ダンジョンに鬼がいたらそうなる件   作:マイナーチョコ

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第58話 夜のキャンプびより

「今回の件は、誰にも口外するなよ。内密に頼むぜ」

 

イシュタル・ファミリアの玉座の間を後にする直前、マヤはへたり込む美の女神に向かってそう釘を刺した。

イシュタルはただ無言で、力なく首を縦に振った。彼女自身、ギルドに隠れて闇派閥(イヴィルス)と癒着しようとしていたという致命的な後ろ暗い事情がある。最大派閥からの不問の対価として、今日の屈辱と事実を胸の奥に封じ込めるしかなかったのだ。

 

マヤは気絶したままの狐人(ルナール)の少女を軽々と肩に担ぎ上げると、出口付近で立ち尽くすアマゾネス、アイシャ・ベルカの肩をポンと叩いた。

 

「狐の嬢ちゃんは、こっちで安全に匿っておく。少し落ち着いたら、お前にも居場所を教えてやるよ」

「え……」

「次の団長は、お前だろ?」

マヤがニヤリと笑う。

「レベルより大事なものがあるさ。頑張れや。あのガマガエルは、フィンのパンチで当分ビビって縮み上がってるだろうしな。お前らが派閥を立て直すには、今が最高の好機だろ」

 

その言葉に、アイシャは目を見開き、やがて深く深く頭を下げた。自分たち娼婦の心にまで気を配る、底知れぬ男の背中を見送るために。

 

黄昏館への帰路、マヤは並走するフィンに短い指示を飛ばした。

「フィン。あの白ウサギのところにいる極東の嬢ちゃん……命って言ったか。あいつと、この狐娘の過去の繋がりを調べさせておいてくれ。同郷なら、渡りがつけやすい」

「承知しました。明日中には裏を取っておきます」

フィンは完璧な歩法で駆け抜けながら、静かに首を縦に振ったのだった。

 

***

 

それから、丸一日が経過した翌日の夜。

オラリオの中央にそびえ立つ黄昏館の、広大で緑豊かな中庭。

そこには、夜風に揺らぐランタンの柔らかな灯りに照らされた、優雅なキャンプ空間が出来上がっていた。

 

「——そうか。ベルのところにもう一人、女が増えるのか」

 

最高級の茶葉の香りが漂うキャンプチェアの上で、ティーカップを傾けながらアルフィアが静かに呟いた。

普段のメイド服ではなく、夜風に合わせたゆったりとしたガウン姿の彼女は、焚き火の炎を見つめながら微かに口角を上げている。

 

「まーな。狐娘の身元引受先としては、あそこが一番安全で丸く収まる」

マヤが、アルフィアの対面にあるアウトドアチェアに深く腰掛け、薪をトングでいじりながら答えた。

 

「ベルの道だな。あの子は、お前のような漢になると誓っていたからな。お前が預けると決めたのなら、私から口を挟むことはない」

アルフィアはカップを置き、ポットから新しい紅茶をマヤのカップへと注いだ。

「その預ける女は、今はどうしている?」

 

「客室でヴァレッタが看病してるよ。長年の疲労と、ようやく安心できたってのがあるんだろうな。泥のように寝てるそうだ」

「そうか。……さあ、紅茶が淹れたてだ。一緒に飲もう」

 

夜の野外で、最強の修羅と、かつての絶対悪が並んで紅茶をすする。極めてシュールで、しかし確かな静寂と平穏に包まれた時間だった。

 

だが、その静寂は、背後の草むらを掻き分ける気怠げな足音によって破られた。

 

「……マヤ。ウチに一番に報告せぇ言うたやろ。なんでアルフィアと茶ぁしばいとんねん……」

 

とぼとぼと歩いてきたのは、主神のロキだった。

普段の活発な歩き方とは程遠く、まるで生まれたての小鹿のように足元を震わせ、手で腰をトントンと叩きながら近づいてくる。

 

「数時間でパパッと帰ってきたと思ったら、さっきまで爆睡してたじゃねぇか」

マヤが呆れたように笑う。

「疲れてるみたいだから、起こすのも悪いと思ってな」

 

「……誰のせいで腰砕けになっとると思っとんねん、このバカ体力……」

ロキは恨みがましくジト目を向けた。昨夜、歓楽街から帰還したマヤに対し、正妻としての労い(という名の独占欲の爆発)を仕掛けた結果、圧倒的なフィジカルの前に完全に沈められていたのだ。

 

「その歩き方はなんだ。滑稽だぞ」

アルフィアが呆れたようにため息をつき、空いているチェアを指差した。

「みっともないから、そこに座れ」

 

「うっさいわ。ウチの定位置はここや」

ロキは恥ずかしさなどとうに捨て去った様子で、アルフィアが勧めたチェアを無視し、マヤの膝の上へとごく自然に腰を下ろした。そのまま背中をマヤの広い胸板に預け、大きな手に自分の手を重ねる。

「アルフィア、ウチにも一杯よこしなはれ」

「……自分で注げと言いたいところだが、哀れだから淹れてやろう」

 

三人の奇妙なティータイムが始まってしばらくすると、館の方からフィンとリヴェリアが連れ立って中庭へとやってきた。

 

「マヤ殿、ロキ。お待たせしました」

「なんだ、すでに寛いでいるようだな」

 

幹部たちが揃ったのを確認し、マヤは焚き火の火力を調整しながらニヤリと笑った。

「よし。せっかく夜風が気持ちいいんだ、今日はここで焼肉でもしながら打ち合わせといくか。おい、肉を運ばせろ!」

 

マヤの一声で、裏口で待機していた下級団員たちが、山盛りの最高級の肉が積まれた大皿と、特注の鉄板を次々と運び込んできた。

ジュワァァァァッ!

