直死の魔眼保持者・鬼方カヨコ 作:カヨコ大好き
「“…………。”」
八月十四日の早朝。
先生は眉間に皺を寄せ、何度も机の上を指でタンタンと叩いていた。
いつになく苛立っているが、理由としては明白だ。
昨日起こった猟奇的傷害事件。
今まではアコが語っていた通り、元々風紀委員のメンバーだった生徒やその関係者が狙われていた。
だが、昨日の事件の被害者は万魔殿……ゲヘナの生徒会に所属している生徒であり、今までのセオリーから大きく逸脱していた。
事件の犯人は、ある程度の予想は立てられてはいる。
だが、犯人を捕らえる為に風紀委員を動かすにはもう少しだけ時間が掛かる。
そんな矢先に起きたこの事件は、彼に嫌な予感を抱かせるには十分だった。
犯人の行動パターンが変化しているのでは無いか。
もしこの予想が合っていたのだとしたら、これから犯人を捕らえる為に組織を動かすまでの短い間に、大量の被害者が出てしまうかもしれない。
昨日の生徒はこれと言った役職についているわけではなく、後ろ暗い話も見つからなかった。
そんな生徒すらターゲットになるというのなら、これは最早傷害事件ですらない。人の味を吸った獣の虐殺か、通り魔か。どちらにせよ最悪には変わりない。
早くなんとかしないといけない。
そんな焦燥が胸の内に浮かんでいた。
Prrrr……。
彼のスマホが振動を始めたのは、まさにそんな瞬間であった。
*
カヨコが疾走を開始する。
水浸しの地面、吹き荒れる風。ありとあらゆる悪条件を物ともしない、惚れ惚れするような速さだった。
ゆっくりと銃口を向けるネロに対して、カヨコはジグザグに走り、決して狙いを定めさせない。
常に見つめるのは相手の瞳。
相手が何処を見ているのか。
それだけを、カヨコは
何処まで人間として逸脱していようとも、本質は人間。見つめられる地点は一箇所しかあり得ない。
カヨコは現在、一つの方向だけに従って
それによって、相手の意識を自分の進行方向の一点だけに限定する。
本人は意識していないだろうが、人間というのは必ず楽な道を行くものだ。
信念や心の強さとかの話ではなく、生物的構造として。
だから、この策は成功する。
速度に緩急を効かせ、速度を緩めたその瞬間、一気にカヨコは進行方向を
「───────」
ネロの視線が慌ててカヨコを追う。
だが、それすらも遅い。次の瞬間にはカヨコは背後のフェンスを蹴り、方向を転換。一気にネロへと接近していた。
その速度はまさしく疾風。
十メートル近く存在するネロとの距離を縮めるのに、一秒も掛かるまい。
カヨコはその戦闘スタイルの関係上、必ず相手の懐に潜らなければならない。
それは銃社会であるキヴォトスでは、明らかなハンディ。しかし、それをカヨコは圧倒的な速度で克服していた。
相手の銃口は、いまだにカヨコの方向を向いていない。
仮に銃口を向け、引き金を絞って銃弾を発射しても要する時間は“五秒”。
心臓にナイフを突き立てるには十分すぎる時間だ。
「─────出ろ……」
だが、それは相手がただの人間であった場合の話。
先ほどネロが撒き散らした血痕から、人型の何かが這いずり出る。
四つの血痕から合計7体。
それは、風紀委員の制服を身につけた、ただの生徒のように見えた。
だが、異常を捉えるカヨコの瞳は、それが唯の生徒ではないと伝えていた。
(コイツ等が、式神……)
奴等に纏わりついている“死”は、人間のものとは違う。
奴等の死は、まるで血管がそのまま飛び出したかのような、真っ赤でドス黒い色をしていた。
風紀委員の見た目をしているのは、ネロ自身の拘りだろうか。
残念ながら“死”としてしか見ていないカヨコには、風紀委員の見た目をしている意義は余りないが……
ガチャリ。と式神が銃口をカヨコに向けた瞬間。
ダダダとマシンガンのような連続した破裂音と共に、銃撃がカヨコを襲う。
「…………チッ!!」
撹乱も含めたバックステップで距離を取る。
式神達は、銃弾を発射する直前に撃鉄を上げることも、引き金を絞るような真似もしなかった。
更に言えば、式神達が持っている銃火器はマシンガンの他に拳銃やスナイパーライフルなど様々な種類があるにも関わらず、全てマシンガンのように連続して弾丸を撃ち続けている。
弾丸を撃つのに特別な動作は必要なく、撃ち出す弾丸は全て乱射。
まるで、子供の描いた
見た目に囚われて仕舞えば痛い目に遭う。
───コイツ───!
