迷宮都市オラリオの郊外に広がる荒野。そこにそびえ立つ廃城こそが、今回の『戦争遊戯(ウォーゲーム)』の舞台である。
ルールは『攻城戦』。
オラリオの秩序を揺るがす神の代理戦争であり、勝者は敗者の持つすべての財産、権力、そしてファミリアそのものを奪い取る権利を得る。
本来であれば、神々は高みの見物を決め込むのが常である。ギルドが用意した『神の鏡(ディヴィス・スペキュラム)』と呼ばれる神聖な魔道具を通じて、安全な宴会場から優雅に観戦し、娯楽として消費するのが彼らの嗜みだ。
だが、この日の開幕前。
城を攻め落とす側であるヘスティア・ファミリアと、城を守るアポロン・ファミリアの間に流れていた極度の緊張は、予想だにしない『第三者』の乱入によって文字通り凍りつくことになった。
「——よぉ。ずいぶんと物々しい空気だな」
荒野の風を裂いて響いたのは、極めて間延びした、場違いなほどに軽薄な男の声。
振り返った両陣営の冒険者たち、そして上空の神の鏡を通じて監視していた神々は、一斉に息を呑んだ。
現れたのは、オラリオ最大派閥『ロキ・ファミリア』。
主神ロキを真ん中に歩かせ、その腰を抱き寄せるようにして歩く赤髪のヒモ男、マヤ。
その後ろには、団長である『勇者(ブレイバー)』フィン・ディムナをはじめ、『重傑(エルガルム)』ガレス、『九魔姫(ナイン・ヘル)』リヴェリアの三幹部。さらに、『剣姫』アイズやリリたち少女組と、数名の精鋭モブ団員までが完全武装で付き従っていた。
たったこれだけの戦力で、今まさに睨み合っているアポロンとヘスティアの両陣営を同時にすり潰せるほどの、圧倒的かつ理不尽な暴力の塊である。
(な、なぜロキ・ファミリアがこんな所に……!?)
神の鏡越しに観戦していた神々も騒然となった。
バベルの頂でワイングラスを傾けていた美の女神フレイヤは、マヤの姿を認めるなり、ロキに向けた激しい嫉妬で瞳を細めた。歓楽街の奥底で煙管を吹かしていた夜の女王イシュタルもまた、その「規格外の男」を我が物にしたいと強い欲求を滾らせる。
そして、警備を担っていたアストレア・ファミリアの乙女たちは、「マヤさんが来た……!」と顔を真っ赤にして色めき立っていた。
「お、おいおい……どうしたんだい、ロキ。こんなに物騒な連中を引き連れて」
アポロンが、引きつった笑顔を浮かべて尋ねる。
ヘスティアもまた、目を丸くして彼らを見つめていた。
「まずは、謝罪を」
小人族の団長、フィンが一歩前に出た。彼は完璧な礼儀作法で、胸に手を当てて深く一礼する。
「先日の神々の宴……せっかくの誓約の場を、ロキの旦那とはいえ、我がファミリアの者が乱してしまったと報告を受けました。団長として、深くお詫び申し上げます。その埋め合わせとして、ロキ・ファミリアが直々にこの場に立ち合い、誰の介入も許さず、不正がないように見守らせていただきます。どうぞ、ご安心を」
有無を言わさぬ、最大派閥の威圧感。
そのフィンの言葉に続くように、マヤが頭を掻きながら前へ出た。
「まーなんだ、あれからロキにこってり絞られちゃったんだわ。『神様の宴で安易に変なこと言うな!』ってな。そのあと、フィンたちにも散々怒られましたわ」
マヤはケラケラと悪びれもせずに笑う。
「というわけなんで、俺たちは近くで邪魔にならないように見てます。どうぞ、お好きなように殺し合って(やって)ください」
そのマヤの言葉に、背後に控えていたアイズやティオナたち少女組は、揃ってむすっとした顔で頬を膨らませていた。
(マヤは悪くないのに……)
(悪いのはいきなり絡んできたあっちなのに……)
少女たちからすれば、自分たちの英雄が頭を下げること自体が不満で仕方ないのだ。
「ほな、そういうことや」
ロキがニヤリと笑い、アポロンとヘスティアを見据えた。
「立ち合い人がガネーシャの眷族と、解説のヘルメスだけやったら、ちょっと心許ないやろ? なら、ウチらが直々に来たったってわけや」
そのロキの視線の先。
運営と解説のために空飛ぶ絨毯の上で待機していたヘルメスは、マヤの顔を見た瞬間、ビクッと肩を震わせた。
「あ、あはは……なら、僕はお暇しようかな? 後の解説は、ガネーシャに任せるよ……!」
ヘルメスはそう言い残すなり、逃げるように空の彼方へと飛び去ってしまった。
彼にとって、先日の宴で「ななしん」と呼ばれ、理不尽なプレッシャーをかけられたマヤの存在は、今最も関わりたくない劇薬だったのだ。
そんなヘルメスの逃亡を尻目に、ヘスティア・ファミリアの陣営では、一人の少年の魂が限界点を超えようとしていた。
(マヤさんが……マヤさんが、見に来てくれた……!!)