熱された鉄板に分厚い肉が置かれ、香ばしい脂の匂いが中庭いっぱいに広がる。

 

この中庭の奥地は、幹部とマヤの許可がなければ立ち入れない領域となっている。

しかし、少し離れた芝生の広場からは、ラウルやアナキティをはじめとする中堅・サブメンバーたちが集まり、すでに賑やかな宴を始めている声が聞こえてきた。

 

『おいラウル! お前、昨日の夜どこほっつき歩いてたんだよ!』

『ご、ごめんってアキ! 違うんだ、ちょっと迷子になって——痛っ、耳引っ張るなよぉ!』

 

和やかな声が風に乗って運ばれてくる。

そのさらに奥の訓練場からは、ガレスの怒号と、金属が激しくぶつかり合う音が絶え間なく響いていた。

『甘いわァッ! もっと重心を低く落とさんか!』

ガレスの容赦ない大斧の薙ぎ払いに、アイズの剣と、槍に持ち替えたリリの刺突、そしてティオネとティオナの双子の猛攻が入り乱れている。

その横では、レフィーヤとメイドのヴァレッタが、互いに異なる魔法の並行詠唱の精度を極限まで高めるための、血を吐くような特訓を繰り広げていた。

 

黄昏館は今日も、恐ろしいほどの活気と暴力的なまでの向上心に満ち溢れている。

 

「さて」

分厚い肉をひっくり返しながら、マヤが視線をフィンへと向けた。

「調べはついたか?」

 

「ええ。まずは狐の少女——サンジョウノ・春姫についてです」

フィンは鉄板の上の肉にはまだ手を出さず、手元の羊皮紙を開いた。

「マヤ殿の推察通り、彼女とヘスティア・ファミリアのヤマト・命は、極東での幼馴染でした。命は春姫をずっと探していたようで、彼女になら安心して引き渡すことができるでしょう」

 

「上出来だ。あいつらの屋敷がもう少し落ち着いたら、直接放り込みに行ってやる」

マヤが肉を切り分けながら頷く。

 

「そして、肝心の闇派閥とカーリー・ファミリアの動向ですが……」

フィンの声が、一段階低くなった。

「イシュタル・ファミリアの動きが完全に停止したことを受け、闇派閥の残党は再び深く地下へと潜伏しました。痕跡を完全に消し去っています」

 

「カーリーの方は?」

リヴェリアが紅茶のカップを置き、静かに問う。

 

「渡りがつく前だったようです」

フィンが安堵の息を吐き出した。

「歓楽街の闇ルートを徹底的に洗いましたが、カーリー・ファミリアの闘国からの武器や人員の流入は、まだ計画の初期段階でストップしていました。……あと数週間、あるいは数日遅ければ、本格的な癒着が成立し、あの歓楽街は血みどろの戦場になっていたかもしれません」

 

ヘルメスが急かしたことで、イシュタルは焦って動き出そうとした。だが、それが結果としてフィンの諜報網に引っかかり、マヤの逆鱗に触れることになった。

彼らの計画は、盤面が揃う前に強引に盤ごとひっくり返されたのだ。

 

「なるほどな」

マヤは焼けた肉を小皿に取り分けながら、焚き火の炎を見つめて口角を上げた。

 

「……神(かみ)だけに、紙一重か」

 

パチッ、と。

薪が爆ぜる音が、妙に大きく響いた。

 

「…………」

 

数秒の、完全な沈黙。

ロキはマヤの胸に背中を預けたまま、呆れたようにジト目を向けた。

「……じぶん、恥ずかしないん?」

 

「ぷっ……くくっ……ふふふっ」

普段は厳格なリヴェリアが、口元を両手で覆い、肩を震わせて堪えきれずに笑い出した。ツボに入ってしまったらしい。エルフの王族らしからぬ吹き出し方に、フィンが目を丸くする。

 

「……神と紙。同音異義語を用いた言葉遊びか。何が面白いのか、私には理解できんが」

アルフィアだけは、首を傾げて真顔のまま紅茶を啜っていた。

 

「一人でも笑えば、俺の勝ちだ」

マヤはどこ吹く風で、ケラケラと笑いながら一番よく焼けた肉を箸でつまみ上げた。

 

「ほらロキ、食え」

「あ〜ん」

ロキが大きく口を開け、マヤが放り込んだ肉を嬉しそうに咀嚼する。

「……もぐもぐ。ん、うまぁ……。やっぱマヤの焼いた肉が一番やわ」

 

「そうかそうか。フィン、リヴェリアも遠慮すんなよ。お前らも食え」

「ええ、いただきます。……ふふっ、神と、紙……くくっ」

「リヴェリア、まだ笑ってるのか……? マヤ殿、僕にも一つください」

 

夜風が吹き抜け、ランタンの灯りが家族の食卓を優しく照らし出す。

オラリオの地下で蠢いていた巨大な悪意は、彼らの手のひらの上で完全に叩き潰された。鉄板で爆ぜる肉の音と、穏やかな笑い声だけが、黄昏館の夜の闇に心地よく溶けていった

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