雨しか降らない地下世界 作:向島
台所の隅、冷蔵庫の脇に、四十センチ四方の蓋がある。もとは芋を入れるための床下収納だった。今も上には安物のマットを敷き、その上に電子レンジの空き箱を置いてある。父は言っていた。隠すな、雑に置け、と。人は「隠したがっている場所」を嗅ぎつけるが、散らかっている場所には目もくれない。
森戸光一は、その空き箱をどけながら、いつものように小声で謝った。
「……ごめんな。今月は、ちょっと少ないよ」
誰もいない台所に向かって謝る癖は、五十年たっても抜けなかった。
蓋を開けると、鉄の梯子が下へ伸びている。降りた先は三畳ほどの石室で、壁は大谷石(おおやいし)の切り出しをそのまま積んだものだ。祖父の代に漬物と味噌樽を置くために掘った部屋で、いまだに樽が二つ、形だけ残っている。ひんやりとして、黴(かび)と石の匂いがする。
石室の奥に、人ひとりがようやく通れる横穴が口を開けている。素掘りだった。丸太も枠もなく、鶴嘴(つるはし)の跡がそのまま残っている。高さは百四十センチほど。
父の代は、樹脂の橇(そり)にロープをかけて引いていた。腰に食い込むし、途中で二度は休まないと保たない。それを変えたのは、ホームセンターの農機具売場だった。アルミ製の猫車に、狭いあぜ道用の細身のものがある。荷台の幅が、ちょうど床下収納の蓋を通る寸法だった。光一は売場で三回、巻尺を当て直した。店員に「何かお探しですか」と声をかけられ、「あ、いえ、あの、寸法を、はい」としどろもどろに答え、それから何食わぬ顔で二台買った。ばれるはずもないのに、レジで心臓が鳴った。
家に帰って、把手を外して荷台だけ蓋から下ろし、石室で組み直す。それきり一台は石室に、もう一台は横穴の向こうに置きっぱなしにしてある。ついでに横穴の床へ、農業用のコンパネを継ぎ足して敷いた。轍(わだち)ができてからは、腰をかがめたまま押すだけでいい。四十キロの銅線ドラムが二つ載っても、五十メートルを一度も休まずに行けるようになった。
それでも息は上がる。腰も伸びなくなる。押しながら、光一は毎回同じことを思う。
(若い人にやってもらったほうがいいんだよなあ……。でも、頼めるわけでもないし。自分が死んだら……。病気になったら……)
そして毎回、同じ結論に戻る。不安が一巡して、考えるのを止めて、結局、頼める相手がいないから何とかしよう、に落ち着く。
横穴が終わると、急に空気が変わる。
そこは直径八メートルほどの、円形のドーム状の空間だった。天井は緩やかに丸く、いちばん高いところで三メートル半ほど。壁も天井も、掘った跡ではない。誰が削ったものでもない、なめらかな岩の面だ。床だけが土間のように土を固めて均されていて、素足で歩けるほど平らだった。祖父が均したのか、その前から均されていたのか、誰も知らない。
そして、雨の匂いがした。床は乾いている。水滴ひとつない。それなのに、この部屋に入ると必ず、夏の夕立の直前のような、湿った土と雷の匂いがする。光一はいつも、ここで一度立ち止まって、深呼吸をする。
部屋の中央には、平らな石の台が据えてある。父が置いたものだ。光一は猫車から銅線のドラムを二つ、ころがして台の脇に並べた。続いて、段ボール箱を三つ。中身は、高速度鋼のエンドミルが四十本、ダイヤモンドヤスリの組が十二組、Oリングの詰め合わせ、それと今回の目玉である熱電対の素線が二百メートル。最後に、頼まれてもいない箱をひとつ置いた。中身は歯ブラシが三百本と、粉末の入浴剤である。
光一は箱を並べ終えると、姿勢を正して、台に向かって頭を下げた。
「……置いたよ。銅線、今回はちょっと細いのしか手に入らなくて。ごめんな。次はもう少し太いの、探すから。あと、エンドミルはいちばん右の箱の、上のほうに入ってる。緩衝材が多いから、破らないようにな。開けるとき、気をつけて」
返事はない。返事があったためしもない。
この部屋から先へは、行けない。見えるわけでもない。壁があるわけでもない。ただ、ある一点から先に足を踏み出そうとすると、身体が「そこには続きがない」と理解してしまう。押し返されるのではない。行こうという意思のほうが、途中で行方不明になる。父はそれを「思い出そうとしても思い出せない言葉に似ている」と言った。うまい表現だと、光一は今でも思う。
