ダンジョンに鬼がいたらそうなる件   作:マイナーチョコ

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第67話『欲しい物』

 

 

迷宮都市オラリオの朝は早い。しかし、都市の頂点に君臨する最大派閥『ロキ・ファミリア』の本拠地、黄昏館の朝は、他のどの場所よりも活気と温かな喧騒に満ちていた。

広大な敷地を持つこの館の大広間では、毎日、幹部から下級団員までが一堂に会して食事を摂る。ずらりと並べられた長テーブルには、湯気を立てる焼きたてのパン、香草をふんだんに使った肉料理、色鮮やかな野菜のスープなど、専属の料理人たちとヴァレッタが腕によりをかけた絶品の朝食が所狭しと並んでいた。

 

広間の最奥、一段高くなった幹部席の長椅子には、いつもの見慣れた光景が広がっていた。

ファミリアの主神であるロキが、当たり前のような顔をしてマヤの膝の上にちょこんと座り、彼から直接食事を口に運んでもらっているのだ。

 

「あーん。……んふふ、マヤに食べさせてもらうと、三倍は美味いで」

「はいはい。ちゃんと野菜も食えよ。主神が偏食じゃ、下の子たちに示しがつかないだろ」

 

マヤは呆れたように苦笑しながらも、慣れた手つきでスープの具材をスプーンですくい、ロキの口へと運んでやる。その横では、アイズがもくもくと、しかしどこか羨ましげな視線をマヤに向けながら食事を進め、リリもまた「マヤ様、リリのお肉も切っていただけますか?」と、あからさまに甘えた声を出して彼の気を引こうとしていた。

さらに少し離れた席では、新しくファミリアに加わったばかりの万能者(アスフィ)が、かつての環境では考えられないほど豊かで和やかな食事風景に、いまだに少しだけ戸惑いながらも美味しそうにパンをかじっている。

 

平和で、どこまでも温かい日常の風景。

しかし、その穏やかな空気を切り裂くように、一人の黒い影が幹部席へと音もなく近づいてきた。

 

漆黒のベールですっぽりと顔を隠した女性——『静寂』のアルフィアである。

彼女はマヤの目の前まで来ると、一切の足音を立てずに立ち止まり、真っ直ぐにマヤを見つめた。ベール越しであっても、そのただならぬ気迫と、何かを強烈に渇望する圧がひしひしと伝わってくる。

 

「……マヤ」

アルフィアの声は低く、しかし熱を帯びていた。

「ハデスが、欲しい」

 

その単刀直入すぎる要求に、広間の一部が水を打ったように静まり返った。

ハデスの兜。装着した者の姿や気配を完全に不可視化する、特級の魔道具。それを、オラリオの裏で最強クラスの力を持つこの女性が欲しがる理由など、マヤには痛いほど分かっていた。

 

「まー、察してますよ」

マヤはスプーンを置き、赤い瞳でアルフィアのベールを見返した。

「……ベルに会うためだろ?」

 

ビクッ、とアルフィアの肩が揺れた。図星である。

愛してやまない義理の甥、ベル・クラネル。彼が今、この迷宮都市で懸命に冒険者として生きている姿を、彼女はどうしても近くで見守りたくて仕方がなかったのだ。しかし、彼女の存在は公にできない。だからこそ、完全に姿を消すことができるハデスが喉から手が出るほど欲しかったのである。

 

「動きやすくもなるしな。その気持ちは分かる」

マヤは少し顎をさすり、視線を横に向けた。

「一応、誓約(ルール)をつけたものをアスフィが作れるか聞いてからなら、いいぞ? そのまま渡すわけにはいかないからな。……まずは、アスフィがやってくれるかが優先だ。アスフィ、どうだろうか? できるかい?」

 

アルフィアの顔が、バッとアスフィの方へ向けられた。

その瞬間、アルフィアは感情を爆発させるように、ヘドバンでもしているかのような凄まじい勢いで首を縦に振り始めた。声こそ出さないが、「頼む!」「お願いだ!」「何でもするから!」という魂の叫びが、ベールの下から怒涛の勢いで放たれている。

 

「こわっ……!」

マヤの膝の上にいたロキが、ドン引きして顔を引きつらせた。

「なんやねんあいつ、首ちぎれるで……愛が重すぎるやろ」

 

フィンやガレスたち幹部陣も、普段の『静寂』からは想像もつかないアルフィアの奇行に冷や汗を流している。

しかし、マヤの横に座っていたアイズとリリだけは、全く別の理由で目を輝かせていた。

 