カヨコは内心で舌を巻いた。彼女の力は、自身の想定よりも上だと実感して。
カヨコは自身の拳銃を天に向けると、躊躇いなくそのまま銃弾を発射した。
弾丸の発射に呼応して、禍々しい黒いオーラが彼女の周囲に広がり、式神達を吹き飛ばした。
そのままカヨコは、屋上の梁へと向かう。
「────逃すとでも!!」
式神達に大勢を立て直させ、銃弾を乱射させる。
数は力だ。絶対に逃げられない。
そんな確信が、ネロの中にはあった。
「逃げないよ……」
カヨコは、一言呟くと前回の攻防と同じようにフェンスを蹴り飛ばしてネロに接近する。
(同じ手を……)
先ほどと全く同じ手を使ったカヨコに、ネロは内心で蔑んだ瞳を向ける。
自分に同じ手は通じない。
そう、確信していた。
だが………
(────えっ!?)
カヨコは、早かった。
自身の想定よりも。
数刻前の全く同じ攻めよりも。
何故!?
困惑の中でも、ネロは相手の観察を止めない。
その中で見た。彼女の足にある、ナイフで突き刺したと思われる傷を。
やはり、何かをしていた。
だが、ソレが分かったところでそれ以上の考察を行うには、現在では情報が少なすぎる。
それよりも今は迎撃が先決。
「────三体ッ!!」
そう叫ぶと同時に、血から浮き上がるのは、巨大な筋骨隆々で二足歩行の狼のような獣人。
カヨコの瞳は、これもまた式神と告げている。
獣人は、カヨコの目前で拳を掲げ、攻撃の体制を取っている。
カヨコのするべきは、迎撃か。回避か。
(………どっちも無理だな。コレ……)
冷静に、そう判断したカヨコは顔の前で両腕をクロスさせ、防御の構えを取る。
獣人は、一切の澱みなく指を組んだ両手をハンマーのようにカヨコの脳天に振り下ろした。
バキリとコンクリートで出来た地面が、発泡スチロールのようにアッサリと割れてカヨコが下層の階へと叩き落とされる。
「………はあ。」
地面に叩き落とされる直前、カヨコは地面にナイフを突き刺して衝撃を“殺す”と階上の相手を見据える。
「■■■■■■■■■■────!!!」
巨人の絶叫。理性が消し飛んでいるかのようなその絶叫を、カヨコは心地よく感じていた。
命懸けの殺し合い。
それだけが、彼女の目の前にあった。
政治だの……青春だのと変に複雑化した闘争より、シンプルな殺し合いの方が彼女には合っている。
臆せば失う。殺せば進める。
ただ、それだけだ。
「■■■■■■■■■■────!!!」
獣人が下層に飛び降り、地響きが廃ビルそのものを揺らす。
「■■■■■■■■■■────!!!」
獣人が雄叫びを上げ、カヨコへと駆け出す。
拳が伸び、黒い衝撃がカヨコの目前に迫る。
カヨコはそれを紙一重で避けると、相手の喉元へ目掛けてナイフを突き立てる。
……が、決まらない。
上層にいる他の風紀委員の姿をした式神達が銃弾を乱射し、彼女の攻めを妨害する。
「………。」
式神達は先ほどつけた傷がいつの間にか無くなっており、全てが徒労であったと錯覚してしまいそうになる。
カヨコは懐から小さく折り畳まれたフォールディングナイフを取り出すとクナイのように放り投げ、天井に突き立てた。
「────ッ!!!」
“殺された”天井は、まるで元から存在していなかったかのように崩れ落ち、ネロと他の式神も下層へ降り立たせる。
その事態に、ネロが一瞬の困惑を浮かべているのを、カヨコは見逃さなかった。
瞬間、巨大な獣人の式神の隣を抜き去って加速すると再びネロへ向けて切り掛かる。
「芸が、ないんですよッ!!!」
金切り声のような叫び声をネロが飛ばすと同時、最も近くに降り立った風紀委員の姿をした式神がカヨコとネロの間に割り込む。
「一つ」
カヨコのナイフが式神に突き刺さる直前、式神は巨大な肉の塊に変化した直後、破裂し無数の子猫のような姿に変化する。
その姿に、カヨコは顔を歪めた。
「何?コイツ等も殺さないとダメなの?
