕を愛してくれている。僕の可能性を信じて、突き放してくれたんだ……!)

 

あのオラリオ最強の男が、自分を「息子」だと言ってくれた。

そして、自分自身の足で這い上がり、自分だけの『守るべき女(正妻)』を見つけろと、最高に熱い助言を与えてくれた。

さらに、彼がぽつりぽつりと語ってくれたロキ様との馴れ初めや、ファミリアの立ち上げの思い出。それは神話の中の遠い話ではなく、泥臭く、不器用で、それでいて眩しいほどに輝く『本物の英雄譚』そのものだった。

 

「僕、やります……絶対に、マヤさんに恥じない男になりますッ!」

 

走りながら、ベルは腕で乱暴に涙を拭った。

誰かに守られるだけの温室(安全圏)なんていらない。自分の足で立ち、自分だけの居場所を見つけるのだと、その心は燃え盛る炎のように熱く燃え上がっていた。

 

だが——。

 

「……あれ? ここ、どこだろ……」

 

感情の赴くままに街を走り抜け、涙がようやく収まった頃。

ベルはふと我に返り、周囲を見渡して足を止めた。

気がつけば、華やかな大通りからは遠く離れ、薄暗く人通りの少ない、入り組んだ裏路地に迷い込んでいた。石造りの古い建物が身を寄せ合うように立ち並び、夕闇が迫る空の光を遮っている。

 

「や、やっちゃった……道、全然わかんないや」

ベルは途端に心細くなり、シュンと肩を落とした。先ほどまでの熱い決意はどこへやら、田舎から出てきたばかりの14歳の少年の顔に戻ってしまう。

 

どうやって大通りに戻ろうかと迷い、路地の奥へと足を踏み入れたその時だった。

 

「……どうして、泣いているんだい?」

 

ふいに、頭上から鈴を転がすような、それでいてどこか元気のない声が降ってきた。

「えっ?」

ベルが驚いて顔を上げると、路地裏の木箱の上にチョコンと座っている、一人の小柄な少女——いや、女神の姿があった。

 

艶やかな黒髪を二つ結び(ツインテール)にし、神意を感じさせる青い瞳を持った彼女。その身体は小柄だが、豊満な胸元が青い紐で強調され、どこか神聖でありながらも酷く親しみやすい雰囲気を漂わせていた。

 

「どうしたんだい、君。迷子? それとも、誰かにいじめられたのかい?」

木箱からひょいっと飛び降りた彼女は、ベルの真っ赤に泣き腫らした目を見て、心配そうに顔を覗き込んできた。

 

「あ……いえ、あの、その……」

女神のあまりにも至近距離での眼差しと、そのいい匂いに、ベルの顔がボンッと赤くなる。

「泣いていたのは、迷子になったからじゃなくて……その、嬉しかったからなんです」

「嬉しくて、泣いていた?」

「はい。ずっと憧れていた人に、お前は男だから自分の足で這い上がれって、背中を押してもらえたんです。それが……本当に、嬉しくて」

 

ベルの真っ直ぐな言葉に、彼女は少しだけ目を丸くし、やがてフッと柔らかい笑みをこぼした。

「そっか。君は、いい人に出会えたんだね」

彼女はそう言うと、どこか寂しそうに自身の足元へ視線を落とした。

「僕とは、大違いだ……」

 

その横顔に、ベルは不思議な既視感を覚えた。

マヤさんが語っていた、『天界から下りてきたばかりで、オラリオの片隅で一人でいやがった時』のロキ様の姿。今の目の前の彼女が、その時の孤独な姿と重なって見えたのだ。

 

「あの……神様、ですよね。何か、あったんですか?」

ベルが恐る恐る尋ねると、彼女は「あはは……」と力なく笑った。

「実はね、僕……神友のヘファイストスのところにずっと居候してたんだけど、『いつまでも甘えてないで、自分の眷族を見つけて自立しなさい!』って、追い出されちゃったんだ。それで、色んな人に声をかけてみたんだけど……僕みたいな、ファミリアの拠点も何もない貧乏な神様のところに入ってくれる子なんて、一人もいなくてさ」

 

彼女は自嘲気味に笑いながら、ベルに背を向けた。

「だから、ここで一人でいじけてたってわけ。……情けないだろ? 神様のくせに、誰も守ってあげられないし、誰にも必要とされてないんだから」

 

その小さな背中を見た瞬間。

ベルの魂の奥底で、マヤから受け継いだ『漢の流儀』が激しく共鳴し、熱を帯びた。

 

『神ってのはな、会った瞬間に何か波長が合うもんさ。……』

 

マヤの助言が、ベルの脳裏に閃く。

目の前のこの女神は、不器用で、何も持っていなくて、孤独で震えている。

だけど、神友から「自立しろ」と追い出されたということは、本当は誰よりも情に厚く、一度絆を結べば絶対に家族を見捨てない、温かい心を持っているからこそ、甘えてしまっていたのではないか。

 

(この人だ……!)

