残虹は、続けざまになるその音を聞きながら楽しそうに口元をゆがめる。
「ねぇ店長さん」
「……なんだい」
「一度、整理してみましょうか」
嫌な予感がした、今から残虹が話すことは聞かないほうがいい。
潯がダフォディールに口を塞ぐように指示を出すより速く残虹は話を始める。
「最初は名前もないただの薄気味悪いできの悪い都市伝説があるような廃病院だった」
残虹の笑みは変わらない。
「電気をつけ、水を抜き、そして映写機を回して二回も資料を持ち帰った」
ナナリの耳がわずかに伏せる。
残虹は構わず続ける。
「それでも足りないから、今度は私たちが三階へ行った。研究区画を開いて、冷山病院という名前を知って、異象実験の記録を読んで……また帰ってきた」
残虹が鑑定士のスマートフォンへ顔を向ける。
「そうしたら、どうなった?」
誰も答えない。
その間も鑑定士のスマートフォンで走るクローラーAIが冷山病院に関するベーグル上の投稿を拾い続けている。
「存在しなかったはずの病院なのに、昔からその病院を知っていた人物が現れた。 昔から書かれていたことになっている投稿が現れた」
残虹が薄く笑う。
――ピコン。
「隠火症」
――ピコン。
「違法研究」
夢の中にしかなかったはずの言葉、それが、現実へ増えていく。
「随分立派になったじゃない」
残虹の声には、隠す気すらない愉悦が混じっていた。
「最初は名前すらなかったのに」
「残虹」
ダフォディールがようやく低く制する。
だが、残虹は止まらない。
「いいえ、あなた達は私の言葉を聞くしかないわ」
だが、潯がそれを遮る。
「私たちは、異象を調べていた。ああしなきゃ患者を助けるところまで行けなかった」
「そうね」
残虹はあっさり認めた。
その反応に逆に潯の表情が険しくなる。
残虹は黙った潯に愉悦を隠さず一言を区切りながらぶつけていく。
「あなたたちは異象に騙された側」
「利用された側」
「病院入れば、自分の意志では起きられない」
「進むための方法は、向こうが用意したものしかない」
「だから、仕方なかった」
一つ一つ、逃げ道を作るように言葉を並べる。
そして……。
「それで?」
全部を切り捨てた。
「知らなかったら、やったことまで消えるの?」
静かだった部屋がさらに静まり返る。
残虹がわずかに首を傾ける。
「電気をつけたのはだれ?」
まるで子供に聞くかのようにナナリの方へ顔を向けた。
びくりとナナリの肩が震える。
「水を抜いたのは?」
続いてナナリから早霧のほうへ今度は顔を向ける。
早霧は思わず目をそらす。
「資料を読んだのは?映写機を使ったのは?」
いつの間にか前に立っていた潯へと顔を向けた。
潯は険しい顔をしながら見返している。
「最後まで病院の言う通りに進んだのは?」
ナナリが何かを言おうとして口を開いた。
だが潯が先に留めた。
「ナナリ、そこはあんたたちが背負うことじゃない」
潯は椅子に座り背もたれに体重を預けて座る残虹を見下ろす。
「責任者はあたしだ」
残虹の笑みが深くなる。
「そう、それでこそ店長さん」
「嬉しそうだね、あんたも片棒担いでるんだよ?」
「あら、私は構わないわ、そもそも虜囚の身、選択権なんてないもの。それに、私は道具よ? 危険な道具を何に使うか決めるのは、持ち出した人間の仕事でしょう?」
「……」
黙ってしまった潯に対して残虹は続けた。
「それと、まだすべてが終わったわけではないわ」
潯が眉を寄せる。
「何が言いたい?」
「今見つかっているのは情報だけ」
その言葉に潯は思考を巡らせる。
確かに現在出ているのは、冷山病院という名前。
病院内部の部署や症例。
噂話や違法研究。
全て情報だけ……のはずだ。
だが、そこまで考えて潯は足元が崩れ落ちるような感覚に襲われた。
片手で額を抑えて体がふらりと揺れる。
「お嬢様!」
慌ててアドレーが身体を支えた。
自分が望んだ答えに至ったことを理解したのか残虹が高笑いする。
「あっははは!!そう!!そうなの!!店長さんは理解したようね!」
残虹の高笑いに反応して鑑定士が刀を首筋へと立てる。
その速度はそばにいたダフォディールより速かった。
「店長に何をした!?」
「私はしてないわ、もちろん誰も何も」
武器を突きつけられているというのに残虹は全く動じていない。
それどころかにたりとした笑みをさらに深める。
「ねぇ……考えた?本当に情報だけで終わったと思う?」
「残虹……!!あんた……!!」
持ち直した潯がその先を言うなと残虹を睨みつける。
その怒りに残虹は笑みをもって返し、言葉を続けた。
残虹の言葉を止めたところで、もう残虹の言いたいことは全員に伝わっていた。
「冷山病院が現実のどこかに立っていないって、もう確認した?」
その言葉に鑑定士の表情が固まる。
「昔からそこに病院があったことになっている場所が生まれていないって確認した?」
「それは……まだ」
「じゃあ、隠火症は?」
ナナリと早霧が怯えたように一歩下がる。
それを感じた残虹は畳みかけるように言葉という刃を振るう
「身体の中が、焼けるように痛い、水を異常に求める、身体へ包帯を巻けば楽になる、外そうとすれば暴れる」
一息に先ほどの夢の中で読んできた症状を並べる。
「そんな患者が今、この街のどこにもいないって調べた?」
答えはない。
「包帯実体は?病院の中から出られないって、誰が決めたの?街を徘徊して冷山病院へ人々を連れ去ってるかもしれないわよ?」
「可能性の話をしているだけだろう?」
潯が低い声で残虹の言葉を遮る。
だが残虹は涼しい声で返した。
「もちろん、全部、何も起きていないかもしれない。 冷山病院なんて現実にはない、隠火症だって夢の中だけ、あの包帯実体も、あそこから一歩も出られない」
そこで、一拍置いた。
「だったらいいわね」
――ピコン。
通知音だけが響いた。
残虹はその音へ耳を傾けるように少し顔を上げた。
「でも、もし違ったら?」
潯は答えられない。
「もし今頃……」
残虹が勝ち誇ったように笑う。
「冷山病院がどこかに建っていて、そこへ患者が運び込まれていて、身体が燃えるって泣きながら包帯を巻いている人間がいたら?」
潯の拳がわずか握られる。
「その時も」
残虹は静かに続けた。
「異象が勝手に広がった、で済ませられるの?」
「……」
誰も答えられない。
「あなた達、調査をしていたつもりだったんでしょうけど……」
最後に。
にたり。
いつもの笑みを浮かべた。
「結果だけ見れば、ずっとあの病院のお手伝いをしていたのよ」
――ピコン、
また一件。
「おめでとう、〈エイボン〉」
――言うな。
潯が歯を噛み、残虹を睨みつける。
「名前のなかった異象を」
残虹はその睨みに込められた怒りを全身に浴びる。
手錠でなければ今頃両手を広げてそれを受けていただろう。
――言うな!!
潯の怒りを浴びながら、ゆっくりと、残虹は最後の言葉を口にする。
「随分と、現実らしく、してあげたじゃない」
それはまるで〈エイボン〉へ突き付ける敗北宣言だった。
そんな残虹の言葉を最後に。
部屋には、鳴り続ける通知音だけが残った。