ベル・クラネルの心臓が、早鐘のように打ち鳴らされている。
建前がどうであれ、マヤがわざわざこの場所に足を運んでくれた。それはつまり、自分たちの戦いを間近で見て、「勝ってこい」と無言のゲキを飛ばしてくれているのだと、ベルは理解した。
ドクンッ!!
背中に刻まれた恩恵(ファルナ)が、熱を帯びて脈打つ。
高台から見下ろすマヤの視線。それは隠れ里で刷り込まれた『絶対的な教官の圧』。
スキル【憧憬一途(リアリス・フレーゼ)】の隠されたトリガーが完全に引かれ、ベルの全身に異常なまでのステイタスバフが駆け巡る。
(力が、湧き上がってくる……! 頭の中で、音楽が鳴り響いてるみたいだ……!!)
ベルの脳内に鳴り響く歓喜の合唱。それはかつて、隠れ里でアルフィアが放っていた超絶魔法『静寂の福音(ゴスペル)』の調べにも似た、圧倒的な万能感であった。
(これならいける! 今の僕なら、おばさんのゴスペルだって素手で打ち返せる気がする……っ!!)
限界突破を果たした白兎の瞳に、鋭い修羅の光が宿る。
『——これより、アポロン・ファミリア対ヘスティア・ファミリアの、戦争遊戯を開始する!!』
ガネーシャの高らかな宣言と共に、開戦の銅鑼が荒野に鳴り響いた。
***
戦いは、まさに『蹂躙』であった。
城に立て籠もり、百人規模の防衛線を敷いていたアポロン・ファミリア。彼らは、たった三人の急造パーティを相手に、数の暴力で押し潰す算段だった。
だが、ヘスティア・ファミリアの三人は、すでにオラリオの常識を置き去りにしていた。
「詠唱式——【掛けまくも畏き、いかなるものも打ち破る我が武神よ】」
開戦と同時。
黒髪の少女、ヤマト・命が、前線に躍り出て詠唱を紡ぐ。
彼女の背後には、大剣を構えたヴェルフ・クロッゾが立ち、あらゆる遠距離攻撃から命を完全に守り抜く盾と化していた。
「【——神武闘征(しんぶとうせい)】!!」
命が極東の太刀を大地に突き立てた瞬間、上空に巨大な光剣が出現した。
『重圧魔法(フツノミタマ)』。
本来であればダンジョンでの使用を禁じられている、最大半径50メートルにも及ぶ極大の重力結界。それが、城門前に展開していたアポロン・ファミリアの主力部隊を丸ごと飲み込んだ。
「な、なんだこれ……っ!? 身体が、重……っ!!」
「潰れる……! 地面から、離れられねぇッ!」
ドゴォォォンッ!! という轟音と共に、数十人の冒険者たちが一斉に地面に這いつくばる。Lv.2やLv.3の冒険者であっても、この理不尽な重力下では指一本動かすことすら困難だった。
「今です! ベル殿!!」
命の叫びと同時。
ヴェルフの背後に隠れていたベルが、爆発的な踏み込みで地面を蹴り飛ばした。
ズガンッ!!
