ダンジョンに鬼がいたらそうなる件   作:マイナーチョコ

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第53話 未完の少年と、忍び寄る太陽

薄暗い燐光に照らされた迷宮(ダンジョン)の中層。

入り組んだ岩壁の迷路が続くこの階層で、鋭い金属音とモンスターの咆哮、そして少女の凛とした声が反響していた。

 

「右前方、岩陰から三体! ヘルハウンドです! 距離十五! ヴェルフ殿、二歩退がって牽制を!」

 

黒髪の少女——ヤマト・命が、目を閉じたまま淀みなく指示を飛ばす。

その声に呼応し、前衛を張るヴェルフが身の丈ほどもある大剣を横に薙ぎ払った。飛び出してきた地獄犬(ヘルハウンド)の初撃を巨大な刀身で受け止め、そのまま強引に弾き飛ばす。

 

「一角ウサギ(アルミラージ)の別働隊が後方から回り込んでいます! ベル殿、頭上の鍾乳石を利用してください!」

「はいッ!」

 

ヴェルフが大剣を振るって敵のヘイトを一点に集めた直後の、完全なる死角。そこから神速で飛び出したベルが、岩壁を蹴り、鍾乳石を足場にして宙へと舞い上がる。

空中に飛び出したベルは、手にしたショートソードを下方で威嚇するヘルハウンドに向けて全力で投擲した。

 

空気を裂く重撃。スキル【変幻自在】のバフが乗ったショートソードの投擲は、もはや大砲のような威力を持っていた。放たれた刃がヘルハウンドの頭蓋を貫き、絶命させる。

そして、ショートソードが手から離れた瞬間に訪れる、神速の『スイッチ』。

全身の細胞が沸騰するような極大のステイタスバフを受けたベルは、空中で空になった右手を腰へ這わせ、本命である黒い短刀『ヘスティア・ナイフ』を抜き放った。

 

ドンッ! という爆発的な踏み込みと共に着地し、回り込もうとしていたアルミラージの懐へ一瞬で潜り込む。黒い刃が瞬く間に閃き、三体のモンスターの魔石を、一切の無駄なく正確無比に抉り抜いた。

 

「そこまで! 周囲のモンスターの反応、完全に消えました!」

命が目を開け、ピンと張り詰めていた空気を解く。

 

「す、すごい……。命さん、本当に見えてなくても全部の動きが分かってるんですね」

ベルが息を弾ませながら、黒い短刀を鞘に収める。ヴェルフも大剣を肩に担ぎ、額の汗を拭いながら感心したように口笛を吹いた。

「ああ。モンスターの位置どころか、俺とベルの立ち位置、動きの軌道まで完璧だ。こりゃあ、下手な斥候(シーフ)より何倍も頼りになるぜ」

 

命が持つスキル『八咫黒烏(ヤタノクロガラス)』と『八咫白鳥(ヤタノシロガラス)』。

モンスターの気配を探知する黒烏と、同じ主神の血を分けた眷族を探知する白鳥。この二つの探知スキルを同時に起動することで、命の脳内には周囲の戦況が俯瞰図のように完璧に浮かび上がっていた。

壁の向こう側であろうと、完全な死角であろうと、敵の接近と味方の配置を寸分の狂いもなく把握できる。少人数パーティにおいて、まさに無敵の『レーダー』である。

 

「恐縮です。私の持つ重圧魔法『フツノミタマ』は、最大で半径50メートルの重力結界を展開してしまいます。タケミカヅチ様からも、このような閉鎖空間であるダンジョンでは崩落の危険があるため、なるべく使うなと厳命されておりまして……魔法で直接的なお力になれない分、索敵で貢献できればと」

命は申し訳なさそうに眉を下げたが、ベルは力強く首を振った。

 

「いえ、十分すぎます。フツノミタマは18階層のような広い場所か、地上での切り札です。普段の探索では、命さんが戦況を完璧に把握して指示を出してくれるおかげで、僕とヴェルフさんは一切の迷いなく動ける。不意討ちを防げるというのは、ダンジョンで何よりの武器になります」

 

(マヤさんなら、そのタイミングで周りを使う。自分一人で突っ込むな!)

