直死の魔眼保持者・鬼方カヨコ 作:カヨコ大好き
色ついた。嬉しい。
私が名乗らなかった為か、彼も私について何も言わなかった。
彼の部屋に辿り着くと、ゆっくりと開けられた扉から部屋に入る。
彼の部屋は、二十代程度と思われる彼の外見とは裏腹に机と座布団、それから布団が置かれているだけ。それ以外の場所は真っ白い部屋で、何処か不気味に感じられた。
まるで、この世に存在が辛うじて張り付いているような、そんな不気味さを感じたのだ。
「“じゃあ、私はちょっと買い物に行ってくるから。その間はご自由にどうぞー”」
シャワーを借りたいと伝えたら、意外にも彼はそれだけを伝えて部屋を後にした。
風呂場の近くに向かうと、恐らくは私の着替えと思われる服が畳まれて置かれていた。
恐ろしいと思いながらもシャワーを浴びる。
そのまま部屋に戻り、ベッドの上で眠る。
眠ってから暫くすると、恐らくは彼のモノと思われる生活音が聞こえた。
特にこれといったものでもなく、静かなモノだった。
何となく、彼の生活は苛烈なものではないかと期待していたので、少し拍子抜けした。
*
ブツリ。と音がした。
少し前までは、少女であったモノが、ベッドの上で目を覚ました。
「…………」
部屋を見渡してみると、先生は何も敷かれていない床の上でスーツのまま眠っていた。
こちらに背中と後頭部を向けており、その表情は見えない。
彼の頭のすぐ隣に、なんの装飾もないタブレット端末が置かれている。
ゆっくりと、少女であったモノは、タブレット端末に手を伸ばし…………
「“そういえばさ、前に『それが、私の正義か』なんて聞いてきたよね”」
「────ッ!?」
次の瞬間、彼がこちらに目を向けることもせず、壁を向いたまま声を発した。
女には、それが偶然発せられた寝言なのかそれとも明確な意思を持って発せられた言葉なのかは判別がつかなかった。
女は、ただゆっくりと彼の様子を伺っている。
「“なんて答えていいのか分かんないけどさ。多分違うんだよ。そもそも、私は正義なんて噓くさいと思うんだよね。
この世にあるのは、所詮メリットとデメリットだけ。
その中で私は、自分が納得できる答えを選んでるだけ。
だからさ、変に型ばらないで好きに生きたらいいと思うよ。”」
それが正義でも、納得できなきゃ意味ないからね。そう締めくくると彼は何も言わなくなった。
ブツリ。と音がした。
少女は、何も言わないでベッドへと戻る。
少女が目を覚ますと、彼女の物と思われる朝食と自分はこれから仕事に行くから、この部屋で一日中過ごすなり元の場所に戻るなり好きにすると良いという旨の置き手紙が置かれていた。
余り味のしない味噌汁を啜りながら、彼の部屋をさっさと後にしようと彼女は考えた。
*
「……うるさい……」
けたたましい外の騒音を聞き取りながら、私は目を覚ました。
キヴォトスはうるさすぎる。日夜銃声が頻繁に鳴り響き、耳から身体の芯までその音が焼き付いている。眠りからいきなり覚まされた私は、何処か不機嫌だ。
携帯には、一件の通知が来ていた。
『おはようございます。申し訳ありませんが、もう一方の依頼に動きがあったらしく、確認頂けませんでしょうか』
携帯のモモトークには奴からのメッセージが表示されていた。
私はだるい身体を動かして携帯の日付を確認する。現在の日時は八月十二日の午前七時二十四分。私が帰ってきて眠ってから、四時間しか経っていない。
昨日、奴の依頼を受けて夜の街を午前の三時まで歩いていたせいか、身体は眠りを欲しがっていた。
私はシーツを被り直す。
鬼方カヨコは騒音を嫌い、周囲の環境の変化にも敏感な女であったが、その性質は私にも受け継がれているらしい。
しばらくすると、今度は電話のコールが鳴り響いた。
電話は三コールすると留守番電話に切り替わり、あまり聞きたくない声が流れる。
『おはよう。今朝のニュースは見たか?
