ダンジョンに鬼がいたらそうなる件   作:マイナーチョコ

98 / 109
第71話『神々と塩パン』

 

 

迷宮都市オラリオの中央にそびえ立つ、白亜の巨塔バベル。その上層部に位置する、神々のみが立ち入りを許される不可侵の聖域——神会(デナトゥス)の会議場は、かつてないほどの異様な熱気と混乱に包まれていた。

 

円形に配置された大理石の玉座。そこに腰掛けるオラリオの主だった神々の視線は、会議場の中央に立つ『あり得ない存在』へと釘付けになっていた。

 

「な、なぜだ……!? なぜ、下界の子供(人間)が、神会に入ってこれる!?」

「ここは神以外の侵入を絶対に弾く、強力な結界が張られているはずだぞ!」

 

神々の怒号と困惑の声が飛び交う中、その中心に立つ深紅の髪の男——マヤは、片手にワインボトルをぶら下げたまま、まるで近所の酒場にでも来たかのように涼しい顔で周囲を見渡していた。

 

「あー、結界ね」

マヤはポリポリと頬を掻きながら、全く悪びれる様子もなく口を開いた。

「普通なら弾かれるんだろうけど……ほら、俺、もう二十八年間もロキと文字通り『深く繋がって』るからな。結界のやつ、俺のことをロキの体の一部か、手荷物かなんかと勘違いして通したんだろ」

 

「深く……繋がっている……!?」

神々が一瞬言葉を失い、次いでその言葉の『意味』を察して会議場が妙な静寂に包まれた。

 

「アホォッ!!」

 

静寂を切り裂いたのは、顔を真っ赤にして茹でダコのようになったロキのツッコミだった。

ロキはマヤの背中をバシバシと力任せに叩きながら、涙目で叫んだ。

 

「お前は! 今この神聖な状況で、何ちゅう下世話な理由をドヤ顔で暴露してんねん! ほんまアホやろ! 結界がバグるくらい濃厚に繋がってるって、自分で言うなや!」

「痛っ、事実だろ。俺はお前の一部みたいなもんだ」

「〜〜〜っ! もうっ! ……でも、そういう時と場所を弁えへんストレートなところも……ちゅき……♡」

 

怒っていたはずのロキは、数秒後にはデレデレに溶けた顔になり、マヤの太い腕に頬をすりすりと擦り付け始めた。

 

「(……なんだこの茶番)」

会議場にいる全神々の心が、完全に一つになった瞬間であった。

 

「うわぁ……神聖な会議場で何見せられてるの、僕……」

ヘスティアが、信じられないものを見るような目で顔を引きつらせる。

タケミカヅチは気まずそうに視線を逸らし、ヘファイストスは「だからこいつらと来るのは嫌だったんだ……」と深くため息をついて額を押さえている。

 

そんな呆れ返る神々をよそに、マヤはふと視線を動かし、円卓の一つに座る妖艶な女神の前にツカツカと歩み寄った。

 

「おっと、マヤ……? 何の用かしら」

長い足を組み、優雅にキセルを燻らせていた美の女神、イシュタルが目を瞬かせる。かつてはドロドロとした嫉妬と欲望に塗れていた彼女だが、マヤによって歓楽街の改革を促されて以来、憑き物が落ちたように肌ツヤも良く、どこか健全で清々しいオーラすら放っていた。

 

マヤはイシュタルの顔を真っ直ぐに見つめ、フッと柔らかい笑みを浮かべた。

 

「イシュタル。随分と変わったな。……とてもいい女になったぞ」

「えっ……」

突然のド直球な褒め言葉に、夜の街を統べるはずのイシュタルが、柄にもなく少女のようにポッと頬を染めた。

 

「そのまま、行き場のなくなった女たちを救ってやってくれ。真っ当に稼いで、あいつらに飯を食わせてやってくれ。俺は、女の涙は見たくないんだ。お前の手で、あいつらを笑顔にしてやってくれよな」

マヤは優しく告げると、さらに一歩近づき、少しだけ声を潜めた。

「それに……お前の今の笑顔も、だんだん良くなってるぞ」

 

「あ……」

イシュタルの胸が、トクンと大きく跳ねた。

 

