天を突く白亜の巨塔『バベル』。
その下層階に広がる商業施設の中でも、ひときわ重厚な店構えを誇るのが、オラリオ最大の鍛冶派閥『ヘファイストス・ファミリア』の高級武具店である。
ベルとヘスティアがその店の敷居を跨ぐと、赤髪に眼帯をした長身の女神——ヘファイストス本人が、呆れたような、しかしどこか面白がるような顔で出迎えた。
「ギルドから連絡は受けてるよ。ロキのところのヒモ男……マヤから、1000万ヴァリスもの大金を渡されたそうじゃないか。ヘスティア、あんたのことだから、その金で『ベルくん専用のすごい特注武器(オーダーメイド)を作ってくれ!』とでも泣きついてくるのかと思ったがね」
ヘファイストスが腕を組んでからかうと、ヘスティアは「うっ」と言葉を詰まらせた。
事実、ギルドを出た直後のヘスティアは全く同じことを提案したのだ。だが、それを制止したのはベル自身だった。
「ヘファイストス様。……僕は、今の自分の身の丈に合った武器を、自分の眼で選びたいんです」
ベルは真っ直ぐに鍛冶神の瞳を見つめ返した。
「マヤさんは、その辺の木の棒でも最強です。僕が本当に強くなりたいなら、神様に無理をさせてまで、僕の器に合わない高価すぎる武器に頼るなんて、男のすることじゃありません。……それに、マヤさんから『良い物を二本選べ』と教えられましたから」
その媚びのない、地に足の着いた新人の眼差しに、ヘファイストスの口角が微かに上がった。
「……いい眼だ。大金を手にして浮かれるどころか、自分の立ち位置を完璧に理解している。ヘスティア、あんた本当にいい子を見つけたね」
「ふふんっ! そうだろう、そうだろう! うちのベルくんは世界一かっこいいんだから!」
得意げに胸を張るヘスティアを横目に、ヘファイストスは「勝手に見な」と、数百万ヴァリスクラスの業物が並ぶショーケースへとベルを案内した。
ベルはショーケースの前に立つと、真剣な眼差しで幾つかの武器を手に取り、その重量バランスや刃の反りを確かめていった。
やがて彼が選び出したのは、取り回しの良い『ショートソード』と、一振りの『ナイフ』だった。
「メインにショートソード、サブにナイフかい?」
ヘファイストスが興味深そうに尋ねる。
「新人は剣一本か、ナイフ一本に絞りたがるもんだが……どうしてその組み合わせにしたんだい?」
「……僕の故郷にいる、とても厳しい師匠や叔母さんたちから、昔からずっと叩き込まれてきたんです」
ベルは、自身のルーツである『暗黒期の怪物たち』の名前を伏せながら、静かに語り始めた。
「憧れの人(マヤ)が、木の棒とサバイバルナイフでどうやって圧倒的な格上と戦うのかを。……その理屈を、僕なりに実践するための二本です」
ベルはショートソードを軽く構え、そのリーチの長さを確かめるように空を斬った。
「まず、ショートソードのリーチを活かして敵を牽制し、距離を管理します。時には大振りをして、敵の意識を『剣』に向けるためのブラフ(囮)にする。そして……敵の意識が剣に逸れ、僅かな死角(隙)が生まれた瞬間に——」
シュンッ!
ベルの左手から、目にも留まらぬ速さでナイフが虚空を薙いだ。それは正確に、仮想敵の胸の中央——『魔石』の位置を抉り抜く軌道だった。
「サブのナイフで、確実に急所を突いてトドメを刺す。二刀流のように同時に振り回すんじゃなく、完全な『役割分担』です。生き残るため、確実に敵を仕留めるための戦術です」
「……ッ」
ヘファイストスは、思わず息を呑んだ。
素人の発想ではない。リーチの違いを利用した思考誘導、死角からの刺突。それは、数多の死線を潜り抜けた歴戦の暗殺者や、対人戦を極めたベテラン冒険者だけが行き着く『純粋な殺人術(ロジック)』そのものだった。
(この子……田舎から出てきたばかりの白兎だと思っていたが、中身はとんでもない戦士の卵じゃないか。どんな魔境で教育を受けてきたんだ……?)