いや、貴様が見ている訳などないな。言っておくと昨日起こった傷害事件は百と六十。これに窃盗などの小さな事件を加えると事件数は五百までに伸びる。
だが、本題の事件は一昨日以来、一切として起こってはいない。
私の作品が使われた形跡も、無い。
ところで貴様、最近は頻繁に先生とは関わっているようだが、出来れば次回は私のさ……』
電話はそこで切れた。
私も、そこで切れそうになった。
事件が千起ころうと万起ころうと、私には何の関係もないことだ。そもそも
疲れが取れると、ようやく私は起床した。
以前のカヨコが十六年間そうしていたように、料理を用意し、それを口に運び、以前の鬼方カヨコが好んでいた服を着る。
今日は喪服のような黒色のワンピースにした。荒ゴトには返り血の目立たない黒色が最も適していると思ったからだ。
────実のところ、私の意見のようなこの服選びも、過去からの習慣の猿真似に他ならない。
それが誰かの生活を
二年前、鬼方カヨコがまだ十七だった頃にはそうではなかった。ただ、これは別に二年間の昏睡状態で変わった訳ではない。私を変えたのは、二年間のもっと根本的な“ソレ”だ。
鬼方カヨコという十六年は、まるでコンピュータのプログラミングのように私の行動を支配している。……そんな錯覚が幾つも浮かび上がる。だが、それは本当に錯覚だろう。
どれほど、
着替え終わると、時刻は既に昼近くを回っていた。
私は過去を追憶する。陸八魔アル、浅黄ムツキ、伊草ハルカ。
彼女達の姿、声、匂いを思い出す。
うん、大丈夫だ。未だ私は忘れていない。
人間が真っ先に忘れるという声だって思い出せる。この前撃ち倒した幽霊女の声は忘れているが、彼女達の声は昨日聞いたかのようにハッキリとしている。
彼女達のことを憶えている。ソレだけが、私を鬼方カヨコでいさせてくれた。何か、確かな足場に立てているという錯覚が得られるのだ。
記憶という不確かな物が足場になる訳はないから、きっと錯覚でしかないが。
それでもこの感覚だけは、私が得られる数少ない現実の一つだった。
*
そのアーネンエルベと書かれたその店は、アンティークな喫茶店だった。
ドイツ語の看板を横目に私は店内に入る。
もう一つの依頼の為に私はトリニティを訪れたが、何となく直ぐに仕事をする気にはならず、取り敢えず見つけた手頃なこの店に入店させてもらった。
どのような作りなのか、店内は仄暗い。外側にあるテーブル席だけが明るく、カウンターのある席はやけに暗かった。店内の四方には穿たれた十字架型の窓が四つあり、そこから入り込む光だけがその店の照明の代わりになっていた。夏の強い日差しのせいか、それはただの明暗という訳ではなく、何処か荘厳さを醸し出す演出のように思えた。
店内にはその雰囲気を汚さないように仄かなバイオリンの曲がジュークボックスによって、煩すぎない程度の音量で流れている。
中々に悪くない店だ。気に入った。
そう思って私は店内を見渡すと、テーブルを二つ三つ挟んだ先に座った一組の少女達が目に入った。灰色の服を着た見知らぬ少女と、青くて酷く目立った格好をした見知った少女。
何故彼女がこの店にいるのかが理解出来ないでジロジロと見ていると、自然と彼女と目が合ってしまった。
「────あ。」
つい、口から声が溢れた。
向こう側は明らかに出会いたくない人間に出会った時の表情として顔を顰めると、立ち上がりそのまま口を開く。
「鬼方、カヨコ……さん」
テーブルに座っていたのは天雨アコだった。
多分、会うのは一ヶ月振りになると思う。
と言っても、私も彼女も互いに会いたくないと思っていたらしいが。
……なら、見逃してもらえないだろうか。
