——オォォォォォォォォォォォォォォォォォォッッ!!!!
迷宮の楽園を切り裂く、鼓膜を破らんばかりの絶望の咆哮。
安全地帯のドーム中央に産み落とされた漆黒の巨人『ブラック・ゴライアス』が、その規格外の巨腕を振り下ろした。
轟音と共に水晶の大地が粉砕され、逃げ遅れた冒険者たちが悲鳴を上げて吹き飛ばされる。かつてない異常事態に、リヴィラの街は一瞬にして阿鼻叫喚の地獄と化した。
「怯まないで! 前衛構築ッ! 輝夜、私が右を抑えるから左を!」
「言われるまでもないわ、アリーゼ!」
パニックに陥る群衆の中、いち早く戦線を構築したのは、オラリオの治安維持を担う正義の乙女たち——アストレア・ファミリアであった。
団長のアリーゼが真紅の炎を纏わせた長剣で巨人の右腕を弾き返し、輝夜が流麗な太刀筋で左脚の腱を狙って斬り込む。
Lv.4という第一級手前の絶対的な実力。二人の完璧なヘイト(敵意)管理により、暴れ狂っていた漆黒の巨人の意識が完全に乙女たちへと固定された。
「ルミノス・ウィンド!!」
後方からリューが放った無詠唱の緑風刃が、ゴライアスの分厚い装甲を的確に削り取る。さらにライラが死角から投げ込んだ特製の起爆薬が、巨人の関節で次々と爆発を巻き起こした。
完璧な連携、プロフェッショナルによる理想的なレイドバトル。
だが——。
「なっ……傷が、もう塞がっている!?」
アリーゼが驚愕の声を上げた。
リューの風刃で切り裂かれたはずの胸の装甲から、シューシューと不気味な黒煙が吹き出したかと思うと、瞬きする間に新たな外殻が形成されていく。異常な硬度に加え、階層主の常識を凌駕する『超再生能力』。
「こいつ、Lv.5以上の耐久力を持ってるわよ! 決定打が足りない……ッ!」
アリーゼたちが歯噛みしたその時、彼女たちの背後から重々しい詠唱が響き渡った。
『——建御雷神(たけみかづちのかみ)の申し子にして、武を志す者。我が名はヤマト・命』
手負いの千草を後方に安全な場所へ預け、タケミカヅチ・ファミリアの桜花と命が戦場に駆けつけたのだ。
「アストレア・ファミリアの皆さん! 俺たちもやらせてくれ!」
「さっきの恩、ここで返します! ——『フツノミタマ』!!」
命が大地に刀を突き立てた瞬間、ブラック・ゴライアスの足元に巨大な重力結界(紫色の魔法陣)が展開された。
「ガ、ギォォォッ!?」
すさまじい重圧に巨人が顔を歪め、その動きが目に見えて鈍る。
「よし! 今だ、ヴェルフさん!」
「おうよッ! 俺の最高の一振り、味わいやがれ!!」
重力に縛られた巨人の死角から、遊撃アタッカーとして戦場を駆け抜けてきたベルとヴェルフが飛び出した。
ヴェルフが全身のバネを使い、巨大な大剣をゴライアスの膝裏へと全力で叩き込む。
ドゴォォォンッ! という鈍い衝突音が響き、硬質な装甲がひび割れ、巨人の体勢が大きく前へと崩れた。
「——そこッ!」
崩れた体勢の、さらに完全なる死角。
すでに敏捷SSSの神速の領域に達しているベル・クラネルが、残像すら残さずにゴライアスの背中側へと這い上がっていた。
「ギ、ァ……!?」
ベルは一切の大振りをしない。冷徹に、ただひたすらに、巨人が再生の魔力を回しきれない細かな関節、首の付け根、装甲の継ぎ目だけを、両手のナイフとショートソードで的確に削り取っていく。
それはまるで、巨大な肉の塊を相手にした精密な解体作業であった。
ベルが関節を削り、ヴェルフが大剣で姿勢を崩し、命の重力魔法が動きを封じ、アリーゼたちが正面から大火力を叩き込む。
陣営の垣根を越えた、星々による奇跡の総力戦。
ゴライアスの巨体が、徐々に、だが確実に悲鳴を上げ始めていた。
「オ、ォォォォォォォォォォッ!!」
追い詰められた漆黒の巨人が、残された全魔力を胸部に集中させ始めた。超再生を捨て、周囲一帯を吹き飛ばす自爆にも等しい極大の咆哮(ブレス)のチャージ。
まともに食らえば、リヴィラの街ごと消し飛ぶ。
「撃たせるかッ! 輝夜! リュー!!」
「承知ッ!」
「ええッ!」
アリーゼの号令と共に、正義の乙女たちが最後の力を振り絞り、ゴライアスの胸元——魔石を守る分厚い外殻へと一斉に飛び込んだ。
炎の長剣、閃光の太刀、そして緑風刃の乱れ撃ち。
三人の全魔力を乗せた決死の同時攻撃が、漆黒の装甲を激しく打ち据え——ピキィィィンッ! と、強固な外殻に、ほんの一瞬だけ『亀裂(こじあけ)』が生じた。
「今よッ、ベル!!」
アリーゼの魂の叫びが響く。
「——ッ!!」
巨人の頭上、虚空へと高く跳び上がったベルは、己の全存在を右手のショートソードに注ぎ込んだ。
トドメを、本命の武器(ナイフ)で刺すという絶対の意志。
その願いに呼応し、神のシステム——スキル【変幻自在】が、爆発的な光となってベルの肉体を包み込んだ。
「いけぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!」
投擲。
放たれたショートソードは、もはや剣の形をした大砲の弾であった。
ドギュゥゥゥゥンッ!!