ヘファイストスは、背筋に微かな悪寒すら感じながらも、鍛冶神として極上の笑みを浮かべた。
「……完璧だ。機能も、理屈もね。ショートソードはそれで決まりとして……ナイフの方は、もう一つの方と迷っているのかい?」
ヘファイストスの言う通り、ベルの手元には先ほど仮想戦闘で振ったナイフの他にもう一振り、形の違うナイフが置かれていた。
「はい。この二つのナイフ……性能も、重量バランスも、僕の手への馴染み方も全く同じで、本当に素晴らしい武器です。だからこそ、どちらを選べばいいか迷ってしまって」
ベルの悩みを聞き、ヘファイストスは肩をすくめた。
「機能が完全に同じなら、あとは好みの問題さ。自分で決めな」
するとベルは、隣で「どっちがいいかなぁ」とうんうんと一緒に悩んでくれていたヘスティアへと向き直り、ふわりと優しく微笑んだ。
「神様。機能が同じなら、最後は……僕の『一番大好きな人』に決めてほしいんです」
「えっ?」
「神様が選んでくれたデザインのナイフなら、僕、絶対に負ける気がしないから」
「~~~~~~ッッ!!」
ヘスティアの顔が、ボンッ! と音を立てて限界まで真っ赤に染まった。頭からシューシューと湯気が噴き出している。
天然のタラシにして、漢の流儀を真っ直ぐに体現する少年の殺し文句。
ヘファイストスが「あちゃー」と額を押さえて天を仰ぐ中、ヘスティアは胸の動悸を必死に抑え込みながら、真剣な顔で二つのナイフを見比べた。
一つは、白銀に輝くオーソドックスな美しいナイフ。
もう一つは、黒い刀身に、どこか神聖文字(ヒエログリフ)を思わせる紫色の装飾が施された、神秘的な一振り。
「こ、こっち! こっちの方がいい!」
ヘスティアは、黒い刀身のナイフをビシッと指差した。
「このナイフの方が、ベルくんの真っ白な髪に似合ってて、すごくかっこいいと思う!」
「ありがとうございます、神様」
ベルは嬉しそうにその黒いナイフを手に取ると、大切に胸の前に掲げ、ヘファイストスに向かって力強く宣言した。
「買います。ヘファイストス様、ショートソードと……この『ヘスティア・ナイフ』をください!」
「……ヘスティア・ナイフ?」
「はい! 僕の神様が選んでくれた、僕だけのナイフです。これからずっと、このナイフと一緒に這い上がります!」
その言葉に、ヘスティアは感極まってボロボロと涙をこぼし、ベルの腕にギュッと抱きついた。2億ヴァリスの借金で作られた神造兵装ではない。だが、この市販の黒いナイフには、二人の絶対的な信頼と絆という、値段などつけられない『魂』が確かに宿ったのだ。
「……ははっ。本当に、いい男を見つけたじゃないか、ヘスティア」
ヘファイストスは、眩しいものを見るように目を細め、二人の門出を心から祝福した。
***
無事に1000万ヴァリス以内で二本の武器と防具を購入し、残りの資金をファミリアの運営費として確保したベルとヘスティアは、ホクホク顔でバベルを後にした。
今日はオラリオを挙げての祭典『モンスターフィリア』の開催日。大通りは多くの屋台と人だかりでごった返している。
「ベルくん! ジャガ丸くん食べよう、ジャガ丸くん!」
「あはは、さっきクレープ食べたばっかりじゃないですか」
平和な日常。しかし、その帰り道。
「あ、ベルさん!」
人混みを縫って、聞き覚えのある声がベルを呼び止めた。
振り返ると、そこには『豊穣の女主人』の制服を着た銀髪の少女——シルが、小さな布袋を両手で抱えて小走りで駆け寄ってくる。
「シルさん? どうしたんですか、こんなところで」
「実は、さっきお店の裏口にこれが落ちていて。ベルさんが忘れていった『お弁当』じゃないかと思って、追いかけてきたんです」
シルはそう言って、少し重たそうな布袋をベルに差し出した。
(……さあ、受け取って。そして、その力を解放しなさい)
バベルの最上階から、この光景を監視していた美の女神・フレイヤは、蠱惑的な笑みを浮かべていた。
あの赤髪の鬼(マヤ)が目をかける原石。彼がこの魔法(ファイアボルト)の力を手にした時、一体どんな輝きを見せてくれるのか。
「お弁当……? 僕、お店に忘れ物なんて……」
不思議に思いながら、ベルは布袋を受け取り、中身を確認しようと少しだけ口を開いた。
——瞬間。
ベルの全身の産毛が、ゾワリと総毛立った。
布袋の中から漏れ出す、禍々しいまでの魔力の波動。そして、表紙に刻まれた読む者の精神を喰らおうとするような古代文字。
故郷の隠れ里で、アルフィアや元最高派閥の幹部たちから徹底的な英才教育(座学含む)を受けていたベルの頭脳が、その正体をコンマ一秒で導き出した。
(こ、これ……『魔導書(グリモア)』だぁぁぁッ!? しかも、読んだら強制的に魔法を発現させて灰になるっていう、超高価で超危険な呪物の類じゃないかッ!!)