そう願って私は後ろを振り向くが、それより早くに彼女に呼び止められてしまった。
「ちょっと待ってください。なんで貴女がこんなところにいるんですかッ!!」
彼女の周囲を気にしない敵意を含んだ大声は、そのまま私たちに注目を集めさせる。
周囲の生徒や獣人、それからロボットのような多種多様な人々が私達に白い目を向ける。
わなわな。と手を振るわせる彼女にはそんなことは見えていないのか、私は仕方なく彼女の側まで向かう。
これ以上大声を出されて、注目を集められたらたまった物ではない。
「…………別に私が何処に居ようとも私の勝手でしょう。 それともゲヘナはいつからか出国審査が必要になったのかな?私が眠っている間にトリニティとの関係でも悪くなった?」
皮肉げに答える私に、彼女は火のような目で私を見た。
少しでも私が目を離したのなら、その隙にテーブルの上の水を私にぶっかけて来かねない。
それほどの怒りが彼女からは感じられた。私も彼女に不覚を取りたくは無いので、彼女の行動に目を光らす。
私達は互いの喉元に包丁を突き立て、いつでも引き抜いてやろうとしているよう。だが、そんなことになるよりも早く、アコの隣に座っていたもう一人が彼女を諫めた。
「行政官、気持ちはわかりますが抑えてください。ここで騒ぎを起こしてしまえば、それこそエデン条約の締結に問題が生じてしまいます……」
線の細い声。自信が無いというよりも周囲から溶け込むようにして発せられた声。
その声に私は、一歩退いた。
「……ッ!!…………そう、ですね。
真に優先するべきはそちらでした。
申し訳ありません。ネロ」
珍しく、アコは感情を抑えて彼女に謝った。
私は大人しげな雰囲気の少女を見る。ピンと定規でも入れたかのように伸ばされた背と皴一つ無い制服を見て、何となく几帳面な奴なのだろうと予想する。
どうしてだろうか。彼女の行動は酷く助かったものなのに、私はそうは思えなかった。私は彼女に、どうしようもない苛立ちを感じている。
「嘘つき────め」
私は、つい、そんなことを口にしていた。
少女は答えない。
まるで風景を眺めているような無関心さと、昆虫のような無機質さで。ぼんやりとした表情を私に見せている。
「………申し訳ありません。
貴女が一体何を考えているのか、私には理解できません。私が、嘘をついていると?」
少女は、そう知らず存ぜぬ姿勢のまま私に尋ねる。
何故だと?分かりきっている筈だ。お前の視線には、アコを大きく上回る敵意が込められているというのに。
「でも……困ります。
私達も風紀委員としてトリニティを訪れたのに、指名手配犯の貴女まで訪れてしまっては、困ってしまいます」
彼女がここまで苛立っているのは何故だろう。ここがトリニティだからなのか、それとも私が話しているからだろうか。
一般的なゲヘナが前者とするならば、彼女は間違いなく後者だろう。
だって、彼女は
分かりやすい論理だ。
「馬鹿なことを言わないで。私だって被害者だ。急に人を探せと命令されたと思ったら、今度は裏切り者が隠れている学園に動きがあったから確認して来い。なんて一方的に命令してガシャンだ。勘弁して欲しいね。」
「……………はあ」
私の言葉に彼女は何も言わない。いや、私が彼女を一目して敵だと認識したように、彼女も私を敵だと認識しているからだろうか。敵だと認識した相手に、馬鹿正直に敵意をぶつけるような人間は余りいないだろう。だったら、彼女は私には見えないようにして牙を研いでいるのだろうか。
「……申し訳ないですけどッ!私の秘書に変なことを吹き込まないでくださいッ!!貴女は自分の立場が分かっているんですかッ!!」
秘書……秘書!?
