ビノとシトギ ──異世界異食冒険譚── 作:プリン定食
10. 服・蜘蛛の仕立て屋・依頼書
「“
てっきり、新しい依頼を貰いにシャオコのところに行くのかと思っていたが、ビノの関心は専らそこに向いているらしかった。
「これで何か食べに行きますか?」
──さっき毒サソリ食ったじゃん……
こいつホント食べることしか考えてないな、と呆れつつ、首を横に振った。案の定、ビノはきょとんとした顔を傾げてみせる。
「他に欲しいものがあるんですか?」
(こういうのって別にすぐすぐ使わなきゃダメって訳でもないだろ……いや、ないよな?)
そういったローカルルールが全く無いとは言い切れないのが、恐ろしいあたりだ。まあ一旦、そこからは目を逸らして、
(欲しいものか、……!)
考えながら一歩踏み出した素足が、ビノから借りたままのマントの生地と擦れて。はっと、見過ごしかけていた重大な問題を思い出す。
(今の俺って、マントの下は全裸のままじゃん!)
猥褻物陳列などという罪がこの世界にあるのかは知らないが、ビノやシャオコを見ている限り、服を着ていない存在は明らかにイレギュラーだ。
マントさえ羽織ってしまえば爪先くらいしか露出しないし、ビノはこちらの裸体に何のコメントもしないしで、慣れきってしまっていた。
その辺の蟲を喰う相棒を野蛮扱いしている場合ではない。まずはこちらが最低限の文明を手に入れなければ。
慌てて、隣を歩くビノのシャツを引っ張る。もう片方の手で、自身の体を指差した。
足を止めたビノはぱちくりと不思議そうに目を瞬いたが、すぐに合点が行ったらしい。
「服ですか」
理解の速さに、彼も早くマントを返してもらいたいのかもしれない、と考えて、少し申し訳なくなった。
「うーん……」
それから。
生活しているだけあって、この交易都市には多少詳しいらしいビノの案内で、手近な服屋にやってきたまではいいが。
「大きいですよね?」
「…………」
簡素な作りのシャツらしきものを、マント越しに身体に当てがわれる。実際に着たら、丈の短いワンピースのようになってしまうだろう、ということはすぐにわかった。
「でもこれ以上小さいの無いですねぇ」
シャオコの「ちんちくりん」という罵倒の妥当性を、今さら噛み締めさせられていた。ビノのような肉体労働者が好んで着るような衣服に、シトギの身体に合うサイズ展開は存在しないのだ。
「お決まりですかぁ〜?」
にゅっと、ハンガーに吊るされた服の陰から、店員が顔を出してきた。砂糖菓子を煮詰めて蕩かしたような声で呼びかけてくる。
綿飴のようなボリュームのある癖毛に、側頭部から突き出た細長い耳。睫毛の長い伏し目がちの瞳が、アンニュイさを醸し出している。
そのシルエットから、一瞬いわゆる“エルフ”かとも思ったが。
(たぶん、羊……?)
黙っている時に口元をもごもごと動かしていたり、卓上に置いてある干し草のようなものを摘んで食べていたり。総合して、そういう見解となった。頭部にツノが無いのは、この店員がおそらく女性であるからだろう。
(現代にいる動物の特徴を一部持っているらしい亜人……を、ここに来るまでにも何人か見かけた)
獣の耳が生えていたり、ツノがあったり。
そういう種族ばかりならこちらもやりやすいのだが、ビノとシャオコという身近な存在がさっそくその枠から外れてしまっているのが悩ましい。
──ふんふん。
何か柔らかいものが頬に触れて、とっさに飛び上がりそうになった。
例の羊娘が、かなりの近距離で低い鼻をひくつかせていた。
──な!?
「女性の方ですかぁ〜?」
こちらの慌てぶりには構わず、マイペースに問いかけてくる。どうやらこちらの匂いを嗅いでいたらしい。理由はわかったが、それでも動揺はすぐには収まらなかった。
──俺は……ってかこの種族、
ビノに思話が通じないことから可能性として把握はしていたが、この街のコミュニケーション手段は種族ごとに入り乱れているらしい。どう答えれば、と焦るシトギの前で、
「はい!」
ビノが元気よく頷いた。
「……!?」
女性ですか、と聞かれて、はい、と答えた。それはつまり、ビノは最初からこちらを異種族の雌だとはっきり認識していたということだ。
なんで勝手に答える、だとか、いろいろと言いたいことはあったけれど。
──そ、そんなに自明なことなのか……!?
胸の膨らみもなく下半身に穴がひとつしかない存在のどこを見て雌だと判別したのだろうか。自分自身でさえ判断に迷ったというのに。
背中が熱くなったり冷たくなったりしたが、店員とビノは特に先ほどのやり取りに拘泥する気は無いようだった。
「女性用なら、こちらなんかがありますけどぉ〜?」
店員が奥から何着か、ワンピース型の服を持ってきた。
──スカートか……ていうかこの店、下着とか置いてないの?
