筋肉三銃士が行く~筋肉は全て(の問題の7割くらい?)を解決する~ 作:nocomimi
「―――おはようマルコ氏。さあ、礼拝堂に行こう。もうすぐミサが始まるよ」
ルーク修道士は、マルコの部屋に入ってくるなり、起きたばかりで寝ぼけまなこの青年に元気よく声をかけてきた。
「一日を神への礼拝で始めるなんて、最高の贅沢だよ。君もぜひ味わってみたまえ」
夜明けの光が射し込む廊下に出ると、修道士は青年を先導しながら機嫌良く話しかけてくる。マルコ青年は思った。
――――うわぁ...だりぃなぁ...。でも治してくれた尼さんに『これからは信心します』って言っちゃったしなぁ....――――
「おはよ!マルコお兄ちゃん!」
礼拝堂の入り口でハンナがぴょこんと跳びついてきた。そして礼拝堂に入ると、どうしたわけかヨハネが既に最前列に座っている。
「あれ?あいついつの間に....。そんなに熱心だったけか?」
「あぁ....彼なんだが...実は礼拝堂に寝泊まりしてもらっているんだ」
マルコが呟くとルーク修道士は急に真顔になって声を潜めた。
「その...『音』の問題が...あって...修道女たちから苦情が来たものでね」
それを聞いたマルコとハンナは顔を見合わせて笑いをこらえた。
「可哀そうだけど...やっぱしょうがないよね、お兄ちゃん」
「そ...そうだな。それに本人も大して気にしてないみたいだしな」
ヨハネの隣に座を占めると、マルコ青年は声をかけた。
「ようヨハネ。礼拝堂の床は冷たくなかったか?」
「...冷たい」
「じゃあ朝ご飯はスープたくさんお代わりしたほうがいいね!」
ハンナが大男の顔を見上げる。やがて各席が埋まり、司祭がしずしずと入ってきた。
それを見たマルコ青年は急に緊張を覚えた。そもそも実家にいた頃もミサなどろくに出席したことがなかったからだ。
高い帽子を被り、ローブを着た司祭は祭壇の前に立って両手を高く掲げると言った。
「おはようございます皆さん。お立ちください。ご一緒に天の神に....」
―――――ウヴォオンッ!―――――
その途端凄まじい音が鳴り響いた。まるで重低音を担当する金管楽器奏者が肺の中のあらん限りの息を楽器に吹き込んだ時のようだった。
その場の空気が凍り付いた。司祭さえもが唖然として額に汗をかき、戸惑っている。
だが、マルコには一体何が起きたのかが一瞬で分かった。
――――ヨハネの奴...よくもこんなときに屁なんかこきやがって――――
そう心の中で罵りながら、マルコ青年はあらんかぎりの力を込めて必死で表情筋を固めた。笑うまいとして息を詰めると、余計に腹筋が自らの意志を持ったかのようにムズムズと動く。下を向いてこらえていると、ハンナもまた泣き笑いの顔をしながら自分の太腿をつねっているのが見えた。
だが、ヨハネはどうかといえば、彼は自分が何をしでかしてしまったのかをまるで理解していない様子だった。全くの無表情で宙を見つめている。
――――クソッ...まずいことになった。果たしてこれで三十分も耐えられるだろうか?――――
嫌な予感が急速に胸の中に湧き上がってくるのを感じた。
ようやく気を取り直した司祭の指揮のもと聖歌を何曲か歌うと、一同は着席を指示された。
だが試練はそこでは終わらなかった。
「では...本日の聖典を読ませて頂きます....」
荘厳な表情を取り戻した司祭が、朗々と聖典の一か所を朗読すると、説教を始めた。
「さて、ここで偉大な使徒であるポウロは自らのことを『最も小さな者』と称していました。それはなぜでしょうか」
説教が始まって数分が経過すると、マルコ青年は隣のヨハネの様子がおかしいことに気づいた。
呼吸があまりにも深く、そのリズムがゆったりとし過ぎている。
――――まさか...ヨハネの奴...?――――
恐々と大男の顔を見やると、その双眸は半分ほど閉じられている。そして対照的にその団子鼻の鼻孔は大きく開かれ、この世にまるで何の憂いもないかのようにリラックスし大きく息を吸い込んでいる。
――――これは..まずいんじゃないか....?――――