ベルの脳裏に、隠れ里でアルフィアやザルドたちから散々聞かされた怒号が蘇る。

彼らは直接マヤから稽古をつけてもらったわけではない。だが、里の怪物たちが「究極の理想形」として語り聞かせてきた『英雄の戦術思想』は、ベルの血肉として完璧に根付いていた。

 

戦場を支配する命のレーダー。ヴェルフが大剣でヘイトを集めて陣形を維持し、ベルが死角から神速のスイッチで急所を抉る。少人数ながら、互いの命を預け合う強靭なパーティの形が、今ここに完成していた。

 

ベルは腰に収めたヘスティア・ナイフにそっと触れた。

この短刀は、かつてマヤが、狂犬ベートの失態の詫びとしてヘスティア・ファミリアに差し出した一千万ヴァリス。その資金を元手に、ヘファイストスが粋な計らいを見せ、不壊属性が付いた『失敗作(下界では超一級品の三流武器)』を安く融通してくれたものだ。

 

候補にあった二本のうちから、主神であるヘスティアが悩み抜いて選び出し、ベル自身が名付けた、ただの黒い短刀。

だが、そこには神様と、自分を見守ってくれる本物の漢の不器用な優しさが詰まっている。

その『想い』に、【憧憬一途】の爆発的なバフと、【変幻自在】のスイッチ補正が掛け合わさることで、このヘスティア・ナイフは階層主の分厚い装甲すらもブチ抜く最強の相棒(切り札)へと昇華しているのだ。

 

「よし、連携の確認は完璧だな。今日はこのくらいにして、地上へ戻ろうぜ。神様も首を長くして待ってるだろうからな」

「はいッ!」

ヴェルフの言葉に頷き、ベルたちは確かな手応えと共に迷宮への帰路についた。

 

***

 

オラリオの裏通りにひっそりと佇む、ヘスティア・ファミリアの拠点である廃教会。

ベルたちが帰還の扉を開けたのとほぼ同時に、教会の奥から凄まじい足音が響いてきた。

 

「ただいまーっ!! ベル君、帰ってるかい!?」

バンッ! と勢いよく中庭への扉が開き、主神のヘスティアが興奮冷めやらぬ様子で駆け込んできた。その顔は上気し、瞳はギラギラと輝いている。

 

「神様、おかえりなさい。神会(デナトゥス)はどうでしたか?」

「それどころじゃないんだよ! ベル君、早く背中を出しておくれ! すぐにステイタスを更新するから!」

 

息を切らし、目を血走らせているヘスティアの剣幕に押され、ベルは慌てて上着を脱いで背中を向けた。

ヘスティアが神の血を垂らし、恩恵(ファルナ)の文字を更新していく。

だが、その作業の途中で、ヘスティアの手がピタリと止まり、彼女の口からヒュッと息を呑む音が漏れた。

 

「か、神様……?」

「……嘘、だろ……? なんだい、これ……」

 

ヘスティアは震える手で羊皮紙にステイタスを写し取ると、白目を剥いて泡を吹きそうになりながら、それをベルへと手渡した。

 

「ベル君、君……『Lv.3』になってるよ……」

「…………え?」

 

ベルの声が裏返った。覗き込んだヴェルフと命も、揃って石像のように固まる。

無理もない。ベルが特異なミノタウロスを単独討伐し、Lv.2になったのはほんの少し前のことだ。普通ならば、次のレベルに上がるまで数年はかかる。

だが、その直後に第18階層でLv.5相当の階層主(ブラック・ゴライアス)のトドメを刺したという『異常なエクセリア』と、スキル【憧憬一途】の常軌を逸した経験値バフが完璧に噛み合った結果、ベルはオラリオの常識を粉砕する速度で『飛び級』を果たしてしまったのだ。

 

「Lv.3……僕が……?」

「す、凄まじいな……。オラリオの歴史上、最速どころの騒ぎじゃねぇぞ」

ヴェルフが引きつった笑いを浮かべ、命が信じられないものを見る目でベルを見つめる。

 

「それだけじゃないんだよ」

ヘスティアがふらふらと立ち上がり、ベルの両肩をガシッと掴んだ。

「今日の神会で、他の神々も君の急成長とゴライアス討伐の件で大騒ぎだったんだ。……ベル君。神々が決めた君の『二つ名』、教えてあげるよ」

 

