ビノとシトギ ──異世界異食冒険譚── 作:プリン定食
次に目が覚めたのは、出発した交易都市まで戻ってきた時だった。
初めて見た時は“未知の場所”だったそこが、今は“帰ってきた場所”として感じられる。時間換算で1日も経っていないはずなのに、その心境の変化が妙に感慨深かった。
出ていく時は、生きて帰れないかもしれないとまで考えていたが、どうにか無事、任務を終えて帰還できた。それは間違いなく良かった。
しかし、
「う〜ん……」
こちらを横抱きにしたままのビノが、背後を見ながら気の抜けた唸り声を上げる。お喋りな彼にしては言葉少なな煩悶だったが、その内容は珍しく手に取るようにわかった。
彼の、そしてこちらの抱える悩みは言うまでもなく。
(このデカすぎる
今までの道なき道ならともかく、往来を引きずって歩くにはあまりにも巨大すぎる。
しかも、この水針蟲の尾節には毒があるのだ。何も知らない通行人に、うっかり同じ苦痛を味わせてしまう恐れがある。おそらくビノもそれを危惧しているのだろう、と思った。
(さすがにそんな危険な真似はできないよな、)
「人がいっぱいいてすぐつっかえるから、奥まで持っていけないですね」
「…………」
(そっちか……)
前言を撤回し、ビノの発言を受け止める。安易にこちらの価値観を当て嵌めようとしたことを申し訳なく思った。
「ぶつかると怒られるから、もうやりません」
(お、意外とそういうの気にするタイプ……?)
「その時は報酬取り上げられたんです、ボスに」
(そっちか…………)
さっそく同じことが起こった。
行きの道中で彼に謝られたことを思い返す。他人の怒りが全く理解できないという訳でもなさそうだが、自分に関わりのない存在ならば相手をする必要はないという認識なのだろうか。
彼の思考回路は、一般的な善悪とは離れた場所にあるのかもしれない。
(……というか、とりあえず死骸はここに置いておいて、商会に行けばいいのでは? 心配なら、俺がここで死骸を見ている間に、ビノが報告しに行ってくればいいし)
たっぷり寝たので、こちらの体調は既にかなり回復している。もう抱えてもらう必要もないだろう。そう思ったまではいいが、
(どう伝えるのかを考えないとな……)
ビノにこちらの意思を最大限汲み取る姿勢があるとはいえ、実際にやってみせることのできない複雑な依頼は伝え方に悩む。
彼の腕の中で頭を回している間に、
「あ」
同じく解決法を模索している様子だったビノが、短く声を出した。
「ボス!」
続いてビノが上げた声に、彼が見ているらしい方向へ顔を向ける。通りを行き交う住人の群れから、明確な意思を持ってこちらに歩いてくる6本腕の男がいた。
迎えに来てくれたのか、と一瞬思ったが、彼の不機嫌な顔つきを見る限り、どうやらそうでもないらしい。目の前で立ち止まり、咥えた煙管の煙を吐き出した男は開口一番、
「……でかい蟲の死骸を持って突っ立ってる輩がいるんだが、お前のところの関係者か……って連絡があってな」
(通報されてる……)
都市が成り立っているだけあって、不審者という認識も存在しているらしかった。
怪しい者扱いされたのは若干遺憾だったが、ともかく当初の目的は達成された。そこで未だに自身がビノの腕の中にいることを思い出して、慌ててアピールして降ろしてもらう。
もう体調が悪い訳でもないのに、流石に不遜すぎる(そして恥ずかしい)と思ったからだ。
そして、
──あの……
思話で呼びかけると、男が片眉を跳ね上げてこちらを見た。ビノと男が本題に入る前に、どうしても言っておきたいことがあった。
──この水針蟲、毒あるとか聞いてないんですけど……
──言ってないからな
煙管を蒸しながらしれっと男が答えて、危うくその場に横転しそうになった。
(いや知っててやらせたんかいっ……!! てか言えよなそんぐらい!?)