サイズが合っていても、股下に不安を感じるような服を身に着けたいとは思わなかった。下着がないなら結局は裸マントの二の舞だ。
とにかく、サイズが合っていて、動き易く、胴体が全体的に覆えるような衣服が欲しい──のだが、既存の商品でそれら全てをカバーするのは難しいのかもしれない、と思った。
「これは何枚と交換なんですか?」
「こちら1着20枚になりますぅ〜」
──高!!
つまり、利用券が20枚必要だということだ。こちらの手持ちは3枚しかない。察するに、3枚で買えそうな服などこの店には無さそうだが。
──……店員と言葉でやり取りできないの地味にストレスだな……
相場もわかったことだし、この店に長居する理由はもう無い。
ビノの服の裾を軽く引いてから、先んじて店を出た。
「シトギさん、」
少し経ってから、ビノも着いてきた。
やや時間がかかっていたようだが、彼は会話ができる店員と何かやり取りしていたのだろうか。そう思ったところで、
「この近くにも店があるみたいですよ。自分は行ったことないですけど」
「…………」
ビノはまだ店巡りを続ける気らしかった。
──でも話聞いた限り、利用券が20枚とか無いとまともな服は買えないんじゃ……
「利用券なら、自分も少し出しますから!」
──そう言われてしまうと、迷惑を掛け通しな手前、断る理由が無いのだった。
そして、再びビノに案内されて、辿り着いた“近くの店”は。
──……ここ、服屋じゃなくないか?
一見してそう思わせる、異様な雰囲気を放っていた。
まず、入ってすぐに思ったことだが、天井がやたら低い。
実際は、天井板そのものが低い場所にある訳ではないのだが。梁から無数に垂れ下がる物干しロープのような糸と、そこに掛けられた大量の布やら籠やらのせいで、圧迫感を覚える空間になっている。
「わあ、なんかすごいですね!」
隣のビノは、自分で案内しておきながらなぜか他人事感に溢れた感想。
(どうしたら……というか店員、)
──……いらっしゃい、
「!」
耳の奥で、知らない他人の声がする。嫋やかな女性の囁きだった。思話だ、ととっさに思う。
──靴の泥とか……ちゃんと落としてね
続いて響いた呼びかけに、さっそく店の奥へ進もうとしていたビノを慌てて引き止める。よく見れば、ドアを開けてすぐの床には、ごわついた玄関マットらしきものが引かれていた。
「え? 足ですか?」
(ビノは思話だとそもそも聞き取りすらできないのが厄介だよな……!)
(……誰か来る……思話で話しかけてきた店員か……?)
何とかビノにブーツの泥を落とさせているうち、店の奥から、何かが近づいてくる気配がした。
単純な二足歩行ではない、床を這うようにして現れたその姿に──無事に、思考が吹き飛んだ。
(……う、腕が、6本ある……)
ようやく絞り出した感想は、字面だけ見れば既視感のあるものだったが。
“彼女”のその外観は、シャオコのそれとは明らかに異なっていた。左右3対の腕を背負っていること自体は同じだが、その腕がとにかく長いのだ。手首の先についた手のひら自体も細長く、全体的に縦に引き伸ばしたような形状だ。
その目立つ6本腕を駆使して、歩くのではなく、四つん這いならぬ六つん這いでこちらに近づいてきている。足はついているようだったが、所在なさげに揃って揺れているだけだった。
シャオコの印象が“阿修羅像”ならば、彼女の全貌から受けるそれはまさしく──“蜘蛛”、だった。
──お客さんね……何が欲しいの?
やや頭上で静止した彼女が、思話で悠然と問いかけてくる。
その容姿の中央だけ見れば、ウェーブがかった長髪を結い上げた、物憂げな妙齢の美女にしか見えない。背中の大きく開いたスリットドレスも、彼女の妖艶さの演習に一役買っていた──飽くまで、それ以外の部分に目を瞑れば、だが。
「服を作ってくれるって聞きました」
物怖じという言葉を知らなさそうなビノが、平常運転で彼女にそう呼びかける。
怖いもの知らず、と驚いて、次にその発言内容に引っかかった。
(……ん? “作ってくれる”?)