アコに秘書がいたなんて初耳だ。少なくとも二年前の行政官に秘書が居た覚えはないのだが、私が眠っている間に変わったのだろうか。
余りゲヘナの風紀委員としての将来など考えたことがなかったので、今一つ良く思い出せない。そんな過去のことに考えを巡らせていると、段々と今目の前にいる少女のことがどうでも良くなっていく。
こんな少女があの事件の犯人だったとして、今どうこうする理由も私にはない。なんなら、目の前の少女に誰かを傷つけるような真似ができるとは思えなかった。
「…………ごめんね。私としても、これ以上会話なんてしたくない。」
私はそれだけを少女に告げると、一方的にアコに向き合った。
「そういう訳だから。私は君たちの仕事には関わらないよ。………今のところはね」
アコはそのことに、何かを言おうとしていたが、私はそれよりも早くに店を出てしまった為、何を言っていたのかは分からない。
少女が私に向ける敵意は、その間も私に刺さり続けていた。
*
「ちょっと、どういう意味ですかッ! 待ってくださいッ! ああッ!!もうッ!」
アコ行政官の言葉が彼女に届くよりも早く、彼女は店の外に向かってしまった。
アコ行政官の苛立った声が白色で覆われた店内に虚しく響く。
鬼方カヨコ。とても不思議な人間だった。 黒と白の真っ直ぐな髪に、艶が輝いて見える綺麗なドレス。
立ち振る舞いも含めて、彼女には何処か流麗な印象を受けた。だが、言動の方に考えを移してみると彼女の印象は鏡に映した虚像ように真逆のものに変わってしまう。
常に言葉の節々に棘のような威圧感があり、こちらでは私はナイフのような印象を受けた。一番感覚として近しいのは、ゲヘナの質の悪い不良生徒であろうか。
流麗な行動と粗暴な言動の雰囲気が一致しない。それは何処か、雲の上の存在のような、手の届かない掴みどころのなさを感じさせた。
「変わった人でしたね」
彼女の背中が遠くに行ってしまったのを見計らって、私はアコ行政官に声を掛けた。
「…………まあ、そうですね。
でも、二年前は違ったんですよ。あの人、久しぶりに会ったら何処か苛ついているみたいで、まるで別人のようなんです。
…………それも仕方のないことかもしれませんけど。」
行政官の言葉に、私はぽかんとしてしまう。何というか、らしくないと思った。彼女が悪人を庇うなんて、初めて見たから。
「そうですか。でも────とても恐い方でした。私、あの人は好きになれそうになれません。」
今度は行政官がぽかんとした顔を浮かべる。私もそうだ。悪人に嫌悪を抱くのはいつものことだが、彼女に抱いた嫌悪は、いつもの比ではなかった。
根本から、その存在を受け入れられないような。常に彼女の姿を思い浮かべては、その度に身体が搔きむしられるような嫌悪で包まれるような。
きっと自然治癒ではスッキリしないのだろう。そんな確信が私の中にはあった。
「…………意外ですね。貴女がこんなにも誰かへの憎しみを発するなんて」
憎しみ…………そうだろうか。私が抱いているのはそれだろうか。
どちらかと言えば、ただひたすらに相容れない。それが私の中にある感情だった。
私は瞳を閉じてみる。
カヨコ。不吉すぎる白と黒の髪。不吉すぎる
彼女は私を見ていた。私も彼女を見ていた。
それは互いの背景を見合うということ。
彼女の背景にあるのは虚無だった。それは“死”だ。
このキヴォトスに、あってはならないもの。
誰も出会っては、いけないもの。
それは除かなければならない。消し去らなければならない。この世界の、安泰と平和の為に。
そんな今まで抱いたことのないような熱い感情が私の中に生まれた。こちらの感情が何なのか、迷うようなことを私はしなかった。
これは正義の心だ。キヴォトスに生きとし生ける全ての者を愛おしみ、大切に思う心。死を背負い、アコ行政官の信頼を裏切るような外道とは違うという、何よりの証左。
「すみません、行政官。私、また暫くの間休みを貰います」
私は、そんな正義の心を燃やしながら、行政官との会話を続けていた。
*
トリニティでの仕事を終え、私は一旦事務所に戻った。
夜になって街に出る。
昨日までに、私が追っている猟奇事件は十件起こっている。クロノスの出しているニュースには同一犯による犯行だとは報道されてはいないが、見る者が見れば被害者や事件の場所、犯行の手順なんかで簡単に同一犯の犯行であるとわかる。断言できる。