……嫌な気分にしてくれるね」
顔を顰めつつ、自身の妨害と撹乱を続けている猫型の式神に狙いを付けようと目を光らす。
(やりづらいな……)
無数のネコはそれぞれが独立した動きを見せており、狙いを一つに絞るにはやりづらい。
「一、二……いや、コイツ等は全部同じなのか……」
呟くとともに、カヨコは銃口を再び天へと向けた。
狙いがつけられない以上、先ほどのように一気に吹き飛ばすのが最適解だと判断したからだ。
だが、それよりも早く巨大な獣人の式神が、豪速でカヨコへと迫る。
「チッ!しつこいな………」
相手の剛腕に合わせるようにナイフを伸ばす。
が、これもハズレ。
獣人は今度は三人の風紀委員に分かれると、一人がカヨコを背中に担ぎ上げて地面に叩きつける。そして、残りの二体が銃身を棍棒のようにカヨコへ叩きつけ、そのまま三体は銃弾をカヨコの目前で乱射する。
「ああ、もう……」
雨のように弾丸が叩きつけられる。カヨコは何とか避けようとしているが、不可能だ。
ネロはそんな彼女の姿を見て、苦々しげに呟いた。
「なんて────出鱈目な人なんでしょう」
呟くその口元は、笑っている。
カヨコの身体能力は、間違いなく圧倒的だ。
だが、それだけで上手くいくことなどあり得ないと、ネロは知っている。
どれだけ確かな心を持っていようとも、どれだけ優しかろうとも、そしてどれだけ強かろうとも。
集団の悪意というものは、それらを容易く踏み躙ってしまう。
それだけが、ネロがこの数年で得られた確かな答え。
ネロは実感する。
「わたしのほうが───強い」
カヨコの手からナイフが零れ落ちる。
菓欒、と音を立てて地面に触れたそれを、式神にビルから蹴り落とさせる。
彼女がソレを振りかぶってきた時は、あんなに恐ろしかったに。今はなんとも思わない。
今この瞬間になって初めて、やっとアレが唯の鉄の塊だと認識できた。
「…………ああ。そういうことね」
そんな最中、カヨコが何かを呟いた。
命乞いか。それとも、ただ事実を壊れたラジオのように繰り返しているだけなのか。
……どちらにせよ、関係がない。ネロにとっては彼女を殺すことは既に決まったことだったから。
そう、思っていた。
それは、ある意味で油断だった。
だから、その瞬間を見逃した。
「─────え……」
カヨコの手が式神の足を掴む。
それだけで式神の足が崩壊した。
いや、“殺した”。
「これで、一体」
足から血飛沫が嵐のように飛び散り、他の二体の式神を怯ませる。
血によって染まる屋上はある種荒廃的な光景に染まっており、見ているだけで目眩がしてくる。
アレは、地獄か?
目にしているだけで何処か自分が狂っていく感覚がある。
そんな地獄変を、鬼方カヨコはまるでそれが日常の一部であるかのように、ゆっくりと立ち上がる。
彼女は倒れた式神の頭に触れた。
ポン。と空気が弾けるような音がして、式神の頭が弾け飛んだ。
真っ赤な液体の中に、白い液体が混じっている。
アレが脳脊髄液という奴か?なんて場にそぐわない考えが浮かぶ。
これは、なんなのだろうか。
この光景は、正気な人間なら……その人間に正気な部分が僅かにでも残っているのなら、きっと耐えられない。
なら、彼女は、狂っているのか?
