異伝ー名もなき病院ー   作:Kataparuto

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第四話 冷山病院という名前 ④

 白い光が消えた。

 

「――ん」

 

 潯が目を開く。

 見慣れた診療所の天井。

 

 少し遅れて、隣のベッドから残虹も身体を起こした。

 夢の中で着ていた和装は消え、再び囚人服。

 手には手錠、目元にも黒い布が戻っている。

 

「お帰り、店長。残虹も――」

 

 二人へ声を掛けようとした鑑定士の言葉が止まった。

 

 ――ピコン。

 

 手元のスマートフォンが鳴る。

 

「ん?」

 

 ――ピコン。

 

 続けてもう一度。

 直後。

 

 ――ピコン、ピコン、ピコン。

 

 鑑定士だけではない。

 ナナリと早霧の端末まで、ほぼ同時に通知音を鳴らし始めた。

 

「な、なんすか!?」

「うるさっ……!」

 

 三人が慌てて画面を見る。

 通知元は、潯たちが眠る前に設定しておいたクローラーAIだった。

『検索条件との新規一致を検出』

 

 一件。

 三件。

 七件。

 数字が見る間に増えていく。

 

「……待って」

 

 鑑定士の声色が変わった。

 

「どうした?」

 

 まだベッドの上にいる潯が尋ねる。

 鑑定士は返事をせず、通知の一つを開いた。

 

『また冷山病院の夢を見た。今度は三階まで行った』

 

「……冷山病院?」

 

 潯が眉をひそめる。

 だが、その表情がすぐに変わった。

 

「いや、待ちな」

「店長?」

「その名前――」

 

 潯は記憶を探るように目を細めた。

 研究区画。

 机に置かれていた資料。

 実験記録の上部に印字されていた文字。

 

『冷山病院』

 

「あたしたち、向こうで見てる」

 

 隣で残虹も僅かに顎を上げる。

 

「ええ。研究資料に書いてあったわね」

「冷山病院。あれが、あの病院の名前だった」

 

 ナナリと早霧が顔を見合わせる。

 

「そんな名前、一回目には見なかったっすよ」

「二回目もなかった」

「三階へ進んで、初めて病院側から提示された情報ということですね」

 

 アドレーが静かに整理する。

 

「でも……」

 

 鑑定士が画面へ視線を戻した。

 

「この投稿、八か月前だよ」

 

 部屋が静まり返った。

 次の通知を開く。

 

『冷山病院ってどこにあった病院だっけ? 場所知ってる人いる?』

 

 二年前。

 さらに。

 

『子供の頃、冷山病院には近づくなって親に言われてた気がする』

 

 四年前。

 

「……新しい投稿じゃないっすね」

 

 ナナリが呟く。

 

「うん。全部古い」

 

 鑑定士は机の上のノートを開いた。

 潯たちが眠る直前。

 クローラーを一度走らせた際に残しておいた記録だ。

 該当件数。

 投稿日。

 簡単な投稿内容。

 そして最後。

 

『共通する病院名称――なし』

 

「この条件、店長たちが寝る前にも全部走査してる」

 

 鑑定士がスマートフォンを見る。

 

「その時には、冷山病院なんて名前は一件もなかった」

「見落としって可能性は?」

 

 早霧が尋ねる。

 

「これだけ一気に?」

 

 鑑定士が通知一覧を見せる。

 数十件。

 その多くに、同じ名前が含まれている。

 冷山病院。

 さらに検索欄へその名前を入力すると、

 

『冷山病院 夢』

『冷山病院 都市伝説』

『冷山病院 跡地』

 

 検索候補まで表示された。

 

「……こりゃ、偶然じゃ済まないね」

 

 潯の表情から笑みが消える。

 

「アドレー。あたしたちが寝てたのは?」

「およそ四十分です」

「その四十分の間に、数年前の投稿が生えてきたって?」

「正確には」

 