被害者の間に繋がりは無い…………それが公の見解らしいが、私には分かる。この事件の被害者は、皆私の同類だ。きっと、いつかは私も同じ目に合う。
「あいつ──────」
ふいに、私はアコと一緒にいた女を思い出した。
────毛細血管のように、体中に細かく張り巡らされた死の匂い。
未だに自分の眼に慣れていない私は、何の前準備もなくソレを見てしまった。
…………アレは異常だ。
彼女を超能力者だと定義をするのならば、それは一級だろう。それほどまでの強力な気配が私の眼に焼きついた。
だが、私は同時に何処か違和感を感じた。
まるで、全く違う種類の植物を接ぎ木したような、そんなチグハグとした歪さを私は感じられたのだ。
それが何なのかまでは、私には分からない。
ただ、その歪さは今まで見たことのなかったものだ。私の持っていた現実が音を立てて崩れていくような、そんな恐怖にも似た感情が私の中に浮かび上がった。
存在不適合者………この世の何処にも居場所を持つことの叶わない穴持たず。
それをどうにかする方法を私は殺すことしか知らないが、仮に先生だったらどうするのだろう。
やっぱり、
「莫迦。」
はあ。とため息をついてみる。
自分に対してか、それとも先生に対してなのかは私にも分からない。
少なくとも、先生の取る手段を取れるのは先生だけだし、私の手段を取れるのも私だけなのだ。
そのことに一々心を痛めるような殊勝さは私にはない。
というか、【カヨコ】にも無いものだから在るわけがない。
私が持っているのはこの眼と鬼方カヨコが持っていた物。ただそれだけなのだから。
────時刻は時期に夜の十二時。
地下鉄を乗り継いで見慣れない街についた。
不夜城めいた喧騒をみせるこの街からは、
遠くに大きな港が見える。
*
少女は己の不幸を呪っていた。
少女は、キヴォトスの何処にでもいる悪人だ。他者を喰いモノにして全てを奪うなどというのは有りふれたことであるし、それこそ良心が痛まない程度には慣れたことだ。
少し前にはゲヘナの女に頼まれて、砂漠の小さな学校に集団で攻め込むようなこともした。
その学園の生徒達はそこに思い入れがあったらしいが、少女からすれば所詮は他人事だ。
確かゲヘナの女の名前は鬼方カヨコだったか。
銃を持たない人間は裸の人間よりも少ないとあうキヴォトスに於いては珍しく、ナイフを好んで使用していた風変わりな女だ。
やけに金の羽ぶりが良く、自分達のグループに浴びせるように金を払った。どうしてゲヘナの一生徒にそんな金が有るのかは女には分からなかったが、大して普段から物事を考えているわけではない女は、そのことについてそれ以上の考えを巡らせるようなことはしなかった。
何故、今そんなことを考えているのかと言えば、自分は今ゲヘナの生徒に絡まれているからだ。
と言っても、相手は鬼方カヨコのような裏の人間ではない。
彼女はゲヘナの風紀委員だ。
どうしてゲヘナから遠く離れたこの港町で風紀委員に絡まれなければならないのか、少女は不満で不満で仕方がなかった。
秋葉ネロ。と名乗った女と十人の顔の見えない風紀委員達は、自分を港の倉庫街へと連れ出した。
夜も深まり次期に零時。
倉庫街に人影はない。
街灯はなく、既に人が来ても簡単には見つからない場所にまで少女は誘導されていた。だが、少女がそのことに気がつくことはない。
やがて痺れを切らしたのか。女はネロに銃口を突きつけると苛立ったように声をかけた。
「────もういいだろ!聴きたいことってなんだよ」
銃口を突きつけはしたものの、いきなり引き金を引くような真似はしない。いきなり11対1では分が悪い。そのぐらいのことは学のない女にも理解できた。
「────はい。鬼方カヨコについて、知っていることを教えてください……」
「はあ?アイツか……」
目の前の風紀委員の髪は肩で切り払われたかのようにバッサリと切り取られており、何処か日本人形を思わせる。
顔は綺麗に切り揃えられた前髪に隠れて見えない。
「…………知らね。つーか誰それ?」
女は、当たり感触のないそんな言葉を咄嗟に口にした。裏の世界にも、というよりも裏の世界だからこそ義理人情と言えるモノがある。