「じゃあさ……」
彼女がゆっくりと口を開く。
先ほどの溢れるような呟きとは違い、確かな意思を込めて。
彼女の顔は、血によって真っ赤に染まっている。
彼女は、それを陶器のような白い手でゆっくりと拭い取る。
その動作は、一切の澱みがなく。そして艶美だった。
彼女は、嗤っている。
「始めようか……続き」
そこから覗く瞳は、夜の闇のように真っ青だった。
*
目が覚めた時にあったのは何も無いという絶望だった。
ようやく作った居場所は壊され、自身のことすら信用出来なくなっている。
自分の記憶が自分のものだと認識出来ない。
それだけが、カヨコの心を抉り続けた。
全く新しい、カヨコとは思えない【カヨコ】。
世の中じゃあ転生なんてモノが流行っているらしいが、とんでもない。
自分の存在すら心許ない状況の中で、頼れるものもなく独りぼっち……何度心が壊れそうになったのか分からない。
若しかしたら、自分は鬼方カヨコなのではなく。彼女の記憶を持っているだけの泥人形なのかもしれない。
そんな不安を抱いたのだって、一度や二度じゃない。
だからこそ、探しているのかもしれない。
自分の居場所を。
まるで何処かの妖怪のように、その枠に収まって仕舞えば、自分の不安が無くなるかもしれないと期待して。
だからこそ、苛立っているのかもしれない。
彼女の在り方を。
まるで何処かの自殺者のように、自身がすっぽりと収まっている枠を、自分の欲望の為に破壊して、その癖不安な顔をしている女を。
私は受け入れない。
私は、受け入れられない。
だから、羨んでいるのかもしれない。
自分が心の底から欲しがっているモノを、いとも簡単に壊すことすら出来る。
彼女の生き方が。
*
「なっ………」
ゆっくりと立ち上がるカヨコに、ネロは恐ろしくなって一歩下がる。
彼女は気がついていないが、これが初めてカヨコに見せた後退だった。
降り頻る雨の量は、未だに膨大。
だが、そんな雨すら彼女の前には止まって見えた。
カヨコが懐からナイフを取り出す。
これで三本目。
彼女の戦闘スタイルから考えても、きっとまだまだ大量に持っているのだろう。
「なんなんですか……貴女は……」
それは、純粋に零れ落ちた疑問だった。
マダムから聞いている。
キヴォトスには、何人ものマダムの産み落とした超能力者がいると。
マダムは言っていた。
キヴォトスには、何人ものマダムとは無関係の在野の超能力者がいると。
だが、この鬼方カヨコは、ネロが教えられたどの超能力者の特徴とも、違って見えた。
「……私の呼び名なら……好きにでも。
私は何でもいい。
鬼方カヨコでも、便利屋68の課長でも、見えざるものにとっての悪魔でも」
彼女は、底なしの瞳で答える。
彼女は、ナイフを手の中で弄びながら、ゆっくりと言葉を重ねる。
「手品の種は見抜いた」
「へ?」
強く、彼女は己の右手を握る。
「“十体”……でしょう? お前の式神。
バカみたいな数に見えるから見分けるのに苦労したけれど、本質さえ見極めればなんてことない。
姿が不固定なだけだ。今は風紀委員みたいな恰好してるけど、実際は粘土みたいな柔らかい式神なんだろ?だから急にバラバラになったり、身体の形が変わったり、三体が巨大な一体になったりするんだ。
“
それがお前の能力だ。
形を変えていても、姿が変わっても、私の目に映る“死”は、ずっと十種類だけだった」
「何を、言っているんですか……?
死? 貴女、一体、何を見て……」
ネロは、自身から溢れていく冷や汗を止められなかった。
得体が知れない。
目の前の女が、とても人間だとは思えない。
目の前にいるのは、鬼方カヨコではなく。鬼方カヨコという生徒に、別の恐ろしいものが入り込んだ“何か”なのではないか。
本気で彼女はそう思い初めていた。
「“死”だよ。
私の目は特別製でね。
物の死が見えるんだ。
どんな生命であったとしても、死は一度だけでしょ?