「ハデス……姿が消える。それがあれば、マヤとのお忍びダンジョン探索も、もっと一緒にできるね!」

「そうです! リリたちも欲しいです、マヤ様!」

絶えず強くなることを求め、マヤと少しでも長く時間を共有したい少女たちは、大喜びで便乗してきた。メイド服姿で控えていたヴァレッタまでもが、「姿を消してご主人様を尾行……いいな……」と、不穏な独り言を呟いている。

 

凄まじいプレッシャーを一身に浴びたアスフィは、少し慌てながらも、職人としての冷静な顔つきで口を開いた。

「も、もう現物のハデスはありますので、ただ姿を消すだけであれば出来なくはありません。ですが、マヤさんが仰るように特定の誓約——例えば『ロキ・ファミリアの幹部には姿が見える』といった条件を付与する場合、今のものを改良するよりも、一から作った方がより強固で良い物になると思います」

 

アスフィは真剣な眼差しでマヤを見た。

「そのため、誓約を組み込む術式には少し時間がかかりますが……できなくはありません。やらせてください」

 

その言葉を聞いた瞬間。

アルフィアはベールの中で、カッと目を見開いた。

(神か……!? いや、この都市のろくでもない神々よりも、よっぽど尊い光だ……!)

彼女の中で、アスフィの評価が天元突破した瞬間であった。

 

マヤは満足げに頷いた。

「ありがとう。アスフィ、このベールの中の人間が誰かはまだお前には言えないが、その『ハデス改』ができたら、彼女に使い方を教えてやってくれるか? 信用がどうこうという話ではなく、ファミリアとしてのけじめの問題だ。資金や素材は、ウチの倉庫に腐るほどたっぷりある。足りないものがあれば……そうだな、リヴェリアにでも頼んでくれ」

 

「!?……私がか!」

不意に名指しされたリヴェリアが、エルフの美しい目を丸くした。

「うーん、まー、妥当か? フィンは他派閥との外回りやギルドの折衝もあるしな。わかった、素材の管理と手配は私が受けよう」

リヴェリアは少し考える素振りを見せた後、面倒見の良さを発揮してさらに提案した。

「あと、それに伴って、アスフィ専用の工房も用意してもいいか? これほどの職人に、仮の部屋で作業させるのは忍びない」

 

意外にもノリ気な副団長に、マヤは「さすがリヴェリア、話が早い」と笑った。

 

「ええよ、作ったれ!」

ロキがマヤの膝の上から、元気よく許可を出す。

「もうウチの子やからな。どーんと、一番ええ工房を作ったったらええ。金に糸目はつけへんで!」

 

「ロキ様、リヴェリア様……マヤさん……」

アスフィは、胸の奥から込み上げてくる熱いものに言葉を詰まらせた。

(なんていう職場なのでしょう……!)

ただの使い捨ての道具として扱われていた過去が、嘘のようだ。ここでは、自分の技術が正当に評価され、望む環境がすぐに与えられ、何よりも「ありがとう」という言葉が返ってくる。アスフィの心は、職人としての歓喜に震えていた。

 

***

 

それから数日が経過した。

黄昏館の一角、陽当たりの良い広大なスペースに、アスフィ専用の真新しい工房が完成した。

最新鋭の魔石炉、オラリオ中から取り寄せられた最高級の錬金術用機材、そして整然と並べられた無数の希少素材。アイテムメーカーにとって、まさに夢のような空間である。

 

「ここが新しい工房かい。ええね」

ロキが、マヤや幹部たちを引き連れて視察に訪れ、満足そうに頷いた。

「っていっても、ウチには細かい機材のことは分からんけどな。足りひんもんがあったら、すぐに言いなはれ。ウチはマヤと色々と忙しいから、リヴェリアに頼むんやで」

 

(みんな、本当にこの主神はマヤ殿にぞっこんだな……)

アスフィは、ロキがマヤの腕にぴったりとくっついている姿を見て、今更ながらに呆れ半分、微笑ましさ半分といった感情を抱いていた。

 

「ありがとうございます。本当に、何から何まで……感謝してもしきれません」

アスフィは深く頭を下げた。

 

「あ〜、いきなりで悪いんだが」

マヤが、少しだけ真剣な表情になって口を開いた。

「ゆっくりでいいので、ハデスの兜の改良版と一緒に、『タルタロス(拘束衣)』も作成してみてくれないか? アストレア・ファミリアや、都市の憲兵であるガネーシャ・ファミリアに卸そうと思うんだ」

 

「タルタロスを、ですか?」

「ああ。アスフィの作った作品は、神の個人的な暗躍なんかじゃなく、この街の治安維持のためにこそ役立てるべきだ。お前の技術が、オラリオの平和を守るんだよ」

 