ベルの顔面から、一瞬にして血の気が引いた。
「し、シルさんッ!!」
「えっ? はい?」
「こ、これ、僕のじゃありません! たぶん、どこかのすごい冒険者さんか貴族の人が、間違えてお弁当袋に入れて落としちゃったんだと思います!」
ベルは、中身の文字を『一文字たりとも読まないように』薄目を細めながら、光の速さで布袋の口をギュウギュウに固く縛り上げ、ぐるぐる巻きにして封印した。
「こんな超高価で危険な落とし物、もし誰かが間違えて読んじゃったら大変なことになります! 早く、一刻も早くギルドの『遺失物窓口』に届けて、厳重に保管してもらわないと!!」
「えっ……あ、ちょ、ベルさん……?」
「僕、走ってギルドに届けてきます! 神様、ちょっと待っててください!」
ベルはシルに頭を下げると、魔導書を胸に大事に抱え、一目散にギルドの方向へと猛ダッシュで駆け出していった。
「…………え?」
取り残されたシル(フレイヤの端末)は、ポカンと口を開けて立ち尽くした。
(……え? 読まないの? なんで……中身確認したわよね? 普通、好奇心で一文字くらい読まない?)
バベルの頂上で監視していたフレイヤも、持っていたワイングラスを取り落としそうになっていた。
(ちょっと待って、それ何億ヴァリスもする超一級品の魔導書なんだけど! なんでギルドの遺失物窓口に向かって全力疾走してるの!? 待って、私の計画が……ッ!)
真面目すぎる白兎の、田舎の英才教育が生んだ完全なる『スルー・スキル』。
オラリオの頂点に君臨する美の女神の壮大な罠は、ベルのあまりにも善良で常識的な判断により、一切の魔法を発現させることなく、物理的にギルドの金庫へと向かって大爆走を始めていた。
だが——神の筋書きから外れたとしても、英雄の運命は彼を放っては置かない。
「ギルド、ギルドはあっちだ……ッ!」
人混みを掻き分けながら走っていたベルの耳に、突如として悲鳴と怒号が飛び込んできた。
「キャアアアアアッ!」
「モンスターだ! 闘技場から、モンスターが逃げ出したぞォォッ!」
ドンッ!!
祭りの屋台が派手に吹き飛ばされ、砂埃の中から巨大な銀色の毛並みを持った猿の怪物——『シルバーバック』が姿を現した。
偶然の事故か、あるいは何者かの意図的な差し金か。逃走した怪物は、血走った眼で周囲を見渡し、そして真っ直ぐに——ベルを追って走ってきていたヘスティアへとその凶悪な腕を振り上げた。
「神様ッ!!」
魔導書を放り投げ、ベルは新調したばかりのショートソードを抜き放ちながら、大地を蹴った。
魔法はない。奇跡もない。
あるのは、己の肉体と、漢の流儀を叩き込まれた二本の刃だけ。
(見られてる……!)
突進するベルは、ふと、建物の屋根の上から自身を見下ろす『絶対的な強者の視線』を感じ取った。
見上げなくともわかる。あの赤髪の教官が、祭りの警備の傍ら、自分を試すように見下ろしているのだ。
(マヤさんが、僕を見てる……! だったら、一歩も引けない!!)
ベルの背中で、【憧憬一途】のスキルが凄まじい熱を帯びて爆発的に鼓動を始める。
己の牙だけを頼りに、祭りの獣へと真っ向から斬りかかっていった。