男の態度からは、わざと殺そうとした訳ではないが、死んだらそれはそれで、という突き放しを強く感じた。
(というか、ビノが地底湖で溺れかけたのこの人が何も言わなかったのが遠因だよな、明らかに……)
『泳ぎが必要な仕事を任せないが、水場がありそうな洞窟には行かせる』という判断はこちらからすると矛盾を感じるが、彼にしてみれば後者は自己責任の範疇という扱いなのかもしれない。
ただ、そんな雇い主にとりあえず不審や不満は感じていないらしいビノは元気よく、
「水針蟲、殺して持って来ました!」
「……ああ。確認した。毒を持ってたあたり、こいつで間違いないはずだ」
男はしばらく水針蟲を観察していたようだったが、やがて顔を上げる。
「お前が捕まえたのか?」
ビノの目を見て、そう問いかけた。
「? いいえ」
不思議そうに首を傾げたビノが、澱みなく否定した。一瞬、沈黙が流れて。
──……このデカブツは大抵の荒事はこなすが泳ぎはてんでダメだった、
男の低い呟きが、頭の中に流れてくる。
やはり彼はビノが泳げないことを知っていたのだ、とこちらが得心するより早く、
──お前、名前は?
──え
いつの間にか向き直っていた男に、この世界に来て初めての質問を投げかけられた。男の鋭い三白眼が、穏やかにこちらを見つめていた。
(俺の名前、)
とっさに浮かんだのは、前世の字面だったが。全く違う肉体と生を得た今、同じ響きで呼ばれたいとは思わなかった。かと言って、それ以外の案があった訳でもない。
何にせよ、長々と考えていると怪しまれるかもしれない。そうして出した結論は、
──名前……無い、です
言ってから、これはこれで怪しいか、とも思ったが。男は何も言わなかった。代わりに、くるりとビノに向き直って、
「ビノ。こいつの名前」
「え? わかりません」
「お前が決めろ。今すぐ」
清々しいまでの無茶振りだった。さしものビノも一瞬言葉に詰まったふうなのに構わず、
「決まらんなら“ポンコツ”にする」
──やめて……!!
悲鳴に近い祈りが漏れた。響きだけならともかく、脳内でばっちり翻訳できているあたり少なくともこの街で“役立たず”の看板を背負って生きる羽目になってしまう。
(こんなことならさっき適当に捻り出しておけばよかった……?)
後悔先に立たずとはこのことである。
「んー……」
そんなこちらのやきもきを知ってか知らずか、明後日の方向を見上げるビノが短く唸って。すぐに元の位置に戻ってきた。気負いのなさそうな眼差しが真っ直ぐに男を捉えて、
「──シトギ、」
確かにそう口にした。
シトギ。耳慣れない響きだったが、悪い気はしなかった。
由来が爪の先ほど気になったが、“ポンコツ”と名付けられるよりは数億倍ましなのには違いない。
対して男は、“ポンコツ”を半ば本気で挙げてくるだけあって、その内容には全く関心がないようだった。無表情で顎を引く。
「登録してくる」
ここで待ってろ、と告げた男がこちらに背を向ける。そのまま歩き出すかと思いきや、
「……俺の名前はシャオコ」
個人的な情報をわざわざ明かすタイプだと思っていなかったので、少し驚いた。
──シャオコ……さん
呟いてみる。
瞬間、男が肩越しに勢いよくこちらを振り返った。蛇睨みが鋭く突き刺さる。
「“ボス”と呼べ」
竦み上がるこちらの前でそれだけ言い放って、今度こそすたすたと足早に立ち去っていった。
──……イエス、ボス……
ゆるゆると虚脱しながら、頭を使って
そのビノは睨まれても全く堪えていないようだったが、彼も“ボス”と同じやり取りを経てこの呼称に落ち着いたのだろうか。そんなことを考えていると、ビノがこちらを見た。
「これで一緒に働けます」
命の恩人であり、名付け親にもなった彼が、にっこりと目を細める。
「ね、シトギさん」
(……“さん”?)
まさかそんな丁重な呼び方をされるとは思わなかったので、少し驚いた。
(提案の時は呼び捨てだったし……いや、あそこでもさん付けだったら“シトギサン”だと思われてた……?)
そういう物質みたいだな、とぼんやり思う。
(まあ、ビノは最初からずっと敬語だったし、別におかしくはない、……のか?)
