ダンジョンに鬼がいたらそうなる件   作:マイナーチョコ

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第54話:宴の太陽と、規格外のヒモ旦那(前編)

煌びやかなシャンデリアが放つ光が、磨き上げられた大理石の床を反射し、会場全体を黄金色に染め上げている。

迷宮都市オラリオにそびえ立つ、巨大な白亜の館——アポロン・ファミリアの本拠地。

今宵、ここで催されているのは、主神アポロンの主催による大規模な神々の宴であった。

 

「……ううぅ、帰りたい。すごく帰りたいよぉ、ベル君……」

「が、我慢してください神様。招待されたからには、顔を出さないと角が立ちますから……」

 

壁際の目立たないテーブルで、ヘスティアとベルが身を小さくして震えていた。

ベルはギルドから借りた不慣れな正装に身を包み、ヘスティアも普段の神威を抑えたドレス姿である。だが、二人の顔には余裕など微塵もなく、周囲から向けられる刺すような視線に冷や汗を流し続けていた。

 

それもそのはずである。

数日前の神会(デナトゥス)で、ベルはオラリオ史上最速の『Lv.3へのランクアップ』を果たしたことが公にされたばかり。さらに、18階層でのブラック・ゴライアス討伐という異常な武勲まで広まり、今やヘスティア・ファミリアはオラリオ中の注目の的となっていたのだ。

 

「あぁ……あの太陽の変態が、さっきからこっちをねっとり見てる気がする……」

ヘスティアが身震いしながら、会場の奥に設えられた玉座へと視線を向ける。

 

そこには、金髪に輝く美しい容姿を持った男神——アポロンが、ワイングラスを片手に恍惚とした笑みを浮かべていた。彼の視線は、一切のブレなく真っ直ぐにベルへと固定されている。

獲物を品定めするような、あるいは美しい宝石をショーケースの外から眺め回すような、強烈な執着(ロックオン)の眼差しであった。

 

そのアポロンの欲望渦巻く宴の様子を、さらに高い場所——会場を見下ろす二階のバルコニーから、冷ややかに見つめている女神の姿があった。

 

「……アポロンのやつ、相変わらず悪食ね。手に入れたいと思ったものを、無理やりにでも自分の箱庭に閉じ込めようとする」

 

美の女神、フレイヤ。

彼女は銀色の髪を揺らしながら、手すりに肘をついて退屈そうにため息をついた。

その背後には、オラリオ最強の冒険者である猛者(オッタル)が、岩のように静かに控えている。

 

「あの白兎の魂の輝きは、確かに美しいわ。でも……なんだか、今日はひどく物足りないのよね」

 

フレイヤの視線の先で、緊張に体を強張らせているベル。

彼の成長は著しく、その魂の純度も申し分ない。だが、フレイヤの脳裏には、どうしても『あの赤髪の男』の理白尽なまでの存在感がチラついてしまうのだ。

比べようとするのが間違っていると分かっていても、どうしても物足りなさを感じてしまう。

 

フレイヤがアンニュイな瞳で会場を眺めていた、その時だった。

 

「——おい。そこの『未完の少年』とやら」

 

ベルたちのテーブルに、数人の冒険者が乱暴な足取りで近づいてきた。

アポロン・ファミリアの団員たちである。その中心にいる小柄な男、ルアンが、露骨な嫌悪と見下したような笑みを浮かべてベルを指差した。

 

「こないだの『豊穣の女主人』では、ずいぶんと舐めた真似をしてくれたよなぁ?」

「え……?」

「とぼけんじゃねぇよ! お前らヘスティア・ファミリアの連中が俺たちを睨みつけてきたせいで、うちの団員が酒をこぼして火傷を負ったんだよ! どう落とし前をつけてくれるんだ?」

 

完全な言いがかりである。

酒場でベルたちは一切の挑発に乗らず、無言でやり過ごしたはずだ。だが、彼らはそんな事実などどうでもよく、ただ『ベルに難癖をつける口実』さえあればよかったのだ。

 

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! あんたたち、ベル君に何の因縁をつけて——」

ヘスティアがベルを庇うように前に出ようとした瞬間。

 

「おお、私の可愛い子供たちが、何か粗相をしたかな?」

 