自分達は何処の学園にも所属できず、真っ当な暮らしのできない逸れもの。
だからこそ、一度でも受けた恩を忘れるようなことはしない。
寧ろ、その恩には報いる。報いなければならない。
ネロはそんな少女の考えを知ってか知らずか、はあ。とため息を一つついた。
それは蔑みの感情を隠そうともしないもので、少女の神経を逆なでされた。
「…………知っている筈ですよ?私の情報収集能力を舐めないでください…………」
少女はその言葉を内心で鼻で笑った。
まさか、自分に聞く理由がその程度だとは。
自信。そんなものは生きていれば簡単に崩れるもの。
察するに、この女はそのような事態の起こるような前線に出たことのない、ひよっこなのだろう。
余りにも滑稽で、この目の前の相手の頭の中には、脳ミソが入っていないのではないか?そんな蔑みすら頭の中に浮かんだ。
「……?」
だが、そのような蔑みが少女の口から終ぞ、漏れるようなことは無かった。
そんなことはどうでも良くなるくらい、おかしな事態が目の前にあった。
先ほどまで少女を囲っていた風紀委員の少女達が、闇に溶けるように消えたのだ。
ズン。と強烈な振動が響き、砂煙が立ち込める。巨大な影が、少女の背後に現れる。
「………まあ。もう良いです。話す気がないのなら、話す気がない。それで良い。
ただ、ゴミ掃除は必要ですからね」
ネロのその言葉は、少女からは処刑宣告のように思えた。
*
「、 、 、 、 、 、 、!」
呻き声は、そんなケモノじみた発音にしかならない。
少女の足を掴んだ巨大な影は、表情は見えてはいないが少女を嘲笑っているように見えた。
少女の服はボロボロの布切れのようになっており、まるでスラム街の住人だ。
「あ、た、くそッ!……」
少女は未だに諦めていないのか、逆さまの体制のまま自身を掴んだ巨大な影に向けて銃火器の弾を乱射する。
何発もの弾丸が影を貫き、背後のコンクリートの壁に着弾した。影にはボコボコと穴が開く。
少女からは、影の弾痕を通して背後の壁が見えているのだろうか。少女はニヤリと下品な笑みを漏らした。
これならば勝てる。そう思ったのだろう。
だが、その希望は水疱のように消えていくこととなる。
「──────────」
グチュグチュと肉と肉とが溶け合うような不気味な音が鳴り響き、影に空いた穴は逆再生をかけたかのように元に戻っていく。
その速度は異常な程に早く、貫かれてから三秒もしない内にその傷は完治してしまっていた。
「は、は、ハハハ……」
呆然と乾いた笑いを溢すしかできない少女を、ネロは
もう良いだろう。どうせ大した情報など得られるはずもなかった。
「─────潰せ」
呟いた。
それは冷徹として、慣れた言葉。
ならばきっと、これは呪いだろう。キヴォトスを包む、全ての悪人に対する正義の怨嗟だ。
少女は青ざめた表情で、首だけを動かす。
両手は抉れて、銃火器は無い。
腕からの出血が地面を濡らす。
赤い絨毯みたいだ、とネロはそこに踏み込んだ。
夏の夜は暑い。粘つく大気は肌に纏わりつき、それはまるで今の状況のよう。
「─────はあ」
ボロ布ような少女を見上げて、ネロは溜息した。
「貴女が悪いんですよ。貴女が鬼方カヨコのことを教えてくれれば。こんなことにはならなかったでしょうに」
鈍器のようにして銃を使って、少女を鈍い音を立たせて殴った。
そこで少女のヘイローが消える。
それを認識したネロは、自身の持つ銃に弾丸を込めると銃口を少女のこめかみへと向ける。
微動する少女の姿を、ネロはゆっくりと見つめた。
これは仕方のないこと。やらなければいけないこと。そう、自分に言い聞かせる。
「─────可哀想。鬼方カヨコがいなければ、貴女も死ぬなんてことは無かったのに」
「一応、先輩としてアドバイスしておくけど“殺意”に他人を使うべきじゃないよ」
ダン、と乾いた音がして少女を掴み上げていた影の腕が炸裂し、少女が影の腕から解放された。
突然の言葉と出来事に、ネロは勢いよく振り向いた。
煙の上がった銃口を突きつけながら、ドレス姿の少女が立っていた。
暗く月明かりを反射する港を背にして、鬼方カヨコがそこにいる─────
*
「─────カヨコ、さん…………」
「随分と私に不満があるみたいだね。いいよ、殺ってみなよ。」