拭えない微妙な違和感に頭を悩ませているうちに、シャオコが帰ってきてしまった。
行きと同じく足早に戻ってきた彼は、今度は手に煙管ではない何かを握っていた。
──ほら
そしてまた説明もなく差し出してくる。へどもどしているうちに早く受け取れ、とアピールされたのでとりあえず手の中に収めた。
名刺程度のサイズに見える薄い木の板が3枚。右端に小さく穴が空いている。表面には陰陽マークが大きく彫り込まれていた。
「ありがとうございます!」
謎のアイテムに頭を悩ませている間にも、隣のビノは訳知り顔で同じものを同じ数、受け取って。見覚えがある巾着袋を鞄から出して、その中に仕舞っていた。
見つかってよかったと言っていたあの袋にはこの木の板が入っていたのか、と思ったが、その発見が何に繋がる訳でもない。仕方なく、渡してきた張本人であるシャオコに聞くことにした。
──何でしょうかこれは、
──はあ? “何でしょうか”だぁ?
不快と苛立ちが混ざった声音が、食い気味に飛んできた。
すぐにでも“要らないなら返せ”と言ってきそうな雰囲気だったので、慌ててビノに向き直る。木の板を翳して必死に指差すと、にっこり笑顔のビノが、
「シトギさんの分の“
──り、利用券……? それが何なのかを知りたいんだけど……!
納得がいっていなさそうなのが伝わったのか、ビノは少し首を傾げてから、さらに、
「ここの店のひとに渡すと、店に置いてあるものと交換できるんです。みんなそうやってやり取りしてるんですよ」
そこまで聞いて、ようやく合点がいった。
(この街における貨幣みたいなもの……?)
シャオコがこれを渡してきたのは、依頼達成の報酬ということだ。ビノがそのやり取りを“売買”ではなく“交換”と捉えているのは少し不思議な感じがしたが、この街はそういう仕組みになっているらしい。
あの巾着袋が見つかって安心していた理由も数珠繋ぎにわかった。あれは、彼にとっては財布代わりだったのだろう。
ともかく、名実ともに自身の雇い主になった男に向き直って、改めて礼を言う。
──……ありがとうございます、頂戴します
シャオコは白けたように鼻を鳴らしただけだった。世間知らずが、とついでに罵られなかったことに安堵する。
(言葉が通じるからと言って何でもかんでも聞いていいタイプの人じゃないなやっぱり……)
現状、言葉が通じないビノの方が、シャオコの数百倍は真摯に接してくれている。
そしてこちらがコミュニケーションの難しさを痛感している間に、ビノとシャオコは蟲の処理のやり取りに移っていた。
「尾は貰う。他は要らん」
「やったぁ」
巨大水棲毒サソリの死骸が手元に残って喜ぶのはビノくらいなものだろうな、と謎にしみじみしてしまった。
シャオコは宣言通り、ビノが切り落とした尾節だけ持って去って行った。
(尾、何に使うんだろう……)
その背中を見送りながら、先ほどの反省を生かして頭の中だけで考える。現実逃避でもあった。なぜなら背後に待ち構えているのは、
「さっそく食べましょう!」
(やっぱりね……!)
またディスカバリーチャンネルを見せられるのか、とげんなりしかけて、ふと。
(……ん? “食べましょう”……?)
言い方に引っかかった。
1人で食べる気なら“ましょう”とは語尾に付けないはずで、これは間違いなく“Let's”の文脈だ。
(え……? なんで急に……?)
あの蟲も、この蟲も、ビノはこちらに何も言わず1人で食べ尽くしていた。
初めての出来事で、理由も不明だったが、動揺の大半を占めているのは間違いなくその部分ではなかった。
(食う……?)
(俺を殺しかけたこの巨大水棲毒サソリを……?)