足元の岩盤が砕け散る。
【憧憬一途】の超バフが乗ったLv.3のベルの速度は、もはや第一級冒険者に匹敵する神速の領域へと達していた。
「は、速すぎる……!? 迎撃魔法、撃てぇッ!」
城壁の上からアポロン陣営の魔導士たちが一斉に魔法を放つが、ベルはショートソードを連続で投擲し、敵の詠唱と視線を完全に誘導(ヘイトコントロール)する。
「させるかよ! 【ウィル・オ・ウィスプ】!!」
後方のヴェルフがアンチマジックを放ち、敵の魔法を次々と自爆させていく。
完璧な連携。
そして、ショートソードを手放した瞬間に発動する、ベルの真骨頂——【変幻自在】。
武器の切り替え(スイッチ)による莫大なステイタス補正が、ベルの肉体をさらに加速させる。腰のヘスティア・ナイフを抜き放ったベルは、まるで一陣の黒い風のように、重力結界で動けない敵陣のど真ん中を駆け抜けた。
「ぐあっ……!」
「がはっ……!?」
殺すわけにはいかない。だからこそ、関節、腱、武器を持つ手首のみを、急所を外した絶妙な力加減で的確に削り落としていく。
隠れ里で叩き込まれた暗黒期の解体術。
百人近いアポロン・ファミリアの団員たちは、ベルの姿を視認することすらできず、次々と武器を落とし、無力化されていった。
そして、開戦からわずか数十分後。
城の最奥、玉座の間で震えていた敵の団長ルアンの首筋に、ベルの黒いナイフがピタリと突きつけられた。
「……勝負、ありですね」
ベルの静かな宣告。
ルアンは腰を抜かし、白目を剥いて気絶した。
『しょ、勝者ァァァ!! ヘスティア・ファミリアァァァッ!!』
ガネーシャの絶叫が響き渡る。
あまりにも呆気ない、そして圧倒的すぎる蹂躙劇。神の鏡を通じて観戦していた神々は、予想外の一方的な展開に「つまらない」と文句を言うことすら忘れ、ただただ画面越しの白兎の異常な強さに戦慄していた。
戦いを終えたベルが、荒野の陣地で待っていたヘスティアの元へと帰還する。
「神様。……勝ちました」
ベルが恭しく膝をつき、勝利を捧げる。ヘスティアは感極まってボロボロと涙を流し、ベルに抱きついた。
そこに、見届け人を務めていたマヤとロキ・ファミリアの面々が歩み寄ってくる。
「良い戦いだったぞ、白ウサギ」
マヤは満足げに口角を上げ、ベルを見下ろした。
「前衛が的確にヘイトを管理し、後衛が戦場を支配し、遊撃が死角から急所を抉る。……良い陣形(パーティ)だ。見事だった」
憧れの英雄からの、直接の賞賛。
ベルは弾かれたように顔を上げ、花が咲いたような笑顔で「はいッ!!」と力強く頷いた。
***
解説の役目を自ら降りた、ヘルメスは単身である場所へむかっていた。
表舞台がヘスティア・ファミリアの圧倒的な勝利に沸き立っていた、まさにその同時刻。
オラリオの裏側、薄暗い歓楽街の奥深くにそびえ立つ娼婦館の最上階で、二柱の神が密会を行っていた。
「——いやぁ、驚いたよ。あのヒモ男、先日の宴で一瞬焦らされたけど、やっぱりただのアホだったよ」
戦争遊戯の解説から逃げ出したヘルメスは、豪奢なソファに寝そべる夜の女王・イシュタルに向かって、肩をすくめて笑い飛ばした。
「ロキに手綱を握られているうちは、あの男はただの無能だ。僕がわざわざ出向いて警戒するほどの相手じゃなかったね」
「ふふっ。そうかい? ロキの愛玩犬なら、私がいずれ魅了(チャーム)で寝取って、あの薄胸女を絶望させてやろうと思っていたのだけれど」
イシュタルが紫色の唇を歪め、妖艶に笑う。
「それよりも、イシュタル。君が進めている『儀式』の件だが……」
ヘルメスは声を潜め、懐から古びた羊皮紙の束を取り出した。
「これが、君が探していた『殺生石』の精製に関わる最後のピースだ。ギルドの目を盗んで、僕のファミリアが手に入れたものさ」
イシュタルは身を乗り出し、その羊皮紙をひったくるように受け取った。
他者の魂を砕き、魔力として封じ込める外法の魔道具、『殺生石』。それを完成させるためには、極東出身の妖狐(ルナール)の命を使い潰す必要があった。
「素晴らしいわ、ヘルメス。これで……これで私の悲願が叶う。フレイヤの小娘を、私の手でこの歓楽街の泥水に引きずり込んでやるのよ……っ!」
イシュタルの目に、ドス黒い狂気と嫉妬が渦巻く。