その言葉に、アスフィはハッとした。

自分が今まで作らされてきたものは、誰かを騙し、縛り付け、闇に葬るための道具だった。しかしマヤは、それを「平和を守るための力」として肯定し、オラリオ全体のために使おうとしてくれている。

全く別の扱いに戸惑いながらも、アスフィの胸に、かつてないほどの巨大な『やりがい』と自己肯定感が満ちていく。

 

「はい……! 喜んで、作成させていただきます!」

 

「ただし、ずっとそれにかかりっきりになるのは無しだぞ? ちゃんと休憩しつつ、自分のペースでやれよ。徹夜なんかしたら、俺が強制的に寝かしつけるからな」

マヤが優しい声で釘を刺すと、アスフィは頬を染めながら「気をつけます」と頷いた。

 

幹部たちがそれぞれの仕事へ戻り、工房にはマヤとアスフィの二人だけが残された。

アスフィはさっそく素材を選別し、ハデス改の設計図を引き直す作業に入った。その流れるような無駄のない動きを、マヤは壁によりかかりながら静かに見つめている。

 

「……器用なもんだな」

静寂の中、マヤの低く落ち着いた声が響いた。

「さすがだよ。見ていて飽きない。その手から、これからどんな素晴らしいものが生み出されるのか、楽しみで仕方ない」

 

「っ……」

ストレートな賞賛に、アスフィの顔がボンッと音を立てそうなほど真っ赤に染まった。

手元を狂わせそうになりながら、誤魔化すように言葉を紡ぐ。

「そ、そういえば、ロキ様は? どちらに行かれたのですか……?」

 

「あー……」

マヤは少しバツが悪そうに頬を掻いた。

「なんだ、また自室に戻って寝てるってさ。ちょっと疲れがたまってるようでね……まあ、夜に色々サービスってやつをしてるからな。今日の晩御飯は俺が作って栄養をつけさせないといけないんだが、この後も俺自身色々と予定があってね。……だから、少しでも長く、ここにいたくてな」

 

「え……ここに、ですか?」

「ああ」

 

マヤは窓から差し込む光に目を細めた。

「世間じゃ、俺は何もしないヒモだって言われてる。ヘルメスも、そうやって俺を馬鹿にしてたしな」

 

「っ……あ、あれは……!」

アスフィが慌てて否定しようとしたが、マヤは優しく手で制した。

 

「あ〜、いいよいいよ。本当のことだしな。俺はダンジョンにも潜らない、ただのヒモ旦那だ。世間がどう言おうと、俺にとっては心底どうでもいい」

マヤは真っ直ぐに、赤い瞳でアスフィを見つめた。

「でもな。アスフィは今、俺を見てくれている。そして、この工房で、今まで見たこともないくらいに『いい笑顔』を見せてくれている。職人としての、心からの楽しそうな笑顔をな」

 

マヤはふっと、慈愛に満ちた笑みを浮かべた。

「俺は、それが見られただけでもお腹いっぱいさ。お前の笑顔を守れたなら、俺が道化だろうがヒモだろうが、それでいいんだよ」

 

「マヤ、さん……」

アスフィの胸が、高鳴った。

これほどまでに自分を人として、一人の女性として大切に扱ってくれる存在。不器用だが、どこまでも温かい絶対的な正義。

二人の間に、言葉以上の温かい空気が流れる。

 

その頃。

黄昏館の中庭では、アイズ、リリ、双子、レフィーヤといった少女組が、フィンとガレスを相手にガチの戦闘訓練を行っていた。土煙が舞い、金属音が激しく響き渡る中、彼女たちは己の限界を超えるべく必死に食らいついている。マヤの背中を追うために、彼女たちには休んでいる暇などないのだ。

 

一方、執務室では、リヴェリアが莫大なファミリアの予算書に目を通し、完璧に計算を合わせていた。

「ふむ。これだけの工房設備と最高級素材を揃えても、まだ予算には全く問題がないな」

リヴェリアはフッと微笑む。

「これも、マヤが普段から食事や日用品の管理を徹底し、無駄を省いて節制してくれているおかげだ。ヒモなどと揶揄されるが、彼ほどこのファミリアに貢献している者はいない」

 