青年は思った。これまでの経験上、巨漢ヨハネが睡眠時に鼾をかかなかった試しがない。
「なぜなら、彼はかつて救い主を迫害した者だったからです。しかし、彼はドマスコの地に赴く途中で救い主と劇的な出会いを果たしました。そして『なぜ私を迫害するのか』という問いに対し、彼はこう答えました。『主よ、あなたはどなたですか』と」
説教が続く中、ハンナもまた迫りくる恐怖に気づいたかのように不安げな表情で青年の顔を見上げた。
「そして、その救い主に召され、彼は良い知らせを伝える者となったのです。彼はその務めゆえ、投獄されることとなりました....」
だが、司祭はすっかり集中を取り戻したようだった。彼は拳を振り上げてこう言った。
「しかし、そのような迫害も彼を止めることはできませんでした。なぜなら、ロマア人への手紙にあるように彼はこう考えていたからです。『救い主の愛が、私を捕えている』――――つまり、尊い救い主を迫害してしまった自分のような罪深い者でさえも、愛し、救ってくださるこの大きな愛。それに応えることこそが....」
――――..まずい。..まずいぞ。『その時』が近づいている――――
マルコ青年は説教を聞くどころではなかった。相棒ヨハネの呼吸は、ますます深く、ますますリラックスしてきている。その熊のような大きな手を見ると、最初は膝の上で軽く握られていたのが、今では身体の横にだらしなく垂らされていた。
一方の司祭は自らも感極まってきたのか、目に涙を浮かべながら声を張り上げた。
「.....ですから、皆さん!私たちも、この大きな愛に応えて....」
―――――ズ....ズゴゴ..ゴゴ..ズゴゴゴゴ―――――
その刹那、まるで地割れが起こったかのような轟音が響いた。マルコにはすぐにわかった。
その源は、ヨハネの口の中だ。
司祭が驚いて話すのをやめ、出席者たちが息を呑む音が聞こえた。ハンナはパニック状態になってマルコ青年に手で合図した。
(お兄ちゃん!何とかして!)
察したマルコ青年は跳びつくようにヨハネの口を手で押さえた。口腔呼吸を完全に遮断すると、ヨハネの鼾は静かになり、フェードアウトしていった。
―――――スピュゥ....スピュゥ....―――――
「よ...よし。なんとか凌いだぞ....」
マルコ青年が額の汗を拭くと、後席からアビゲイル修道女が口に手を当てて囁いてきた。
「ちょっとマルコさん。おミサの最中ですわよ!私語は控えて下さいな」
「い...いや....これは....」
言い訳しようとしたマルコは気づいた。身長185センチの自分と、2メートル近いヨハネは座高も高い。
それに対しアビゲイル修道女はせいぜい160センチ。大男2人が前席で何をやっているかなど、見えるわけがない。
「....そ...それでは、最後にお祈りいたしましょう....」
哀れ司祭は気力を抜き取られたかのような表情となりながら最後の祈りを導き始めた。
すると、ふと目を覚ましたヨハネが呟いた。彼の太い声は静寂の中で決め台詞を放つ舞台演劇の主演男優のようによく響いた。
「――――祈りとは....なんだ」
* * * * * * * * * * *
「ヨハネ、頼む。次回から寝ないでくれ。それから質問も禁止だ。な?ミサってのはそういうもんなんだよ。な?頼む。この通りだ。わかってくれ」
「禁止とはなんだ」
「やっちゃいけねぇってことだよ」
「いけないとはなんだ」
礼拝所の外で、マルコが必死で大男ヨハネに頼み込んでも、相手は何が悪かったのか全く理解できていない様子だった。そこへルーク修道士が取り成すように割って入った。
「いや...確かに説教中に質問するのは作法が良いとは言えないが...ヨハネ氏の根源的な疑問は考えてみる価値のあるものだよ」
彼はにこやかな表情で言うと、続いて出てきたアビゲイル修道女を顧みた。
「そう思うだろう、アビゲイル修道女?」
「そうですわねルーク修道士。祈りとは何か。それについては多くの答えが考えられますわ」
美しい修道女は腕を組み、自分の顎に手を当てる。