一歩間違えれば、こちらがこいつの腹に収まっていた立場だ。それを「ざまあみろ」と思えて食欲に変換できる感性は持ち合わせていなかった。
要するに、普通に嫌だった。
ちらっと。隣のビノの表情を窺う。
「…………、」
きらきらと輝いたままの顔が目に入って、なんとも言えない気持ちになった。
水中では役に立たなかったとはいえ、ビノがいなければ死んでいたかもしれない身だ。そんな彼の誘いを「無理なんだが」と一刀両断できる感性もまた、持ち合わせてはいなかった。
要するに、普通に断りづらかった。
ちらっと。後ろの水針蟲を見遣る。
「…………、」
やっぱり巨大水棲毒サソリにしか見えなかった。
(……いや……生魚を丸呑みできる体だぞ、身に毒さえ無ければまあ……何とかなるはず……たぶん……)
味は考慮しないものとする。
長い沈黙の後、重々しく頷いたこちらを見て、ビノは張り切った様子で腰の剣を抜いた。
テンションの高低差が富士山頂と富士五湖の底くらいありつつも、手頃な木陰で巨大水棲毒サソリの解体と実食に挑むこととなった。
剣を掲げたビノ曰く、
「半分こでいいですか?」
(胃の容量考えてくれや)
身振り手振りを駆使して丁重にお断りし、最終的に触肢一本だけを頂戴することとなった。
(とにかく、毒がないかだけ確認しないと……)
ビノが早々に手をつけ始めたのを、ひとまずじっと観察する。やっていることは毒味役だが、毒で死なない存在は果たして毒味役と呼んでいいのだろうか、と哲学に迷い込みかけた。
「ん……食べないんですか? ナイフ使いますか?」
──毒無いか知りたいんだよ……ナイフはもらう
右手でナイフを受け取りつつ、左手の人差し指で、右腿のあたりを突くように指す。
「毒ですか? 無いと思いますよ! たぶん」
──……たぶん??
微妙に信憑性が怪しいあたりだったが、このままずっと疑っていても仕方がない。
自前の牙で甲殻をばりばり噛み砕くビノの隣で、借りたナイフでちまちまと殻を割り、出てきた身を啜る。
(……うむ……食えなくはないんだけど、泥臭いな……)
確実に“不味い”寄りの風味なのだが、拒否反応が出るほどではない。泥臭くて不味い。それを冷静に認識した上で、嚥下できる。
──現代人は舌が肥えすぎたせいで飢え死にする可能性がある。どこかで見たそんな文章が頭をよぎった。
家の壁を齧るような文字通りのハングリー精神が失われた近代の人間は、新鮮な米やパンのない環境では生きていかれないのかもしれない。
この水針蟲も、“現代に生きる自分”の舌感覚に照らし合わせると、とても食べられたものじゃないのだろう。そんなことを考える。
「洞窟の蟲より食べるところがありますね!」
まあ、この男は明確に特異点だろう。
(ていうか、よく考えたら普通に俺よりデカくて強くてものを知ってる男に敬称で呼ばれてるのか、俺……)
ビノ、と初っ端から呼び捨てていたこちらとは大違いだ。そもそも、そんな選択肢を一考してみたことすらなかった。
しかし、ビノの呼び方がそれだったので、何となく釣り合いの取れなさみたいなものを感じてしまう。上下関係にうるさそうなシャオコは特に気にしていなさそうだったが。
(ビノさん……ビノ君?)
試しに頭の中で再生してみたものの。
──いや……ビノ、
どれもしっくり来なかった。
早々に原点回帰して、隣のビノを見上げる。目が合った。アルカイックスマイルが柔らかく綻んで、まさしく微笑っている、という顔になる。
「どうしました、シトギさん」
「…………」
常に薄っすら笑顔のように見えて、実際に笑みを浮かべると確かに違いがわかるのだから、不思議なものだ。ビノはただ、にこにことこちらを見下ろしている。
──……なんか嬉しそうだな
そんなことをふと考えて。
いや、と思い直す。
──俺が嬉しそうだからか……
彼は相棒として、この新たな門出を喜ぶ気持ちをともに分かち合ってくれているのだ。
手の中の、食べかけの水針蟲に目を落とす。
ふたりの獲物。ビノはそう言った。
今日の日はきっと、いつか思い出になる。
初めて自身で食料を得た日。
そして。
(……お祝いのケーキ代わりには、ちょっと生臭いけどな)
──“シトギ”の生まれた日だ。
第1章最終話となります。
読んでいただきありがとうございます。