「初めまして、かな。秦谷美鈴くん。名前だけは知っているかも知れないが、私が十王龍正だ。」
テレビやSNSで何度も聞いた覚えがある、淡々としながらも確かな熱意を持った声。学園長の息子という話もあり、近いようで遠いと思っていた人物が目の前にいる。
「初めまして、ご存じのようですが、秦谷美鈴と申します。わたしに何か御用ですね?」
「あぁ。その通りだ。話が早くて助かる。」
昨日の今日だ。要件は十中八九移籍の件だろう。先ほどまでもプロデューサーと話していたのだから、きっともう2人の中で答えは出ているのかもしれない。
「単刀直入に言おう。秦谷美鈴くん君を100プロにスカウトしたい。」
「ありがとうございます。でも、わたしなんかでよいのでしょうか。」
「あぁ。君のことだから知っているとは思うが、元SingUp!のユニットメンバーには声を掛けている。中等部から気に留めていたが、最近の成長は目を見張るものがあったのでな。他の事務所に先を越されてはたまらない。」
「まあ。随分と過分な評価をいただいていたのですね。とても嬉しいです。ですがまりちゃんやりんちゃんはともかく、わたしは今までサボってばかりで...今回のH.I.Fでもかなり心無い言葉を頂きました。それでもわたしをスカウトしたいというのは、ユニットでの価値を見出したということでしょうか?そういうことであれば...」
お断りする────と。そう意味を込めて。物怖じはしない。今のわたしたちは競い合うライバルでもあるから。もちろん再結成というのも、魅力的な相談ではあるが。
「もちろん、グループとしての運用も考えたが...今の君たちを見るに、グループとして纏めてしまうのは惜しいと考えている。だが、SingUp!の知名度も捨てがたい。故に定期的な3人での合同イベントを考えている。無論、君たちさえよければ、だが。」
「そうでしたか。プロデューサーはどうお考えでしょうか?」
わたしが遠慮なく話していたからか、目のクマに加えて顔が青ざめていたプロデューサーに話を振る。今は彼と歩いているからか、意見を聞かずに決めたくないと思った。
「そうですね……俺は秦谷さんの意思に従おうと思ってましたが、強いて言うならこの話を受けない理由はあまりないのでは、と。」
「1年にしてアイドル事務所からスカウトされることなど、そうありはしない。今までの1プロデューサーからの手助け”より”も、遥かに大きな支援が得られる。100プロではアイドルの性格も考慮してプロデュースしてくれると聞いてますので、秦谷さんは今まで通り活動するだけでいい。」
プロデューサーがこのスカウトに乗り気なのは分かった。実際、選択肢が増えるのは悪いことでもなく、3人で同じ事務所と言うのもそそられるものがある。
「プロデューサーの言う通りですね。ではこのお話、わたしでよろしければ、是非お受けしたいです。」
「ありがとう。良い返事を貰えて何よりだ。それでは、君には卒業まで私の事務所からプロデューサーを付けさせてもらう。経歴も申し分ない女性のスタッフだ。安心して欲しい。」
「……?待ってください、わたしにはプロデューサーがおります。」
「あぁ。承知している…」
「十王社長、本日はあまりお時間がないのでは……?以降は俺から説明しておきます。」
「すまない。ではお願いしよう。小鳥遊くんに秦谷くん。今日は有意義な時間をありがとう。それではまた。」
「あの……っ」
「秦谷さん。」
どういうことか説明を求めようとすると、プロデューサーに止められてしまう。十王社長はそのまま事務所を出ていってしまった。
「プロデューサーは、知っていたんですか?」
「……秦谷さん。ひとまず落ち着きましょうか。」
「答えてください。プロデューサー。」
プロデューサーは背を向けて、ポットのお湯を沸かしている。わたしがお茶を入れるようになってからは1度も使うのを見た覚えがない。そんな姿を見ると、余計に拳に力が入る。