向こう側の人間も、同じようにこちらへは来られない。だから、この部屋は「緩衝地帯」と呼ばれている。互いに一歩も入れないのに、物だけが渡る。置いて、離れて、三日たてば消えている。
光一は帰りかけて、ふと振り返った。台の端に、紙の束が積んであった。麻紐で丁寧に綴(と)じられ、油紙で包まれている。日誌だった。
*
森戸光一は、八十五歳である。戸籍上はそうなっている。実際にもそうなのだと思う。ただ、鏡に映る顔は、どう見ても四十代の半ばだった。白髪はこめかみに数本、腰も膝もまだ動く。町医者にはもう二十年以上行っていない。国民健康保険の特定健診の通知が来ると、封も切らずに引き出しに入れる。
これは父ゆずりだった。森戸光博は、百十歳まで生きて、最後まで六十代の顔をしていた。緩衝地帯に出入りしていると、身体の時計がゆっくりになる。理屈はわからない。あの部屋が、こちらと向こうの時間の食い違いを「ある程度なだらかにする」せいだろう、というのが父の推測だった。そのなだらかにした分の皺寄せが、どこかへ押しつけられている。誰に押しつけられているのかは、考えないことにしている。考えないことにしていることが、光一には多すぎた。
二十年前まで、光一は東京へ出ていた。蒲田にある精密部品の商社で、営業を四十年やった。名刺の肩書きは、最後まで主任のままだった。昇進の話が出るたびに、彼のほうから先に断った。役職がつくと、健康保険の手続きや、記念式典の写真や、勤続年数の表彰といったものが近づいてくる。近づかれると困る。
あの四十年で身についたものが、ひとつだけある。人前で失礼のないように取り繕う技術だった。相手の目を見て、頷いて、間を置いて、角の立たない言い方を選ぶ。押しの弱さは一ミリも治らなかったが、初対面の人間に「変な人だ」と思われない程度の外面(そとづら)は、いつのまにか身についていた。それは光一自身、はっきり自覚している。四十年ぶんの授業料としては、まあ悪くない、と思うことにしている。
自分が周りにどう見えていたかは、あまり考えたことがなかった。退職の日、若い連中が寄せ書きの色紙をくれて、光一は駅のホームでそれを読んで、しばらく動けなくなった。手を抜かない人だった、と書いてあった。優しい人だった、とも、おっとりしてて安心した、とも書いてあった。誰かが「森戸さんの検査は信用できた」と書いていた。頼まれてもいないのに工程を増やして、不良を止めていたことを、見ていた人間がいたのだった。
光一は、その色紙を今も茶の間の鴨居に立てかけている。
*
いまの光一は、鉄工所と畑の兼業である。
実家には森戸鉄工所という看板が出ている。祖父の代からの、旋盤とフライス盤とボール盤が三台ずつ並ぶだけの町工場だ。仕事は、近隣の農機具の修理と、たまに来る特注部品。片手間のようでいて、腕は落ちていない。持ち込まれた耕耘機の爪一枚でも、光一は必ず全部ばらして、洗って、寸法を測ってから直す。「そこまでせんでも」と言われるが、やめられない。
茶畑三枚と田んぼ二枚は、隣の集落の農家に貸してある。年寄りが一人でどうにかできる面積ではないし、荒らすくらいなら人に作ってもらったほうがいい。手元に残したのは、家の裏の畑がひとつだけ。芋と、葱と、大根と、夏には胡瓜。自分が食べるぶんと、あとは緩衝地帯へ持っていくぶんである。
現金は、母方の祖父母から相続した土地が支えている。ここから車で一時間ほど離れた町の、駅からそう遠くない一角で、いまは月極の駐車場として貸してある。地代は、多くはない。だが、それがなければとっくに詰んでいた。鉄工所の売上と、田畑の賃料と、地代と、年金。全部足して、家が保ち、税金が払えて、あとは銅線に消える。
被覆銅線は、値上がりを続けていた。相場を睨み、業者を三軒はしごし、端材やスクラップ上がりの巻き取りを買い、被覆の状態を一巻きずつ確かめる。ドラムで買えば安いが、ドラムは重い。それでも光一は、細切れに買うより一トン単位で買うほうを選ぶ。単価が三割違う。三割違えば、その分だけ向こうへ多く渡せる。
毎年、通帳が薄くなる。去年は茶畑を一枚売った。一昨年は、父の遺したフライス盤の予備を一台売った。そのことを、光一は誰にも相談していない。相談できる相手がいないのではない。相談すると、必ず「何に使うんですか」と訊かれるからだ。訊かれたときに、うまい嘘をつける自信が、彼にはまるでなかった。
一度、業者の若い担当に、真顔で問われたことがある。この量、いったい何にお使いなんですか、と。そのとき光一は、四十年ぶんの外面を全部かなぐり捨てて、しどろもどろになりながら、