「その通りだ。信者になって日が浅い者は、時として祈りは神に自分の言うことを聞かせる手段のように考えてしまうことがある。だが真実はそうではないのだ」
「まさしく。さすがはルーク修道士ですわね」
修道女は頷く。ルーク修道士は手振りを交えながら熱弁し始めた。
「神の御心を知り、それを行うことこそが人の生きる目的。それに照らせば、祈りとはむしろ神の御心を知り、それに自分を合わせるための営為だと....」
「フォローしなくっていいっすよ。こいつ何も考えてないっすから」
マルコ青年は諦めて溜め息をついた。傍らにいたハンナもゲンナリした顔だった。
「うち、こんなことに毎朝耐えられる自信ないよ....」
「ん?どうしたんだい、ハンナ嬢?」
歩きながらルーク修道士が少女の顔を覗き込む。だが、彼は何かを察したように前を向くとこう続けた。
「...分かるよ、ハンナ嬢。礼拝や祈りが辛いと思うことは誰にでもある。それは、救い主への感謝からではなく、宗教的義務感から行っているときに陥りがちな症状なんだ」
修道士は優しい笑みを浮かべると、少女ハンナの肩を軽く叩いた。
「どうだろう、ハンナ嬢。礼拝に出席するのが辛いなら、ミサの間は自室で静かに聖典を読む時間を過ごしたらどうかい?救いの尊さをよく理解できる聖典の箇所をあとでリストアップしてあげるから...」
「ううん、そういうことじゃないの、ルークおじさん。いえ、先生....かな?」
「おじさんで構わないさ。続けたまえ、ハンナ嬢」
「うち...ヨハネおじさんの
それを聞いたルーク修道士は大いに驚いた様子だった。
「
「わたくしも分かりませんでしたわ。ミサに集中しておりましたもの」
二人の答えを聞いたマルコは信じがたいといった顔で呟く。
「い...いやいやいやいや。お二方とも、そりゃないでしょ。あんなデカイ音...」
「私たち修道者にとってミサは生きるための養分なのだよ。その恵みを一瞬でも逃さないよう、ミサ中はたとえ砲弾が落ちてきても集中を途切れさせることがないようにしているんだ」
「そ...そうっすか」
ルークが大真面目に言うのを聞いて、もはやついていけなくなったマルコ青年は辛うじて相槌を打った。
すると助手の修道女が急いで廊下を走ってくる。彼女は息を切らせながらルーク修道士に言った。
「ルーク修道士。よろしいでしょうか?」
「なんだね、マリアテレザ修道女」
「あの....王家からいらしたという方が...お会いしたいと...」
「王家から....?一体何の用で私に?」
ルーク修道士は怪訝な顔をする。ヨハネが呟いた。
「王家とはなんだ」
「いや、お前はもういいから黙っててくれ。ていうかこないだ聞いたばっかだろ?」
マルコが慌てて突っ込んだ。
「あの...相当お急ぎの様子でしたので...」
助手の修道女が促す。ルーク修道士は答えた。
「わかった。すぐに行こう」
二人が去ってしまうと、一同は食堂にドヤドヤとなだれ込んだ。
「ヨハネ。例えばだぞ。三十分の間、じっと座って、寝ないで、しかも黙っているってことってできるか?きっと練習すればできるだろ?」
カウンターに並び、盆の上にパンとスープを受け取りながらマルコが言う。すると巨漢は答えた。
「三十分...とはなんだ?」
青年はもう少しでズッコケてしまいそうなのを辛うじてこらえた。
「俺も...耐えられる自信ないわ...」
マルコ青年はそう呟きながらテーブルについた。ヨハネは山盛りのパンを受け取ってその隣に座る。アビゲイル修道女はハンナを連れて他の修道女たちの群れに加わっていった。
ところが一通り食べ終わったころに、また助手の修道女が急ぎ足でやってきた。
「あの...マルコさん。ヨハネさん。あなたがたもいらして欲しいと.....」
「え?俺らも?」
青年は驚いて立ち上がった。そしてヨハネに合図すると、急いで食器を片付け口に預け、修道女の後ろについていった。
* * * * * * * * * * * * * *
修道女に案内され、応接室の扉を開ける。すると、応接間の奥のソファには極めて身なりの良い老人が足を組んで座っている。