まるで劇の主役のように、大袈裟な足取りでアポロンが歩み寄ってきた。

彼はニタニタと笑いながら、ヘスティアを見下ろす。

「いやなに、私の眷族が君の所の子供に怪我をさせられたと言っていてね。これは、ファミリアの長として、しっかりとケジメをつけさせてもらわなければならないなぁ……」

 

会場の空気が一気に凍りつく。

周囲の神々や冒険者たちも、アポロンの狙いが『ベルの略奪』であることに気づき、息を呑んで成り行きを見守っていた。

ベルは拳を強く握り締め、アポロンの不気味な笑顔を睨み返す。

 

圧倒的な数の暴力と、理不尽な言いがかり。逃げ場のない包囲網が完成し、アポロンが決定的な言葉を紡ごうとした、まさにその時だった。

 

「——待たせたな~」

 

重厚なエントランスの扉が開き、極めて間延びした、しかし異常なほどに通る男の声が会場に響き渡った。

 

「悪い悪い。すこーしばかり、用意にてこずってな」

 

全員の視線が一斉に扉へと向く。

そこに現れたのは、燃えるような真紅の髪を高く結い上げ、深紅の生地に金の刺繍が施された、スリットの深い豪華なチャイナドレス風の衣装に身を包んだ女神——ロキであった。

普段の男勝りな格好からは想像もつかないほどに妖艶で、息を呑むほど美しい。

 

だが、会場の神々と冒険者たちの視線を釘付けにしたのは、彼女の美貌ではなく——その隣を歩く男の、あまりにも常識外れな『姿』であった。

 

「なんや、いまなんかおもろいこと言いかけたところを止めてまって、すまんな〜」

 

ロキが隣の男のたくましい腕にしなだれかかりながら、ニヤニヤと笑いながらアポロンへと視線を向ける。

ロキ・ファミリアの最高幹部であり、ロキの正夫。

その男、マヤは……あろうことか、煌びやかな神の宴の場に、ドレスコードを一切合切無視した『ぴちぴちのタンクトップ姿』で堂々と足を踏み入れていたのである。

 

「なっ……」

ルアンが絶句し、瞬きを繰り返した。

 

「ぶっ、あはははははっ!!」

静まり返っていた会場の沈黙を破るように、ルアンが腹を抱えて吹き出した。

「なんだそのヒモ男!! そんなバカ丸出しの格好で、神の宴に来たつもりかよ! ドレスコードもあったもんじゃねぇ、ただの貧乏人のパジャマじゃねぇか!!」

 

ルアンの嘲笑につられるように、アポロン・ファミリアの団員たち、そして会場にいた他の冒険者たちからも、どっと波のような笑い声が沸き起こった。

「なんだあれ、すげぇ格好だ!」

「最大派閥の旦那が、タンクトップって……あはははっ!」

 

侮蔑と失笑が会場を包み込む。

ベルは、その笑い声を聞いてギリッと奥歯を噛み締めた。

(マヤさんが……僕の憧れの人が、あんな奴らに笑われてる……っ!)

悔しさに爪が手のひらに食い込み、血が滲みそうになる。自分の英雄を小馬鹿にされ、怒りで視界が赤く染まりそうだった。

 

——だが。

会場中が笑いに包まれる中、ただ一人。

嘲笑の中心に立っていたはずのルアンの主神、アポロンだけは、一切笑っていなかった。

 

「…………ッ!!」

 

アポロンは、持っていたワイングラスを取り落としそうになるほどの手の震えを必死に抑え込み、大きく目を見開いてマヤの肉体を凝視していた。

 

(な、なんだ……なんだ、あの身体は……っ!?)

 

ぴちぴちのタンクトップから剥き出しになった、マヤの腕、胸、そして背中の筋肉。

それはただ肥大化しただけの見掛け倒しの肉ではない。極限まで圧縮され、研ぎ澄まされ、鋼鉄のワイヤーを幾重にも束ねたかのような、異常なまでの『密度』と『躍動美』。

少し動くたびに、皮膚の下で強靭な筋繊維が呼吸するようにうごめき、ギリシャ彫刻すらも比較にならない圧倒的な生命力を放っている。

 

アポロンの美を司る本能のセンサーが、警報音を鳴らしてぶっ壊れた。

(ああ……私以外を……神である私以外の男を、初めて『欲しい』と思ってしまった……!! なんという美しさ、なんという暴力的なまでの完成度……ッ!!)