「……あの、その、アンティークのラジオを、直すのが趣味で」
と答えた。相手は「趣味って規模じゃないですよ」と笑った。光一は笑い返せなかった。膝が震えていた。帰りの軽トラで、峠の待避所に停めて、三十分ほど本気で「もう買うのをやめようか」と考えた。
翌週、彼はまた一トン注文した。向こうで、銅線が足りていなかったからだ。
*
その夜、光一は炬燵(こたつ)に足を入れ、老眼鏡をかけて、持ち帰った日誌を開いた。表紙には、墨に近い黒で、こう書かれている。
地下歴 一二〇六年 第三四期
大瀑布発電領 技術局 総覧
紙は薄く、手触りが妙にしなやかだった。木の繊維ではない。何かの菌糸を漉(す)いたものだと、以前の日誌に説明が載っていた。文字は日本語だが、旧仮名が混じり、句読点の打ち方が独特で、たまに光一の知らない漢字が出てくる。向こうで新しく作られた字だ。
内容は、報告書だった。
大瀑布、水量は平年並み。第七導水路、崩落なし。
総発電量、前期比一割二分の増。
新規に架設せし導線、延べ四十二里。うち三里は劣化により張り替え。
御隧道(みずいどう)望楼、変わりなし。灯火の応答、本期も無し。
最後の一行は、光一が読み飛ばしてしまう類の行だった。毎回同じ文句が並んでいるからだ。
彼らの世界には、電波が通らない。これが、あの世界のすべてを決めていた。無線は、飛ばない。正確には、飛ぶには飛ぶが、数メートルで霧が晴れるように消えてしまう。理由はわからない。あの見えない天井のせいなのか、岩そのものの性質なのか、そもそも空間の質が違うのか。誰も答えを出せていない。
だから、彼らはすべてを線で繋いだ。通信も、放送も、信号も、電力も、線である。銅線は、あの世界では通貨に近い価値を持つ。町と町のあいだには、太い幹線が何本も走り、その保守にあたる「導線衆」という職能集団がいて、断線があれば命がけで直しに行く。
光ファイバーは、一度だけ渡した。父の代に、中古の融着接続機ごと。だが、母材が作れなかった。あの世界の材料と炉では、透明度の要求に届かない。日誌には、三十年にわたる失敗の記録が几帳面に残されている。読んでいると、光一は毎回、申し訳ない気持ちになる。渡してしまったせいで、彼らは何十年も追いかけてしまった。
そして、大瀑布。天井の見えない高みから、一箇所だけ、雨ではなく滝が落ちてくる場所がある。落差は測れない。水は落ちきる前に霧になり、また集まり、また落ちる。彼らはそれを「オチミズ」と呼び、その真下に何百年もかけて水車を並べ、やがてタービンを据えた。電気が生まれた瞬間から、あの世界の文明は跳ねた。
ただし、燃やすことはできない。天井が見えないのだから、いくらでも煙は上がると思われた。実際は違った。あの世界には気流の淀む区画があり、そこにガスが溜まる。三百年ほど前、ひとつの町が丸ごと窒息した。日誌にはその記録が、七十三頁にわたって残っている。名前が、全部書いてある。四千二百十一人ぶん。
以来、彼らは燃焼を捨てた。代わりに生まれたのが、電力と、圧縮空気と、彼らが「圧水機関」と呼ぶ独自の動力である。落差と水圧だけで動く、燃やさない機関。光一には原理の半分もわからない。地上のどんな教科書にも載っていない。
大量生産はできない。鋳型を並べて一日に一万個作る、という発想が、あの世界にはない。その代わり、精度が異常だった。温度が年間を通じてほぼ一定で、地震がなく、風がなく、埃が少ない。そこに、彼らの時間がある。こちらの一年が、向こうでは何年にも何十年にもなる。倍率は一定ではない。父も光一も、ついに法則を掴めなかった。ただ確かなのは、向こうには「時間がありあまっている」ということだ。
一人の職人が、一つの平面を、生涯かけて磨く。その子が、それを受け継いで、さらに磨く。去年届いた日誌には、彼らが作った測定用の定盤の記録が載っていた。八百ミリ角。平面度、二十ナノメートル。
光一は、その数字を三回読み返して、老眼鏡を外し、しばらく天井を見ていた。かつて自分が売り歩いていたどの製品も、その数字には届かない。
*
日誌のいちばん最後には、いつも「上申」の頁がある。要するに、おねだりの欄だった。
一、被覆導線 可能なかぎり
一、超硬合金の刃 規格は前回に同じ
一、天然ゴムの生材
一、書物 何にても
