ダンジョンに鬼がいたらそうなる件   作:マイナーチョコ

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第7話:遅れてきた英雄たちの困惑

『隻眼の黒龍』が潜む竜の谷まで、あとわずかな距離。

ゼウス・ファミリアとヘラ・ファミリアの合同軍は、死地へ向かう重苦しい沈黙の中を行軍していた。

誰一人として無駄口を叩く者はいない。極限まで研ぎ澄まされた緊張感。三大秘境の最後を制覇し、オラリオの、いや世界の悲願を達成するための悲壮な覚悟が、彼らの足取りを重く、しかし確かなものにしていた。

 

だが、最前線を歩いていたゼウス・ファミリアの団長・豪傑マキシムと、ヘラ・ファミリアの団長である『女帝』が、唐突に足を止めた。

それに倣い、大軍勢の行軍がピタリと停止する。

 

「……なんだ、あれは」

マキシムが訝しげに目を細めた。

黒龍の領域へと至る直前の、開けた荒野。そのど真ん中に、人影があった。

岩陰に隠れるでもなく、堂々と道の真ん中に陣取り——あろうことか、大の字になって地面に寝転がっているのだ。

燃えるような赤髪をツーブロックにした、見慣れぬ装束の青年。彼からは一切の魔力も、冒険者特有の闘気も感じられない。しかし、世界最凶の厄災が潜む谷の目と鼻の先で、まるでピクニックの昼寝でもしているかのようなその姿は、あまりにも異質だった。

 

「貴様、何者だ!」

女帝が鋭い声を放つ。レベル8という規格外のステイタスを持つ彼女の威圧感は、言葉一つで並の冒険者を気絶させるほどの重圧(プレッシャー)を伴っていた。

 

しかし。

寝転がっている赤髪の青年——マヤは、女帝の言葉を受けても微動だにしなかった。

少しの間を置き、彼は澄み切った空を見上げたまま、ぽつりと口を開いた。

 

「空が綺麗ですね。これが夜なら、『月が綺麗ですね』とでも言いましょうか」

「…………は?」

女帝の端正な顔が、理解不能な言葉に引きつる。

マヤは寝返りを打つことすらなく、のんびりとした口調で続けた。

「こんなにも空が綺麗なのに、これより先は死地だなんて……信じられないですよね」

 

ポカーン、という音が聞こえてきそうなほど、ゼウスとヘラの両陣営が揃ってあんぐりと口を開けた。

極限の緊張感の中で迎えた、見知らぬ男との遭遇。何らかの罠か、あるいは黒龍の手先かと警戒した彼らの耳に飛び込んできたのは、あろうことか、極めて古典的でロマンチックな『口説き文句』だった。

この状況で? しかも起き上がりもせずに?

全員の脳内に巨大な疑問符が浮かび上がる中、マヤは寝転がったままさらに言葉を紡ぐ。

 

「いやーね。ヘラの連中か? 綺麗な女性がたくさんいるとさ、ここから先へは行かせたくないなーって思ってさ」

「何を、戯れ言を……ッ!」

「女性は宝だ。女性が減れば、将来はどんどん悲惨なものになる。そんな女性たちを、勝算も見えない死地へ追いやるなんて、どんな冗談だよ?」

 

マヤの声に、徐々に鋭い理詰めが混じり始める。

「なぁ。あんたたち、ちゃんと諜報活動はしたのか? 相手の技はなんだ? 黒龍はどんな攻撃をしてくるんだ? まさか、他の二匹(リヴァイアサンとベヒモス)が倒せたから、同等くらいだと思ってそのまま来たとか……そんな馬鹿な話はないよね?」

 

図星だった。

ゼウスとヘラの首脳陣の顔色が変わる。

黒龍に関する情報は、古代の英雄たちが残した断片的な伝承のみ。その真の能力や生態について、彼らは正確な情報を持ち合わせていなかった。圧倒的な個の力と、二大ファミリアの連携をもってすれば打ち破れるという『絶対王者としての驕り』が、彼らの背中を押していたのは事実である。

 

「女性だからと馬鹿にしているのか!」

その時、ヘラの陣営から銀髪の少女が前に進み出た。

『静寂』のアルフィア。才能の怪物であり、弱冠16歳にしてヘラ・ファミリアの最高戦力の一角を担う彼女の瞳に、冷たい怒りが宿る。

女性を保護の対象としてのみ扱い、自分たちの覚悟を「情報不足の無謀」と切り捨てたマヤの言葉は、誇り高い彼女の逆鱗に触れたのだ。

 

「——『福音(ゴスペル)』」

アルフィアの薄い唇から、超短文詠唱が紡がれる。

放たれたのは、音と衝撃波の絶死魔法。並の第一級冒険者であれば、防御ごと肉体を粉砕されるほどの極大の威力が、寝転がっているマヤに向かって一直線に放たれた。

轟音。土煙が舞い上がり、大地が抉れる。

 

だが。

「ゴスペルか。いい唄だね〜。教会などで歌えたらいいね」

土煙が晴れた後、そこには全く無傷のまま、相変わらず大の字で寝転がっているマヤの姿があった。

服の裾一つ乱れておらず、周囲の大地は抉れているのに、マヤの寝ている部分だけがまるで別次元に切り取られたように無事だった。

 

「……え?」

アルフィアが絶句した。

(あれ? 私、今、魔法を撃ったわよね……?)