空気を焼き切るような轟音と共に飛来した刃は、アリーゼたちがこじ開けた胸の亀裂へと正確無比に突き刺さり、分厚い筋肉と外殻をドリル空母のように完全に貫通・破壊した。
そして、剣を手放した瞬間に訪れる、神速の『スイッチ』。
全身の細胞が沸騰するような極大のステイタスバフを受けたベルは、空中で空になった右手を腰へ這わせ、本命である『ヘスティア・ナイフ』を抜き放った。
ドンッ!!
音を置き去りにした。
空気を蹴り破り、がら空きになったゴライアスの胸の奥——魔石の目前へと、神速で潜り込む。
(仲間を信じ、背中を預けろ。そして——生きろ!)
脳裏に焼き付いた憧れの漢の言葉と共に、ベルは黒いナイフを、渾身の力を込めて漆黒の魔石へと突き立てた。
「オォォォォォ——……ッ」
ピキッ……パァァァァァァァンッッ!!!!
迷宮全体を震わせる甲高い破砕音。
絶望の化身であったブラック・ゴライアスは、咆哮を放つことすら叶わず、その巨体を大量の灰へと変えて崩れ去っていった。
***
「……やった。……やったわぁぁぁぁッ!!」
降り注ぐ灰の雨の中、誰かの叫びを皮切りに、リヴィラの街に割れんばかりの歓声が爆発した。
冒険者たちが抱き合い、涙を流して勝利を喜ぶ。
アリーゼたちアストレア・ファミリアの面々も、疲労困憊で座り込みながら、灰の中から無事に着地したベルとヴェルフへと満面の笑みを向けていた。
だが。
その光と歓喜に包まれた広場から遠く離れた、薄暗い路地裏の物陰。
そこには、異常な熱気を帯びた瞳でベルを見つめ、恍惚とした笑みを浮かべている一人の男——神ヘルメスの姿があった。
「素晴らしい……! 素晴らしいよ、ベル・クラネルッ!」
ヘルメスは自身の両手で顔を覆いながら、歓喜に打ち震えていた。
「絶望の淵に立たされてなお、自らの意志で光を掴み取る! あの泥臭くも研ぎ澄まされた刃の輝きこそ、僕が探し求めていた新しい英雄の姿だ! ああ、たまらない……ッ!」
それは、神としての威厳も何もない、狂気すら孕んだ純粋な『英雄への執着(エゴ)』。ゼウスの思惑など関係ない。ただ彼自身が、己の欲望を満たすために、下界の子供たちを理不尽な死地へと突き落としたのだ。
「ヘルメス様……あなたという人は……っ!」
その背後で、従者のアスフィ・アル・アンドロメダが、真っ青な顔をしてワナワナと震えていた。
自らの主神が意図的に神気を漏らし、街一つが壊滅しかねないイレギュラーを発生させたのだ。もしベルたちが負けていれば、ここにいる全員が死んでいた。
アスフィは強く唇を噛み締めた。
(私が止められなかったばかりに……多くの命を危険に晒してしまった……!)
主神の理不尽な振る舞いを止めることができない、従者としての無力感。神の狂気に振り回され続ける己の徒労感と、深く重い罪悪感が、彼女の心を真っ黒に塗り潰していく。
「ふふっ、さぁアスフィ! 次は彼にどんな試練を与えようか! 考えるだけで胸が躍るじゃないか!」
無邪気に笑うヘルメスの横顔を見つめながら、アスフィは誰にも届かない悲鳴を心の中で上げ続けていた。
彼女はまだ知らない。
自らの手で悲劇のヒロインを作り出すような理不尽を、絶対に許さない『最強の青鬼』が、地上で静かに目を光らせていることを。
***
「いやー! さすが私たちの同志(ベル)! 最後のトドメ、最高にカッコよかったわよ!」
「まったくです。マヤさんの教えが、しっかりと貴方の血肉になっている証拠ですね」
「えへへ……アリーゼさん、リューさん、ありがとうございます」
地上への帰還の途につく一行の中心には、アストレア・ファミリアの乙女たちに囲まれ、思い切り頭を撫で回されて照れるベルの姿があった。
「俺たちのことも忘れんなよ!」と笑うヴェルフや、「本当にありがとうございました」と何度も頭を下げる桜花や命たち。
誰一人欠けることなく、仲間を信じて背中を預け合った結果の、完全なる勝利。
マヤの魂の教えを胸に刻んだ白兎は、英雄への階段をまた一つ、確かな足取りで駆け上がっていったのだった。