光一は赤ペンでそこに丸をつけ、余白に返事を書き込む。
「ゴムは今回むずかしい。合成のでよければ次に入れるよ」
「本は、図書館の除籍本をもらってくる。内容は選べない。ごめんな」
書きながら、光一は自分が少し楽しんでいることに気づく。そして、気づいた瞬間に、うつむく。
父もそうだった。父はもっとはっきりしていた。父は日誌に採点をした。水車の軸受けを青銅にしろと書き、次の期にそれが採用されているのを見て、満足そうに頷いた。渡す技術に順番をつけ、焦らし、ここぞという場面で新しい図面を降ろした。
「これは、ゲームじゃない」
晩年の父は、そう言うようになった。自分に言い聞かせるように、何度も言った。
「これは、ゲームじゃないんだ、光一」
言い聞かせなければならないほど、父は長いあいだ、それをゲームとして遊んでいたのだ。
*
父、森戸光博は、もともと県の道路公社の技官だった。二〇〇〇年代。東京から静岡方面へ抜ける長大トンネルの、地質調査の担当。事前のボーリングにも、地中レーダーにも、何ひとつ反応しなかった場所で、掘削面が抜けた。
崩落ではなかった。空洞だった。
天井が、見えなかった。レーザー測距儀を上に向けて撃つと、光は戻ってこなかった。何度やっても戻らない。横に向ければ千メートル先の岩壁を正確に測るのに、上だけが返ってこない。
そして、雨が降っていた。雲もない。天井も見えない。ただ、絶え間なく、静かに。
工事は止まり、調査団が入り、学者が入り、やがて情報が漏れた。当時のインターネットの掲示板に写真が流れ、若い連中が懐中電灯と歩数計を持って潜り込むようになった。父もその一人だった。技官の立場で入り、私人として入り、両方の顔で入った。地図が少しずつ埋まっていった。
そして、ある日、それは終わった。空間の裂け目──としか呼びようのないものが、トンネルと地下空間のあいだに生じた。向こうは見える。灯りも見える。手を振れば、振り返してくる。だが、進めない。
十七人が、向こうに残された。そのうち三人は、父が誘って連れて行った学生だった。
国は三十年ほど本気で研究し、それから諦めた。地上では災害が続き、戦争があり、他にやることが山ほどあった。地下空間を見下ろす観測穴は、老人が三人で交代しながら守る閑職の監視所になった。
一方その頃、父は逮捕されていた。トンネル工事の入札をめぐる談合事件で、決裁書に判を押した末端の技官として、父の名前が全国に出た。実際に絵を描いた人間は誰も捕まらなかった。父は不起訴になったが、依願退職を勧められ、その通りにした。テレビは、父の家の前で三日間中継をした。祖母はその二年後に死んだ。
父は、国というものに対して、二度と口をきかない人間になった。だから、家の床下から、あの緩衝地帯へ通じる道を見つけたとき、父は誰にも言わなかった。言えば、また同じことになる。取り上げられ、封じられ、そのうえで誰かの都合で自分が悪者にされる。父はそう確信していた。その確信を、光一は今でも、間違っているとは言い切れない。
石室の奥の横穴は、祖父が戦時中に避難壕として掘ったものだ。掘っているうちに、たまたま、あのドームに突き当たった。ただの空っぽの丸い穴として、森戸家では六十年ものあいだ、じゃがいもの貯蔵庫として使われていた。
裂け目が生じたあの日から、その部屋に、雨の匂いがするようになった。そして、置いておいた道具が、消えるようになった。
*
日誌を閉じかけて、光一の手が止まった。最後の頁の裏に、もう一枚、紙が挟まっていた。
日誌の紙ではない。もっと粗い、灰色がかった紙で、文字も違った。技術局の几帳面な楷書ではなく、筆圧の強い、荒い字だった。
塔 第四十七層まで到達
残り 三十丈
光一は、その紙を炬燵の上に置いて、じっと見た。
塔のことは、知っている。三十年ほど前から、日誌の隅に出てくるようになった。地上を目指して、あの世界の地表から真上へ、建築物を伸ばしていく計画。
正気の沙汰ではない、と思っていた。トンネルが裂け目に接している場所は、あの世界の地面から、垂直に一キロ以上ある。そんな距離を建物で埋められるはずがない。誰もそう思っていた。地上の学者もそう言った。だから百年、誰も本気にしなかった。
だが、あの世界には時間がある。風がなく、地震がなく、時間だけがある。
三十丈。約九十メートル。
光一は老眼鏡を外し、両手で顔をこすった。胃のあたりが、じわり、と熱くなった。