手前側にはルーク修道士がこちらに背中を向けて座していた。そしてそのはす向かいの単席ソファには、いつの間に来たのかアビゲイル修道女がいた。
「で...この依頼は引き受けてもらえると、いうことでよいな?ルーク修道士」
老人が腕を組み、片手で顎を支えながら言う。可否を尋ねているていではあったが、その実有無を言わさない高圧的な口調だった。老人の背後には、色鮮やかな制服を着て腰に剣を提げた兵士が二名、直立不動で立っていた。
「それは先ほどもお答えしたはずです、大公フリードリッヒ閣下」
ルーク修道士が答えた。それを聞いたマルコは驚きに目玉が飛び出そうになってしまった。
――――大公だって?この国で二番目に偉れぇ奴じゃねぇか!――――
「私は神に身を捧げた修道士です。そのご依頼が、神への奉仕たりうるのであればいくらでもお受けしましょう。しかしそうでなければ、失礼ながら他の者にご依頼ください。ご存じのはずです、閣下」
修道士は少し間を置くと続けた。
「修道の誓いというものはこの世の利得を理由に破って良いものではありませぬ。私の身分は王に任ぜられた騎士や役人とは違います。神から任ぜられたのならば、神以外にそれを解くことのできる者はおりませぬゆえ」
「まったく堅苦しいことばかり言いおって。まるで若い時からその道にいた坊主のような言いぶりじゃな」
大公と呼ばれた老人は不快そうに鼻を鳴らした。
「じゃが、そなたには他の者にはない賜物がある。儂も少しは聖典を知っておるぞ。神から与えられた賜物を用いることなく、地面に埋めたまま時を過ごした者が最後にどうなるか、そなたも良く心得ておろう」
「賜物....ですか」
ルーク修道士は静かに言うと口を閉ざした。
「王国に危機が生じたときそれを救うは神への立派な奉仕とは考えられぬか?なんとなれば、じゃ」
老人は足を組み直すと言葉を継いだ。
「教会を守護するは王家。その王家を守護するためそなたがその賜物を用いるならば、そなたの神とやらも決して機嫌を悪くはするまい。どうじゃ?」
「閣下、恐れながら....。何種類も神がいるのではありませぬ。天地をお造りになった神は唯一でありますから...」
ルーク修道士が口を挟むと、大公はじれったそうに手を振った。
「まったく..そういう話はいいと言うとるんじゃ。小うるさい奴じゃ」
そこに、助手の修道女がおずおずと口を挟んだ。
「あの....大公さま。お連れしました」
「んぁ?誰じゃ?」
老人が反応して大きな声を上げると、彼女はビクッと肩を震わせたが、気を取り直してマルコたちを紹介した。
「け...剣士のマルコさんと...木こりのヨハネさん...です」
「ぁ..あぁ。そうか」
大公は今さら気づいたように頷くと、また鼻を鳴らした。そして立ち尽くすマルコとヨハネをじろじろと眺め始めた。
「...まったくこんな得体の知れぬ連中を使おうなど、ルーク修道士、そなたの気が知れんわい」
「....あのぉ...すんません。なんか話がゼンゼン読めねぇんっすけど」
思わず不快を感じたマルコが呟く。だが老人は全く聞いていない様子で卓に置いてあった紙に目を落とした。
「Aクラス剣士...トアル村のマルコ?じゃがその実は農民出身の若造...と。で、もう一人はまぐれ当たりで大型魔獣を二体倒した木こり...とな」
「まぐれではありませぬ、閣下」
するとルーク修道士は断固たる口調で反論した。
「ミノタウルスを倒せる者など、Sクラスであっても存在するかは怪しいものです。ですが彼はやってのけました。そしてここにいるマルコもまた欠かせない人材です」
マルコはますます混乱した。隣のヨハネの顔を見上げる。だが相棒は目の焦点すら合っていなかった。青年は自分に言い聞かせた。
―――ま...偉い人たちのわがままに付き合わされてるってことか?そのうち解放されるだろ―――
「まあよい。そなたを信用しよう」
大公が肩をすくめた。
そして老人が次に発した言葉に、マルコの耳が奪われた。
「ルカー・ピオトル・アレクセイエフスキー。元・Sクラス冒険者のそなたが言うのならば、な」