「もちろん聞いていました。そのうえで、受けるべきだと。俺は」
「プロデューサーとして適切な判断をした、と言いたいのでしょうか?」
「この話が来た時点で俺達は詰んでいたんです。それならば、可能な限り秦谷さんが傷を追わない選択肢を選ぶだけだ。」
プロデューサーの言いたい事も分からない訳ではない。H.I.Fでの敗北後、学園内外から少なからず心無い言葉を囁かれていて、きっとわたしの元まで届いたのはほんの一部、彼が正面で受け止めてくれていたのは考えるまでもないだろう。
そんなアイドルが、100プロにスカウトされた挙句”蹴った”ともなれば、特に学園内からの誹謗中傷は避けられない。
「それに、”秦谷美鈴”としてスカウトされていますが、タイミング的に世間の目には元SyngUp!のユニットメンバーをスカウトした、と映るはず。利用するようでお二人には少々申し訳ないですが、ここを逃せば100プロへの所属は当面難しくなってしまう。」
「どうして、相談してくださらなかったのでしょうか。」
「……相談したとして、秦谷さんは納得してくれましたか?」
納得しない。出来るはずがない。まだこれからだと言うのに。やっと、一緒に背負って貰えると思える人に出会えたのに。
「それに、月村さんや燐羽さんはきっとこの話を受ける。秦谷さんにとって差を付けられるのは本望では無いはずだ。」
今プロデューサーはどんな顔をしているだろうか。今わたしはどんな顔をしているだろうか。彼はコーヒーを入れた後もこちらを向かずにただ話を続けている。
「プロデューサーは初めて会った時、快適に歩くお手伝いをすると言ってくれました。」
手を引いて欲しかったのでは無い。
「あの言葉は、嘘だったのでしょうか?」
言葉に出来ない感情が渦巻き、頬に涙が伝うのを感じる。
「……少し、寄り道して勉強してくるだけですよ。秦谷さんが歩く道の舗装整備の資格でも取ってきます。」
「わたしは、あなたのことを魔法使いだと思っていました。童話に出てくるような、
「魔法や奇跡には、それ相応の制限があります。0時を迎えたシンデレラが、元の姿に戻ってしまうように。ただ、その時が来ただけです。」
冗談めいたドラマチックな言い回しはいつも通りの彼。だというのに今はただ、重く、突き放されるような感覚を覚える。
「…………」
「……俺が秦谷さんをプロデュースするのは夏終わりまでです。あと数週間しかありませんが。」
「……いやです。」
「月村さんや燐羽さんのプロデューサーになる方にまで引き継ぎ業務をせねばならなく……」
「いや…です。」
「なので、次の仕事は十王会長に───」
「プロデューサーも、わたしの元から離れていくのですか。」
ぎゅっと、気が付けば背を向けるプロデューサーに抱きついていた。今更どうにもならないと分かっているだろうに何故こうしているかも分からないのに。
「………………なので後ほど、連絡があると思います。かなり頑張って取った仕事なので、皆さんと協力して頑張ってくださいね。」
「…………」
プロデューサーから腕を離し、バッグを手に取って教室を出る。早足になっているのにも気に留めず、何処に向かうかも分からないまま学園を歩く。
気付けば茶道室の目の前にいて、吸い寄せられるように部屋に入る。初めて会ったあの日、彼とここで共犯となって。待っていれば、また音も立てずに入ってきてくれるんじゃないかと、淡い期待を胸に……。
「探したわよ!美鈴!」
おおきな音を立てて入ってきたのは、彼女の望む人物とは似ても似つかぬ、性別すら違う人物だった。
第3話まで読んでいただきありがとうございます。作品がかなり曇天になりましたね。レッスンに丁度よさそうです。次回から晴れていくかな。次回、多分山場。
お察しの方はお察しだと思いますし隠すつもりないだろと思っていると思いますが、この話を書きたいと思った要因が次で明確になると思います。