ダンジョンに鬼がいたらそうなる件   作:マイナーチョコ

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第45話:白兎の躍進と、静かなる牽制

迷宮都市オラリオは、一つの途方もない噂で持ちきりになっていた。

 

ヘスティア・ファミリアのベル・クラネルが、迷宮探索開始からわずか一ヶ月足らずで『Lv.2』へ昇格した。

おまけに、ただのステイタス更新ではない。中層手前で特異な強化種——階層主クラスの気迫を放つ巨大なミノタウロスを、一切の魔法を使わずに単独で解体討伐するという、神々すら度肝を抜く完璧な『偉業』を成し遂げての昇格である。

ギルド本部はその対応に追われ、酒場という酒場では最速の白兎の話題が絶えなかった。

 

そして、その震源地からほど近い場所。

夕刻の『豊穣の女主人』は、今日も冒険者たちの熱気と喧騒に包まれていた。

 

「ギャハハハハ! あのチビッコ、ホンマにやりよったで!」

 

カウンター席の端で、ロキがエールをあおりながら上機嫌に笑い声を上げていた。

その隣には、相変わらず漆黒のレザーコートを着流したマヤが座り、静かに杯を傾けている。

 

「アルフィアのやつ、今朝の新聞読んだ瞬間『当然よ。私の可愛い甥っ子ですもの』とか言って、一日中ドヤ顔で紅茶飲んでたからな」

「目に浮かぶわ! まぁ、ウチらも鼻が高いわな!」

 

二人が仲睦まじく夫婦の会話を楽しんでいると、不意に、銀色の髪を持った酒場の娘——シル・フローヴァが、お盆を抱えてパタパタと小走りでやってきた。

 

「こんばんは、マヤさん。相変わらず、仲が良いですね」

 

シルはふわりと微笑むと、ごく自然な動作で、空いていたマヤのすぐ隣の椅子にちょこんと腰を下ろした。

 

「——なッ!」

 

その瞬間、ロキの頭頂部で凄まじい勢いの嫉妬センサーが反応した。

 

「われェ! またウチの旦那の横にチャッカリ座りよって! 隙あらば狙っとんのかいな!」

「ふふっ、そんなことありませんよ。ただ、注文の追加がないかお伺いしようと思っただけです」

 

ギャーギャーと威嚇するロキを、シルはどこ吹く風でさらりとかわす。

そんな二人のやり取りを横目に、マヤは「まあまあ」とロキをなだめ、シルに向かって口を開いた。

 

「あ、そういえば。シル、お前がいつぞや見つけて、ベルの落とし物だと勘違いした『本』があったろ?」

「え? あ、はい。そうですね」

 

シルが目を瞬かせると、ロキも思い出したようにニヤリと笑った。

 

「そうそう! あんときの本な、神会(デナトゥス)でウチのファミリアが正式に引き取ったさかい。シル、あんときのウチの旦那に感謝しとけよ? あんなヤバいもん、その辺の冒険者が拾っといたら大騒ぎになるとこやったで」

 

ロキの言葉に、マヤも真剣な顔で頷いた。

 

「あれは、あそこにあったら危ないものだったからな。魔導書(グリモア)ってのは、何が書いてあるか開けてみないと分からない代物だ。もしかしたら、闇派閥(イーヴィルス)辺りが仕掛けたテロまがいの暗躍かもしれなかったしな」

「テ、テロ……」

「ああ。だから、ロキの機転にも助かったよ。オラリオトップ派閥の主神が嫁だと、こういう時本当に頼りになる。ここも奢りだしな」

 

マヤは隣のロキの肩を抱き寄せ、ヒモとしてのスタンスを崩さずに朗らかに笑った。

「えへへ……まぁ、ウチに任せときってことや!」

ロキは照れくさそうに鼻の下を擦り、機嫌を直してエールを呷る。

 

一方で、シル——その裏で彼女と視界を共有している美の女神フレイヤは、心の底から歓喜の震えを噛み殺していた。

(私が仕掛けた罠を、闇派閥のテロだと勘違いして……その上で、周囲を巻き込まないために自ら泥を被って回収したの……? ああ、なんて美しくて、純粋な魂……!)