ヘスティアは、誇らしさと、ほんの少しの不安を入り交じらせた声で告げた。

「未曾有の速度で駆け上がり、まだまだ底知れぬ可能性を秘めた白兎。……君の二つ名は、『未完の少年(リトル・ルーキー)』だ」

 

***

 

夜の『豊穣の女主人』。

命の歓迎会と、ベルのLv.3昇格、そして二つ名決定の祝いを兼ねたささやかな宴は、最初こそ和やかな空気に包まれていた。

絶品の料理と酒が並び、ヴェルフの豪快な笑い声と、初めて口にする豊穣の女主人の味に目を輝かせる命の姿があった。

 

だが、その空気は、店内に騒がしい一団が足を踏み入れた瞬間に一変した。

 

「——おいおい、聞いたかよ? 最近調子に乗ってるルーキーがいるらしいじゃねぇか」

 

真新しい太陽の紋章を刻んだ防具を身に纏う冒険者たち。

『アポロン・ファミリア』の団員たちが、わざとベルたちの席に聞こえるような大声で下卑た笑いを響かせながら、近くのテーブルへと陣取った。

 

「『未完の少年』だぁ? 笑わせるぜ。どうせ18階層のゴライアス討伐だって、アストレア・ファミリアや極東の連中の手柄を横取りしただけだろうが」

「違いねぇ! ひ弱なウサギがLv.3なんて、何かの間違いだろ! きっと主神が泣きついてステイタスを誤魔化したに違いないぜ!」

 

あからさまな嘲笑と、根拠のないやっかみ。

ドンッ! と。

ヴェルフがジョッキをテーブルに叩きつけ、腰の大剣に手を伸ばした。

「……てめぇら、今なんつった?」

 

命もまた、静かに箸を置き、テーブルの下でクナイの柄を握りしめる。極東の武人として、恩義ある主君にも等しい存在と、慈愛に満ちた女神を侮辱されることなど断じて許せなかった。

空気が張り詰め、酒場の喧騒が水を打ったように静まり返る。一触即発の事態に発展しかけた、その時。

 

「ヴェルフさん、命さん。やめましょう」

 

スッと、ベルの静かな声が二人の間に割って入った。

「ベル……!? だが、あいつらお前のことを——」

「いいんです。言わせておけば」

 

ベルはアポロン・ファミリアの挑発に一切の視線を向けず、ただ冷徹に、手元のグラスを見つめていた。

(無用な挑発に乗って陣形を乱すな。感情で動けば、必ず死角が生まれる。……戦場以外で無駄な争いをするのは、三流の愚か者だ)

 

脳裏に焼き付いた『教え』が、ベルの沸騰しそうな感情に冷水をぶっかけ、極限の冷静さを保たせている。彼らは、あからさまにこちらを怒らせ、手を出させようとしている。それに乗って酒場で騒ぎを起こせば、ミア母さんやリューさんたちに迷惑がかかるし、何より相手の思惑通りになるだけだ。

 

「僕たちは、美味しいご飯を食べて帰りましょう。神様が待ってますから」

ベルが静かに、だが確かな威圧感を込めてそう告げると、ヴェルフは舌打ちをして大剣から手を離し、命も無言でクナイを収めた。

 

「チッ……つまんねぇ野郎だ。口先だけの腰抜けが」

挑発に乗ってこないベルの態度に、アポロン・ファミリアの団員たちは忌々しげに顔を歪め、わざとらしく大きな音を立てて酒をあおり始めた。

 

だが、彼らの目には、単なるやっかみ以上の、陰湿で粘着質な『悪意』がはっきりと宿っていた。

主神アポロンが、ベルの純粋で輝かしい魂に異常なまでの執着(ロックオン)を抱いている。彼を孤立させ、精神的に追い詰め、全てを奪い取り、戦争遊戯(ウォーゲーム)という名の合法的な略奪へと引きずり込むための包囲網。

太陽の神による、理不尽極まりない悪意の網は、すでに水面下で静かに、そして確実にヘスティア・ファミリアを締め付けようとしていたのだ。

 

それを知る由もないベルであったが、本能的な悪寒に背筋を撫でられ、奥の席へと消えた太陽の紋章を静かに見据えていた。

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