そして、主神室の豪華なベッドの上。

ロキは、死んだカエルのように手足を投げ出して完全にダウンしていた。

「あかん……もうあかん……」

虚ろな目で天井を見つめるロキ。

「マヤのやつ、笑顔は凄いし、手料理は美味いし……夜のサービスどころか、ウチが死んでまう……。ウチ、神様やのに……このままやと、ほんまに子供ができてまうわ……」

主神としての威厳は完全に崩壊し、ただ一人の男に愛されすぎた幸せな疲労感の中で、ロキは幸せそうに微睡んでいった。

 

***

 

それから、数日後の夜。

マヤとロキは、主神室のソファで二人きりの時間を過ごしていた。

 

「マヤ、ちょっと話があんねん……」

ロキが、いつになく真剣なトーンで切り出した。

 

「ん? どうした? 今からサービスを……」

「アホ。そういうんやない」

ロキはマヤの胸元に寄りかかり、彼の大きな手を両手で包み込んだ。

 

「昔、約束したやんか? 一夫多妻の事や」

ロキの言葉に、マヤの表情がスッと引き締まった。

「ウチら、もう28年も一緒におる。最近は子供たちも増え、ウチのファミリアはみんなのおかげでオラリオ最大と呼ばれるほどに強大になった。本当に、感謝しとるんやで」

 

ロキはマヤの深紅の瞳を見上げた。

「だからな、そろそろ、一名や。まず一名だけ、お前の『ストッパー』を増やしてもええと思ってる」

 

マヤは何も言わず、ただ静かにロキの言葉に耳を傾けている。

 

「ほんまはな、寂しいんやで?」

ロキは少しだけ唇を尖らせた。

「でも、今後を考えたら……ウチは神やから、ダンジョンには入れへん。今のマヤは、外でもいい笑顔を見せるようになった。ウチらのファミリアが、本当に良い家族になった証拠やと思う」

 

ロキの脳裏に、かつての凄惨な記憶が蘇る。

あれは、アイズたちを連れてウダイオス討伐に向かった時のことだ。陣形を無視して独断専行したベートが、死の危機に瀕した。その時、子供たちの命が脅かされたことに激怒したマヤは、理性を失いかけ、恐るべき『修羅』の鬼へと変貌しかけたのだ。結果的にベートは命を救われたものの、あの時のマヤの纏っていた冷たい死の気配は、ロキの心に深い恐怖を刻み込んでいた。

 

「あの時みたいなことが、もしまたダンジョンで起きたら……。ウチが傍におらへん場所で、マヤが修羅に堕ちてまう反動が、ウチは怖いねん」

ロキはマヤの胸に顔を押し付けた。

「だから、まず一名だけ許可したる。リリやアイズみたいな子供やのうて、リヴェリアみたいな腐れ縁でものうて……マヤと同じ『自己犠牲』の匂いがするような、波長が合う奴がおるなら、連れてきい」

 

それは、主神として、そして妻としての、ロキの最大の譲歩だった。

彼女の頭の中には、すでに新入りの万能者の顔が浮かんでいたが、あえて名指しはしなかった。

 

「……ほんまは、寂しいんやで? ウチが、一番やからな?」

震えるロキの肩を、マヤは力強く、愛おしそうに抱きしめた。

 

「ありがとう。ロキ」

マヤの声は、どこまでも優しかった。

「本当に、俺は幸せ者だよ。こんなにもいい場所ができた。二人で出会って、フィンが加わって、どんどん家族がでかくなってきた。……長いようで、本当に楽しい時間だった。お前がいてくれたからだ」

 

マヤはロキの赤い髪を撫で、その耳元で深く囁いた。

「愛してる。お前がいないと、俺は修羅に堕ちて、ダメになりそうなことが何度もあった。お前の笑顔に、ずっと助けられてるんだよ」

 

「……っ」

マヤの真っ直ぐな言葉に、ロキの瞳から涙が溢れ出した。

「ウチもやで……。ウチも、マヤしか見れへんねん。子供たちも可愛いけど、ウチにはマヤしかおらへん……」

二人は互いの温もりを確かめ合うように、長い夜をただ静かに抱きしめ合って過ごした。

 

***

 

その頃。

黄昏館から遠く離れたヘルメス・ファミリアのホームでは、重苦しい空気が漂っていた。

ファミリアの事務、交渉、アイテム制作、そして実働部隊の指揮。そのすべてを一人で回していた大黒柱であるアスフィが抜けた代償は、ヘルメスの想像を遥かに超えていた。

 

「またか……」

ヘルメスは、机の上に置かれた数枚の羊皮紙を見て頭を抱えた。

それは、団員たちからの『ファミリア脱退届』ならびに『他派閥への移籍願い』であった。アスフィという優秀なストッパーを失ったことで、ヘルメスの無茶振りに耐えきれなくなった団員たちが、次々と逃げ出しているのだ。