売っている、ではない。
ビノは最初から、ここが普通の服屋でないことは承知の上だったらしい。
既存のものとはサイズが合わない、デザインが気に入らないとなれば、最後は作るしかない。そういうことでここに連れてきたのかもしれない。そんなことを思った。
──そう……あたしは仕立て屋……みたいなこともやっているけど。服が欲しいのね
一段高いところにいたのが、ぬるりと降りて、さらにこちらに近づいてくる。
──どういう形にするかはあたしが決めるわ……何を使って作るかもあたしが決める。あたしが決めた通りの材料を用意できたひとにだけ、安く作ってあげる
値踏みをするように、あらゆる方向からこちらを観察しながら、思話で囁きかけてきた。
──ここはそういう店よ。それでいいなら、考えてあげる
なんだか面倒臭そうだ。
現代日本の、システマチックなサービスに慣れきった身は反射的にそう思ったが。
実際、選択肢が限られている今の環境では、彼女の腕に頼るのが最適解のように思えた。
──……わかりました、お願いします
──そう……じゃ、おいでなさい。貴方の身体を見て決めるわ
ぬるぬると店の奥に向かう仕立て屋の背中を追いかける。彼女は、店の隅の一角で立ち止まった。そこだけぽっかりと空間が開いているあたり、それ用に確保してあるスペースのようだった。
ねえ、と呼びかけられて我に返る。
仕立て屋の腕の一本が、当然のように着いてきてすぐ後ろにいるビノを指差していた。
──そこのボウヤをちょっと入り口で待たせておいた方がいいんじゃない? 今から貴方の着ているものを全部脱がせるから
この店の採寸では裸体を強制されるらしい。現代だったら何かしらの罪に問われていそうだ、と益体もないことを考えつつ。
彼女がこちらに気を遣ってそう言ってくれたことは理解できたが、別に、ビノ相手に今さら見られて困る場所などない。既に洞窟でさんざん見せびらかしている。
──見られ慣れてるので、俺は別に……
何気なく、そう答えて。
──……そうなのね……
──…………
仕立て屋の反応に、ん、と思った。
彼女の口ぶりは、何と言うか、「突っ込んだことを聞いてしまって申し訳なかったな」というような雰囲気だった。
そのなんとも言えない生温さに、“誤解”の2文字が頭をよぎった。
──……あの、変な意味ではなくて
──ふふ……
彼女の頑なな微笑に、盆からひっくり返った水は元に戻らないことを悟る。そのまま巻き尺を取り出して採寸に入ってしまったのを見ながら、
(この世界ってこんながっつり体格差の異種族間恋愛もアリなんだ……)
そんなことを考えていた。現実逃避だった。
──貴方、もしかしてよく泳ぐの?
そんな仕立て屋からの呼びかけで、現実に引き戻される。
──わかるんですか?
──肌の感じがこの辺りにいるひととは少し違うもの……やっぱりそうなのね、…………
手の一本が、何か考え込むように彼女の口元に当てられる。腕がたくさんあると考えごとをしながら作業ができて便利だな、と思った。
そのまま彼女はしばらく長考していたようだったが。おもむろに顔を上げて、決まったわ、と言った。巻き尺をしまって、上体を起こす。
──そうね……沼地にいる“
──斑魚?
また知らない名称が出てきてしまった。怪訝な顔をするシトギとは対照的に、
──胸鰭が5枚、背鰭が2枚、頭から臀鰭までが同じ太さの、長方形みたいな魚よ……
蜘蛛の仕立て屋は、随分とこの世界の生物に詳しいようだった。
──貴方、目が使えないのね……でも、見ればわかると思うわ
──はあ、
彼女に悪意や他意がないのはわかっていたが、シャオコの「見ればわかる」という冷ややかな突き放しがどうしても頭をよぎった。
──良いのを持ってきたら、10枚で貴方に合う服を作ってあげる
安い。ワンピースの値段を思い浮かべて、反射的に頷いていた。
魚を使った服、と言われてもシトギにはぴんと来なかったが、プロである彼女が言うからには相応のものができる予定なのだろう。
──貴方たち、商会所属の狩猟者でしょう? 商会宛てに依頼書を書いといたげるわ
紙とペンとを壁の引き出しから出しながら、仕立て屋が言う。よく見れば、四方の壁はそのほとんどが小さな引き出しで埋め尽くされていた。
──必要なんですか?
──個人間での依頼のやり取りは禁止されてるのよ……それに、あたしが必要なのは皮だけだし……残りは引き取って売っぱらってくれた方が助かるもの
書き終えて丸めた依頼書とともに、仕立て屋が何かをこちらの手のひらに乗せてくる。小さく丸く、平べったいもの。なんとなく、ガラスでできたおはじきを思い浮かべた。
──これは?
──これも必要なの……渡しておいて
相変わらず、一見してよくわからないシステムでこの街は回っているらしい。ともかく、必要と言われればそれ以上食い下がる理由もない。大人しく受け取った。
一応、あらかじめ目を通しておくか、と依頼書を広げてもみたが。
(……読めない)
薄い紙の上にインクで書いてあるだけの文章は、そもそも感知すること自体が不可能だった。
──じゃ、よろしくね……
仕立て屋は、やるべきことは済んだとばかりにまた店の奥へと引っ込んでいってしまった。
あとは、こちらの仕事だ。振り返る。
「なにか決まりましたか?」
同じ場所で大人しく待っていたらしいビノが、こちらが近寄ってくるのを認めて顔を上げた。
(ビノなら読めるかもな……)
頷いて、広げた依頼書を手渡してみる。ビノはそれを一旦は素直に受け取ったが。紙面に目を落とすなり、
「文字は読めません!」
──ビノ……!
清々しいまでの断言だった。にべもなく依頼書が突っ返される。
無類の強さを誇るビノだが、他種族とのコミュニケーションではあまり頼りにならないのかもしれない。
そんな可能性が頭をよぎった一幕だった。