マヤの言葉には一切の裏表がなく、ただただ「街の安全と家族」を想う純然たる優しさだけが存在していた。それがフレイヤの執着をさらに燃え上がらせていることなど、知る由もない。

 

「それにしても……」

マヤがふと、酒場の奥へと視線を向ける。

「おい。うちのメイド、なんであんなことになってるんだ?」

 

マヤの視線の先。

そこには、なぜかこの店の制服である給仕服の上に、自前のメイドエプロンを完璧に装着したヴァレッタの姿があった。

 

「いいですか。お盆を持つ時は重心をブラさない! お客様に背を向けない! 笑顔の角度は常に十五度を保ちなさい!」

「にゃっ!? な、なんだか凄い気迫にゃ……!」

「クロエ、姿勢が丸まってるにゃ! この人に殺されるにゃ!」

 

ヴァレッタが、アーニャ、クロエ、ルノアといったキャットピープルの店員たちを一列に並ばせ、元闇派閥幹部の気迫を全開にして『接客のイロハ』を叩き込んでいた。

その光景を厨房から見ていた女主人ミアは、巨大な腕を組んだまま「……なんだいありゃ。ウチの店が乗っ取られてるじゃないか」と呆れ果てている。

 

「まあ、ヴァレッタもたまには息抜きが必要だろ。放っておいてやれ」

マヤは可笑しそうに笑い、グラスの酒を飲み干した。

 

***

 

その『豊穣の女主人』の少し離れたテーブル席。

パトロール任務の前の腹ごしらえとして食事をとっていた『アストレア・ファミリア』の面々は、その光景をじっと見つめていた。

 

「あーあ。マヤさん、相変わらずロキ様やシルちゃん相手に楽しそうね。私たちもあんな風に隣に座って構ってほしいのに」

 

団長のアリーゼが、頬杖をつきながら少しだけ唇を尖らせた。

かつて、深い迷宮の底で絶望的な窮地に陥った彼女たちを、圧倒的な暴力と究極の優しさで救い上げた男。その日から、正義の乙女たちの心には、決して消えることのない熱い思慕が燻り続けていた。

 

「アリーゼ。私たちは正義を司るアストレア・ファミリアです。そのような、はしたない真似は……」

リューが冷静に窘めようとするが、その長いエルフの耳は根元まで真っ赤に染まっていた。

「リュー、耳が正直だよ? 本当はマヤさんに頭ポンポンされたくて仕方ないくせに」

「なっ、輝夜! 私は決してそのような——!」

「まあまあ! ほら、ご飯冷めちゃいますよ!」

 

アーディが苦笑しながら場を宥める。

「早く食べて、任務に向かいましょう。第18階層(リヴィラの街)の定期パトロールを完璧にこなして……帰ってきたら、またマヤさんに良いところを見せて褒めてもらいましょうよ!」

 

アーディの言葉に、乙女たちは「それもそうね」と顔を見合わせ、気合を入れ直すように食事のペースを上げた。

彼女たちはまだ知らない。その第18階層への出立が、中層で危機に陥るベル・クラネルたちとの、運命的な合流に繋がっていくことを。

 

***

 

オラリオの歓楽街、夜の街の奥深く。

豪奢な神室の長椅子に寝そべっていた美の女神イシュタルは、手元のキセルをギリィッと噛み締めていた。

 

「……で? 結局、あの男には一切の接触ができなかったと?」

 

イシュタルの冷たい声に、報告に上がっていた戦闘娼婦(アマゾネス)が冷や汗を流して膝をつく。

「も、申し訳ありません、イシュタル様……! あの男、ロキと連れ立ってフレイヤの息がかかった酒場(豊穣の女主人)に入り浸っており……。我々が迂闊に近づけば、両ファミリアとの摩擦になりかねず……」

 

「チッ……」

 

イシュタルは忌々しげにキセルの煙を吐き出した。

神会で目をつけ、歓楽街へ引きずり込んでやろうと画策していたロキのヒモ男、マヤ。

だが、いざ探りを入れてみれば、その男の行動には一切の『隙』が存在しなかった。

常に主神であるロキと行動を共にし、ファミリアの強力な護衛(メイド)まで連れ歩いている。おまけに、出向く先は因縁の相手であるフレイヤの息がかかった酒場。

 

彼らはただ、夫婦水入らずの日常を楽しんでいるだけに見える。

だが、その何気ない日常の風景そのものが、結果としてイシュタル陣営の付け入る隙を完全に封殺する、強固な防壁として機能してしまっていたのだ。

 

(ただのヒモにしては、あまりにも立ち回りが自然すぎる……。向こうから女の園(歓楽街)に誘い込まれるような安い男じゃないってことか。なら、どうやってあの男をこちらへ引きずり込む……?)

 

イシュタルの苛立ちは募るばかりであった。

 

一方、その歓楽街から遠く離れた黄昏館への帰り道。

ロキと手を繋ぎながら夜風に吹かれていたマヤは、月を見上げて小さくあくびをした。

 

(……さて。ベルも順調に育ってるし、次は中層か。過保護に手出しはしないが、死なない程度に泥水すすって強くなれよ)

 

オラリオの裏で蠢く神々の思惑など意に介さず、マヤはただ、己の愛する家族たちの成長と平和な明日だけを想い、静かに夜の街を歩き続けていた。

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