カヨコはネロに視線を向けると、ゆっくりと横に両の手を上げる。
口には小さな微笑が浮かび、瞳は何処か恍惚としたように見えた。
彼女の手には、何も持っていない。
「正義だ、悪だと嘯いても。結局最後は強いやつだけが得をする。ここはキヴォトスなんだ。どれほど喚こうと、所詮は子供の
「────ッ!!」
ネロの弾丸が発射される。間違いなく顔面を狙った弾丸は、異様に低い前傾姿勢のまま駆け出したカヨコには当たらない。まるで獣だ。彼女は二本の足で走っている筈なのに、ネロにはそれが四本の足で地面を駆けているようにしか見えない。
地面を這うようにして接近した彼女の手が、ネロの拳銃を掴んだ腕へと伸びる。まずい、そう思った瞬間にはネロの腕は背中側へと連れていかれる。
関節が痛むが、ネロは銃口を無理やりカヨコの方向に向けるとそのまま弾丸を発射する。カヨコはそれを難なく避けるが、その隙に拘束が緩んだ。力尽くで腕を彼女の手から引き抜くと、彼女に銃口を向ける。
行動は彼女も同じだ。ネロに向けてサプレッサーの取り付けられた銃口を向けてくる。互いに相手の銃火器を持った手を、何も持っていない手で弾き飛ばす。それと同時に互いの銃口が火を噴き、二人の背後に銃弾が炸裂する。
手ごたえのなさをお互いが認識した瞬間、二人の蹴りがぶつかり合う。
全く同じ衝撃、全く同じ反動を受けて弾き飛ばされる。
ネロはバックステップ、カヨコは無手の片手を使用したバク転で衝撃を殺すと再び弾丸を発射する。
ネロはカヨコの弾丸を無手を盾にして防ぎ、カヨコは銃身で弾丸を叩き落した。
「つまらないね。」
「なにがッ!」
カヨコが勢いよく接近する。ネロは二発の弾丸を放ったが、それは悉く外れる。
接近したカヨコはネロの頭に銃口を突きつけ、ネロもまた接近したカヨコに銃口を向ける。
「お前の後ろにある、“ソレ”を使いなよ。せっかくこんな夜に
「────ふざけないで」
ネロはイライラと瞳を尖らせる。その瞳は今まで見てきた誰の物よりも鋭く、猛禽類のようだ、とカヨコは思った。
「私は貴女とは違います。私は、私は正義の為に戦ってるんです。貴女みたいな殺人鬼とは違う」
「いいや、私達は同じだよ。秋葉ネロ。お前は天雨の隣にいちゃあいけない人間なんだよ。私と同じで」
カヨコは眼鏡を外してネロを凝視する。ネロも背後の影に視線を向ける。
「────殺れッ!」
「────直死…………」
互いの持つ、人としての輪郭が蜃気楼のように歪んでいく。二人が手に入れた力が行使される。
けれど、それは唐突に薄れていった。
「お前たち、そこで何をしている!!」
ここの学区内の治安維持組織だろうか。ライトを持った少女が騒ぎを聞きつけて現れた。
「私はゲヘナの風紀委員です。彼女はこちらの指名手配犯。逮捕に協力してください!!」
「────なッ!!」
ネロの言葉にカヨコは瞳を丸める。
暫しの間、ネロの言葉を脳内で噛み締めていたようだが、やがて
「はあ…………」
一つため息を吐いた。台無しだ、とばかりに頭を掻く。
「ああもう。フラストレーションが貯まる。もういいよ、貴女なんてしらない。どうせ知らないんでしょう?社長たちのことも」
言って、カヨコはコンテナの上に飛び上がる。
猫みたいだ、とネロは思った。
「もう家で寝てなよ。私は社長達探すのに集中したいんだから。次…………なんかしたら殺すから」
それだけを告げると彼女は駆け出して行った。
「待てッ!」と叫んで彼女の跡を治安維持組織の少女たちが追っていく。
『でも、二年前は違ったんですよ。あの人、久しぶりに会ったら何処か苛ついているみたいで、まるで別人のようなんです。』
不意に、アコが自分に向けて告げた言葉がネロの脳内に浮かび上がった。
確かにアレは不機嫌だと思った。常に何かに追われているかのように血走った目。自分の行動動作一つ一つに怒りを露にする落ち着きのなさ。
もしかしたら何かあったのかもしれないが、自分が彼女のことを詮索する義理は無い。
寧ろ、彼女の在り方を見て余計に苛立ちが積もった気がする。
どれほど同情できる理由があったとしても、私とアレは分かり合うことは不可能だろう。
そう、ネロは確信した。
「ホント、むかつくなあ…………」