 

ベルの心の中で、カチリと運命の歯車が噛み合う音がした。

 

「あの……神様!」

ベルは、彼女の背中へ向かって、震える、けれど力強い声を張り上げた。

「僕、まだどこのファミリアにも入ってないんです! 田舎から出てきたばかりで、武器の振り方もろくに知りません。才能があるかどうかもわかりません! だけど……」

 

ベルの言葉に、彼女がハッと振り返る。

「だけど……僕を、神様の最初の眷族にしてくださいッ!」

 

「えっ……」

彼女は信じられないものを見るように、青い瞳を大きく見開いた。

「ほ、本当に……? 僕、何もないよ? ファミリアの家もないし、お金もない。君に立派な武器を買ってあげることも、安全な環境を用意してあげることもできないんだよ?」

「いりません!」

ベルは即答した。

 

「安全な場所なんて、男にはいりません! 自分の足で泥水をすすってでも、僕が這い上がります! 神様がお金がないなら、僕がダンジョンに潜って稼いできます! 家がないなら、僕が絶対に、いつか立派なお家を建ててみせます!」

ベルは一歩前に踏み出し、彼女の青い瞳を真っ直ぐに射抜いた。

「神様に、守ってもらおうなんて思っていません。……僕が、あなたの居場所になります!」

 

「君の、居場所……」

 

「僕を、あなただけの『守るべき人』じゃなく、あなたを『守る男』にしてください。……僕が、あなたの笑顔を一生守り抜きますからッ!」

 

それは、マヤという最強の男の生き様を魂に刻み込んだ白兎が放つ、純度百パーセントの硬派な決意の咆哮だった。

打算も、ハーレム思考も、下劣な欲望も一切ない。

ただ一人の女性(神)を愛し抜き、その笑顔のためだけに命を懸けるという、漢としての究極のプロポーズにも似た誓い。

 

「っ……!」

彼女の顔が、ボンッ! と音を立てるように限界まで真っ赤に染まった。

オラリオに降り立ったばかりの女神にとって、これほどまでに真っ直ぐで、重たく、そして頼もしい言葉を投げかけられたのは初めてのことだった。

ヒモのように神にすがるわけでもなく、「僕が守る」と宣言してのけたこの小さな白髪の少年の姿が、彼女の目には、どんな神話の英雄よりも大きく、眩しく見えた。

 

「き、君……っ、そんなこと、女の子にサラッと言うもんじゃないぞ……っ! 勘違いしちゃうじゃないか……っ」

彼女は顔を真っ赤にして両手で口元を覆いながらも、その青い瞳からは、嬉しさと安堵の涙がポロポロとこぼれ落ちていた。

 

「あ、ご、ごめんなさい! 僕、何か変なこと言いましたか!?」

ベルが慌てて手足をバタバタさせるのを見て、彼女は「ふふっ」と吹き出し、やがて心底嬉しそうな、太陽のように明るい笑顔を咲かせた。

 

「……ううん。変じゃない。最高に、かっこよかったよ」

彼女は涙を指で拭い、ベルの前にスッと手を差し出した。

 

「僕は、ヘスティア。君の言う通り、不器用で、貧乏で、何の取り柄もないかまど神だ。……でも、君が僕の居場所になってくれるって言うなら、僕は君の、たった一人の神様(ヒロイン)になってあげる。……君の帰る場所は、僕が絶対に守るから」

 

「ヘスティア様……!」

ベルは差し出されたその小さな手を、両手でしっかりと、力強く握りしめた。

「はい! 僕はベル・クラネルです! ヘスティア様、これからよろしくお願いします!」

 

夕闇に包まれるオラリオの路地裏。

誰にも知られることのないその薄暗い場所で、孤独だったかまど神と、純粋すぎる英雄願望を胸に秘めた白兎の運命の契りが結ばれた。

 

かつて、辺境の平原でロキとマヤが出会った日のように。

『女の笑顔を守り抜く』というマヤの絶対的な流儀を受け継いだベルの物語は、ここから、彼だけのたった一人の女神と共に、泥臭くも輝かしい第一歩を踏み出したのであった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。