だからどれだけ姿を変えたとしても、私には分かるんだ。
ソイツが、おんなじものだってことは」
彼女はそう言いながら、ゆっくりと腰を落とし、ナイフを腰のあたりに掲げる。
それは、サムライが行うという居合の形によく似ていた。
「話は終わり。
それじゃあ、あと九体。
ユメに微睡む間に、一匹残らず殺してあげよう」
*
カヨコが、加速する。
速度は、異常。その速度を維持しているのなら、十メートル程度の距離などあって無いようなものだろう。
瓦礫が崩れるような音がして、雷が落ちる。
その音に気を取られ、ネロが気を逸らした一瞬で、もう一体が腹を貫かれて殺られた。
「……二つ。」
カヨコの口から、冷徹な言葉が漏れる。
その時点で、ネロは察した。
本気で、彼女は十体の式神を全員皆殺しにするつもりだ。
(……でも、無駄)
ネロは、そんな中でも余裕を崩すことはない。
式神は現在、確かに腹を貫かれた。
だが、そう見えるだけだ。
式神は先ほどカヨコが言っていたように、流体と固体の二つの性質を併せ持つ。
故に貫かれたように見えて、その実急所は避けている。
あの程度の傷、直ぐにでも回復して………
「……無駄。」
「─────!?」
直らない。
式神の身体は、まるで凪いだ海のように一切変化を起こさず、静止を続けている。
「言ってなかった?殺すって。もう、アンタの式神は殺した。
死体が、どうやって傷を治すの?」
冷徹に告げながら、カヨコは目の前にいた式神の両手を引きちぎると、反対側にいた式神に投げつける。
そのまま両手を引きちぎられた式神の顔面をナイフで突き刺すと、身体を反転させて腕を伸ばし、反対側にいた式神の頭を切り落とす。
赤黒い血潮の上を滑るように走り、離れた場所にいた式神の顔面を、バターのようにナイフで抉り取る。
「三、四、五………」
一連の動作は、まるで繋がった一つの動作かのように滑らかに行われ、無駄は一つも存在しない。
「……あと、五体」
「三体ッ!!」
式神が半分まで減らされたのは、僅かに十三秒間での出来事だ。
その時点で、ネロは判断した。
一体一体の式神では彼女には遠く及ばないと。
三体の式神が融合し、黄金の毛皮をした獣人に再び変化する。
「■■■■■■■■■■────!!!」
(融合、ね……)
そんな姿をカヨコは冷静に見据えていた。
彼女の瞳は、総ての死を捉えている。
獣人には、三つの死が複雑に絡み合っている。
(ネコに別れた時は、大きさが小さくなってたし。大きさ自体は一体一体にデフォルトで決まってるのかな?)
獣人の振り落とされる巨大な鉤爪を回避し、銃弾を撃ち込む。
………が、その傷は一瞬で回避されてしまう。
(……獣のような爪痕……
この式神が傷害事件の実行犯か)
巨大な怪物のような獣人。
恐らくキヴォトスの生徒であったとしても、その爪を真っ正面から喰らって仕舞えば大怪我は免れないだろう。
その爪を再びギリギリで回避する。
タン。と軽い音を立ててカヨコはバックステップで大きく一歩下がる。
開かれた
地が割れる程の威力で大地を踏み締め、まさに砲弾の如き勢いで獣人へと迫った。
「………直死。」
呟くと同時。直死の魔眼を最大限に見開き、巨大な獣人を見つめる。
例え、相手がどれほど巨大な力を誇ろうと。
例え、相手がどれほど膨大な命を有そうと。
死は、常に一つであるが故に。
死に難い命はあれ、死から逃れられる命はなく。───終わりは、万物に共通する。
「唯識・直死の魔眼」
瞬きの間に、カヨコは獣人の腕を叩き斬り。
二つ目の瞬きの間に、その身体を大きく袈裟斬りにし。
そして三つ目の瞬きの間に、その首を落とし、完全に獣人を“殺した”。
獣人は、僅かに身体を揺らしその姿をシスター服の“何か”に一瞬だけ変化させた後、溶けるように消えていった。
「………八」
真紅の血飛沫が飛び散り、まるで巨大な花弁のよう。紅い血潮が、何も無い区画を鮮やかに彩る。
「────!!??」
惚けるネロ。
最早、彼女に戦う意志はあったのだろうか?
残る式神は二体。
「これで───十体」
いや、ゼロ。
既に血飛沫の花冠から抜け出したカヨコによって、残りの式神の首は断ち切られた。
勝負は、認識されるよりも前に決していた。
「…………。」
ゆっくりと、カヨコがネロに接近して行く。
ソレが日常の一部であると迷いなく断言出来る、何も変わらない歩みだった。
コツコツと、響き渡る靴の高く冷たい音。
ネロには、それがまるで死神の福音のように聞こえた。
「やだ…………。」
ネロは、気が付かないうちにそんな言葉を口にしていた。
カヨコは彼女のそんな姿に、眉ひとつ動かさない。
「私が善人だったら、なんて言うんだろうね?