 アドレーは鑑定士の記録と画面を見比べる。

 

「数年前から存在していたことになった、と考えるべきでしょう」

 

 再び沈黙が落ちる。

 

「夢が現実に漏れてきたんすか?」

 

 ナナリが小さく尋ねた。

 

「まだ決めつけない方がいいわ」

 

 残虹が答える。

 先ほどまで楽しげだった声から、僅かに軽さが抜けている。

 

「人間の記憶を弄ったのか。電子記録を書き換えたのか。それとも、本当に過去へ手を入れたのか」

「どれだろうと碌な話じゃないね」

 

 潯はベッドから降りる。

 

「それで、向こうでは何があったの?」

 

 早霧に尋ねられ、潯は三階で起きたことを簡単に説明した。

 研究区画。

 大口顧客。

 特別予算。

 専属研究班。

 そして、そこで行われていた異象実験。

 さらに五分間の時間制限と、時間切れになれば研究区画の入口へ戻される仕組み。

 

「でも、拾った資料はそのままだった」

「またっすか」

 

 ナナリの耳が僅かに伏せる。

 

「包帯ぐるぐる野郎の時と似てるっすね」

「ああ。ただ今回は病院の入口じゃない。研究区画の入口まで戻されるだけだった」

 

 アドレーが考え込む。

 

「つまり今回も、病院側は探索そのものを完全には阻害していないということですね」

「むしろ逆だよ」

 

 潯が答えた。

 

「五分しかないから、あたしと残虹は自然と別々に動いた。二人で同じ場所を見るより、その方が沢山の資料を探せる」

「時間切れになっても成果は失われない」

 

 残虹が続ける。

 

「やり直せばいいだけ。つまり、あの時間制限は私たちを追い出すためじゃない」

「散らすため、ですか」

 

 アドレーの言葉に残虹が笑った。

 

「私はそう見てるわ」

 

 ナナリが首を傾げる。

 

「でも、なんでそんなことするんすか?」

「二人に同じ情報を見せるより、二人に別々の情報を見せた方が効率がいいでしょう?」

 

 部屋が静かになる。

 潯は腕を組んだ。

 夢の中で残虹が口にしていた言葉を思い出す。

 ――手ごたえがあったほうが記憶に残るじゃない?

 

「……記憶に残す」

 

 ぽつりと呟く。

 

「店長?」

「病院は、あたしたちに秘密を解いてほしいんじゃないのかもしれない」

 

 潯は通知の止まらないスマートフォンを見る。

 

「ただ、自分のことを覚えてほしい」

 

 残虹の口元が僅かに上がった。

 

「私もそんなところだと思ってるわ」

「でも、それなら……」

 

 鑑定士が画面を見る。

 

「どうして冷山病院を知ってる人まで増えてるの?」

 

 誰も答えられなかった。

 数十分前まで。

 現実側では、この病院に名前などなかった。

 似た夢を見たという人間が、僅かにいただけ。

 それが今は違う。

 冷山病院。

 そう呼ぶ者がいる。

 そこへ行った夢を見た者がいる。

 昔そこに病院があったと語る者がいる。

 親から話を聞いたと記憶する者までいる。

 潯は小さく息を吐いた。

 

「……映写機を使う前に言ったんだよ」

「何を?」

 

 アドレーが尋ねる。

 

「今度は何を持って帰らされるんだろうね、って」

 

 潯は画面を見つめる。

 その向こうでは、また一つ。

 冷山病院についての古い投稿が、新規一致として検出されていた。

 

「どうやら」

 

 潯の声から、いつもの軽さが消える。

 

「あたしたちが持って帰ったのは、記憶だけじゃなかったらしいね」

 

 夢の中で初めて知ったはずの名前。

 ――冷山病院。

 その名前は今。

 まるでずっと昔からそこにあったかのように。

 現実の中へ、根を下ろし始めていた。

 

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