 

驚愕していたのはアポロンだけではない。

バルコニーから見下ろしていたフレイヤもまた、ワイングラスを持つ手をピタリと止め、両目を限界まで見開いていた。

 

(……嘘。あの男、服の下は……こんな筋肉をしていたの!?)

 

普段はゆったりとした戦闘服で隠されているため、分からなかった。マヤがどれほどのバケモノじみたフィジカルをその身に宿しているのかを、フレイヤは今、初めて視覚的に理解したのだ。

背後に控えるオッタルですら、マヤの筋肉の付き方を見て微かに息を呑んでいる。

「すっご……!」

ベルの隣で、ヘスティアまでが思わず素っ頓狂な声を漏らして見惚れていた。

 

嘲笑する有象無象と、真価に気づいて凍りつく強者たち。

その極端なコントラストの中、マヤは自分の格好をバカにして笑い転げるルアンたちに向かって、怒るどころか、実にご機嫌な様子で白い歯を見せた。

 

「笑いをだせてうれしいね~。俺は笑顔が好きだからな~」

 

その朗らかで、一切の気負いもプライドの傷つきも感じさせない声が、ざわめく会場によく通る。

 

「ロキが選んでくれた、わざわざ特別仕様で仕立ててくれて、ありがたいかぎりだ」

マヤは自身のタンクトップの胸ぐらを軽くつまみ、見せびらかすようにルアンへと一歩近づいた。

「こんな見た目でも、三下、お前が着てるよりのやつは高いぞ? そして、こんないい女からのプレゼントだ~。笑いも笑い、こっちは万々歳ってわけだ。ありがとうな、ロキ」

 

マヤが振り返り、優しく微笑みかけると、ロキの顔が一瞬にして沸騰したやかんのように真っ赤に染まった。

(じぶん……そういうことやで、ほんまにもう~っ、かっこよすぎやで……ッ!!)

自分が用意したふざけた衣装を、こんな大舞台で堂々と自慢し、あまつさえ自分を『いい女』と呼んで肯定してくれる男。ロキの心臓が限界を突破して早鐘を打つ。

 

「それに俺はヒモだからよ。日がな一日、暇で、暇で、筋トレばかりさ。見せ筋ってやつさ」

 

マヤがケラケラと底抜けに明るく笑い飛ばした瞬間、会場の空気がフッと変わった。

 

「あ、あははっ……ヒモだから筋トレばかりって、なんだそれ!」

「最大派閥の旦那が、見せ筋自慢かよ!」

「いいぞ! ヒモ旦那!」

 

嘲笑や侮蔑の空気は消え去り、会場は完全に「最大派閥の愛されキャラをねぎらう」ような、奇妙で和やかな笑いへとシフトしてしまった。

悪意ある難癖の空間を、たった数回の言葉のキャッチボールと、圧倒的な器のデカさで塗り替えてしまったのだ。

 

(……僕は、なんてちっぽけなんだ)

ベルは自身の膝の上で握りしめていた拳を、ゆっくりと解いた。

他人の嘲笑に腹を立て、自分たちを守るために怒ろうとした自分がひどく小さく思える。英雄とは、他者の悪意すらも飲み込み、周囲を笑顔に変えてしまう存在なのだと、ベルは痛感して恥じ入った。

 

一方のアポロンは、グラスを落とさないように強く握り締め、荒くなる呼吸を必死に整えていた。

(欲しい……欲しい、欲しい……ッ! あの男を、今すぐ僕の箱庭に引きずり込んで……!)

狂喜乱舞しそうになる己の神としての本能を、アポロンはギリギリの精神力で押さえつける。

(駄目だ、落ち着きなさい……ロキ・ファミリアが相手では、今の分が悪すぎる。……今は、白兎(ベル)よ。ターゲットをぶらせては駄目……!)