手加減などしていない。確かな魔力消費の感覚もあった。だが、目の前の男はそれを文字通り『無』に帰した。回避したのではない。防御したわけでもない。ただ、受けた上で存在しなかったことにしたのだ。

「なんだ、この男は……ッ!」

豪傑マキシムが冷や汗を流し、『暴食』のザルドが大剣の柄を握る手に力を込める。女帝もまた、見えざる脅威に後ずさった。

まだ、一度も起き上がっていない。

寝転がったままの、得体の知れない男が放つ『異質さ』が、絶対王者である彼らの心に確かな戦慄を植え付けていた。

 

「うーん、馬鹿にしてはいないよ? お嬢ちゃんには、まだ早い話だったかな」

マヤは空を見つめたまま、説教を続ける。

「例えば、女性が10人いて男が1人でも、なんとか種を増やして未来を繋ぐことはできる。だけど、逆はダメだ。男が10人いても、女性が1人じゃ子を産む限界がある。子が絶えてしまうのは目に見えてるっていう話だよ。だから、貴重な女性を死地に行かせたくないって話だ」

 

あまりにも極端で、しかし生物の根源を突いた論理。

「ならさ、男連中だけで行けよ? って話だわな。事前準備はしたけど、相手がどういう理不尽な技を持っていて、どういう状況になるかわかってない状態で、それだけのリスクを女性に負わせるのはどうなの? っていう、ただの苦言だ」

マヤの言葉は、英雄たちの悲壮な覚悟を「無駄な自己犠牲」だと根本から否定していた。

 

「ふざけるなッ! 我々は世界のために、命を懸けて——!」

マキシムが怒号を上げるが、マヤはそれを遮るように深く息を吐いた。

 

「俺は女が大好きだ。女の笑顔が大好きだ。女がいないと生きる意味がないし、家に帰って待っててくれる正妻の笑顔が何よりも大好きだ。たまに男同士で語らうのもいいが、結局は、そんな平和で女の笑顔がある世界が好きだっていう話だよ」

マヤの言葉には、彼が前世から背負ってきた『泣いた赤鬼を救う』という確固たる信念が込められていた。

 

「上を見てみろよ」

マヤは静かに右手を上げ、空を指差した。

「空はこんなにも綺麗なのに、大勢引き連れて、下ばかり見て、眉間に皺を寄せて歩いてる。……あんたたち、悲壮感に酔いしれて、何か大事なものを見失ってないかい?」

 

沈黙が落ちた。

マヤの言葉は、彼らの誇りを徹底的に蹂躙していた。

世界の命運を背負い、決死の覚悟で挑むこの行軍を、「情報不足」「女性の無駄遣い」「悲壮感に酔っているだけ」と、一切の情け容赦なく論破したのだ。

それは、武力による暴力以上の、精神に対する圧倒的な暴力だった。

 

「……貴様、我々ゼウスとヘラを、オラリオの覚悟を愚弄するか」

ザルドが一歩前へ出る。その瞳には、かつてないほどの濃密な殺意が渦巻いていた。

「愚弄? 事実を言ったまでだが」

「ならば、その減らず口を二度と叩けぬようにしてやろう。我々の道を阻むというなら、力で退かしてみせろ」

アルフィアもまた、両手に莫大な魔力を収束させながらマヤを睨みつける。ゼウスとヘラの全軍が、黒龍という本来の目的を一時忘れ、目の前の『得体の知れない異物』へと明確な敵意を向けた。

 

「そうか。舐められたと思うなら、やってみればいい」

ここで初めて、マヤはゆっくりと上体を起こした。

首をポキリと鳴らし、立ち上がる。

身の丈ほどもある大剣を構えるザルド、極大魔法の詠唱に入るアルフィア、そして歴戦の猛者たちが一斉にマヤへと殺到しようとした。

 

「いいぜ。お前らが黒龍の餌になる前に、俺がその安い覚悟ごと、全部へし折ってやる」

深紅の瞳が、静かに、しかし絶対的な強者の光を放ち始める。

遅れてきた英雄たちと、規格外の鬼による、理不尽極まりない蹂躙劇が、今まさに幕を開けようとしていた。

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