「おっと、そうだ」

マヤはイシュタルから視線を外し、今度はその対極の席に座るもう一人の美の女神へと歩み寄った。

 

「フレイヤ様、お久しぶりです」

マヤは、かつて初対面で魅了(チャーム)を仕掛けてきた彼女に対し、一切の警戒を感じさせない穏やかな笑みを向けた。

「あの時以来、お会いできなくて寂しかったですよ? ……しかし、昔と少しお変わりになりましたね。お疲れでしょうか? しっかり寝てくださいね」

 

「…………っ」

気遣いに満ちたその温かい言葉は、現在のフレイヤにとっては何よりも鋭い刃だった。

資金難による度重なる心労、貧相な食事、そして目の前でイシュタルが余裕の笑みを浮かべているという現実。疲れ切っているところを的確に突かれたフレイヤは、無言のまま、手に持っていた扇子をギリィッと音を立てて握りしめた。

 

「あ、いけない。これは失礼」

マヤはハッとしたように頭を掻き、ニカッと笑って後ずさった。

「少し綺麗な方を見つけると、つい声をかけちまう。ヒモの悪い癖だな」

 

「アホかお前はァァッ!!」

すかさずロキのドロップキックがマヤの背中に炸裂した。

「ウチという正妻がおる前で、堂々と他の女神口説くなや! この天然タラシがぁ!」

「痛っ! いや、挨拶だろ、挨拶!」

 

ギャーギャーと痴話喧嘩を始める二人。

その様子を、イシュタルは口元を扇子で隠しながら「ふふっ……本当に、罪な男ね」と余裕の笑みで眺め、フレイヤは暗い炎を宿した銀色の瞳で黙って睨みつけていた。

 

「……ゴホン」

混沌とする会議場に、ギルドの主神ウラノスの重々しい咳払いが響いた。

「まあ、結界を抜けた理由はともかく……現行犯を捕らえ、決定的な証拠を持ち込んだ功績に免じて、マヤ。お前の同席を特例として認める。……ロキ、ヘファイストス。事の顛末を報告せよ」

 

ウラノスの言葉で、ようやく会議は本来の目的へと軌道修正された。

 

会議場の中央に引き出されたのは、青ざめた顔で震える酒の神、ディオニュソス。

そして、彼から押収された『証拠品』であるワインボトルが、ヘファイストスの手によって神々の前に掲げられた。

 

「彼、ディオニュソスは、自らの隠れ家において、天界の禁忌である『神の精神に作用する密造酒』を造り出していた」

ヘファイストスの厳格な声が響き渡る。

「私の鑑定に間違いはない。現に我々が踏み込んだ時、こいつは下界の酒であるにもかかわらず、完全に酩酊状態にあった。弁解の余地はない」

 

その宣告に、神々から一斉に呆れと軽蔑の声が上がった。

 

「俺がガネーシャだ!! 下界の秩序を乱す密造酒など言語道断! 治安維持の観点からも絶対に許されざる行為だ!」

象の仮面を被ったガネーシャがポーズを決めながら吠える。

 

「え、なにそれ」

ヘスティアが、心底ドン引きした顔でディオニュソスを見下ろした。

「つまりディオニュソスくんは、いつも外では澄ましたエリートみたいな顔してた裏で、隠れてコソコソ違法なお酒作って、一人で酔っ払ってたってこと? うわぁ……ダッサ! 控えめに言って最低だね!」

 

「己の欲望に負け、天界の理を自ら捻じ曲げるとは……武を司る神として、恥ずかしい限りだな」

タケミカヅチも腕を組み、深くため息をついた。

 

「ち、違う!!」

神々からの冷たい視線に耐えきれず、ディオニュソスが血走った目で叫んだ。

「この酒は……ただの酔いを楽しむためのものではない! 私はオラリオを浄化し、神々の堕落を正すための大いなる目的が……!! 私の計画は——」

 

「はいはい、酒乱の妄言はもういいから」

マヤが冷たく言い放ち、ディオニュソスの言葉を完全に遮った。

「お前が裏でどんな大義名分を抱えてようが、知ったこっちゃない。お前はルールを破って、違法な酒を造った。それでおしまいだ。見苦しい言い訳はやめろ」

 