どうしてそんな風に思えるのにこんなことをした、とかかな?」
彼女はそう言いながら、瞳を青く光らせる。
「だけど別に、私は正義の味方でもなんでもないからね。
これから行う行為に、心が揺さぶられることはない」
逃がさない。外さない。
彼女の見えている世界は、生と死だけが存在しているが故に。
ゆっくりと彼女はその腹にナイフを突き刺した。
* *
もう直ぐ台風が街に直撃するというニュースを聞きながら、私は電話を取った。
ゆっくりとデスクの近くにある本棚に近寄り、一つの真っ白なファイルを取り出す。
部屋を見ればその人間が分かるなんて話を聞くが、私の部屋から導き出せる“私”とは、果たしてどんな人間なのだろう。
異常なまでに物のない部屋。
整理整頓された部屋。
細かく、傾向ごとに区分けされた本棚。
別に物欲が無いわけじゃない。
ロボットのプラモとかは良く買って、そのまま直ぐに手放してしまう。
飽きたわけじゃない。
今でも大好きだ。
ただ────それを待ち続ける理由が“執着”以外に見出せないだけだ。
執着しか理由が無いのなら、待ち続ける理由が見出せないだけだ。
「“なんのよう?”」
『焦っているようですね。何か心配事が?』
「“台風が来てるんだ。早く動かないと行動出来なくなる”」
そうですか。と電話先の男は納得して何も言わなくなった。
「“悪いけど、私は早く行かないといけないんだ。”」
『ええ。例の事件ですね。先ほど彼女が秋葉ネロと接触いたしました。貴方としても彼女の元へ早く向かいたいのでしょう?』
「“ ────チッ!”」
やはり、コイツは常に私の足元を見つめている。
そのことに文句を言ったところで何かが変わるわけではないので、不満の発露は舌打ちだけに留めておく。
『心配頂かなくとも、我々の目的は貴方との協力。
貴方がそれを約束して頂ければ、我々も情報を喜んでご提供いたします』
この熱烈なラブコールは、少し前にコイツと廃ビルで会話した日から毎日欠かさずに行われていた。
二日前には電話番号を変えるという、ありきたりだが確実な対策をしても掛かってきた。
怖いよ。
こういう場合って何処に相談したらいいんだろ?ヴァルキューレ?
まあ、こっちもカウンターの返しは用意してあるのだが。
「“提供する情報?
彼女の過去の話?それとも
『……ほう。先生、少々宜しいでしょうか?』
「“ ────ん?”」
奴の態度が変わった。
先ほどまでの態度は薄ら笑いを浮かべ、こちらの様子を伺う……所謂“品定め”の態度だったが、今は違う。
明確に同じ席に立った。
ここが、スタートラインだ。
これから先は、より一層の腹の探り合いを制さなければならない、そうかを引き締めた。
……だが、
『ブラッドチップってなんですか?』
私が用意した席は、ほんの少し高すぎたらしい。
*
仕方がないので、私が掴んだ情報を所々端折って説明してやった。
『……成程。ブラックマーケットに詳しい、
そこに記憶喪失の少女をめぐる争奪戦も追加でな。
彼女とファウスト様との友情は素晴らしいものだった。
「“それで、そこのヤクザ達が売っぱらっていたのがブラッドチップって薬物だ。
表向きで使われている名前は血飴。
成分を調べたら、ガチで人の血液が材料で使われてる。
依存性は無い代わりに、その毒性が特殊でね。詳しく説明なんてしないけど、幻聴が聴こえるダウン系とだけ”」
相手が相手なのでそんなに詳しくは説明しない。
付け加えるとすると、この薬物はつい最近……大体一ヶ月くらい前から出回り始めた薬物で、その大元は不明。
というか、いつのまにか勝手に出回り始めたらしい。
経験上、こういうヤクは個人による流通だ。
ヤクザとかの反社会組織の中にも
特に、動く金の大きい薬物なら尚更だ。
裏の世界のルールは、破ることは宣戦布告と同義。
もし、こんなモノを売りに出そうと考えられる組織がいたのなら、速攻で潰れてしまうだろう。
だから、これは柵にハナから囚われていない、個人による犯行。そう考えざるを得ない。
売り方に関しては、何かしらで傷心の生徒に違法薬物であることを隠して接近する……という手法らしい。
『……幻聴、というのは?』
ああ。それからもう一つ特徴があった。
「“女の声が、聴こえるらしいよ”」
これがこの薬物の一番不思議な点だ。
薬物の幻聴というのは、大体陰口を言われたとか命を狙われるとか、そんな被害妄想を加速させるようなモノだ。
だが、この薬物は違う。
「“なんでも、話しかけてくるらしい”」
『……成程。』
そこで、男が黙る。
耳を済ましてみると、ただ黙りこくっているわけではなく、電話先ではぶつぶつと何かを呟いている。
一旦これ電話切って良いか?