彼女は、都市の最悪の敵である『闇派閥(イヴィルス)』の残党や、カーリー・ファミリアの闘国と癒着し、モンスターを掛け合わせた大規模なフレイヤ暗殺計画を企てていた。
ヘルメスは、イシュタルが闇派閥と繋がっているという決定的な事実までは掴んでいなかったものの、彼女がフレイヤに対して大規模なテロを画策していることには気づいていた。
それでも、ヘルメスは彼女を止めるどころか、背中を押した。
「計画を、少し早めた方がいいんじゃないかな? 今なら、フレイヤの目もあの白兎に向いている。虚を突くなら、最高のタイミングだ」
オラリオの均衡を保つためなら、神の悪意すらも利用する。
だが、そのヘルメスの判断は、絶対的な『鬼』の怒りを買うことになる、取り返しのつかない愚かな慢心であった。
***
戦争遊戯から数日後。
アポロン・ファミリアから接収した巨大な白亜の館——それが、新生ヘスティア・ファミリアの新たな拠点となった。
「頼む! 俺をヘスティア・ファミリアに入れてくれ!」
「私、料理も掃除もできます! お願いします!」
館の正門前には、連日、オラリオ中から集まった冒険者たちの長蛇の列ができていた。
巨額の借金(二億ヴァリス)が存在しないこの世界線において、たった三人で巨大ファミリアを打ち破り、広大な屋敷を手に入れたヘスティア陣営は、まさに最も勢いのある優良物件だったのだ。
だが。
「悪いが、全員お引き取り願おう」
「私たちは、急に強くなったからと言って擦り寄ってくるような人間を、迎え入れる気はありません」
正門の前に立ち塞がり、毅然とした態度で入団希望者を門前払いしているのは、アストレア・ファミリアの団長アリーゼと、副団長の輝夜だった。
治安維持の名目でヘスティアに泣きつかれ、護衛と交通整理を請け負っていたのだ。第一級冒険者(Lv.5)である正義の乙女たちに睨まれれば、有象無象の冒険者たちはすごすごと引き下がるしかなかった。
その騒ぎを、館の広間の窓から見下ろしながら、ベルたちは静かに息をついていた。
「神様、さすがです。アストレア・ファミリアの皆さんに頼むなんて、完璧な采配でしたね」
ベルが心から感心したように褒め称えると、ヘスティアは「えへへ〜」とだらしなく顔を綻ばせた。
「そうだろう、そうだろう! ベル君のためなら、僕はどんな手でも使うからね! さぁ、ベル君、僕をもっと褒めていいんだよ!」
ヘスティアがデレデレとベルの腕にしなだれかかる。
普段なら赤面して慌てふためくベルだが、今日は違った。彼は嫌がる素振りも見せず、むしろ優しくヘスティアの頭を撫で返したのだ。
「はい。本当に、神様には感謝しています」
「へっ……? あ、うん……ベル君……?」
予想外のストレートな愛情表現に、ヘスティアの方が逆に顔を真っ赤にして固まってしまった。
その微笑ましい(?)やり取りを、ヴェルフと命が苦笑いしながら眺めている。
「それにしても、本当によかったのか? ベル」
ヴェルフが腕を組み、真面目な顔で問いかけた。
「これだけ広い屋敷だ。何人か見所のある奴を入れて、ファミリアの規模を大きくするのも悪くない手だったと思うぜ」
だが、ベルは首を横に振った。
「いえ。しばらくは、この『スリーマンセル』でいこうと思います」
ベルの眼差しには、迷宮を生き抜く戦士としての確かな覚悟が宿っていた。
「安易に人が増えれば、陣形が崩れます。何より、人数が増えれば命さんの索敵(レーダー)にカバーしきれないムラができるかもしれない」
ベルはヴェルフと命の顔を、交互に真っ直ぐと見つめた。
「今の僕たちの連携は、お互いに命を預けられるからこそ成立しているんです。この広い屋敷を使って稽古をして、まずは僕たち三人の動きを、誰も付け入る隙がないほど盤石なものにしましょう」
「……違いねぇ。他人の命まで背負って戦うには、俺たちもまだ少し未熟だからな」
ヴェルフがニヤリと笑う。
「承知いたしました。ベル殿とヴェルフ殿の背中は、この命の索敵で必ず守り抜いてみせます」
命もまた、極東の武人として深く頭を下げ、力強く頷いた。
広すぎる屋敷に、たった四人の家族。
だが、そこに寂しさは微塵もない。互いを完全に信頼し合う、最強の少数精鋭。
ヘスティア・ファミリアは今、絶対的な絆で結ばれた