「き、貴様ぁ……! ただの人間風情が、私の崇高な計画を……!」

「崇高な計画を練ってる奴が、昼間から一人でベロベロに酔っ払って捕まるわけねぇだろ。バーカ」

「ぐはっ……!?」

マヤの身も蓋もないド正論の物理攻撃(精神的)が、ディオニュソスの急所にクリーンヒットした。

 

神々も「確かに」「酒乱の言い訳だな」「ダサい」と頷き合い、誰一人としてディオニュソスの真意に耳を貸そうとしなかった。オラリオを揺るがすはずだった巨魁は、マヤの手によってただの『痛い酒カス』へと矮小化され、誰にもその真実を知られることなく終わろうとしていた。

 

「……裁定は下った」

ウラノスが、静かに、しかし絶対的な威厳を持って宣言する。

「ディオニュソス。神の禁忌に触れた罪は重い。よって、ファミリアの解散、ならびに天界への『強制送還』を命ずる」

 

「そ、そんな……私の、私の悲願が……こんな、こんな馬鹿げた理由で……!!」

 

ウラノスの杖が鳴らされた瞬間、ディオニュソスの足元に巨大な光の魔法陣が展開された。

彼は最後まで何かを叫ぼうとしていたが、光の柱に包まれ、そのまま一瞬にして天界へと強制送還された。後には、微かな果実酒の匂いだけが残された。

 

オラリオ最大の危機は、こうして拍子抜けするほどあっさりと、そして誰も傷つくことなく、完全に鎮圧されたのであった。

 

***

 

その頃、ギルド本部の前広場。

空に一筋の光の柱が昇った直後、ディオニュソス・ファミリアの団員たちの背中から、神の恩恵(ファルナ)の刻印が一斉に消失した。

 

「嘘……ディオニュソス様が……天界へ……!?」

「なんで!? 俺たち、これからどうすれば……!」

 

主神が送還され、突如としてファミリアが解散という憂き目に遭った団員たちは、パニックに陥り、座り込んで頭を抱えていた。

その中で、エルフの少女フィルビス・シャルリアは、一人呆然と立ち尽くしていた。

 

「ディオニュソス様が、禁忌を犯していた……? そんな、私は……私はこれから、どうやって生きていけば……」

 

信じていた主神の裏切り。そして、帰る場所を失った絶望。

かつては他者を寄せ付けず、孤高を保っていた彼女だったが、今ばかりは足の力が抜け、冷たい石畳に崩れ落ちそうになった。

 

その時だった。

 

「フィルビスさん!!」

 

息を切らした声と共に、温かく、力強い手が、フィルビスの手首をガシッと掴んだ。

驚いて顔を上げると、そこには涙目で、しかし決意に満ちた表情を浮かべた親友——レフィーヤ・ウィリディスが立っていた。

 

「レ、レフィーヤ……? どうして、ここに……」

「マヤさんから、聞いていました。だから、ずっと待っていたんです……迎えに来ました! さあ、立ってください!」

 

レフィーヤはフィルビスの腕を引き、半ば強引に彼女を立たせた。

 

「迎えに、って……私はもう、ファミリアを失って……」

「関係ありません! 私と一緒に来てください!」

 

レフィーヤは有無を言わさず、フィルビスの手を強く引いて歩き出した。

向かう先は、都市の頂点に君臨する巨大な館——黄昏館。

 

***

 

黄昏館の大広間。

突然連れてこられ、オラリオ最大派閥の凄まじい威圧感と、見知らぬ団員たちの熱気に当てられ、フィルビスは広間の片隅で小さく縮こまっていた。

 

「あの……私のような者が、こんな場所にいては……」

「いいから座ってなさいってば!」

レフィーヤが隣に座り、フィルビスの肩をしっかりと抱き寄せている。

 

そこへ、「おう、待たせたな」という声と共に、厨房からマヤが歩いてきた。

深紅のインナーからエプロン姿に着替えた彼は、大きなお盆の上に、湯気を立てるシチューと、焼きたてのふかふかのパンを乗せていた。

 