『先生、貴方が生徒のことを大切に思っていると信じて、私の仮定を話しましょう。
恐らくですが、そのブラッドチップというのは、ギヴォトス全土に及んだ捜索装置なのでは無いでしょうか?
古来より、血は魂の一部として見做され、儀式の一部としても扱われていました。血を送ることは、互いの全てを曝け出したも当然、と扱われることもあったそうです。
わかりますか?血を取り込むということは、その人間の全てを受け入れるとも取れるのです。』
「“……あ〜。仮にだよ?仮に、お前の言っていることが真実だったとして、その後どうするんだ?
私の話をした生徒は、幻聴が聴こえこそすれ、人が変わるなんてことはなかったぞ”」
『ですから、捜索装置なのです。自身の全てを取り込め、自身を全てと置き換えることの出来る相性の良い存在。
それを探すのがブラッドチップという薬物であり、その適合者というのが彼女。
最近になって猟奇事件の行動パターンが変化したそうですが、それは彼女は今、自身とその薬物の大元との境界が曖昧となっているののが理由なのではないでしょうか』
なんだその最悪なマッチングアプリ。
私は身体の中から、嫌な予感が湧いているのを辞められなかった。
「“……なあ。お前は、自分の全てが置き換わるなんて表現を使ったが、今の彼女の状況を境界が曖昧になるって言ったな。
それってつまり、今よりも“誰か”に意識を持っていかれるってことだよな。
そんなことになったら────”」
『ご明察の通り、死ぬでしょうね。肉体的にではなく、意識的に。
もしかしたら、それ自体が大元の目的なのかもしれません。
彼女の最終的な目的から逆算すれば、今回の実験の目標は、
なんとも効率的であり、それ以上に悪辣ですね』
男の最後の言葉までは、私は聴いていられなかった。
ただ純粋に、これからどのように動くべきか。その問いと解が、頭の中に幾つも浮かんで行く。
「“ ────くそったれ………”」
*
台風によって轟々と降りしきる雨の中、私は生徒と共に車に乗っていた。
現在、私たちが探しているのは秋葉ネロという少女。
本当だったら、もっとちゃんとした手順を踏んだ上で彼女の元に向かわなければならなかったのだが、そうもいかなくなった。
直ぐにでも、彼女を保護しなければならない。
そういう意図での行動だ。
場所は、ゲヘナの片隅の廃ビル群。
ここは、かつてゲヘナの雷帝が在籍していた際には発明基地の最前線として使われていたらしいが、現在は殆ど使われていない。
謂わば、終わってしまった夢の跡と言うべき場所だ。
この場所に彼女が来ているのが監視カメラで確認出来た。
出来る限り、必要最低限の人材で向かって彼女を保護する。
そんなことを考えている最中、それは起こった。
ゴゴゴ。という、大地が泣いているかのような地響きと共に私たちが眺めていたビルの内の一つが音を立てて崩壊したのだ。
「“ ────ッ!!”」
私は直様、そちらへと向かった。
*
廃ビルは、巨人に破壊されたかのように歪んでいた。
車で生徒と共に向かった先にあった、原因の分からない破壊。
殆ど感に近しいものだったが、そこに来たのは間違いではなかったらしい。
「……何があったのかねえ?」
ホシノが尋ねてくる。
だが、私はその答えは分からなかった。いつもの通り、ただの生徒のいざこざがあったのか。
だが、その破壊痕はどうにも
そんなことを考えていると、瓦礫を掻き分けてカヨコがひょっこりと姿を現した。
「………あ!?便利屋ちゃん」
「“────カヨコ”」
「やあ。いるとは知ってたんだけどね。全く……」
疲れたように笑うカヨコの背中には、陽だまりの中のような表情で眠る少女が背負われていた。
秋葉ネロだ。
「“カヨコ、君は……”」
私の声に少しだけ反応した後、カヨコはホシノへと向き直る。
「……久しぶりだね。」
「う〜ん。おじさん、こう言う時になんで言えば分からないんだけど、どうしたの?」
ホシノが揶揄うようにカヨコへと尋ねると、カヨコはほんの少しだけ気まずそうな表情をした後。
「……ほんの少し、君にしたことを謝罪しようと思ってね。
嫌なやつに会って、大切な物を傷つけられる怒りも私の中にあったなって。」
「ふ〜ん。」
ホシノは、カヨコの言葉に何も言わなかった。
「……ま、そのことを今はどうこう言うつもりはないよ。だって、今は忙しいんでしょ?