 

無理やりに思考を切り替え、アポロンはグラスのワインを一気に飲み干した。

 

「く、くそっ……! 誤魔化されるかよ!」

ルアンが顔を真っ赤にして、アポロンの足元にすがりついた。

「アポロン様! こいつら、うちの団員に怪我をさせておいて反省の色がありません! どうか、正当な裁きを!」

 

我に返ったアポロンが、マヤの筋肉への未練を断ち切るように、ベルへと冷酷な視線を向け直した。

「……そうだな。ならば、神の定めたルールに則り、決着をつけようではないか」

 

アポロンが高らかに両手を広げ、会場全体に響き渡る声で宣言した。

「ヘスティア・ファミリアよ! 我らアポロン・ファミリアは、君たちに『戦争遊戯(ウォーゲーム)』を申し込む!!」

 

ファミリア同士の総力戦。勝者が敗者のすべてを奪い取る、神の代理戦争。

その宣告に、会場が水を打ったように静まり返った。

ヘスティアが青ざめ、ベルが息を呑む。圧倒的な戦力差、絶対に勝てない絶望的な遊戯。

 

だが、ベルは震える足に力を込め、真っ直ぐにアポロンを見据えた。

「……受けます」

 

ベルの決死の受諾。

その悲壮な決意が会場を包み込み、誰もが固唾を飲んで次の言葉を待っていた——その、極度に緊迫した空気の中。

 

「……戦争ゲームってなんだ?」

 

マヤが、首をコトンと傾けて、不思議そうにポツリと呟いた。

「ロキ、なら、うちもどっかと戦争ゲームしないか? ゲームなんだし、どうよ?」

 

「……は?」

ルアンが間抜けな声を漏らした。アポロンの笑顔が引きつる。

 

「そうだな。やるなら、強いとこがいいよな? な? ロキ」

 

マヤが、無邪気な子供のように、タンクトップ姿でワクワクとした笑顔をロキに向けた。

 

シーーーーーーーーーーーン……。

 

会場の時が、止まった。

誰もが自分の耳を疑い、そして、マヤの発した言葉の意味を脳内で処理した瞬間。

 

(「お、おい、今の聞いたか……?」)

(「ロキ・ファミリアが、自分からどっかのファミリアに戦争を仕掛けようとしてるぞ……!?」)

(「しかも『強いところがいい』って……! まさか、フレイヤ・ファミリアか!? いや、ガネーシャか!?」)

 

ざわ……ざわ……。

神々と他派閥の冒険者たちの顔面から、一瞬にしてすべての血の気が失せた。

 

バルコニーにいたフレイヤの背筋に、冷たい汗が流れる。

(私たちに宣戦布告……!? いえ、あの男のことよ、どんな常識外れの盤面を描いているか分からないわ。この一言で、オラリオが火の海になる……!)

 

会場の片隅で飲んでいたヘルメスも、被っていた帽子を落としそうになりながら冷や汗を拭った。

(おいおい、冗談だろ……? 最大派閥が、本気でオラリオの勢力図を崩壊させる気か……!?)

 

誰もが「最大派閥の旦那がガチの狂気で戦争を売り歩いている」と勘違いし、恐怖と絶望に戦慄する中。

ただ一人、ロキだけは別の意味で全身の血を凍らせていた。

 

(『Love0とかどうだ?』)

(『ナイフと投擲が得意ですって彫っとけよ』)

 

ロキの脳裏に、数年前、マヤの背中にファルナを刻んだ時の悪夢のようなやり取りがフラッシュバックする。

あの時、神のシステムである恩恵(ファルナ)を「ただのタトゥー」と勘違いし、アホ丸出しの提案をしてきたこの男。

 

今のマヤの瞳には、狂気も、オラリオを支配する野心もない。

ただ純粋に、『戦争遊戯』を『そういう名前のレクリエーションゲーム』だと本気で勘違いしている、果てしなく純度百パーセントの天然ボケの光しか宿っていなかった。

 

「あ、あほや……」

 

周囲の神々が恐怖に震える中、ロキは神の威厳を完全にかなぐり捨て、両手で頭を抱え込んでその場にしゃがみ込んだ。

 

「ウチの旦那は……いつまで経っても、言葉の意味を分かっとらん、とんでもない大阿呆やぁぁぁっ!!」

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