マヤはフィルビスの前のテーブルに、コトン、と丁寧に食事を置いた。

 

「急にすまなかったな、エルフの嬢ちゃん。だが、お前の主神はルールを破った。それはどうしようもない事実だ」

マヤは静かな声で、しかし決して突き放すわけではない、温かいトーンで語りかけた。

「神だって間違うことはある。だがな、お前たちの人生は、神がいなくなってもずっと続いていくんだ」

 

「マヤ、様……」

「行く当てがないなら、ウチに来い」

マヤは大きな手で、ポンとフィルビスの銀髪を撫でた。

「レフィーヤが、お前を心配してずっと泣きそうな顔をしてたんだからな。ウチにはエルフも多いし、賑やかでいいところだぞ」

 

その不器用で、圧倒的なまでの優しさ。

フィルビスの瞳から、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。

 

そこへ、静かな足音と共に、洗練された所作でメイド服の女性——ヴァレッタが近づいてきた。

彼女はフィルビスの横に温かいお茶の入ったカップをそっと置き、穏やかな微笑みを浮かべた。

 

「温かいうちにどうぞ。マヤ様のお手製ですから、きっと心も休まりますよ」

「あ、ありがとうございます……」

 

フィルビスは涙を拭い、震える手でスプーンを握った。

 

「いただきます……っ、美味しい……本当に、温かい……っ」

一口食べたシチューの、心に染み渡るような優しさと滋味。

フィルビスは泣きながらパンをかじり、隣で「よかったですね、フィルビスさん!」と微笑むレフィーヤの手を、強く握り返した。

 

***

 

天空にそびえるバベルの最上階。

オラリオのすべてを見下ろす、美の女神フレイヤの私室は、氷点下のような冷たい空気に支配されていた。

 

神会(デナトゥス)から戻ったフレイヤは、窓辺に立ったまま、背後の扉から入ってきた眷族の長を振り返りもしなかった。

 

「……オッタル。報告は」

フレイヤの声は、感情の起伏を完全に喪失していた。

 

「はっ。……フレイヤ様、本日の夕食についてですが」

片膝をついた最強の猪人(ボアズ)が、苦渋に満ちた声で絞り出す。

「現在、ファミリアの資金は完全に底をついており、明日のダンジョン探索用のポーション代を捻出するため、食費を極限まで削らざるを得ない状況です。……よって、本日の幹部陣の夕食は、塩パンと、具のない薄いスープのみとなります」

 

「…………」

 

神会での光景が、フレイヤの脳裏に蘇る。

ディオニュソスをあっさりと失脚させ、最大派閥としてオラリオの絶対的な権力を振るうロキ。

健全な余裕を見せつけていたイシュタル。

そして自分に向かって「お疲れでしょうか?」と、貧困にあえぐ現状を無自覚にえぐるような気遣いを見せてきた、あの赤い髪の男。

 

彼らが豪華な食卓を囲み、オラリオの資源を謳歌しているその裏で。

自分の箱庭にいる、オラリオ最強の武力を誇る愛しき子供たちは、ただ強さを求めるために極貧にあえぎ、「塩パン」をかじって飢えを凌いでいる。

 

ブチッ、と。

フレイヤの中で、これまでギリギリで保っていた『美の女神としての理性』と『余裕』の糸が、完全に断ち切られた。

 

「……もう、我慢ならないわ」

 

フレイヤが振り返った。

その銀色の瞳には、かつてないほどの強烈な怒りと、ドロドロに煮詰まった執着が渦巻いていた。

 

「これ以上、ただ見ているだけの『シル』としてのおままごとは終わりよ」

 

フレイヤは冷たい足音を響かせ、オッタルの前へと歩み寄った。

 

「オッタル。ミアの店に、あの男——マヤを呼び出しなさい」

 

「……直接、接触されるおつもりですか」

「ええ。ミアの店になら、ヒモのあいつも単独で顔を出すはずよ」

フレイヤの口元に、妖艶で、しかしどこか凄絶な笑みが浮かぶ。

 

「ウチの子供たちにひもじい思いをさせた代償……そして、妾の心をここまで乱した責任。……妾が直々に、あの男を交渉してやるわ」

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。