前、君が来たラーメン屋に来なよ。
詳しい話はそこでしよう」
「……はあ。分かったよ」
カヨコはため息をついてそう言った後、私へと向き直った。
彼女の目は、少しだけトロンとしていて、ほんの少し眠そうに見えた。
「“疲れた?”」
「うん。疲れた」
そう言いながら、彼女は私に背負った少女を押し付けて一歩離れた。
強い雨のせいか、それだけで彼女の顔が見えなくなる。
「先生。」
「“どうしたの?”」
「私は、きっと普通の人とは違うんだろうね。
きっと、普通の人だったら、彼女には何も思わなかった」
その彼女が、誰なのかは分からない。
ただ、それはカヨコにとっても同じなのだろう。
彼女と関わった人間。
カヨコは、その全てに独特の見方をしている。
彼女にとってはそれがコンプレックス……いや、それよりも深い劣等感のようなものになっているのだろう。
私がそんなことを言わんとしていることを察したのか、彼女は呆れた表情を見せた後、口を開いた。
「……でも、それが私だ。
下らないかもしれないことでも、自分の信じたことのために戦う鬼方カヨコだ。
先生、私は必ず彼女達に会うよ。私の大切な物を、必ず取り戻す」
彼女はそう言って笑った。
そうだ。きっとそれが良い。
どれだけ理屈を捏ねたとしても、自分はきっと自分にしかなれないのだから。
自分として足掻いて行くしかない。
「“そっか。でも、その為につるむ人間は選ぶべき……”」
私がそれを口にするよりも早く、ふっと音がして彼女は消えていた。
私の直前まで接近して、私が怯んだ隙に一瞬で距離を取り、走り去って行った。
「あ〜あ。逃げちゃった」
ホシノが呆れたように呟く。
雨の中で笑っていたカヨコ。
最後に私の目の前にいた彼女の姿は、とても綺麗だった。
嵐は弱まって、朝には雨も止むだろう。
彼女の先にある未来が、完全無欠のハッピーエンドであって欲しい。そう、私は心の底から祈っていた。
/ 境界式
時刻は、ほんの少しだけ巻き戻る。
それは、カヨコのナイフがネロに突き刺さった、まさにその瞬間。
「………うん。殺したよ。
残念ながら、任務は失敗だ」
フードを被った女は、二人の少女が争うビルの付近で携帯端末に向けて淡々と言葉を発していた。
女は、ナイフを持った、鬼方カヨコという生徒を追憶する。
彼女にとって、カヨコと会うのは二度目だ。
一度目は
そして、二度目は今。
『早く逃げなさいッ!カヨコッ!!』
『待ってッ!!社長ッ!!』
「──── Vanitas vanitatum et omnia vanitas」
全ては虚しく、徒労であると知れ。
彼女はカヨコの姿を目に収める。
ゆっくりと彼女は白いフードに隠された、薄紅色の瞳を顕にする。
「────
鉄筋が軋む。空間が歪む。
地面が斜めに傾斜し、所々の大井が狂う。
廃ビルは、まるで砂で出来た城のように、アッサリと崩れ落ちていった。
「何のために、そこまで足掻くんだろうね。
こんな……苦しいだけの世界で」
彼女はただ、そう呟いた。