何となく、自分は昔から相互理解という言葉が嫌いだった。
相手のことをどれだけ理解したとしても、相手に抱いた感情が変化するなんてありえないから。
きっとソレは、このことを理解していない大馬鹿者が言い出したことなのだろう。だから嫌い。
そんなことを考えて、彼女はゆっくりと口笛を吹きだした。幼いことから聞いていた、女児アニメの主題歌。明るい曲調のソレは、血だまりのその場所では、酷く不釣り合いでしかなかった。
*
八月十二日の夕方。
私とホシノはある程度事件について調べた後、シャーレのオフィスへと戻らせてもらった。
といっても結果は余り芳しくない。事件の被害者たちは昏睡状態、軽傷の子達は病院のお世話にならずに失踪。仕方がないので探し出して話を聞いてみたが、私に対して警戒心が剝き出しの状態で聞き込みに応じてはくれなかった。
失せモノ探しは得意ではあるが、探せたところで意味がないのなら手掛かりにはならない。
…………一応、アコの言っていたことを聞いてみたら怒り狂ってしまい銃撃戦になってしまった。ホシノを連れて行ってて本当に良かった。
「いやあ。ちょっと疲れちゃったねえ」
結構激しめに動いていたが、ホシノはそんなことを言っている。私に心配をかけないように強がっているのか、それとも本当に彼女にとっては大したことのない荒事だったのか。私には判別の方法はない。
まあ、どちらにせよ私の仕事に付き合ってもらったことには違いないので、礼をしようと思う。
「“ありがとう。ホシノ。付き合ってくれたお礼に………そうだなあ、ラーメンとか一緒にどう?対策委員会のみんなと一緒に”」
「え!?いやあ、悪いよ流石に…………」
そうかなあ?私としては部活とは言え、無償の奉仕をしてもらうのはちょっとだけ寝覚めが悪いんだけどなあ。今回はいつもの仕事と違って私が首を勝手に突っ込んだだけだし。先生だからお金を渡すのは不味いけど、何かしらの報酬は渡しておきたい。
無償だと、やりがい搾取している悪徳企業の社長みたいで何か嫌だし。
「“そういわずに。ね?タダほど安いことはないってよく言うじゃん?”」
「………せんせ~。よく言うというか、そりゃあそうだよ。当たり前だよ」
ん~。うまいことを言おうとしたんだけど、失敗した。ちょっと恥ずかしいな。
外を眺めてみる。この世界は広大だ。外の世界の方が流石に大きかったが、この世界が矮小というわけではない。万を超える様々な学園が存在しているのだ。
もしかしたら、小さな国程度ならぽっかりと覆ってしまうかもしれない。
こんな世界で、ある事件の犯人を見つけるなんて流石に私でもちょっと難しいと思う。手掛かりさえあれば、多分どうにかできるとは思うが…………今は悲しいことにそんなものは一つもない。
人手が足らないなあ。とぼやいてみる。
昔読んだ漫画には、式神なんて概念があったのを思い出す。
自分の血とか、髪の毛とかを媒介にして自分の手足となる存在を召喚する術。
冷静に考えてみると、これも一種の超能力なのかもしれない。
(“何考えてんだ、私。”)
慌てて自分の頭の中を考えつつ、現実的な解決策を考える。
が、そんな直ぐに良い答えが降りてくる訳がない。
(“”どうしたものかなあ…………”)
顎に手を当てながら考えていると、突然私の携帯が振動を始めた。
(“…………?”)
モモトークがあるこの世界だと、電話を使用することは滅多にない。一応大事な話とかだと電話で話したり、直接話したりするが、そんな時だってアポを取ってもらう。
若しかしたら緊急の事態が起こりでもしたのかと思って携帯の画面を覗いてみるが、そこに書かれているのは非通知の一文字だった。
出会った生徒は皆んな登録しているから、多分出会ったことのない人だとは思うのだが、初対面で私を頼る人間っているのかねえ?自慢じゃないが、私は初めて会った生徒には大体頼りないという目で見られるのだが。
「“もしもし…………?”」
『クックック…………私です。お久しぶりですね。先生。
少々、お時間頂きますよ』
ガチャン、と私は電話を切った。
「どうしたの?先生」
「“最近流行りの私私詐欺だよ。ホシノも気を付けてね”」
「うん?」
困惑した表情をしているホシノを横目に、私はネクタイを締めなおした。どうやら、仕事上がりはまだ先らしい。