原作の雰囲気を尊重しつつ、小説として一本の物語になるよう独自の描写や展開を加えています。
また、スマートフォン等での閲覧を考慮し、一話を複数回に分けて掲載しています。
第一話「名もなき廃病院」は①~③で一話となります。
それでは、夢の中にだけ存在する、名もなき廃病院のお話を。
かび臭い瓦礫が転がり、まばらに照明だけが灯る廃病院。
その入り口にある受付の前に、二人の少女が立っていた。
「おぉ、話の通りっすね! 夢の中とは思えないっす!」
大きな眼鏡に猫耳、そして太めのしっぽを揺らしながら、ナナリが興味津々に辺りを見回す。
「あーやだやだ、こんな辛気臭いところ……さっさと終わらせて帰ろうよ」
対照的に、小柄な少女――早霧《さぎり》は露骨に嫌そうな顔をしていた。
二人とも、骨董屋〈エイボン〉の店員である。
ただの骨董屋の店員が、なぜ廃病院などを歩き回っているのか。
理由は単純だった。
ここは現実の病院ではない。
この場所そのものが、異象によって形成された空間なのだ。
きっかけは、一件の異象調査依頼。
何かと危険の多い異象ハンターも兼ねる〈エイボン〉の、かかりつけ診療所。その院長から持ち込まれた相談だった。
診療所に通う患者の一人が、しばらく前から睡眠障害を訴えている。
そこまでは珍しい話でもない。
奇妙だったのは、その患者の家族まで同じ夢を見るようになったことだった。
細部には違いがある。
だが、誰もが見知らぬ廃病院をさまよったと証言した。
一人だけなら単なる悪夢で済む。
しかし家族にまで影響が広がったことで、院長は異象絡みではないかと考え、〈エイボン〉の店主である潯《ほとり》へ相談を持ち込んだ。
簡単な調査で、いくつかのことが分かった。
患者の近くで眠った人間にも、同じ廃病院の夢が共有されること。
ただし、夢の中に患者本人は現れないこと。
そして病院の中では現実とほぼ同じように行動でき、個人が持つ異能も問題なく使用できること。
そこまでなら、少々珍しいだけの夢系異象だった。
問題は一つ。
一度この病院へ入ると、眠っている本人の意思では目を覚ますことができない。
これまで夢を見た者たちは、皆ある程度病院の中をさまよった後、唐突に現実へ戻されている。
単純に患者が目を覚ましたからつられて起きたのか、それとも別の条件があるのか。
ただ、かすかな手掛かりとして、家族たちは何かをそこで探さなければということだけ覚えているとのことだった。
そこで、手が空いていたナナリと早霧《さぎり》が試しに夢へ潜ってみることになった。
そうして夢へと潜った二人だったが、出迎えたのは事前調査通りの廃病院だった。
「とりあえず調べてみるっすかね」
「そうするしかなさそうだねー」
ナナリの提案に同意した早霧。
二人は連れ立って病院内を歩き始める。
照明は所々消えており、薄暗い。
スイッチを入れても照明には反応がなかった。
「こう暗くっちゃ、何も見えないっすね」
「詳しいことわかんないけど、ブレーカーでも落ちてんじゃない?」
「それっす! って、メモが貼ってある……なになに?」
『照明トラブルの場合は配電室へ連絡すること』
「なるほどー、ここへ行けば電力を戻せそうっすね」
「素人が触っていいのかな?」
「大丈夫っすよ!〈エイボン〉の寮だってしょっちゅう停電するけど、そのたびにアドレーさんがブレーカー上げてくれてるじゃないっすか!」
「……いや、何の根拠にもなってないでしょーが!」
廃病院には湿気交じりの暗く重い空気が漂っていたが、二人はそんな雰囲気など気にも留めず、和気あいあいと病院内を進んでいく。
途中にはいくつか鍵のかかった部屋もあった。
ひとまずそれらを後回しにし、文字のかすれた案内板を頼りに進んだ二人は、無事配電室へとたどり着いた。
幸い、そこには復旧作業の手順書が残されていた。
専門知識などない二人だったが、書かれている内容を一つずつ確認しながら操作を進めていく。
やがて低い唸りとともに設備が動き始め、廊下の向こうから順番に照明が灯っていった。
どうやら病院全体の電力が復旧したらしい。
「これで、一安心――」
ナナリがやれやれと歩き出そうとした、その時だった。
閉めていたはずの配電室の扉が、不意に開いた。
「――っ」
おかしい。
少なくとも、これまで夢を見た家族から、病院の中で誰かに遭遇したという証言は聞いていない。
だが、考えるよりも先にナナリの身体が動いた。
「むぐっ!?」
早霧を抱え上げ、その口を片手で塞ぐ。
直後、自身の異能を使って跳び上がったナナリは、早霧を抱えたまま天井へと張り付き、照明の届かない部屋の隅へ身を潜めた。
二人が息を殺して見下ろしていると、開いた扉から何かが入ってきた。
全身を包帯に包まれた、人影。
いや。
よく見れば、人型をしているだけで人間ではない。
身体を形作っているものすら、ほとんど包帯そのものに見えた。
この病院とは別個に存在する異象――いわゆる共生異象だろうか。
包帯の異象は部屋へ入ると、きょろきょろと周囲を見回した。
何かを探している。
その対象が自分たちである可能性は十分にあった。
不用意な接触は避けるべきだ。
そう判断したナナリは、早霧を抱えたまま天井を伝って移動する。
包帯の異象が配電室の奥へ進んだ隙に、その頭上をすり抜けるようにして廊下へ出た。
床へ降りる。
そっと扉を閉める。
そして、足音を立てないよう十分に距離を取ったところで――
「ぷはっ!」
ようやく早霧が息を吐いた。
「なにあれ!?」
「依頼者の話じゃ、何かいたって話は無かったと思うんけど……」
「薄気味わるぅ……。やっぱ、とっとと出るべきね」
「あれー? ビビったんすか?」
にやりと笑って煽るナナリ。
その脛へ、早霧の容赦ない蹴りが飛んだ。
「あいたっ!?」
「あのねぇ。あんた、スカーレットレターの一件であんな目に遭って、異象空間に取り残される怖さ忘れたの?」
「うっ……」
「今回あたしが一緒に来てるのだって、お目付け役みたいなところあるんだから。ほら、さっさと脱出方法探すよ」
「……っす」