 

「アスフィが抜けて、どんどん団員も抜け、すべてが上手くいかなくなってきた……」

ヘルメスは窓の外を見つめ、ギリッと奥歯を噛み締めた。

「だが、ベル君を……この時代に本物の英雄を創り出すことだけは、諦めん。……でも、どうしたら……アスフィ……」

 

因果応報。

すべてを他人に丸投げしてきた神は、今、その報いを一身に受け、焦燥の中で次なる危険な盤面へと駒を進めようとしていた。

 

***

 

数日後の昼下がり。

黄昏館の広間に、意気揚々とした足取りでアスフィがやってきた。

そこには、マヤ、ロキ、そして幹部たちが集まってティータイムを楽しんでいる。

 

「マヤさん、ロキ様! とうとう出来ましたわ!」

アスフィは興奮した面持ちで、二つのアイテムをテーブルの上に置いた。

「『タルタロス改』です。これは、拘束の威力を高めた上で、使用できる者をロキ・ファミリアやアストレア・ファミリアなどの特定の恩恵(ファルナ)を持つ者に限定する術式を組み込みました。これで、悪用される心配はありません」

 

さらにアスフィは、紫色のクリスタルが輝く漆黒の兜を取り出した。

「そして、こちらが『ハデス改』です! 透明化の精度はそのままに、ロキ・ファミリアの幹部陣には僅かに気配が感知できるよう、特殊な波長を付与してあります。……楽しくて、つい作業がはかどってしまいました!」

 

誇らしげに報告するアスフィの顔は、かつての疲労困憊した姿が嘘のように輝いていた。

 

「流石だな! アスフィ!」

マヤは感嘆の声を上げ、アスフィの手を両手でガシッと握りしめた。

「そんな高度な誓約(ルール)まで付与できるのか。それに、顔色もいい。無理して徹夜とか無茶はしてないな? ……本当に、ありがとう。これで街も安全になる」

 

「あ……」

大きくて温かいマヤの手に包み込まれ、アスフィの心臓がドキンと跳ねた。顔がみるみるうちに赤く染まっていく。

 

「ああ、すまん。ついな」

マヤはパッと手を離し、少し照れたように頭を掻いた。

「なんか、調子狂うんだよな。お前みたいに、純粋にモノ作りを楽しんでる奴を見てるとさ。……なんかすまん」

数々の修羅場を潜り抜けてきた男が、一人の女性の純粋な笑顔を前にして、しどろもどろになっている。

 

「あ、そんなことないですよ。こちらこそ、その……」

アスフィは俯きがちに、ふふふ、と恥じらうように笑った。

(ロキ様に悪い気がするけれど……なんだか、すごくドキドキしてしまう……)

 

その初々しいやり取りを見ていたロキが、むんずと立ち上がった。

「ん、んんっ!!」

わざとらしい咳払いをして、ロキはマヤの背中から勢いよく抱きついた。

「ま〜なんや、あれやな! 複雑だぁぁ〜! マヤ〜!」

ロキはヤキモチを爆発させながら、マヤの首に腕を回して頬擦りをする。先日「一名なら」と許可を出したものの、いざ目の前でいちゃつかれると主神の嫉妬センサーが黙っていられないのだ。

 

「え? なになに!? 少女組、そういうことになりそうなの!?」

広間の端で見ていたティオナが目を輝かせた。

「私達も行かないと! 抜け駆けはずるい!」

「マヤ様はリリのものです!」

「マヤ……私も……」

アイズやリリたちが、わいのわいのとマヤの元へと群がっていく。

 

その騒がしくも微笑ましい光景を少し離れた席で見ていた幹部三人は、苦笑しながら紅茶を飲んでいた。

「こりゃ、一波乱か? ウチのファミリアにも春が来たな。いい刺激だ」

ガレスが豪快に笑い、フィンも「マヤ殿も大変ですね」と目を細める。

 

そして、リヴェリアだけは、ティーカップを持ったまま、ぐっと奥歯を噛み締めて感情をこらえていた。

(……長く一緒にいすぎたな……。そのせいで踏み込めなかったな……ふ、まだまだ、時間はあるさ)

 

王族としての矜持と、腐れ縁というポジション。それを言い訳にして一歩引いていた自分への僅かな後悔を、甘い紅茶と共に飲み込むと同時に負けないと・・。

 

オラリオの頂点に君臨する黄昏館。

そこには、神の威厳もない、かけがえのない『笑顔』と『家族』の絆だけが、どこまでも温かく、賑やかに響き渡っていた。

 

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